シーソー・ゲーム・3




彼女は翌朝副官と定例の打ち合わせをして仕事に集中した。

本来彼女は仕事が大好き。健全なワーカホリック。ただし少し懸念はある。くだんの映像のことではない。



この時期に何か軍事的問題が発生すればキャゼルヌ司令官代理が指揮権をとるわけであるが、

頼りないこと疑いなしである。なにせ文官で秀才には違いないが用兵などとは縁がない人だ。

さきのアムリッツァ会戦も補給で彼は能力を発揮した。その分野はエキスパートだし、イゼルローン要塞の

豊富な物資も心配はないとしても・・・・・・。

要塞防御指揮官(ディフェンスコマンダー)が残っているから不測の事態に少しは手のうちようも算段して

くれそうだが、艦隊司令をしたことのない御仁。勿論シェーンコップ少将の軍事感覚には疑いはないのだが

それでも船を出すくだりになれば、イゼルローン要塞司令官顧問の客員提督の指示を仰ぐことになる。

それに異論はないのであるができれば・・・・・・。



早くヤン司令官が帰ってくることを望む。

そしてアッテンボローの最愛の友人、フレデリカも元気で帰ってきてほしいと思った。

今回はマシュンゴがついているがヤンとフレデリカの距離は僅かコンマ程度でもいい。

近くなってほしい・・・・・・。女性提督はそう思いをはせた。






駐留艦隊司令官の会議へ向かう途中下士官たちが、廊下で例の映像の話で花を咲かせていた。

しかもこれ見よがしにアッテンボローの耳に入るような大きな声で猥談をしている。

ラオ中佐はその行動を「会話内容が勤務中、不適切であり秩序を乱す」としていさめた。

その4人ほどの下士官はおおむね従ったのであるが不平はあるようで、一人は小声だったが

はっきりといった。

「これだから女の下で働くのはいやだったんだよ。ただの人形だな。しかもどちらかといえば

抱き人形の類のね。」



ラオ分艦隊主任参謀長の怒りは最高潮までせり上がった。

いうに事欠いて自分の上官を愚弄するにもほどがある。女性といえど戦場ではなみの提督以上に

兵士を思い、被害を最小限にとどめようとあくまでも冷静に指揮を下していた彼女を知っている副官は

不穏当な発言をした下士官に思わず手があがった。

その時細い腕が彼をとめた。

「上官が下士官を殴る行為は絶対にいけない。ラオ中佐。士官だっていいたいこともあるだろう。

いわせておけばいいのだよ。」

「閣下・・・・・・。」



アッテンボローは喧嘩は大好きだ。3度の飯より好きかも知れない。

けれども軍という組織の中で上官は下士官に肉体的制裁を加えてはならないと彼女は思っている。

そしてヤン・ウェンリー司令官もそれは明言している。それが民主政治体制のもとでの軍人の

在り方だと信じている。ヤン艦隊では民間人と下士官に対する暴力は「禁避」行為であった。

ラオほどの男は副官として望めないであろうし別の人間をスライドさせればよいとは思わない。

彼女は彼を更迭したくない。



「そうそう、主任参謀長の仕事じゃない。美人が元になる騒動には色男が出てくるのが相場だ。」

不埒な声がするとおもったらシェーンコップ少将と、リンツ、ブルームハルトがひかえている。

「美人の窮地に参上するのはおれの趣味だ。そして薔薇の騎士連隊もやはり美人の味方らしい。

お困りだったらアッテンボロー提督、お助け申し上げるが。無論弁舌をもってね。」

これには4人の下士官も引いた。

誰あろうワルター・フォン・シェーンコップ少将が女性提督の味方になるといっている。

しかも薔薇の騎士連隊の第14代隊長のカスパー・リンツ、腕利きといわれるライナー・ブルームハルト

までいる・・・・・・。



アッテンボローはやれやれと思った。

