焼け野が原・1
寧日、安寧だけなのはイゼルローン要塞だけである。 ヤン艦隊は4月20日全艦隊を挙げてイゼルローン要塞をあとにした。 留守を預かるのは要塞事務監アレックス・キャゼルヌ少将である。 アッテンボローは旗艦「トリグラフ」に自分の着替えを置いているのでさほどの荷物は必要ない。 それにこう着状態がつづけば着がえる暇もない。今回はこう着状態とは無縁だとは思うが、まだ どういう展開になるかわからない。いずれにせよ最終的にむかうのはハイネセン。 自分の祖国に進攻するとは生きていると思わぬ状況になるものであると感じる。 「荷造りなんて適当でいいじゃん。少しは別れの前夜らしく抱き合おうぜ。ハニー。」 男はもうすっかり準備ができているのか明日もこの部屋から出て行くつもりらしい。 「別れるのか。そりゃ一大事だな。オリビエ。おとなしく座ってまってろ。女はそれなりに準備がいるんだ。」 彼女は男を見るわけでもなく自分のペースでトランクに荷物を詰め込んでいる。 うまく詰め込むんだなと男は妙に感心する。 「いつまで出撃体制なのかわからんが。あまり荷物を持っていくのもおおげさだしな。 これくらいでいいだろう。」 ベッドの上の大きなトランクを床におろして一息つく。 「ね。スキンもって行かないの?ハニー。」 などと男が真顔で聞く。 「いらん。忙しくなるからな。ピクニックに行くわけじゃないだろ。」 「もう。困った女だな。いいよ。おれが持っていくから。」 何を考えているのだか。 「ともかく。今夜でしばしお別れなわけよ。わかってんの?おれは「ヒューベリオン」から出撃する さだめだし、お前は「トリグラフ」。こういうときは恋人同士熱い夜を過ごすものだと思わないのか。 ハニー。」 ベッドに腰掛けたアッテンボローの隣に男はすかさず座る。彼女の腰に手を回し、 彼女の頬に手をあて。 「無茶なことはするなよ。お前が命をかけるような戦いなんてないんだ。俺が側にいればお前を 守ることもできるがそうもいかないらしい。危なくなったら逃げろよ。ダスティ。おれも飛行隊長として 部下を生きて帰さねばならん。愛してるぜ。ハニー。」 彼女の眸をじっと捕らえていった。 男の鼓動や、吐息や、体温を忘れぬように。女は瞳を黙って伏せた。 彼は彼女にくちづけをする。 女は男の首に腕を回す。この胸に抱かれるのはこれが最後になるかもしれない。 「ドッグファイトなんぞで死ぬなよ。オリビエ。そんなことになったら恨むぞ。」 「おれは帝国産の美人ワルキューレパイロット12人に囲まれて撃墜されるまでは 死ぬ気はない。同盟の男程度に殺されるつもりはないな。心配するな。おれの 別嬪さん。」 2人じっと抱き合って。 夜の間は肌を重ねて、何千ものキスを交わして。 何千もの愛の言葉が交わされた夜を越えて。 朝を迎え。 絡めた指を離して二人は別の道を歩き出した。 外見からでは2人には情事のあともなく、あごを引き姿勢を正して歩いてゆく。 振り返らずやがて彼女は「トリグラフ」の人になる。 「ヒューベリオン」での日常。 「おーい。坊や。忙しいか。」 ポプランに呼び止められてユリアンは振り向いた。 「僕ですか?それとも司令官のことですか?」 物分りのよい少年の亜麻色の髪を撫でてポプランは笑った。 「ははん。どっちもだ。お前さんがひまならコーヒーでも付き合え。忙しいなら解放する。 で、司令官閣下はお忙しくしているのか。」 来年にはこの坊やに身長を追い抜かれるかなと撃墜王殿は考えた。 「僕は時間ありますよ。ヤン司令官閣下は精励中です。負けぬ算段をつけるのに 頭脳労働を昼夜分かたずされております。」 「なるほどな。ところで惑星シャンプールにいった筋肉軍団は三日でクーデターを鎮圧したって? くそ面白くもないニュースだな。」 「ポプラン少佐は相変らずシェーンコップ准将たちが好きじゃないんですね。」 ユリアンはにっこり微笑んだ。 「当たり前だ。地上に足をつけてたたかうなんぞ野蛮極まりない。筋肉隆々な男をおれが好きになるとでも 思うか?ユリアン。おれは尻の上がったむっちりタイプの女がすきなんだ。」 亜麻色の髪の少年は苦笑した。 「確かに少佐のお好みのタイプではないですね。