ちっちゃなころから、悪ガキで・・・。
けれども彼は不良でもなんでもなかった。
ただ普通のロックンロールが好きなキッズ。
夜が嫌いな少年。
夜にはシーツのお化けが現れるから。
森も怖い。
森には何か怖いものがあるから。こうもりは怖くない。
ブギーマンにさらわれるのは怖い。
まだオリビエ・ポプランが5歳にもならない時代。
物心ついたとき母親と二人で暮らしていた。
ちいさなレンガ造りの古風な家。
玄関にはポーチがあって夏になると淡い金褐色の髪をした彼の
母親が庭に咲き誇る向日葵に水をあげている姿を思い出す。
季節の花々が咲き誇る彼女の好きな庭。
コクランの「サマータイム・ブルース」を口笛で吹きながら、彼女は大きな日よけのついた
帽子をかぶっていた。
背中まである豊かな髪がきらきらと輝いていた。水しぶきとともに輝く髪。
特に暑い日にはレモネードを用意してくれた。
それを飲んでジンジャークッキーをほおばると
少年はケッズをはいた足で駆け出して蝶やとんぼを追いかける。
真夏の太陽が少年の額に汗を噴出させて、肌が真っ黒になるまで
庭を転がりまわっていた。
「オリビエ、食事にしましょう。」
母が言う。大きな大きな綺麗なアルトの声で。
彼女はすごく美しい。
鮮やかな色合いの孔雀石の瞳も白い肌も、太陽のきらめきの淡い金褐色の髪も。
オリビエ少年は彼女が大好きであった。
泥のついた頬のまま彼を抱きしめてくれる彼女が宇宙で一番好きだった。太陽の香り。
彼女のサマーウールのスカートが汚れてもかまわない。
物分りのいい大人なんだ。レベッカ・ポプランという女性は。
少年の自慢のダーリン・レベッカ・ポプラン。
夜になると花火を出して二人で笑い声や歓声を上げて愉しんだ。
秋には枯葉をちいさなオリビエ少年がほうきでかき集めて、うずたかくなったころに
ポプラン夫人は家の中でシードケーキが焼けたと声をかけた。
少年の好物だった。
「あんなにも同い年の友達が必要ね。でも近所に住んでいるのはこのあたりでは
あんたよりも12歳は年上の子供くらいしかいないから・・・。幼稚園に行きたいでしょ。
ともだちほしくないの。ベイブ。」
少年は首を振った。
「ぼくはダーリンだけでいいよ。ダーリン・レベッカ。」
レベッカ・ポプラン夫人は苦笑した。
いずれにせよ田舎で過ごすのはこの子のためによいことだけれど、やはり少年には
ロックンロールやケッズ、チョコレートボンボン、キャンディバーより必要なものがある。
同じ夕焼けを恨めしげに見て「また明日遊ぼうぜ。」とホッペをつねりあう友達が必要だ。
早く明日になればいいのに・・・そうすればまた奴らと鬼ごっこや軍人ごっこができると
夢見るそんな「仲間」が大事なのだと彼女は思っている。一緒に線路伝いに田舎道を歩く
「親友」がいる・・・・・・。
まだ5歳にならない、彼女のベイブ。
野球をしたり、フライングボールをしたり、一緒に秘密基地を作る友達をいずれ欲するであろう。
小川にダムを作ったり、菓子屋で同じチューイングガムを買うか違う色のものにするか
悩むときも来る・・・。そっちのアイスクリームにしようかとか取替えっこをする仲間・・・。
母と子供の二人暮しのせいもあってオリビエは本とソリビジョンが好きな子供になっている。
本は彼女の家にはたくさんあった。
2つの時には少年は図鑑のすべての花や草、虫、動物、魚などを覚えた。
3歳になれば言葉も早くて普通に会話ができた。簡単なスペルはすぐ覚えたし
数字もすきだった。
頭のいい子だとは思っていたが体が弱くてはいけないから彼女は、庭で少年を遊ばせた。
キャッチボールなら一緒にできる。
魚釣りも虫取りも彼女は息子とできる。
けれど一人っ子だし、やはり大人だけの中で育つのも考える必要があると彼女はおもう。
冬には暖炉のある小さな居間で、ポプラン夫人は歌を歌いながら彼女の息子に手袋やマフラー、
セーターなどを編んでみせた。夜には一緒にチーズフォンデュを食べて暖炉の前で彼女は息子に
