結局、ユリアンの軍人志望を認めましたね。
寧日、安寧のイゼルローン要塞。
「ならせたくてならせたのではないが止める権利もない・・・・・・。そんなにまでしてなりたい
職種とは思えないな。あのこは多才な上にどの分野にも長けている子供だよ。なにも軍人なんて
選ぶ必要はないのにな。ユリアンは練習をすればフライングボールのプロ選手だってなれる。
おそらく修行すればレストランの超一流シェフにだってなれる。医者でもなれそうだな・・・・・・でも
何の職業に就くかは結局、本人の希望が最優先だからね・・・・・・。」
ヤン・ウェンリーは不機嫌な面持ちで言った。
この一週間彼は風邪を引き寝込んでいた。
熱がでてひくのは早かったがこの青年は日ごろから食べ物からよりも
アルコールから栄養を取るところが大いにある。
案の定食欲がないというので、ユリアン・ミンツ少年は白ワインをベースに
蜂蜜とレモンを混ぜて温めた飲み物を作った。風邪引きの青年は勤務時間
外の酒量が多い。
これではアル中と言われても仕方がないと少年は思うことがある。
ヤンは蜂蜜とレモンは抜いてくれという。
少年は「じゃあ。白ワインを抜きます。」といいながら温かい飲み物を作った。
これが飲めておなかがすいたとヤン・ウェンリーが言えばしめたもの。
コーンの濃いスープを以前少年が熱を出したときフレデリカ・グリーンヒル大尉は
士官食堂のシェフに作ってもらったといって飲ませてくれた。滋養にいい。
それをまねて少年はスープを用意していた。
ヤンは「ホット・パンチ」なる飲み物は子供だましのジュースだと思っていた。
しぶしぶ飲んだがユリアン少年は主に「白ワイン」でその飲み物を作ったので
満足してヤンは「お前いい子だよ。」といいながらその温かなのもみものを口にした。
実は少年は何か彼の保護者に頼みごとをするときや、彼が困っているときなどには
ついついアルコールを赦すことがある。
ユリアン少年はおもいきって彼の保護者に軍人になりたいと言う「決意表明」をした。
黒髪の風邪引き青年はやれやれと頭をかく。
「ホット・パンチ」にしてやられた。
少年は初めからヤンがだめだということは考えてなかったらしく、どうしてもヤンが軍人に
なることを赦さないのであればユリアンは「提督のおっしゃるもの」になるという。
黒髪の司令官にはそんな資格はないと思っていたので少年が職業軍人になることを
了解した。
軍人である以上暴力とは無縁ではいられない。
ヤンは暴力には二つの方向性があると考えていた。
「制圧、鎮圧」のための暴力と「解放」のための暴力。
職業軍人である以上はおおむね前者の暴力を用いることが多い。軍部の
存在は国家の尊厳のため民衆を「弾圧、鎮圧」することが過去の例として
圧倒的多数なのだ。
それに人を殺す仕事であるには変わらない。現時点において。
できうることならばすぐに足抜けができるような軍人になれればよいとは思うけれど
少年はなぜか自分のような軍人になりたいという。
「自分の本分は軍にはないのだけれど」
ヤンは歴史を志していたし経済さえ赦せば人類の歴史を編纂する仕事に
就きたかった・・・・・・。
人間大きく能力が変わらない。そして人間やることは決まっている。
そうなるとすれば過去の例を取り入れることや過去を顧みることが実は
民衆の生きる道を広げる手伝いにもなる・・・・・・それは彼の持論だったし
歴史を志すものの考えの一部でもあった。
青年は「ホット・パンチ」のお代わりを求めたし、少年は快く了解した。
午後には実に味のあるコーンスープを青年は食して風邪引きは一週間でおさまった。
「私は軍人なんかやめてやりたいんだがな。」
アッテンボローはフレデリカの隣で「ごく自然に昼食をとっている」ヤンの姿に微笑んだ。
