忘れ咲き・3




「やっぱし、切ろう」

男との腐れ縁ではない。髪である。



アップするには長すぎてうまくいかないし、彼女は実は自分の髪を

三つ網にすることすらできない。せいぜいひとつに縛るだけ。

髪を編んでくれたのは母や姉たちだ。

勿論自慢できはしない。不器用ではないはずだが髪をいじるのは苦手な

アッテンボローだった。

士官学校で教官に髪を何とかしろといわれたから、ぐいと乱暴にゴムで一くくり。

かわいらしさなど、かけらもない。



「お前、すこしは・・・まあ私には何も言うことはできないけれど・・・。」

学生時代からときどきヤン・ウェンリーはそんな彼女を見て一言もらす。

「お前、少しは色気のある髪型に変えろとでもいいたいらしいぞ。アッテンボロー。」

と代弁をするのはキャゼルヌかジャン・ロベール・ラップ。

そういうのはセクシャルハラスメントですよとアッテンボローは二人のいずれかに絡む。

「あのな。そういうのを、屁理屈というんだ。」

応酬合戦でもキャゼルヌやラップは容赦がない。



彼女が髪を切ろうと思うわけ。

大きなことではないのであるが・・・トイレにしゃがむと、便座に触れる。

そんなことぐらい、と思ってもやはり爽やかな気持ちにはならない。

普段は気をつける。それなりに彼女は髪に気をかけているところもある。

だが忙しいとき。

たとえば、艦隊司令中は「はっ」と気がついたときにはもう遅い。

『・・・・・・ふっ。便座についただけだ。便座にはどうせ尻もついてるんだ、気にするな、私』

と、自棄になる。

つまらない次元なのは承知だし因果応報なのもよくわかっている。

こっちは戦闘中だ!文句があるなら敵さんにいってくれ!