「勿論何を言うのも個人の自由だ。それが自由惑星同盟では保障されているからな。ただ申し渡しておくが

お前さん達の背後には理知的な俺たちと違う野獣がいるぞ。言葉で解決できるかどうかわからぬ野蛮な男が

一人はいる。これ以上は下手なことは言いっこなしにしたらどうだ。」

くすんだブラウンの眸が兵士たちの背後の人物を示した。

4人の下士官は振り向きその不敵な笑顔と対照的に、緑の瞳が怜悧に光っている男をみた。



「アッテンボロー提督は優秀な軍人だ。それがわからないお前さんらの小さな度量に情けなくなる。

言いたいことがあるなら言うだけいってみるんだな。このオリビエ・ポプランがとくと伺おう。

おれの提督がどう無能なのか10ダースでもあげてみな。おれはその反論を1000ダースほど

お前さんらのその役に立っていない耳に入れてご覧にいれるぜ。

おれの提督がゆえなきことで貶められているのには、ここ数日気が立ってるんだ。

確かに言論や思想は自由だ。だがな。自分が吐く言葉に責任を持つ「自律」もおのれの義務に

あることを忘れてもらっては困る。今ならまだ腕に物を言わせなくてもおれは聞く耳を持っているぜ。

まだ今ならな・・・・・・。さあ。どうおれの提督が無能で抱き人形と同じなのか、この際はっきり言って

もらおうじゃないか。」



いつもはとなりの淡い金髪の撃墜王殿は無口なほうだが、今日ははっきり明言した。

「今回ばかりはポプランが言うことは正しいと思う。言論の自由だから議論は大いにされても

よいだろう。ただしお互い言動に責任は取るべきだな。誹謗中傷の類にしても品位がないね。」

静かではあるが両撃墜王殿はあきらかに怒りの成分を発散している。



さすがに震え上がる4人が気の毒になり、アッテンボローはいった。



「もういいよ。それ以上いえばまるで私が下士官をいじめているみたいじゃないか。」

彼女は薄く微笑んでいった。

「平時に私がどのような批難を受けようが構わない。しかし一度私が指揮をとれば従ってもらおう。

私の命令は司令官からの命令だ。無視、反目、ボイコットは司令部を冒涜したことになる。

その時貴官らが後悔してもこちらもたすけられん。せいぜい楽しめるときは楽しんでおけ。

私は兵士を戦場で死なせたくない。指揮下にあるときだけ命令に従ってくれればそれでいいよ。」



そして、アッテンボローは「女性提督と愉快な仲間たち」の男連中にこうもいった。

「仰々しい脅し、やめておくれ。私の軍隊ではないんだから。これじゃ言論の自由もあったものじゃない。」



ポプランはだって、といいかけたが、みながいる前で女性提督が男の口をキスで封じた。



びっくりする男に、びっくりする男たち。



「抱き人形であろうがピンナップガールであろうがいちいち過剰に反応しなくていい。

言わずにはおれない兵士の気持ちも考えてやれ。前線で命令が下ればこんな女のいうことも

きかねばならぬのだ。兵士が普段いくら私を嘲弄したところでなにか事態が好転するわけでもない。

なんらかの不平不満はためこませないで吐き出させたほうがいい。わかるね。私の撃墜王殿。」

そう彼女からキスまでされて言われもすれば、ハートの撃墜王殿、異議なしである。

「ということだ。いきなさい。不平はこの御仁らがいないところで言いなさい。貴官らに

何かあっても困る。」

女性提督が言うと4人の下士官たちは足早にそこを立ち去った。



「まったく。こちらが親切で助けて進ぜようというのに。見せ付けてくれるな。」

シェーンコップ少将は呆れ顔で言った。

「お前さんに借りは作りたくはないんだ。私の男は悋気持ちでね。要塞防御指揮官殿や

薔薇の騎士連隊にまで力を借りたとなるとどんな暴挙に出るかわからない。気持ちは

