「トリグラフ」の艦橋にダスティ・アッテンボロー少将は帰ってきた。
彼女は穏やかで静かな表情をしている。
これから戦闘に入るのに高揚感も興奮も無縁に見える。それこそが
「女性提督」の本分であった。彼女が浮き足立てば兵士も浮き足立つ。
「トリグラフ」の人となったアッテンボローは毅然とし、口元を引き締め
宇宙を見つめている・・・・・・。
「みんな負けない計算がついた。全艦出撃する。」
彼女は鬨(とき)の声をあげた。
それはおよそ激昂とは程遠く静かに兵士たちの耳に入り込んだ。
「ただしこれからの出撃は敵艦隊を釣るえさをまくだけだ。敵が噛み付いてくれば
速やかに退避することを考え、要塞を出る。指示すればいつでも逃げる心積もりで
いてくれ。相手を叩くのは今じゃない。陽動だ。」
イゼルローン駐留艦隊はメルカッツ提督の指令により流体金属層を抜けて
陣地にたった。帝国軍艦隊はこれを撃破せんと攻撃をかける。
これは作戦通りの帝国からの攻撃であったのでアッテンボローは味方を殺さないように
突出できるところまで艦隊をつめればいい。
そしてイゼルローン駐留艦隊は逃げるふりをして慌てたように流体金属内に
待機する。つまり敵がこちらが封じ込んだと思い込んでいればこの作戦は
半分まで成功である。
彼女は予定された宙域に艦隊を動かした。
準備万端。獲物は食いついてくる。敵艦砲の餌食にはさせられない。
「進んで的になるなよ。私の旗艦より突出しなくていい。えさをまいているだけだ。」
彼女の声がおだやかに響いた。
ダスティ・アッテンボローも先陣のひとであった。戦場にあっては彼女の船は
先頭にあり、退陣のときは最後を努める。20代の「女性」である彼女は「勇気と秩序」
をもって兵士に信頼を受けるしかない。
そしてメルカッツ提督からの指令が出て再び彼女は穏やかな口調で指示を出した。
「全艦要塞流体金属層に逃げろ。」
ヤン艦隊の度し難さは撤退後退という言葉より、単刀直入で簡易な言葉が喜んで
もちいられることであるといえよう。
ラオは自分の上官がその悪癖の所有者の最たるものだと思う。
だがもう上官の考えがわかるので進言は必要がないと思っている。
実際彼女が逃げろというときほど兵士は意気盛んになり安心するのであるから。
「わかりやすい言葉も時には必要だからね。」
女性提督は悪びれることもなく分艦隊主任参謀長に微笑んだ。
メルカッツ提督の指示通りに要塞に還るのではなく流体金属層に船を一時隠す
だけである。
「閣下。わが方の損傷はありません・・・・・・当然のことですが。」
ラオ中佐が報告した。
「当たり前だよ。トリック程度で死なれては困るな。だが次にでるときは容赦なく
相手の尻をぶったたくぞ。・・・・・・熱狂的に撃ちまくる。ちょっと私の艦隊ではなかった
ことだがね。叩けるときは狂おしく叩く。」
アッテンボローは笑みを浮かべて言った。
その横顔は静かではあるが眸はスモーキーグリーンに輝いている。
「援軍来ます。」
その報告をオペレーターから聞くと女性提督はやや大きな声をあげた。
「さて本番だ。後れを取るんじゃないぞ。かくれんぼはおしまいだ。全艦「トリグラフ」に続け。
再出撃だ。今度は鬼ごっこの上袋叩きだ。相手の数を徹底的に減らすぞ。」
「トリグラフ」は美しい船だといわれている新戦艦であった。ヤン艦隊に加えられるとき
ヤン・ウェンリーが「トリグラフ」に司令官旗艦を変えるのではと思われたが彼は
アッテンボローに譲った。
美しい船だからこそ自分が乗ってしまえば外観が見えないとヤンは言ったものだが
真相のほどはよくわからない。「ヒューベリオン」のなれた席から移動したくなかった
という話もある。
「私が「トリグラフ」なぞに乗っていいんですか?」とアッテンボローは当初遠慮しようとしたが
「美人が乗るにはいい船だと思うけれどね。」
とヤンは言った。