といったところで彼女の髪が便座に触れたくらいで一々帝国軍に通信はできないのは

当然だ。



要するに「邪魔」なのだ。髪が長いのはかまわない。

腰までうっかり伸ばした自分が悪いと彼女は思う。

いつのまにかここまで伸びてしまった。

髪を切るといちいち美容室へ通うことになるし、彼女はじっと座っていると

だめなのだ。

流行歌が流れてきれいな女性や男性がいるサロンにじっとしているとひどく気後れする。

彼女は鏡に映っている自分を見るのが美容室では苦手である。





二人で過ごすとき、彼女の恋人は絶対くっついて浴室に入る。

「狭いからくんなよ。」

「狭いからいいのに。」

で、ご丁寧にも体も髪も洗ってくれる。

「おばあさんになっても洗ってやるさ。心配するな。おれもその頃はじいさんだしな。

老後も仲良くしような。ハニー。」

今から老後を考えたくない。

せめて、ひじまでの長さ。

これでも長いといえば長いし。むむむと彼女は考える。

「洗ってトリートメントして乾かしてブラッシングするのもおれなのにな。きっちゃうのか。ハニー。

お前ってずいぶん勝手なんだな。ま、そういうところもかわいいけれどな。女は気まぐれだからこそ

かわいいものだ。」

すごく勝手なことをいっているのは彼だと思う。

第一、髪の手入れをこっちから頼んでないと彼女は思い。

10センチは切るぞと、愛犬、もとい恋人を振りきって美容室へ行った。



美容室へ行くとはいわなかった。

思い切りショートにして男をびっくりさせてやりたいと彼女は思った。









彼女はそういえば、要塞にきて以来1度美容室に行ったきりである。

前髪は自分で、適当に切ってきた。本当はよくないと思う。いつも美容室へ行くと

「ご自分で前髪切ってますね。」

などいわれるので、少し気恥ずかしい。

『確かにショートだと髪を洗うのは楽だろうが、まめに美容室に来なくちゃならんな。

それってちっとばかり手間だなぁ・・・。』

女性なんだし、少しは手間をかけなさい。アッテンボロー。

『大尉なんかは大変だな。いつもきちんとしているし。化粧もしている・・・。

考えてみれば、式典以外で化粧をすることはないな。これじゃ妙齢の女性とは

言えないかも知れない・・・。』

少し反省をするアッテンボローである。でもいざ作戦となるとすっかりそんなことは

忘れる「いやいやだけれど、ねっから軍人」な彼女であった。





一度しかいったことがない美容室のドアを開けて店内に案内される。

彼女は美容室とか女性だけのサロンとか、苦手である。

ランジェリーだけは胸のカップサイズが大きいので専門店で買うのであるが

せんじ詰めると実は彼女の姉の経営する店なので安心できる。

2番目の姉は女性下着の専門店のオーナーなのだ。

「トップとアンダーの差があるからちゃんとあわせたものをつけないと、たれるわよ。」

と二番目の姉は言ってのける。

姉は趣味がいいので妹に似合うものをサイズの確認をしては

贈ってくれる。

だから二番目の姉とはよく連絡を取っている。ちなみに最近ではその姉と妹に割り込んで

「女性のランジェリーの機能美と装飾美」について仲良く会話しているのはもちろん。ポプランである。

「ダスティは昔から野暮な女の子で。もっと磨けばいいと思うでしょ。少佐。」

「姉ぎみに賛成です。彼女はもう少し自分の美しさを自覚すべきでしょうね。」

楽しそうに話してるよなと、アッテンボローは2人の会話に入らない。



と、そういう話はおいておいて。



店内に案内されて気後れがする。

気後れする必要がないのに彼女は実はそういう場所は苦手だ。

終わればほっとするがいくまでは時間がかかる。

化粧品売り場もいまだに苦手である。

それは単に彼女が天邪鬼であるからすすめられるのが億劫なだけだ。

香水売り場は好きなのでやっぱり彼女は天邪鬼なのであろう。



軽く水で流され大きな鏡の前にあるイスに座らされる。

これだけ大きな鏡が目の前にあると、目線に困る。

自分の顔を見てるといつも後悔をする・・・。

「化粧をしてくればよかった・・・。」と。

ケープをかけられて鏡に映る濡れた髪をした女はなんだかそばかすが目立つし

口紅やグロスをつけないので顔色が冴えて見えない。

ここに来ると女でありながら横着な女である自分を再確認するのだ。

気後れとはそういうことなのであろう。

しかもこのあと仕事だからと軍服を着てきてしまった。

余計に色気がない。



三日前に恋人からルージュをもらった。記念日でもなくても男はプレゼントや

花束を贈ってくれる。

まめだと彼女は感心する。

「これはヌードカラーだし、ちょっとだけパール感があるからなかなか似合うと思うぜ。

仕事中につけていても問題のない程度のパールだし。ね、つけて見せて。」

これを売り場で買ったのかと彼女が陳腐な質問をすると

「まさか盗んでは来れないだろう。おれ手癖悪くないから。」

ポプランは素っ頓狂な声を上げて笑った。

「この色は最近はやっている色だ。お前にも似合うと思ってな。売り場のお姉さまと相談して

チョイスした。」

「化粧品売り場で、男なのに恥ずかしくないのか?」

彼女はいってるはなから、この男が美人のメイク・カウンセラーと話に花を咲かせて

楽しみながら口紅を買っている姿が想像できた。

「おれ化粧品売り場って大好きだな。綺麗な女がたくさんいるし。香りもいいからな。」



アッテンボローはちょっとだけ反省をした。化粧・・・。



ある程度はしないといけないのは姉からもよくよく言われているし、キャゼルヌ夫人に