ありがたいがヤン艦隊は上官が暴力で下士官を従わせることは重く禁じている。そんなことは

幕僚のお前さんはよく知っているだろう。」

そりゃそうだがなとシェーンコップ。

「それにしてもくだんの映像というのは出来がよくないな。女優はよくないしあれを喜んで

見る男の気持ちが知れない。ま。男の気持ちなど知りたくはないがね。」

「少将まで見たんですか。」

ポプランは口を尖らせた。

「見るには見たがC級作品だな。どうみてもあれはこの女性提督じゃないし。つまらんものを

見て時間を損した。勘気を起こすなよ。ポプラン少佐。」

ポプランは女性提督をちらりと見て。

「おれは悋気持ちなんであの映像に関しては頭にきてるんです。」

それに口を挟んだのはコーネフである。

「だからキャゼルヌ少将が昨日のうちに憲兵を動かして配信元のサイトを摘発したじゃないか。」

お前さんが失踪している数時間に、といいたかったがコーネフは言わなかった。

「そうはいっても腹が立つものは腹が立つんだ。」

そんなポプランの肩をアッテンボローがぽんと叩いた。

「駄々をこねるな。あの程度で腹を立てていては私の恋人など務まらないよ。

無茶はしないでおくれ。ダーリン。」

そういうと、彼女は元通り主任参謀長を連れて会議へと向かった。



「あの女は開き直ったら強いんだな。ポプラン。私生活ではどんな顔をしているかは知らないが

軍人としてはなかなかたいした度量を持っているか、はったりの名人だな。見事だよ。」



やれやれとポプランは思う。

「ちぇ。キスされちまった。こっちがサプライズだ。」

そんなポプランの言葉にコーネフもシェーンコップも噴出した。






問題のサイトは憲兵隊長が検挙、取締りの上で摘発、逮捕に至っている。

いや正式には犯人グループが「自首」してきたのだ。



キャゼルヌは逮捕の経過は後日聞くのであるがバグダッシュ中佐に猥雑映像の類似ケースがないかを

この際洗い出させた。違法になる4件とともに「ダスティ・アッテンボロー提督偽情交映像」事件は、

とにもかくにも迅速かつ水も漏らさぬ対応で「事態の収拾」に成功した。



その数日後、キャゼルヌはコーネフとユリアンと士官食堂で食事をとりながらいった。



「たいした騒動もなくすんでよかった。証拠のおおもとになる映像フィルムもコーネフ少佐のおかげで

手にはいった。しかも犯人が自首してきたんだ。犯人グループは現役の軍人。軍部に不満があり

明らかに軍部批判であの俗悪な映像を製作して配布していたそうだ。金を取ったのは給料が少ないから

だそうだ。身につまされる話だな。それはいいとしても・・・・・・。」

キャゼルヌの言葉にユリアンは不思議な顔をしたし、コーネフも疑問をいだく。

「どうかなさいましたか?キャゼルヌ少将。」

少年は尋ねた。キャゼルヌは珈琲を口にしてぽつりぽつりと話を始めた。

「マスターフィルム以外の証拠、帳簿や会員情報などをわざわざ憲兵本部に持参で

主犯格と従犯者たちが出頭したんだぜ。あまりに素直なんで憲兵が嘘の情報ではないかと調べたが

それは真相だった・・・・・・手間は大いに省けた。省けたが・・・・・・。」

「少将は何が腑に落ちないのですか。」

コーネフも質問した。



「ここだけの話にしてくれ。おれが腑に落ちないのは犯人が自首してきた状況と時間だ。

往生際がよすぎるのと・・・・・・ポプランが消えた時間からポプランがアッテンボローの部屋に

現れるまでの間に自首しているんだよな。何らかの力の作用を考えるのはおれの杞憂か?」



他の2人は顔を見合わせて、無言になった。

「考えすぎですよ。第一、ポプラン少佐はどうやって本拠地を押さえることができます?