本を読んで聞かせた。
まだ難しい文字や語句は無理だが少年は昔の話が好きだった。
スペース・パイレーツや800年も前に人間が住んでいたという星の話も好きだった。
アーレ・ハイネセンの長征(ロングマーチ)。
4歳の少年は胸をときめかせて母にねだって話を聞いた。
雪がたくさん降る夜は少年は宇宙の本をたくさん読んだ。
雨が降る日も本を読んでいた。
彼の家には書斎がありそれはそれは立派なものだったらしいので読む本にことかかない。
レベッカはこの本はあなたには早すぎるということはいわない。
本棚の本は多岐に渡ったがわからなくてもいいのだ。
好きな本を手にして、ページをめくって・・・。
好きなものを好きなだけ読んで・・・それでいい。大人が気をつけるのは
少年が真実や現実を見つめて戸惑ったとき、恐れをいだいたときに
頭を撫でて抱きしめて語りかけることだ。
ゆっくりと。つたなくてもいい。愛情をかけて。
「ベイブ、世界は怖いものでもあるけれどすばらしいものでもあるの。忘れないでね。」
少年は彼女の腕の中で同じ眸をした母の落ち着きのあるまなざしをみつめて、安心して
眠りにつく。いつまでも母の手を握り締めるその小さな手を夫人は見つめる。
彼女は、愛する天使の自由な心の翼を育てたいと願っていた。
高く、高く・・・この少年が羽ばたく姿を彼女は幸せに思っていた。
冬が終わり、春には庭に花が咲き乱れ、また美しい蝶が飛ぶ。
少年はまた蝶を追いかけてすぐにそらに還す。
昆虫図鑑で寿命が短い虫の命を知って5歳の少年は大きな青い空に、ラベンダーの色のそらに
美しい蝶を解放す。
夏になれば少年は少し遠いが保育施設に通うことになる。
彼女は車の運転がうまいし送り迎えをすればいいのだ。シティの法律事務所に彼女は勤めることになったし
シティの保育園はふたりにとって都合がいい。
父親は早く、彼が赤ん坊のときに病気で亡くなっている。
彼の父親は大学の教授をしていた。ポプラン家は少年の曽祖父から代々の職業軍人。
けれど父ニコラ・ルイ・ポプランは一度は艦載機に乗った男ではあるが金をためるとすぐ退役して
司法の勉強に励み最短コースで大学教授として招かれたのである。
法学部教授。
母親は昔その講座をとっていた。
美しき未来のポプラン夫人はプロフェッサー・ポプランに見初められた。
写真でしか知らない父は教授というよりまだまだ学生という趣の男である。
学生時代、フライングボールの年間得点王だったわりに線が細い。
ちょっとばかりうがった見方をすればユリアン坊やが大きくなれば、似てなくもない。
もっともユリアンのほうが美青年になるはずである。亜麻色の髪をしたポプラン教授。
彼は父親を知らないが、母親のポプラン夫人は頼りなげな未亡人とはほど遠い
エネルギッシュで活力あふれる美人だった。
母親は、オリビエ少年がいたずらをすれば抱えあげて容赦なくお尻をたたく。
でもそのあとは必ず太陽のようなあたたかい愛情を彼に注いでくれた。
「あんたのほっぺた、おいしそうね。私の天使。ベイブ。」
「レベッカ・ダーリン、ミルクのにおいがする。」
彼女はそういっては少年にキスの雨を降らせた。きゃっきゃっと少年は
くすぐったそうにして笑った。
家計は父親の遺産もあったし彼女も法律事務所で働き始めたので、少年はひもじい思いを
していない。したことがない。
彼が保育園で少しずつ人見知りの坊やから本来の素直で明晰な少年の頭角を現すころ
彼女も昔の勘を取り戻していた。仕事が終われば保育園へ息子を迎えにいく。
2人で買い物をしてかえりたくさんの夕食を作って、二人で食べる。
彼女は料理が上手だった。
パンも手作りじゃないときがすまない女性。
「ねぇ、オリビエ。あんた大きくなったら、何になるの?ベイブ。」
「うんと。学校の先生」
ほうれん草とツナのキッシュをほお張るちいさな少年はいった。
彼女は最近やっとほうれん草が食べれるようになった彼女のかわいい天使の髪を優しく撫でた。