ときどき教えを請うけれど自分でするときつい目がさらにきつくなる。

もとから切れ長の眸でまつげが多くて長いため、アイラインをいれたりシャドーを使うのが

ためらわれる。いつまでもメイクがうまくならない理由のひとつ。

でもフレデリカやマダム・キャゼルヌがナチュラルにメイクをしていることを思うと

『女をサボっている・・・。』という気持ちになる。



「サボってたというか、ようは男に近寄られるのがいやで化粧をしないってのもあるだろ。」

恋人にそういわれてここまで微妙な女心をわかる彼にどっきりする。

「シェーンコップのような危険な男がいてはこれだけの美人は、おちおち化粧もできないよな。

でも俺が守るから大丈夫だ。安心しろ。これからぼちぼち練習しようぜ。俺の提督。」

と、そのときはそのままルージュをつけずに2人で眠ったわけである・・・。





そんな彼女に美容師がそばに来て伺いを立てる。

「カットでよろしいですか。」

「はい」

「どのように致しましょう?」

どうも、こうもと彼女は思ったが口から出た言葉は、こうだった。
















「前髪を0.7センチ、全体は1.3センチカットで、そろえてください・・・・・・」

















やはり自分は女だ。







「わかる?」



フレデリカ・グリーンヒル大尉は困った。少し小首をかしげる。

先刻、仲良しの女性提督は半日休暇を利用して珍しくも美容室へ行ったらしい。

2人で遅めのランチを取っている。

だが、フレデリカにはどこを切ったのかまるでわからない。

けれども、そのようなことをいうのはいささかデリカシーに欠けているように思えるし・・・。

と、彼女は言葉をすぐに発せられなかった。

「困らせるつもりはないよ。大尉。私も実際、わからないんだ。切ったことには切ったんだがね。

これじゃぁね・・・。」



最近、女性提督はポテトグラタンがランチに出てくると無意識にフォークでつつきまわし

行儀悪くもこねくり回している。

じゃがいも野郎と彼女はいっていたっけ。統合作戦本部長代行人事について憤慨しているの

だったわね。

記憶力に富んだ聡明なフレデリカは苦笑した。そこで彼女は記憶の糸を手繰って。



「じゃぁ、もしかして提督。ポプラン少佐のいう通りにカットされたんですね?」

過日の歓談を思い出した。

前髪を0.7センチ、全体は1.3センチカット・・・・・・。

これなら大きく印象も変わらないし見分けをしろといわれてもフレデリカにはできそうもない。



「情けない女だと思うだろう?あいつにはまだ見せていないんだ。内緒にしておいてくれ。頼む。」

アッテンボローは両手を合わせてフレデリカに拝んだ。あまりに必死に頼み込むので

フレデリカは噴出した。

「情けなくなんかないと思いますわ。少なくとも私だって好きなひとに言われたら

そうすると思います。」



おしゃべりな女性提督は、余計なひと言を言った。

「あ、でも先輩のセンスは余りあてにしないほうがいいよ。大尉。」



フレデリカは反論したかったが、こと女性に関していえばヤンには反論する材料がない。

新年にヤンとユリアンに食事をと思いドレスアップして祭りの中を探し、出会ったときも

ユリアンはきれいですねと彼女を喜ばせてくれたがヤンは

「いつも食事をまかなってもらって、もうしわけないね。大尉。ありがとう。」

といっただけだった。

その以前にも私服でメイクも綺麗に整えて食事をしたこともあるが・・・あまり

彼女の外見には触れなかった。

「あのひとは、つまり、そういうことにこだわらないってことだけで・・・・・・金髪が好きなのは変わらないよ」

アッテンボローは自分の言葉の悪さに気がついてフォローしてみようと思ったが、こと女性に関していえば、

ヤンにはフォローする材料がない。

後輩の彼女はヤンと長い付き合いになるが「ちゃんと化粧をしなさい。」と

言われたことはない。

ドレスを着ろとか女性らしくしろというのはキャゼルヌか今はシェーンコップ。

あの2人は別の意味で歯に絹を着せるということを知らないのか知っててそ知らぬふりなのか。

「せっかく美人に産まれていても手を入れなくちゃもったいないな。お前の坊やはそういうことを

いわないのか?」

と彼女の神経を逆なでするようなことを要塞防御指揮官はあっさり言うのである。

ヤンは女性にどうしろと言わない。

言えないのか、言わないのかわからないが・・・・・・。



ヤン・ウェンリーが金髪の女性がすきなのは理解できる。

そして聡明な女性が好きなようだ。

でもジェシカ・エドワーズとフレデリカ・グリーンヒルとどちらを選ぶ気なのか全くわからない。

アッテンボローとしてはジェシカ・エドワーズはラップの婚約者であったし彼女とヤンとの間に

何かあったにせよ・・・きっとヤン・ウェンリーはいずれフレデリカ・グリーンヒルを選ぶと思った。

けれどもまだまだ旗色がはっきりしないのがヤン・ウェンリーだった。






「つい、あいつのいいなりになった。まぁいい。いざとなったらあいつか

ラオに切ってもらおう。」

彼女はさらりと髪を梳きすかせてさりげなくすごいことを言っている。

そ、そんなことも参謀長が?と、デリカはぎゃっふんした。

「分艦隊主任参謀長に髪を切ってもらうというのは・・・ポプラン少佐がやきもちを妬かれますよ。」

フレデリカはいった。

「うーん。やっぱりそうか。参謀に髪を切らせるのは越権行為だよな。やめておこう。」



・・・・・・。

本気で切らせようとしておいおでだったんですね。