「・・・・・・これはセクシャルハラスメントになるのかな。アッテンボロー。」
黒髪の司令官は頭をかいた。
以来「女性提督」がこの美しき船の主となった。
出撃をしたのはアッテンボローの艦隊だけではない。
メルカッツの艦隊、フィッシャー、グエンの艦隊も驚きべき素早さで流体金属層から
飛び立ち四方八方からミュラー艦隊にビームの嵐を降らせた。
敵艦隊は自分たちが罠に落ちたことを悟る前に全面攻撃を仕掛けられ
今度は陣形を立て直すことも赦されなかった。
白い直線の光が鋭く大量に発射される。ミュラー艦隊はまさに袋叩きにされている。
アッテンボローの攻撃は徹底的で援軍を守りつつも敵艦隊に大打撃を与えた。
「日ごろの鬱憤を晴らすにはいいな。こんなところまで遊びに来た礼を敵に
たんまり返してやれ。思う存分撃て。今が好機だ。」
女性提督は徹底的な攻撃に出た。
うちの分艦隊は攻撃より守りが最近多かったしたまにはこういうのもよかろうと
彼女は思う。
グエンも猛将であり熾烈な攻撃で後方からミュラー艦隊を襲った。
こうして同盟軍は先ほどまでの劣勢を覆すことができた。戦術レベルであるが
今はそれでもよい。
四散する帝国軍艦隊をメルカッツは追わないでヤンの救援部隊との合流を
急がせた。ヤン・ウェンリーの艦隊はわずか5000隻。すぐにもヤンには
旗艦「ヒューベリオン」で指揮をとってもらう必要があるとウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツは
考えていた。
スクリーンにうつった「ヒューベリオン」のブリッジにはメルカッツ提督がいた。
「客員提督」は今回の功労者を自分の横に招いた。少年は敬礼をして
本来のイゼルローン要塞司令官閣下に挨拶をした。
「おかえりなさい。ヤン提督。」
今回の功労者がユリアンであることを知ると黒髪の司令官は言葉が出なかった。
あてにしなかったわけではないからうれしい。けれど軍人への道を彼がまた一歩踏み出す
ことになったのがヤンを複雑な気持ちにさせた。少年との懐かしい対面をしている間にも
戦況はうつりゆく。
すぐさま通信オペレーターがあわてて大声をはりあげた。
「ガイエスブルグ要塞が動きだしました。イゼルローン要塞に近づいています。
まさか、ぶつかるつもりでは・・・・・・。」
ガイエスブルグが接近してくることにキャゼルヌらイゼルローン要塞の幕僚は
絶叫した。
しかしヤン・ウェンリーは静かにいった。
「気づいたな。だがもう遅い。」
黒髪の司令官のやや苦しそうな面持ちを隣でフレデリカ・グリーンヒル大尉は
見つめていた。彼女は今回の航路と査問会のいきさつすべてをヤンから聞いている。
間一髪で自分の上官が要塞に帰って来れたことを彼女は安心もし
これから彼女の慕う司令官が何を命令するのかも心得ていた。
イゼルローン要塞を救う手段はひとつしかない。
そしてそれは大量殺戮以外の何物でもないことを彼女は知っている。
でも、イゼルローン要塞は「彼らの家」なのである。守らなければいけない。
目の前の黒髪の青年はまた同胞を救う。
けれども敵の人間を多く殺すことを青年は自覚して気を落とす。そんな構図が
フレデリカには見えていた。
だからこそ自分は彼の側からけして離れないと決める。
査問会で離れ離れになり彼を救うために武器なき戦いを繰り広げてきたフレデリカは
もう彼からは離れまいと心に決めた。
ヤン司令官の戦場におよそ似合わない穏やかな声が響いた。
「要塞に艦砲は通用しない。ガイエスブルグ要塞のワープエンジン一基に全艦隊、一斉砲火。」
12基取り付けられているワープエンジンのひとつを全艦隊で撃ち壊し、ガイエスブルグの
航路を狂わせる。
「撃て。」
鮮やかで鋭い直線のビームの大量のシャワーがガイエスブルグ要塞のただひとつの