「パイロットでもいい。ダーリン。」
あらあら。
5歳の少年の瞳は輝いている。
小さな子供が夢をたくさん持つのはいいことだと彼女は思っていた。
この親子の幸せな期間は彼が10歳の冬まで続いた。
母親は、その日の朝、あの優しい笑顔でオリビエ少年に出勤前にいった。
「オリビエ、今夜は遅くなっちゃうけれど先に食事をして眠ってなさいね。
夜更かしはだめよ。それとお菓子、食べ過ぎちゃだめよ」
彼女は優しく、キスをして慌ただしく準備をした。保育園は冬の休みになっていた。
「いってらっしゃい。ダーリン・レベッカ。明日は一緒に本を読むでしょう。約束だからね。」
ポプラン夫人は飛び切りのウィンクを彼に投げて車を飛ばした。
その緑の瞳を見たのは、その朝が最後だった。
母は、その日の午後突然に事故で亡くなった。
日常というものが、いかに突如、豹変するかを10歳の少年は知った。
彼女の法律事務所はテロの標的になったと後で聞いた。
オリビエ・ポプランは施設でその後は生活し飛行学校に入り、軍に身を置いた。
別にどうという過去ではない。
戦時中だし、生まれきたときにはすでに孤児だったものもいる。
母親はたしかになかなお目にかかれない、いい女だったが彼の女性観に関わる程度は
人並みだと思われる。男は、自分ののおふくろに大なり小なり影響を受けているものだ。
それほど特殊な環境でそだったわけではない。
けれども、自分は彼女が好きだったことは認めないといけないだろう。
おいていかれた衝撃は彼をいまだに困惑させるときがある。
自分は、ひとの死に過敏なところがある。
それは自覚している。
寝物語にアッテンボローに思い出を語ったポプランはつまらない話をしたなぁと思った。
彼女は彼の話を聞いて彼により、密着した。ぎこちなくではあったが瞳を閉じたまま
男に寄りそった。
彼は彼女をより強く抱く。
なんだかなぁ。
いままで、この話はしたことがない。
いや、はじめて愛した女には彼も若かったしいったかも知れない。
その時のブルネットの女性は、今では結婚しているだろう。
生きていれば。
だが、彼女以降誰にも話さないほうがいいことだと彼は思ってきたのに。
口が滑ったんだな。
「不幸自慢じゃないからな。ハニー。」
男は女の額に唇をつける。
「案外、教師役ってお前に似合うかも知れないな。オリビエ」
彼女は、稀な欠損家庭でない、非常に恵まれた環境で成長してきた。
家にいれば、ともかく一番下なのでかわいがられまくり、しかられても誰かがかばってくれる。
3番目の姉はさすがに年齢が近すぎて喧嘩相手だった。
2歳しかはなれていない。掴み合いのけんかをする。
2番目の姉は自分とうまく距離をとっていた。彼女はマイペースだったし、付き合いやすかった。
長姉は当然4番目の妹に甘かった。
父親は仕事で家を空けることも多かったが必ず母親に一日に数回は電話をかけていた。
2人がけんかをする姿を少女は見た覚えがない。それはたまに帰省しても同じで仲がよい。
見ていて気恥ずかしくなるほど。
ともかく・・・軍人の家系でありながらダスティ・アッテンボローが育った環境は非常に
恵まれていたといえる。
ヤンや、ユリアンなどの成長過程を見ても彼女は何も言えない。
アッテンボローは思った。
今回のフレデリカのことも彼女はうまく慰めることができそうではなかった。
あの笑顔にかげりがある。あの立場に身をおけばやつれもする。
自分の父親と今後は敵として戦わねばならない。
それでもヤン・ウェンリーが彼女を解任しなくてよかったとアッテンボローは安堵した。
そんな先輩は先輩らしくない。
そう彼女は思う。
ヤン・ウェンリーは頭が悪い人間ではない。
言葉は悪辣なときもあるがそれは主に軍部や政府を批判するときに用いられる。
彼は優しい声を持っているがゆえに何を言っても毒舌に聞こえぬし迫力に欠ける。
それなりの批判精神は青年らしく持っている。ヤンほど政治を監視したくてしかたがない