それが立証できないと少将の杞憂かと僕は思えますけれど。そう思いませんか。コーネフ少佐。」

そうだねとコーネフ。

「犯人グループは怪我でもしていましたか。」

「いや、無傷だよ。でもなぜ自首してきたかに関しては絶対に口を割らんのだそうだ。これがな。

引っかかるんだ。・・・・・・少佐、どうやってマスターフィルムを入手したんだ。おれには教えてくれよ。」

「偶然の好機でしかないんですよ。」

「あれの入手は早かったな。おれにコピーディスクをわたして2時間もたたなかった。

そのからくりを教えてくれ。」

本当に偶然の賜物ですよ、とコーネフは小さな声で話を始めた。



アングラな世界で「ダスティ・アッテンボロー提督のポルノ」が出回ってる噂を聞いたポプランは

「アッテンボローの恋人」としてあまりに有名だからサイトのアドレスをきいたとしても入会できなかった。

そこでコーネフは映像入手をポプランに泣きつかれたのでしぶしぶ手を打った。ここまでは

キャゼルヌも知っている。



彼のいとこの家はフェザーンで商人をしている家系である。あったことはないのだがボリスという

従兄弟がいる。

ボリス・コーネフを知る民間人や軍人からイワン・コーネフは声をかけられることがある・・・・・・。

話は変わるが世間ではイワン・コーネフとオリビエ・ポプランは「大親友」のように思われている。

迷惑はなはだしいと思うが彼は自分の名前でもまず会員登録は無理だと考えた。

従兄弟の知り合いでイゼルローン要塞民間人の知己に頭を下げポプランから預かった入会金をわたして、

いかがわしいサイトに登録成功した。

こうして映像を手に入れたわけである。

ユリアン少年が加わったのは泣きつかれたところだけで実際の入手にはコーネフが当たっている。

そしてポプランにディスクのコピーを1枚渡し、騒ぎを沈静化するためキャゼルヌにも一枚持ち込んだ。

これら2枚はコピーディスクで、配信された映像を会員がディスクに保存したものである。



「ここまではご存知でしょう。」

コーネフはいう。

「そこまではなるほどと思う。」

キャゼルヌは納得した。



「相手は民間人ですから名前は会員Aとしておきましょう。会員Aは小官のかわりに映像を

手に入れてくれました。それをディスクに2枚保存。謝礼はウィスキー1本です。

ここはいいですよね。」

うんとキャゼルヌは頷く。

「我らが会員AにはBという民間人の知己がいます。そのBにもCという知己がいました。

CにはDという軍人の知り合いがいました。これが映画監督だったんです。

Bは、我らがA会員が入会する二日前にバーでCとであったらしいです。

いわゆる飲み友達です。

飲んでいるうちにその映像は知り合いの軍人Dが実は女を使って撮影した贋物であると、

酒の勢いでいったそうです。そんなのはでたらめだろうとBがいうものですから

Cは余計強弁になって軍人Dが撮影した官舎は本物で、軍人用のフラットは作り物ではなく

Dの仲間の部屋だと・・・・・・。

我らがA会員は小官にディスクを渡したあとBから家に呼ばれたんですよ。

するとBがこういう映像を知っているかと嬉々としてあのわいせつ映像を見せたわけです。

でも、これは贋物なんだとBは会員Aに打ち明けたわけです。軍人Dが絡んでいると。

我らがA会員の機転でBにD軍人のことを聞いてくれ、Dの名前がわかったんです。

このお礼がウィスキー1本。晴れて軍人Dと我々は対面できたんです。

長い話の割りにつまらないでしょ。」

いやいやとキャゼルヌはいう。

「世間は狭いんだな。でもお前さんに民間の友人知己がいたのは幸運だった。」

「ボリスとはあったことはないですが手広く商売をしているようなので今回は借りができました。

従兄弟とはいえどフェザーンの人間に借りを作ってしまったんで今後困りますよ。」



ユリアン少年は「そのとき」を思い出していた。

コピーディスクをキャゼルヌ少将に渡して憲兵に後は任せればいいと少年とコーヒーを

飲んでいたとき、配信元の映像技術士兼監督の情報をA会員から得た。

そこからDという男の身元を調査したらあろうことか軍籍にある人間だった。

少年はすぐに少佐のあとを追ってD軍人が勤務している部署へ急行。

勤務時間であったけれど呼び出した。

Dという軍人はコーネフよりも15センチは高く大きな男だったが少佐はその男に轟然と言い放った。



「これ以上淑女に陵辱を加えたら二度と女を抱けない体にしてやる。提督は司令部の命を受けて

その地位に相応した働きをしておいでだ。侮辱するにも限度はある。軍法会議の前に下半身不随も

いやだろ。言っておくがおれは暴力を使ってたとえ本国に送還されたところで何の未練もない。

卑しいことを見過ごして今の身分にしがみつくより卑しい人間を殴って退役したほうがおれの両親も喜ぶ。

お前さんがしたことはそれくらいみっともなくて下卑なことだ。元のフィルムはどこにあるかすみやかに