薔薇の騎士連隊の皆さんは。でもアッテンボロー提督は むっちりしたという形容詞じゃないと思いますが。背が高くてすらっとしていてって印象です。」 そりゃお若いの。 「あいつの尻はむっちりしていて綺麗だぞ。ま、抱いてみないとわからんかもしれんがグラマラスで あるには違いない。あーあ。つまらんなー。きっと惑星シャンプールには民間人の妙齢の女が たくさんいるだろうな。つまらぬ。」 「そうですね。惑星ですしきっと女性がたくさんいて、シェーンコップ准将はハンサムで陸戦の勇士ですから さぞやもてたでしょうね。少佐の専門の宇宙にはあいにく美女はいないですし。」 「そうなんだ。真空の宇宙には下着姿の女なんていないんだぜ。准将なんか喧嘩もできて 女にももてるなぞ、楽しい仕事してやがる。あれじゃ趣味じゃないか。まったく。 一人寝がわびしいことといったらありゃしないぜ。」 しれっとポプランが言うのでユリアンは 「だからってアッテンボロー提督禁断症状にならないでくださいよ。少佐、あのとき僕に抱きついたの 覚えておいでですか?」 はははと笑う撃墜王。 「ま、ただのジョークだ。一人で寝る夜の切なさはお前さんが女を知ればわかることさ。」 冗談がきついですよとユリアンは言う。 「一人で寝るのが寂しいからといって誰か美人を誘ったりしないでくださいね。僕はいざとなったら アッテンボロー提督の味方につきますから。」 「いっちょ前に言うようになったな。坊や。心配するな。おれは実はな。浮気は一切しないことにしたんだ。」 士官レストランでコーヒーを注文してポプランは言った。 ユリアンは拍手した。 「すばらしいですね。お2人が仲がいいのは素敵です。」 頷く撃墜王。 「なぜそうしたか教えてやろうか?ユリアン。」 「アッテンボロー提督のことを愛してらっしゃるからなのでしょう?」 それは大きい。大きいのだがもう一つある。 「他の女といたそうとしても実はいちもつがたたなくなった。まことに 身も心もあの女のものなんだ。おれ。」 ここではユリアンがポプランのおやつになっている。 「・・・・・・めまいがします。」 「おい。大丈夫か。ユリアン。コーヒーよりミルクのほうがよかったんじゃないか?砂糖を入れて 脳に糖分を回せ。めまいが治まるぞ。」 「いえ。大丈夫です。まさか、実験されたのですか?」 そうだ。ユリアン。そこが肝心な点だ。 「実験しなくてもたつかたたないかは女を見れば証明できるだろう?以前はちょっと綺麗な女がいれば 元気だったのにな。おれの提督以外の女ではどうもいかん。」 ユリアンはその回答を聞いてシュガーを二杯入れた。 「やっぱり脳の回転が悪いので糖分をとることにします。」 ぼうや、まさかまだたたないのか?と撃墜王殿はさらっというので返事に窮した少年が一人。 コーネフ少佐、助けてくださいと心で思うユリアンであった。 「あ。筋肉肉団子隊長殿だ。いいなー。自分ばっかり面白い目にあって。」 「なんだ女性提督の夜の玩具か。こっちもこれくらいの役得がないと三日の労働が報われない。」 という低次元な挨拶を交わし、ワルター・フォン・シェーンコップ准将とオリビエ・ポプラン少佐が 鉢合わせた。 シェーンコップ准将は一週間かかるかと危ぶまれたシャンプールの動乱を三日の陸戦で見事 鎮圧し、軍から開放された民間人女性たちから熱烈なキスの嵐で歓迎されたと聞いた。 ポプランが面白くないと思うわけである。 「准将だって陸戦はおやつみたいなもんでしょ。その上女が寄ってくるとは。 お楽しみが過ぎますね。いつか罰が当たりますよ。うん。確実に。」 「そうひがむな。お前は何やかや言って一番いい女を手に入れたじゃないか。 そうそうお前の提督が今日はこっちにシャトルできてるぞ。今会議中だけれどな。」 「まじですか。准将、おれをたばかる気じゃないですか?」 「おれはちょっと抜け出た会議だが。終わればすぐ自分の船に戻るんじゃないか。 会っておかないとまたしばしの別れだぞ。愛の言葉ひとつでもかけてやることだな。」 シェーンコップ准将はシャンプールから「ヒューベリオン」に帰ってきて幕僚会議の最中であると聞き、 その場に赴いた。 