「アッテンボロー。人の顔みてにやにやするんじゃない。」
彼女の視線に気がついて要塞司令官閣下は不平を漏らした。彼女が
不思議の国のアリスに出てくる猫そっくりに見えた。にたーりと笑っている後輩。
「別に閣下の顔を見てにやけているんじゃありません。」
彼女の物言いにヤンはうむと食いついた。
「じゃあ何がそんなにおかしいんだね。私の知っているお前は微笑みの大売りをする
親切な奴じゃないよ。それにどちらかといえばその笑みはなにか含みがあるね。童話に出る
何とか猫みたいだよ。うーんとなんという猫だっけ。」
フレデリカは「チェシャ猫ですわ。」といった。
「そうそれだ。お前それにそっくりとポプラン少佐に言われないのかい。」
女性提督は、口角を僅かにあげて微笑んで言った。
「ふふふ。含みが大いにあるから不謹慎な微笑みになるんですね。
で、私が不謹慎な笑みを漏らす理由をここでいま言ってもいいんですか。」
ヤンは自分が過去に彼女から言われていたことをやっと思い出した。
イゼルローン要塞の小さなカウンター・バーでの会話。
つまりアッテンボローは彼がグリーンヒル・大尉のとなりで「ごく自然に昼食をとっている」
ことが2人の関係に何か進展が・・・・・・心の進展があったといいたいらしい。
「・・・・・・言わなくていいよ。笑いたいだけ笑いなさい。私たちは自由惑星同盟の人間だ。」
ヤンは否定も肯定もしない。ならば肯定なんだなと旧知のアッテンボローは
さらに「微笑みの大安売り」を惜しまない。
「ほほえましいですね。ヤン司令官閣下。いや実にいい方向に進んでいることだなと。
春ですよね。春。」
確かに季節は春である。
「他人のことは楽しいんだね。楽しそうでいいよ。アッテンボロー。」
憮然とした顔でヤンはアッテンボローに言った。
「ええ。他人のことは楽しいです。とっても。」
他人の恋愛事情は実に面白いと女性提督はつい顔がほころんでしまうのであった。
2人の提督の会話の意味がまったくわからないフレデリカ・グリーンヒル大尉。
だが彼女はハイネセンでさんざん苦労してやっとイゼルローン要塞に帰って
これたのだから、なんの文句もない。
「じゃあ大尉、我が家に帰るとしようか。」
ハイネセンでやっと上官を解放できたと安堵していたフレデリカが耳にした言葉。
ヤンにとっては格別意味を持たない言葉だったのかも知れない。
しかしフレデリカにとっては優しく心地よい言葉であった。
彼女にとってもイゼルローンは我が家であり仲間がいる大切な場所で
あることには変わりない。彼女には帰る場所はない。しかしイゼルローンは
彼女を温かく迎えてくれる。
向かいに座っている「女性提督」も、そして隣の黒髪の司令官もフレデリカ・グリーンヒル
にとっては大事な「ファミリー」であったかもしれない。
ひらりと現れる瀟洒な撃墜王殿も・・・・・・。
「小官も混ぜてください。司令官殿。ダブルデートということで・・・・・・。いやあ春ですね。
よきかなよきかな。」
フレデリカはどうぞと歓迎しヤンはポプランの言うことに否定も肯定もしなかった。
ダブルデートなんだな。女性提督はまたもにんまり。そして隣の恋人を見て。
「悪魔が来た・・・・・・。」
アッテンボローはそうつぶやいた。食後のコーヒーを口にした。
エースは肩をそびやかしてアッテンボローの隣に腰を下ろしトレイの食事に手を付けた。
「悪魔同士、至極うまくやっているんですよ。閣下。もっとも小官は悪魔の手先です。
悪魔はこちら・・・・・・。」
ポプランは隣のアッテンボローにウィンクしてヤンに言った。
「少佐の言うとおり、アッテンボローは悪魔だよ。キャゼルヌもそうだしシェーンコップも悪魔だ・・・・・・。
