寧日、安寧のイゼルローン要塞。近頃、ひそかな噂になっていることがある。
要塞きっての、いや、同盟軍きっての若く生命力に満ち溢れた
女性提督ダスティ・アッテンボロー少将と、空戦隊エースでレディ・キラーの
オリビエ・ポプラン少佐が・・・
「男女の仲になっているらしい」
と、いうまことしやかな、いやいささかブラックな噂である。
ニュースソースはわからない。もうこの時点でかなり怪しいうわさなのだが、
醜聞(スキャンダル)は渦中の人物が華やかで、魅力あふれれば実に勝手にあちこちに
飛び火してくれる。火を消す人間もいないしばらく噂の当人の噂の恋の相手よりは、はるかに
理性的な女性提督、この噂を聞き流した。一方の理性が欠如していると思われる男のほうも、
珍しく沈黙を守っているとのこと。
こんな噂、騒げば余計に疑われるに決まっている。そう、知的な女性提督は考えた。
黙っていればそのうちまた別の噂が発生して、みんなの関心もそちらに向かうだろうさ。
とたかをくくった。
しかしながら、知的なはずの彼女の計算とは裏腹に、噂は一人で鼻歌交じりにスキップ
して勝手な方向にベクトルをむけていた。どちらかといえばかの女性提督には迷惑千万な方向に。
えてして醜聞(スキャンダル)とはそういうものである。
「このクリスマスの夜はあのポプラン少佐も提督一人に、身も心も全て、捧げるんだと。
求婚って話も出てるらしいぞ」
「マリッジリングを買いに行っているポプラン少佐を見た」
「いや、まだエンゲージリングの段階らしい」
「あの提督が一人の男のものになってしまうなんて、俺はなにを楽しみに生きていけば
いいのだ」
「提督もポプラン少佐を気に入っているらしい。両思いだとか。」
「そんな不条理なことがあってたまるか。仕事なぞしている場合か」
など、300光年ほどおおいに飛躍して、もはや彼女の手には負えない状況になっていた。
何せ、その女性提督は、イゼルローンのいわば「アイドル」であったから、男性士官の士気に関わってくる。
笑い事のようであるが、同盟軍でたった一人の美しい女性提督は、「エルファシルの英雄」と並んで
前線の兵士たちの士気を高めている。
だから実は、恐ろしい。
「全く、不愉快だ」
彼女は食堂で、ヤン・ウェンリーの副官、フレデリカ・グリーンヒル大尉と、
食事をとりながらぶつくさ言っている。この二人、階級は違えど、女性士官同士仲が良い。
イゼルローンの華である。
「お言葉ですが、今、不愉快とおっしゃってももうこの手のものはもうどうにもなりませんわ。
提督ほどの情報操作がお得意な方にしてはいささか・・・後手に回ってしまいましたね。
噂をもっと早い時期に訂正なさればよろしかったのに・・・。お気の毒です。アッテンボロー提督」
「そうは言うがね。ミス・グリーンヒル。私はこんなばか騒ぎになると思わなかった。ここは最前線の
イゼルローン要塞だよ?首なし幽霊事件程度にすむと思ったんだ。もっとも最前線だからこそゴシップが
楽しいのだろうけれども。それにしたってやっぱり私の不手際か・・・ヤン先輩に迷惑がかからなければ
いいけれど」
「それは大丈夫です。個人の恋愛問題云々では、問題ないでしょう。閣下も個人のプライバシーに口を
挟む方でもありませんし・・・。第一、アッテンボロー提督は別にポプラン少佐を一人の男性として好意を
お持ちではないのでしょう?」
「もちろんだ。女たらしは嫌いだよ。」
なら大丈夫ですよと美しきヤン・ウェンリーの副官は答えた。
「お二人にその気持ちがなければクリスマスがすめばほとぼりも冷めます。恋愛くらいで司令部の威信云々は
関係ないです。ヤン閣下もきっと同じ思惑だと思います。それにしても災難でしたわね」
フレデリカはくすくす笑っている。けれど女性提督には勿論笑い事じゃない。
よりにも寄ってなぜ今頃こんな噂が。とアッテンボローは思う。
「ご機嫌いかがですかな?麗しのice dollと、美しきミス・グリーンヒル」
バリトンのよく響く綺麗な声がかかった。声は悪くないが、声の持ち主が悪いと
アッテンボローは思う。
「なんだ?今は准将と遊ぶ時間じゃないぞ」
『ice doll』。
このワルター・フォン・シェーンコップ准将がアッテンボローに付けたあだ名である。