ワープエンジン集中された。規模が大きいワープエンジンも全艦隊の一点集中砲火には
ひとたまりもなく、完全破壊された。
今ごろ要塞を要塞にぶつけても遅い。
ヤンはワープエンジンを壊すことでガイエスブルグ要塞の軌道をそらせる
手段にでたのだ。ガイエスブルグ要塞はワープエンジンの機能を破壊され
イゼルローン要塞と衝突するはずの軌道をはるかにずれた。
さらにイゼルローン要塞からは「雷神のハンマー」が正射された。
アレックス・キャゼルヌにはもはや逡巡はない。「雷神のハンマー」は
ガイエスブルグを直撃した。
多くの帝国軍艦隊がその大砲の余波にさらされ壊滅し、エンジンを壊された
ガイエスブルグの不安定なうごめきに巻き込まれ堕ちていった。
さまざまな爆発の作用を受けて要塞の核融合が爆発を起こしガイエスブルグは
爆発した。超新星のような光を発して。まるで宇宙が終わりを迎えるかのように。
まるで宇宙が始まりを迎えるかのように。
その光の中でどれだけの命が焼かれているか。
「火焔の宙-そら-」ではおびただしい光があちこちに放たれ、大量の兵士の
生命を飲み込んでゆく。
およそまともな人間のする行為ではない。
同盟軍兵士達は大喜びでヤン提督の奇跡を歌い上げていたが
これは奇蹟でも魔術でもない。
ただ敵を大量に殺しているだけなのだ。味方を守るために。
ヤンのそのようなときの表情をフレデリカは何度も見つめてきたし、
これからもその日々は続くのであろうと思っていた。
彼女は黙って青年を見つめている。
いつでも声が聞こえる距離にフレデリカは彼の側にいた・・・・・・。
ヤンが気落ちし敵の死者に追悼の意を込めてベレーを脱ぐころ。
同じとき別の艦橋でその光を複雑な思いで見つめるアッテンボローがいる。
表面上は努めて、無表情だった。
味方を失うことはなくこの戦いに関して言えば終わったのだ。
奇跡なんてないんだよと喜々としている部下たちにいってのけるほど
アッテンボローは辛辣な人間ではなかった。
とにもかくにも一時でも同盟軍が勝利したことに感謝をしなければならないだろうし、
命が助かったことも彼女は感謝しなければならない。
流した血の量のぶん火焔の宙で生き続けていくことがある種の義務だと
彼女は感じている。
実際、彼女は感傷にふけることも極力自分には許さないでいた。
感傷に浸っても先に進まない。
そしていたずらに敵と戯れる(ざれる)資格はないと自覚していた。
「終わったな。」
女性提督は隣の参謀にだけ至極柔らかな笑顔で言った。
「逃げる敵を追いかけた連中を連れ戻さなければ。急ぐぞ。」
あれほど深追いはするなといっても「一時の勝利」の高揚感で敗走の敵を
追撃しようとする人間は必ずいる。
ヤンは「ヒューベリオン」のブリッジに還るとすぐさま自分の席に座った。
「早く連れ戻さないと危ない。」
だが撤退するミュラー艦隊を追ったグエン提督やアラルコン少将は
帝国軍上級大将ロイエンタール、ミッターマイヤーの双璧に原子に
還元された。敗走した傷だらけのミュラー艦隊を追っていたつもりが
無傷の帝国軍精鋭艦隊に囲まれ殲滅させられたのである。
しかし双璧はそれ以上戦端を広げず退却した。
ヤンは隣でたっているユリアンに言った。
これが名将の戦いだよと。
自分たちの闘いの目標が明確であり、その目的を果たせばむやみに
戦端を広げない。これこそが将たるものの姿だとヤンは隣の少年に語りかけ、
久々に一杯のおいしい紅茶をリクエストした。
少年はうれしそうにくるりと背を向けて紅茶の用意をしに軽い足取りでかけていった。
敵の作戦を看破したのはユリアンだったのか・・・・・・。
やはり黒髪の青年は思い悩む。
あれだけおいしい紅茶を入れれる少年が軍人になる必要などないのになと。
by りょう
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