ということは悪魔の巣窟にわれわれは帰ってきたのかな。大尉?」
ヤンは少しあきれていった。ユリアンの教育上よろしくないと彼は自分を棚上げする。
フレデリカは美しい笑みを浮かべていった。
「随分、かわいい悪魔たちですこと。素敵な我が家ですわね。」
・・・・・・この四人の中で一番肝が据わっているのはこの可憐で賢明な
大尉なのかも知れない。他の三人の視線に気がついて彼女は
「私、なにかおかしなことを言いましたか。」
と大きな眸を瞠らせて隣のヤン・ウェンリーにたずねた。
「いいや。大尉が言うことに何も間違いはないよ。過去も現在も、未来もね。」
黒髪の司令官殿は食後の紅茶を頂戴しつつ、さりげなく隣の佳人に言った。
撃墜王殿はまたも隣の女性提督と同じような猫の微笑を浮かべて。
「春ですな。春。」
そういったポプランの言葉にアッテンボローは噴出した。
ヤンは頭をかきながら紅茶を飲み、フレデリカは不思議な顔をして、
けれど微笑んだ。
僅かでも平和であるから交わされる会話であり今はそれを楽しんでもよいのだ。
そう、今は。
これからまた凪は引き嵐はかならず起こる。
今回以上の大きな嵐が。
日常が戻ってきた。
「日常っても、常人の日常とはほど遠いよな・・・・・・・。それはそれで結構だけれどね。」
女はしどけなく言った。シルクのキャミソール姿でベッドに横たわりながら珍しく雑誌などを
目にしている。その手の読み物は彼女は普段関心がない。
だが。
長くしなやかな脚が無防備にシーツの上に投げ出されているさまは男にとっては
目に楽しい。美しいというのは存在自体が罪作りだなと男は思う。
彼は最近女の話をじっと聞く役に徹することが多くなった。
女の言葉や声になにか安らぎや温かさ、時にはユーモアをいとしく思ってしまう。
毒舌や悪態すらかわいいと思ってしまう。
どうも日々この女に恋に落ちる自分の心の加速に戸惑う男。
彼女が見ているのはただのファッション雑誌。
「あんまり面白いものじゃないな。みんな同じ顔して同じ髪型をして・・・・・・・
こういうのが普通は楽しいのかな・・・・・・。私も真似てみようか。」
女はぞんざいに雑誌を床にほり投げた。明日の朝には彼女自身が片付けるのだから
かまわないが・・・・・・。女はベッドサイドにおいているグラスをとって口にした。
「でもきっと似合わないだろうな。それに第一私には面倒だ。・・・・・・いかんな。
面倒面倒なんていってちゃだめだな。」
もう一度雑誌を手にとって、けれどやはり「処理済」書類のスペースに置いた。
「・・・・・・私ばかりに話をさせて。お前もしゃべれよ。」
彼女はベッドにあがって彼の鼻の頭を軽くひねる。
「蛇口じゃないぞ。人の鼻をつまむな。フロイライン。」
男は笑い女に接吻(くちづけ)る。
「どの女もお前とは違うし、お前もどの女と違う。同じにすることもなかろう。美人は
何も身にまとわなくても、美人だしますます美しさを増幅させる・・・・・・。」
「美人ね。でも何も着ないでうろうろしているわけにはいかないだろう。
ま、私は軍服でいいや。きっと一番似合う服なんだろうさ。」
当たり前の、男女の会話。
当たり前の、恋人達の夜。
「ここは最前線だがお前がいれば悪くない。おれにしてみればな。」
男は女の頭を撫でて言う。
「何を着てもお前はおれの宝であるには変わりない。不服ですかな。提督。」
女はグラス片手にシーツにもぐりこんだ。男はそんな彼女を腕に抱いた。
「オリビエ、お前本当に悪趣味だな。私は本物の悪魔に限りなく近い人間の一人だ。
私も実はユリアンを軍人にという構想は少し反対だ。あんな宙(そら)は今後みたく
ないな ・・・・・・・無理な話だけれどね。ユリアンにも見せたくないな。見るまでは誰もが