男に隙を見せない、ポーカーフェイス、10人のうち8人は美人というであろう容姿。
(あと2人の男とは、彼女に覇気がありすぎてしり込みをする男らしい)
背中に流れる長く美しい銀のような翡翠のような色の髪。そして、切れ長の翡翠色をした
やや怜悧な瞳。
当人は嫌がっているそばかすはどう日に焼けても肌の色が抜けるように白いから。
柔らかな女性の印象はなく、背筋の伸びた知性的な活きのよい美人とシェーンコップなどは
非常に高く、評価している。
しかし結局、天下の色事師・シェーンコップをもってしても、いまだ陥落できないゆえに、
冷たい女という意味合いで付けられたのだ。
「ここは純粋無垢な女性二人の歓談の場だ。邪魔しないでほしいな。それとグリーンヒル大尉に手出ししたら
許さないからな。彼女には先約があるんだ」
准将のお目当てはアッテンボロー提督なのに、とフレデリカはまたもくすりと笑う。
「そこまで冷たくしなさんな。若いお人だ。ところで、噂のやっこさんとはうまくやっているんですかな」
美貌の女性提督は硬質の唇をわずかに開いただけ。
「却下」
「なんだ?それは」
「私生活まで貴官には関係ない。却下」
気性の激しい女性提督は年長の准将を言葉で払いのけた。
シェーンコップは肩をそびやかしてあきれて、いった。
「相変わらず、かわいげがない。いくら美人でもそれじゃ嫁のもらい手がないですぞ」
「貴官のような女たらし、相手にできない。かわいげがなくって結構だ。幸い、私は、独身主義だしな。
両親の厳格かつ、奔放な教育に感謝しているよ。なんでも貴官に関しては仕事以外は却下だ。却下」
フレデリカがあまりに笑うので、シェーンコップもやれやれと、退散した。
「本当に、隙がないんですね。アッテンボロー提督。さすがの准将もたじたじですね。
少しお気の毒な気がします」
「あいつはいいんだ。打たれづよいから。10分もすればまた口説きにかかる。まったく。
つけ込む男が多過ぎて仕事に差しつかえる。私は職場に恋愛をもちこみたくない主義だ。
実にややこしいからね・・・。男ってのは嫉妬深いし、使えないんだよ。
あ、でも、あなたの恋愛は応援しているんだ。あのひとはグリーンヒル大尉くらい
しっかりとしたお嬢さんが必要だからね」
フレデリカは、揚げ句にぷっと吹きだした。
さて、もう一人の噂の主は、相も変らずこまめに、様々な女性とお付き合いをし、華やかな恋愛履歴を
日々、更新している。熱心である。
「迷惑だ。ポプラン」
相棒のイワン・コーネフが、推定僚友にいった。まわりは二人が名コンビのように言うが
本当はそうではないとお互いが言いたい。しかし、波長が全く合わないわけではない。
けれどコーネフは常識を重んじたし、ポプランは重んじない。
その違いがこの2人を対照的に見せている。
2人とも同盟軍きっての撃墜王であり、よく2人でいるから友達に見えるらしいが本人たちは
「友達?誰が?」
などしれっと言ってのける。そのくせよく一緒にいる。それは事実である。
「いきなり、なんだ?迷惑なんかかけてないだろ」
よくまぁ、迷惑をかけていないと断言するなとコーネフは思いつつ、言葉を継いだ。
「噂の真相を聞きだせって、まわりがやたらにうるさい。相手が相手だからかなり、派手な騒ぎになってる」
「噂は一人で、ほいほい歩くのが好きなんだ。ほっておいてやれよ。コーネフ。無粋なまねはやめろ。
さもないとお前さんは、噂にまで愛想をつかされてしまうぜ。今だって少ない友人が更に減るだろ。
お前、孤独だぞ。」
「あのな。おれはできれば静かに放置されたい。騒音公害だ。あの噂はともかくうるさすぎる。
ことの99%はお前が悪いんだから、このうるさい噂を何とかしろ。おちおち本も読めない」
「ちょっと待て。なんでおれが99%わるいんだ?」
ポプランは唇をとがらせた。
「理由、言ってほしいか?おれは3桁の事例も上げれるぞ。お前が悪い理由と事例。」
コーネフが淡々と呟いた。
ポプランは少し考えるふりだけして、いった。
あくまでこの男は考えるふりが好きなだけ。
「おれ自体が存在悪とでも言いたいわけね」
相棒の勘の良さにコーネフは拍手を贈った。「正解だ。ポプラン。よくできたな」
全く。
小悪魔のような噂ちゃんだ。