人間も少なくない。一市民でありたいと願う気持ちがアッテンボローには伝わる。
それにヤンは自分の仲間には限りなく情を持ってしまう。
それをコントロールするのに苦労をしている姿を彼女は何度も見ている。
ユリアンへのぎこちない「父親めいた」心配りや「有能であるが女性」であるフレデリカへの
配慮はなかなか努力しているようにアッテンボローは思う。
彼女にはできそうもない。
要するに自分は人を慰める、そういう類いのことが苦手なのだ。
むやみに言葉をついで慰めていいかといわれれば、そうではない。
・・・と思う。
言葉は選んで使うべきだ。
それに。
ひとはそれぞれ生き方が違うのだから。
男は自分の過去を悲しんでいるわけでも蔑んでいるわけでもない。
それは尊重はしても、慰めるべきことではないように感じる。
男の母親は素敵な女性だったようだし少年時代の彼は、まるでユリアンのように陶器人形のような
愛らしさがあったであろう。それはそれで幸せな記憶であると察する。
いや、慰めが苦手なのは慰めと哀れみは紙一重であり28歳の明敏と言われるこの女性でも
その違いをすぐに見分けることができないからだ。
「さっき、お前、いったよな。姉君たちが、母親の腹に美と才能を残してくれたって」
彼女は明るい褐色の髪を撫でた。
「おれの場合は父親と、母親の幸運と、寿命をもらったってことにしておくさ」
そういうと彼は、恋人に挑んできた。男の体の重みが、体温が伝わる。
そのあたたかさや感触を女は大事に思っている。
彼女は太陽のような色をした彼の髪に指を絡めた。より男の体に自分の体を
密着させる。
愛しさというものは、こういう感情のことかな?
男を自分の子宮で感じた。
そういえばはじめてこの男と交わったとき処女でもないのに少しだけ痛かった。
男は細心の注意を払って乱暴にはしなかったしそういう情交でもなかった。
心がつながるようなSEXだった。
指と指を絡ませて。
この男とつながるのは悪いことじゃないなと彼女はわずかな痛みの中で感じた。
「ただのブランク。すぐ慣れるって」
・・・そういうものらしい。
陽気に言われると睦言のひとときすらこちらも笑みをこぼす。
本当に綺麗な緑だな・・・。
男の眸を見つめて、彼女は思う。まぶたに優しいキスを落とす。
彼女の長い髪がシーツにひろがる様を見て男は、美しいなとため息を洩らす。
髪の長い女がやたら好きなのではない。
フレデリカ・グリーンヒル大尉のようなかわいらしいショートヘアも素敵に男は思う。
ヤン・ウェンリーとダスティ・アッテンボローがいなければまず口説いたと思う。
女性を口説くのは男の挨拶であり、口説かないのは失礼なのだ。
だが、ダスティ・アッテンボローという男の名前をした女とであった。
彼は女とであったとき腰まである髪の長さには正直、少し驚いた。
長さもだが豊かさやそのまっすぐさもあるひとつの魅力に感じた。
彼女の魂そのものではないかと男は思った。
清廉で素直で、美しい。
ただし実戦向きではない。彼女がもしスパルタニアンにのる自分の仲間なら
せめて背中まで切らせる。ヘルメットに収めるのに手間取りそうだから。
しかし彼女は女性提督。
ブリッジで神話の女神よろしく指揮を取る。
彼女をお飾りと思う男が多いのも知っているが男は女の運の強さを思った。
才覚も運もない女が、あの悲惨なアムリッツァで逃げ切れるだろうか。第10艦隊ウランフ提督の艦隊が
全滅を免れた功績は間違いなく、この女にあった。
退路を敷くのも戦術である。グエンのような男はただの猪突猛進型でいずれは
死ぬ。
だが男の腕の中で肌を重ねている女は、兵士の生命が第一だと生命に刻んでいる女。
この女は、戦いでは死なない。
そんな女に命を預けたいと思う男だった。
それ以上は、男もその腕の中の女も、夜を貪り続けて余り思考は回転しなかった。
by りょう
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