救国軍事会議の機動部隊である第11艦隊からシャトルで逃げ出してきた男が一人現れた。 このタイミングに投降してくるものといえば刺客であろう。 准将はうっかりコーヒーをこぼしたフリをして表に出た。 会議中通路で見張りをしているユリアンに聞けばグリーンヒル大尉は今朝から医務室に いると聞いた。 そこでかの佳人フレデリカ・グリーンヒルにお伺いを立てるとやはりバグダッシュという 男はグリーンヒル大将の部下であり、現体制に反感をいだいていたことが判明した。 「暗殺、ですか?」 医務室からでてきたユリアンはバグダッシュが刺客だとシェーンコップから聞くと血が沸騰するような 憎悪と怒りがこみ上げた。 「任せておけ。ぼうや。おれだってこれでもヤン・ウェンリーの熱烈なファンなんだぜ。」 准将は怜悧な美しい顔に不敵な笑みを浮かべてユリアンをなだめて「行動」を起こした。 地に足をつける戦いに関してはこの男は最強かもしれない。 バグダッシュを捕獲して以前ポプランにしたようにタンクベッドにほりこんで「冷凍睡眠モード」に してきたばかりだった。 「芸がないとは思うがお前さんを捕獲したときの経験がなかなか役に立った。 お前よりはバグダッシュは抵抗しなかったし一人で十分手に負えた。」 シェーンコップの話でポプランは一言。 「あーあ。おれも人格では幕僚クラスなのに。つまんないなぁ。」 「そう不機嫌になるな。会議はまだ終わっていないようだし、女優が出てくるまで待ち伏せでもしていろ。」 そうそう。 彼女がきているとなれば。 「准将って時々おれに親切ですね。まさかおれが好きなんですか?」 「安心しろ。大嫌いだ。だがいっただろう。子供には親切なんだ。」 ポプランはとっとと会議が行われている艦橋付近で、アッテンボローが出てくるのを 待ってみることにした。しばらくすると各提督が姿を現して、勿論彼の提督の姿を発見した。 彼女は男に気がつくと彼のほうに歩み寄り、びっくりするほど美しく敬礼した。 まさに、女神だな。 男は背筋を伸ばして敬礼を返すと周りの目も気にせず当然のように彼女にキスをした。 「ごちそうさま。おれの提督。」 「出動だ。行ってくる。」 さっきまで硬質のクリスタルのように氷の女王の美しさを誇っていた女性提督は 恋人の当然の登場とくちづけに、赤面した。 「あっという間の逢瀬ですよね。愛してますよ。おれの提督。」 「それはそれでこれはこれだ。」 アッテンボローはまた顔を近づけようとする無邪気な恋人の腕から逃れようとするのだが。 この馬鹿力男め。とあがく彼女。 そんな2人のおちゃめなやり取りの後ろからおだやかな声がした。 「アッテンボローには死なない程度に働いてもらうだけさ。安心しなさい、ポプラン。」 ヤンが困ったような、もうあきらめているような顔をして苦笑いをして2人を見ていた。 フレデリカは後ろで微笑み、ムライは頭を抱えている。あとはかかわらぬように目をそらしている。 「それはどうも。司令官閣下。」 ポプランは彼女の肩を抱いたまま敬礼した。彼女は恋人の敬礼を見ていた。 「野暮を言うつもりはないがアッテンボローを出動させておくれ。少佐。 今回彼女の手が必要なんだ。許可をくれないか。」 ヤンが冗談めかして言うと男は女から手をはなして、了解といった。 「それはもう喜んで。できるだけ早く小官にかえしてくださいね。」 「ありがとう。少佐。できるだけはやくもとのさやに収めたいと思っているよ。」 ポプランはもう一度女にくちづけをしていった。 「うちの司令官殿は話がわかるな。ではおれの提督。愛してるぜ。」 「ばか。時と場所を考えてくれよ。」 そういってお互い敬礼をしてアッテンボローはヤンたちにも敬礼をして 足早に歩いていった。 「では司令官閣下。ごきげんよう。」 撃墜王殿もその場を退場した。台風のようだなとヤンは思う。 ムライの言うようにヤンとて困ったものだと思わないでもないが・・・・・・ 戦闘前に恋人がキスする光景は悪いものでもないように思えた。 涙よりも笑いがさざめく艦隊のほうが、悪くない。 こうしてヤン艦隊と第11艦隊との戦いが始まる。 アッテンボローはふたたびトリグラフのひととなる。 by りょう |