恐れはいだかないが一度目にすると・・・・・・たまらないな。」
彼女は彼の腕の中で目を閉じた。
目を閉じてもあの火焔の宙が見える。
あの炎のなかでは多くの命が焼かれた。生きながらにせよ、死んでからであれども。
こんな神経のか細さではいけないと彼女は自分を律しようとするが会戦後の彼女の
酒の量は普段よりはるかに上回る。それを男は知っているがとめないで飲みたいだけ
飲ませている。女は自分の酒の量を一応しっている。男に甘えるようになるくらいは
かわいいものだと彼は思っている。酒のせいなのか眠さのせいか女の肌は
いつもよりあたたかい。
「お前だけが悪魔でもあるまい。結局おれたちみんな同属だ。」
男は腕の中で崩れかけそうな女に諭した。強い女だと思っていたのにこんなに
もろさを抱えているとは。よりいっそう愛情がわく男はまた自分を度し難いと思う。
この男は女の精神状態をよくしっている。
自分一人が、などと考えているうちはよくない。その考えは自分を特別視してみる傾向性を
孕む。実際危うい考えである。
「そうだな。私だけの責任ではない。」
そう呟くと彼女は黙ってしまった。男は女の腕からグラスを受け取りサイドテーブルに置く。
ブランデーを5杯。
これだけ飲めば女も眠くなるだろう・・・・・・。
彼女は眠かった。
夢はいらないから懇々と眠りたい。悪夢などいらない。よい夢もいらない。
せめて愛する男のそばで僅かな間でも構わない。
眠りたい・・・・・・。
男は今にも眠りおちそうな彼女の暖かい肌を感じて額に優しい接吻をした。
「お休み。ハニー。悪い夢を見たらおれを起こせ。役に立つぞ・・・・・・。」
そう囁くと彼も瞳を閉じた。
彼女が消耗していく姿を知っているのは彼だけ。
女はあまり熟睡できないときもある。
浅い夢をたくさん見てはふと目覚めるそんな夜。
朝を迎えるまでに彼女はまた活気を取り戻さねばならない。
覇気のある「女性提督」でいなければならない。
笑顔にアイロニーを含んだこしゃくな女性提督であらねばならない。
そして仲間と笑いあい、ののしりあいながら日々を越してゆく。
それが生きていくということだと彼女は信じていた。
時代が動く激流の中の小さな箱船。
それがイゼルローンなのかもしれない。
銀色に似た髪を持つ佳人を腕に抱きながらオリビエ・ポプランも眠りに落ちる。
ひとときのまどろみであっても。
男の寝息が聞こえ肩の動きが一定のリズムを刻む。不思議なものでなぜこの男と
自分はいままだ別れることもなく互いに必要だとすら思っているのであろう。
淡い禁褐色の髪を撫でても男は目を閉じたまま。
そんな眠りを邪魔はしたくない女。
陰謀はフェザーンで行われているらしい・・・・・・。
これはヤンが漏らした言葉であったが帝国に同盟を亡ぼさせてあとは裏から
フェザーンがいただくという計算のはかりごと。
確信も証拠もなく。
眠る男を愛しているけれど。
黒髪の司令官一人に重い課題を押し付けられない。
こんな心理は屈折しているけれど彼女は彼にシンパシーを感じている。
ローエングラム公との戦いまでにどれだけ自分は使い物になるであろうか。
同盟政府の愚考にどれだけ対峙できるのであろうか。
それでも結局ヤン・ウェンリーがいないと自分たちは烏合の衆であることを悟る。
智謀がほしい。
あのひとのような能力がほしい。
あのひとを守りたい。
眠る男を愛していても。
彼女の譲れない心。
まどろみながらやがて白い闇が部屋を満たして。
彼女は置き上がりまたいつもの女性提督の顔に戻る。いぎたない恋人をたたき起こして
また女の一日が始まる。
by りょう
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