「要するにおれが、クリスマスの夜を誰と過ごすかを、表明すればいいんだろう」
「そういうことになるかな」
「困ったなぁ。候補が多すぎて、絞り込むのに時間がかかる」
淡い金褐色の髪を持つ僚友に、コーネフはますます自分の「分別」を美徳と思えた。
「不誠実・不毛・不実を、そのままを人間にしたような男だな。お前さんは」
他称・相棒は返す言葉がなかった。
確かに自分が誠実であったこともないし、何か生産的であったかといえばそうでもなく、
女性以外に義理を果たす気はさらさらない。
ポプランは率直にいえば、アッテンボロー提督が好きだ。
かなり好きだ。
食べたいくらい好物である。
イゼルローンに着任して、はじめて彼女を見たとき、彼の心は見事にスパンクされた。
年上であろうがキャリアガールであろうと関係ない。顔の美しさだけではなく身長が179センチは
ある長身なのにモデル並みに見事なプロポーションをしている。同盟軍の制服すら
彼女が着ていると華麗に見える。そして出ているところは出て引き締まるところは
引き締まったおいしそうな女性。
まずポプランは偶然を装い女性提督に接近。丁寧にご挨拶を申し上げた。
「空戦隊隊長を拝命しておりますオリビエ・ポプラン少佐であります。提督、どうぞお見知りおきを」
女性提督は丁度一人で。
「噂の撃墜王殿だな。何せ若い連中が多いんで少佐のようなベテランパイロットは心強いよ。
よろしく頼んだよ」
形のよい唇にほんのわずかな微笑を浮かばせて、彼女は彼を見返していた。
悪くないな。
「あなたに頼まれたのなら、精励します」
その場はポプランは引き返した。初対面で口説くには惜しい気がしたのだ。
たわいない話で徐々に近づき、気安く酒も飲める仲にはなった。
「なんだ。貴官、私を口説いているのか?」
たまにそんな会話も出たが、
「口説くときは薔薇の花束を抱えて参上しますよ」
「ふぅん。ならうまいシャンペンもつけておくれ」
イゼルローンのカフェやクラブで話をしている2人を見て、ヤンなどが言ったことがある。
「2人は仲がずいぶんいいんだね」
彼女は男の顔を見て、
「なかなか愉快な坊やですよ」
とポプランを紹介した。
会話や、ジョークを重ねるうちにポプランは本気で、この女性の上官に興味以上の愛情、
恋慕を抱くようになった。
そこで機会を見て、白い薔薇の花束を抱えて、極上のシャンパンもつけて彼女に言った。
「小官と、男女のお付き合いをしませんか。あなたを愛しているんです。」
「・・・そういうのは勘弁してほしいな。私はお前さんのプライバシーを知っているし、お前さんの
女性コレクションの仲間には入りたくない。今までどおりでいいじゃないか。それができないなら
お前さんとはこれっきりだ」
と、厳しい言葉がかえってきた。それでへこむポプランではない。
「本当にあなたを愛しているんです。信じてください。コレクションに入れるとかそういう気持ちはないんです」
そういってちょっと強引だとは思ったが、抱き寄せようとしたら彼女の膝がポプランのみぞおちに入った。
なかなか見事な蹴りで。
「じゃぁ、これっきりだ。」
そういいのこして、彼女はするりと彼の腕から抜け出していた。
そして、現に、ポプランと顔を合わせると、彼女は氷の人形のような顔で彼を無視し、
約束通り、口をきかなかった。それが今現在でも続いている。これっきりになってしまっている。
本当は友達になることはできた。
できたけれど・・・女としてほれてしまっているので気持ちは隠せないだろうし、
ポプランは今はちょっと逡巡しているところもある。
「執念深い人だよなぁ」
言い寄っただけで、彼女の逆鱗に触れるほど、自分は悪業をつんだだろうか?
そんなことをエース殿は考える。
ポプランいわく、もっと罪業の深いシェーンコップは、当然まだ篭絡できなていないらしい。
しかし、あの男は狙ったら逃さないからなぁ。時間の問題かもしれないと思うと少し、
いやかなり不愉快だ。
厄介な噂。
エース殿も戸惑うイゼルローンの一日であった。
icedoll。
まさしく彼女にふさわしい。
by りょう
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