言ってもらおうか。おれは女性を軽んじるやからが世の中でもっとも唾棄すべき存在だと疑わない

一善良な男なんだ。」



ユリアンはあれだけ怖い顔をしたコーネフを見たことがなかった。

その言葉も別人か、そうたとえばポプランが言っているのかと思ったほどであった。

Dはすっかりおびえて言われたとおり自宅からマスターフィルムを持ってきてコーネフに

手渡して殴るのはやめてほしいと訴えていた。

「これさえいただけば用はない。あとは憲兵が来るのを待ってることだね。もう時間の問題だ。」

と男に言って少年を連れてその場を去った。

そのときにはいつもの優しいコーネフの表情が戻っていた。

彼はいった。

「ミンツ曹長、釘は刺すべきときにうたないと効果がないからね。またあんなものをつくられたら

手間がかかるだろう。おれにもはったりのひとつはいえるんだよ。」

綺麗な青い眸は優しい光に満ちていた。



ユリアンはコーネフ少佐は本当に紳士なんだと感じたのである。おそらくは女性提督の名誉の

ためなら少佐はさっき言ったようにD軍人がマスターフィルムを出すまで容赦しなかったと少年は

思う。けれど見事言葉だけで相手を観念させたのはあのこわい表情だったのだろう。

「元のデータはキャゼルヌ少将にお渡ししておけばいい。Dに関してはこれ以上首を突っ込むと

私刑(リンチ)になりかねないからMPに任せる。それに今回のことは民間人のニュースソースが

あるからな。あんまりおれも表には出たくない。どうしてもMPが無能で今日中にかたがつかなければ

タレこむことにするよ。」

思慮分別がある人だと僭越ながら少年は思った。

映画監督を見つけたこととマスターフィルムを取り戻したことはくれぐれもポプランには内緒だと

コーネフは少年に念押しした。

「あいつは本当に何をするかわからないからね。おれを怖いと思ったみたいだけれど、ミンツ曹長。

オリビエ・ポプランはおれなど及ばぬくらい怖い男なんだよ。」



これらのことはキャゼルヌ少将にいう必要はないだろうと横目で少佐を見るとコーネフは

ウィンクをしてきた。そのまま黙っていればいいという合図だと少年は頷いた。

食事を済ませ、キャゼルヌに礼を言うとユリアンは走ってコーネフの後にくっついてきた。

「杞憂ならいいんだ。何もかもポプランに結び付けてはいけないな。いや、これはおれが

悪かったな。Dという人物がもうイワン・コーネフに尻尾をつかまれて仲間内で抵抗逃亡するより

自首を選んだのかもしれない。Dについて情報をくれれば手間がもっと省けたんだが。」

キャゼルヌは口が悪いなと少年は苦笑する。

「小官は行政司法権も捜査権も持たない一軍人です。」

事務監はやっとそこに気がついた。

「そうか。見事な判断力だよ。そこは憲兵の仕事だ。コーネフ少佐。失言だった。功労者に申し訳ない。

礼は何がいいかね。」

コーネフはユリアンを見て、

「小官はフェザーン人じゃないですからいいですよ。特に何もしてませんし。ね、曹長。」

「ご立派です。コーネフ少佐。」

少年はあこがれの視線をイワン・コーネフに贈った。



キャゼルヌとの食事が終わって少年はコーネフ少佐のちょっとしたファンのようにあとを

くっついて歩いた。コーネフには弟がいるので少年を疎ましくは思わない。

「きっとキャゼルヌ少将がおっしゃるように映画監督から主犯にもう観念しろってことで

自首にいたったんでしょうね。功を上げているのに何も頂戴しないのはなぜですか?」



少年お素直な声にコーネフは首を振った。



「とにかくもう今後は何も大きな問題は起こらないだろう。起こらないと、思う・・・・・・。

表向きにはね。」

少年は歯切れの悪いコーネフの物言いに怖気づいた。

「な、何ですか?」

こういう話だから歩きながら話そうねとコーネフ少佐は言う。少年は歩幅を合わせて隣で

話に耳を傾ける。

「事件は一件落着した。主犯格や犯人たちが自首したんだし。でもね。おれのあの程度の脅しで

自首なんてするものかって言う疑問が離れないんだ。そのかわり悪い傾向の考えが浮かぶんだ。」

彼は指で自分の頭を小突いた。少年はそのまま次の言葉を待っている。



「つまりね。ポプランは・・・・・・主犯格の端末にたどり着いたとしか考えられないんだ。

端末にたどり着いて逆にどこから配信しているかを見つけたんだろう・・・・・・って考えさ。」





そんな無茶なことがあるのですかと少年は言う。



「あいつはね、ひとの10倍ほど機器(メカ)に詳しい。であったときには飛行学校のコンピュータに

侵入しては壊して遊んでた。・・・・・・そういう男なんだ。詳しいんだよ。あいつが軍人なのはさらに

あいつの好みの分野に深入りできるからでもある。そういう意味で言えばよく勉強をする

男なんだよね。」

つまりハッキングはお得意ということですねと少年は言う。

頷くのはコーネフ。