フレデリカは参謀長の任務について改めて考えてしまう今日この頃であった。



間違ってもヤン・ウェンリーはムライ参謀長に髪を切らせる人じゃないだろうし。

それに実はフレデリカはあのなんとなく「まだ、学生です」という感じの

ヤンの髪形なども好きだった。

作意がなくて自然で彼女は好ましく思っていた。

「先輩っていつ散髪してるんだろう。まさかユリアンが切ってるんじゃないだろうな。」

アッテンボローはグラタンをほおばり、冗談で言ってみた。







ちょっと、冗談には聞こえない。

「・・・・・・まさか。」

フレデリカはつとめて朗らかに言ったものの・・・。

前髪はご自分で切ってらっしゃるかもしれないわね・・・と思った。

「ポプラン少佐はきっとこまめにカットサロンへ行かれるのでしょうね。」

パンをちぎってフレデリカは想像してみた。

「二週間に一回いくんだって。ショートへアって大変だよな。私はまだ歯医者のほうがいいよ。」

女性提督は目を閉じて頷きながら言った。

「伊達ものだよな。シェーンコップもそういうペースなんだろうか。色男は大変だ。グリーンヒル大尉は

どのくらいの頻度で美容室へ行くのかい。」

「私は一月に一度行きます。二週間に一度のペースはこまめですわね。ポプラン少佐。

・・・・・・准将もこまめそうですね。だらしがないお姿をした准将を見かけたことはありませんもの。」

美容師の恋人の一人は確保しているのかもしれないなとアッテンボローは言う。



前にシェーンコップがいったことがある。



「女はいい。朝顔を洗って化粧をして綺麗になる。美がゼロからプラスされる。

男なんて朝起きれば顔を洗ってひげをそるところから始まる。マイナスから

やっとゼロにもどるだけだ。生まれかわりがあればだが一度くらいは女になって

みたいものだな。たぶん絶世の美女になるだろう。傾国の美女かもしれない。」



・・・・・・むさくるしい男は嫌いだとシェーンコップはいっているのだろうか。

ひげを不精に生やしたシェーンコップは何となくイメージできない。

女性に生まれ変わったシェーンコップなどもっと、考えたくない。



だが彼に娘でもいればおそらく間違いなく美少女であろうとは思う。



「確かに准将に似ても准将が選ぶ女性を見ても、美少女しか生まれてこないでしょうね。

でもあの准将がご結婚をなさるおつもりがあるようにはお見受けできませんから、

その美しいご令嬢にはお目にかかれそうもないですね・・・。ちょっと残念な気もします。」

フレデリカは笑顔でいった。表情が明るくなってきた。ちょっと安心した

アッテンボローである。

「ポプラン少佐は提督にお化粧をお薦めになるのですか。きちんと化粧をしてほしいとか。

おっしゃいますの。」

フレデリカは質問しつつ、おそらく少佐はそういうタイプではなさそうだと推測していた。

「無理強いはしないんだ。あいつ。でも少しは私も手を打たないといけないね。

年齢もあるからいつまでも素顔でってわけにはいかぬよな。」

2人はころころと笑った。

フレデリカが笑うとアッテンボローはうれしい。







「おっ、おれの提督と美しき大尉だ。小官も同席よろしいですか?」

エースは口より行動が早い。二人の了解を取る前に着席して、さらりといった。






「ほお。素直じゃないですか。おれの提督。いった通りにカットしましたね。

しかも俺の贈ったルージュも塗っているし。かわいいな。ちょっとラインが甘いですね。

今度はリップライナープレゼントしますよ。俺ってうっかり者だよな。リップライナーは

必需品ですよね。それから一言だけ。ちゃんと筆、つかいましょうね。俺の提督。

持っていないようでしたらそれもプレゼントします。」











おそるべしオリビエ・ポプラン。











実はフレデリカは今赤面している女性提督がルージュを付けているとは

まったく気がつかなかったのだ。

しかも彼には髪の長さのちがいがわかるらしい。



「そうだ。今度は俺と一緒にファンデーション買いに行きましょ。提督の肌は綺麗だが

ファンデーションを塗るとさらに唇が色めきますしね。下地を塗ってプレストくらいでもいいかな。

粉をはたくってのもこつさえつかめばうまくなるもんです。でもパフよりブラシがあなた向きかな。

多分あなたの肌の色身はブルーベースでしょうから・・・。一番明るいファンデーションを

使うことになるでしょうね。まつげは量も長さも理想的だから・・・・・・。

アイラインを入れるかどうか・・・。仕事をしているときにアイメイクが崩れたら、まだあなたは直せそうも

ないからやめましょ。まつげは、まぁ本当はベースコートだけでもお勧めしたいけれど無理っぽいから

やめて。眉・・・。今夜小官が整えます。チークは・・・ちょっとまだ考えましょ。あなたメイクに関しては

ローティーン並だからゆっくりナチュラルメイクを習得しましょうね。小官が及ばずながら手取り足取り

個人レッスンで・・・・・・。」



アッテンボローのあごをちょっとつまんでポプランは彼女の顔を覗き込み丹念に

吟味している。



「そ、そんなにいっぺんにできないぞ。それに誰が10代なんだ?」

ポプランが親指で彼女の唇からはみ出したルージュを優しくぬぐう。

「プライベイトではルージュよりもグロスのほうがいいな。ラインが崩れても目立たないし。

やや肉厚に見えて愛くるしさがましますからね。」



仲睦まじきことはよきかな、よきかな。

フレデリカはやっぱり2人が少しだけうらやましいと思うときがある。




by りょう




LadyAdmiral