「一応軍のコンピュータじゃないですか・・・・・・。よくつかまっていないんですね。」

そうなんだよ。これは秘密だよ。・・・・・・とコーネフ。

少年ははたと気がつく。



「でもそれならばポプラン少佐はご自分であの問題のサイトから映像のデータくらい落とせるのでは

ないでしょうか。わざわざコーネフ少佐を動かさなくても、それだけの能力があれば・・・・・・。」

「映像を見るだけのためにあいつはコンピュータの侵入は犯さないよ。あれでも軍人だし、

司法的根拠がない上、捜査権のないパイロットは分別が働く限りはできてもしない。

でも「あのひと」を侮辱されたらあいつの分別は粉砕するからね。・・・・・・憲兵が動いて摘発される見込みも

手伝ってあいつが侵入して逆にあいつは首謀者の端末を絞り込んだ。それからは・・・・・・自首を促したと

思うんだけれど。促し方は・・・・・・暴力ではないだろうが「限りなくそれに近い」脅しをかけただろうなと。」



ユリアンはダークブラウンの眸を大きくして、ぽかんと口を開けた。



「ポプランていう人間は現実に直面したときにアクションを起こす人間で、「映像」を見たことが呼び水になった

のかもしれない。「映像」を見るまではただの好奇心だったんだろうけれど、ことが「あのひと」に関わることで

見て本当に怒ったんじゃないかな。「あのひと」はポプランを大きく変えるよ。あれだけ浮名を流した男が

始終暇があれば「あのひと」にくっついてるだろう。恋とは恐ろしいね。・・・・・・それで是が非でも自分で討伐

しようと思って手段を選ばなくなった。おれが仮名D軍人にあの程度の脅しをかけたということは主犯格に

あいつは何を言ったと思う。ミンツ曹長。」



「・・・・・・僕の想像を超えます。きかないでください。すみません。」



コーネフ少佐でさえアッテンボローが性的に侮辱されたことに関して交渉した。交渉といえば聞こえは

いいけれどあれは「脅迫」ともいえる。オリビエ・ポプランともなればどういう交渉術を用いたのであろう。

「犯人たちにはあいつがコンピュータで侵入して、自分たちの居場所やありとあらゆる情報を

手に入れた事実は脅威だっただろうね。ミンツ曹長は去年のクリスマスにあいつがあのひとの部屋に

不法侵入していた現場をみてるだろう。あいつはその気になれば・・・・・・ちょっとこわいよ。」

ちょっとどころの話ではないですねと少年は思わずため息をついた。

マダム・キャゼルヌはため息をつくと「深呼吸をして元気をお出しなさいね。」というけれど

そんな気持ちにはなれない。



オリビエ・ポプランが姿をくらました数時間に彼が何をしたかは・・・・・・。



「・・・・・・相手は怪我をしていないけれど、自首する気になった理由は言わないらしいね。

暴力さえ起こしていなければいいんじゃないかなと思うんだ。脅迫の範疇を超えていなければ

奴にしては上々・・・・・・っていうのは通用しないね・・・・・・。

あいつは「あのひと」のためならなんでもする男なんだよ。・・・・・・まあこれは実はあくまでおれの

妄想でしかないからあまり深く考えなくていいよ。できれば妄想であってほしいし。証拠もないし

あいつが証拠なぞ残すはずもないんだ。」



こわすぎます。ポプラン少佐、と少年は冷や汗をかく。



ともかく、と、コーネフは優しくいった。

「知らぬが花だよ。ミンツ曹長。終わったことだから我々はもう関知しなくていいのさ。」



少年は力なく年長の青年に微笑んで見せ、年長の青年はにっこりとやさしい笑みを浮かべた。



軍人といえど少年はまずヤン・ウェンリーしか知らなかったし今もなおヤンを通した「軍人」を

見ているだけであった。おそらくはコーネのいうことは妄想の類ではなく根拠ある推理に属するし、

10のうち9は真実のような気がする。

それでも少年はオリビエ・ポプランという人物が好ましい人物に思えるのである。

仮定の話で少年にもポプランのような知識や学識があって、やはり大事なひとの

尊厳を傷つける人間の存在を知れば彼も同じことをするかもしれない。

幸い犯人たちは傷ひとつないという。

ならばヤンが普段厳しく言う「下士官に暴力で従わせる行為」にはあたらない。



そうだ。

ポプラン少佐の脅しはコーネフ少佐より悪辣そうだけれど批難を受けることではない。

ハッキング自体も悪いことじゃない。クラックするのは問題があるだろうけれど今回は

その手段だってとっていない。憲兵隊が削除したのだ。行政司法権を持った憲兵隊が。

脅しもポプラン少佐にとってはひとつのペテンかもしれないな・・・・・・。


そんなことを少年は考えて街の大きな時計を見て息を呑んだ。シェーンコップ少将の

陸戦訓練時間にあとわずかしかないことに気がついたのだ。

少年はあわてて駆け出していった。

コーネフはそんな小さな後姿をすっきりとしたまなざしで見つめていた。




by りょう




LadyAdmiral