宇宙暦797年1月30日。 イゼルローン要塞駐留艦隊全体演習が行われた。8時間に及ぶ演習に当然分艦隊司令官を務める 27歳のダスティ・アッテンボロー少将も旗艦「トリグラフ」にてヤン・ウェンリー司令官からの命令を受け、 分艦隊の戦艦の動きも掌握しつつブリッジで指揮をとっている。 特別に女性提督の仕事振りを閲覧を許可された人間がブリッジにいる。オリビエ・ポプラン少佐である。 アッテンボローの指揮がみたい。 その演習の数日前のこと。 執務室で紅茶を飲むために昼寝から起きたばかりのヤンのもとに当時まだ珍しい、オリビエ・ポプラン第一飛行 隊長の姿があった。後にこの人物はこの執務室にやたら顔を出すことが多くなるのであるけれど。 「えっと。少佐は艦隊演習で「ヒューベリオン」から出撃をするね。それが終わってからでいいのかな。」 黒髪の司令官閣下は机に投げ出したままの足をおさめて頭をかいた。 はい。司令官閣下。とポプラン少佐は言う。 「そうだな・・・・・・。申告の理由を聞こうか。なぜ提督の仕事がみたいのか。それとなぜアッテンボローの 仕事なのか。この二点だな。聞かせてもらえるかい。」 金褐色の髪をしたハートの撃墜王と呼ばれる少佐はこのとき25歳。パイロットとしては中堅の年齢だが 腕は熟練兵を越える。現在新兵の教官もかねているのでいわば若きトップ・ガンである。 ダスティ・アッテンボロー少将とは先のクリスマス以降から、実に親密なお付き合いをしている仲 でもある・・・・・・。 保護者のヤンには紅茶を出し、ポプラン少佐に珈琲をユリアン・ミンツ軍属は出した。 右隣のデスクではフレデリカ・グリーンヒル大尉が後日の演習の用意に周到であった。 「小官はヤン閣下の下から出撃を繰り返しておりまして閣下の仕事振りにはいささかの疑念も持ちません。 けれどアッテンボロー提督の分艦隊からも出撃予定があれば彼女の命令で出撃をします。小官の 6個中隊も出撃をさせます。アッテンボロー提督の戦場での判断ならびに裁量を知りたいと思います。 いわば提督として、司令官としての器量を検分させていただきたいです。分艦隊司令官殿の 状況判断のなさりようを、部下を出撃させるものとして拝見したいのです。」 ふむとヤンは紅茶を口にする。 「いいよ。その旨心得たから書類にして私のところへ持ってきなさい。そしてサインする。それから 分艦隊司令官に提出してくれ。私の署名があればどこからも反対はない。手続きはこれでいい だろう・・・・・・。珈琲は嫌いかい。紅茶のほうがすきなのかな。少佐。」 「いえ、書類はここに持参しております。第二飛行隊長のイワン・コーネフ少佐と小官のふたりをスパルタニアン 演習後、「トリグラフ」に伝令シャトルで移動許可をいただきたいです。」 「・・・・・・うん。用意がいいね。・・・・・・。はい。サインしたよ。ちょっとそこにかけて珈琲でも飲んでいきなさい。 ユリアンが入れた珈琲だしまずくないよ。私は飲まないけど。」 はいとポプランは勧められた椅子に腰をかけた。珈琲をいただきますといい口に含む。 「意外そうだね。」 「はい。小官は下心も含みながら書類を作りましたし。白状しますけど。」 ヤンはそんなことはよくわかってるよという。 「だが私が受諾する点を見事についているんだ。少佐の言うことは。」 ヤンは頭の後ろで指を組んで言う。 「アッテンボローはまだ27歳。けれど彼女は少将で分艦隊を今回初めて束ねる人間となった。彼女の 命令いかんで艦載機も出撃させることは今後ある。私は彼女の統率力と判断力、・・・・・・まあ、提督としての 資質は知っているけれど実際出撃をする君たちがそれを知りたいのは当然だ。知らないんだから。現場の 人間が上の人間の仕事を見たいというのは悪いと思わないから、私は受諾した。彼女が政治宣伝の お人形さんかそうでないか君たちふたりが判断するのはいいと思うよ・・・・・・。私の言うことはおかしいかな。」 いいえとポプラン少佐は言う。 「こちらも下心を言わせてもらえば、アッテンボローがどんなタイプの将帥なのか正しく認識してもらえれば 今後いいなと思っている。下馬評ではあまり評価がよくないし。少佐は彼女が無能な美人で、私の後輩 だから20代で閣下になったと本気で思うかい。」 「そこまでは思いません。そうですね。アッテンボロー提督が明晰な女性であるのはわかります。 事務処理能力や執務室での仕事振りを見れば無能でもないでしょう。しかし提督となると一度は見て おかないとという気持ちはあるんです。あのひと時々すごく熱くなるといいますか、感情が高ぶるでしょう。 少し前の酔漢を押さえる手際にせよ・・・・・・これは小官にも大きな責任はありますが、やはりどういう 提督なのかみたいですね。ヤン司令官殿に関しては本当に何にも疑義はないですよ。だから分艦隊の 司令官の仕事がみたいんです。」 うん。正論だね。 「よりよい司令官の下から出撃したいというのが兵士の心情だし。アッテンボローがどんな提督か コーネフとみておいで。うちもユリアンがあまりに私をいい将帥だと買いかぶっているから8時間みっちり 隣で私の無能振りを見せ落胆させようと思っている・・・・・・。私なぞよりアッテンボローのほうがよほど まともな将帥なんだよ。あいつは自己評価が厳しいから認めないけどね。書類に不備はないと思うから 持っていって、彼女が何か文句を言うならヤン・ウェンリーが確かに認めたし推奨もしていると いっておくれ。まあ佐官二人戦艦の艦橋にのせるのは演習だから問題はない。伝令シャトルの手はずだな ・・・・・・大尉、この書類を見てくれるかい。それとその用意。」 呼ばれた才媛の副官殿は目を通し、「艦載機収容後、「ヒューベリオン」から一機伝令シャトルを出せばよろしい ですね。閣下。」と美しい声で言う。うん。とヤンは頷いた。彼女はヤンが思うことをいちいち説明せずとも 理解して段取りをつけてくれる。しかも笑顔で。さすが大尉だとヤンは満足している。 フレデリカは自席で端末に目を通し「その旨を書式にして提出します。伝令シャトルの準備はできました。」 とヤンにもう一式の書類を差し出した。彼はサインだけをする。 「もっと下心をいえば・・・・・・是非アッテンボローの能力を喧伝してもらいたいな。そのためにお前さんの要求を 私が利用している。今後アッテンボローには彼女が結婚でもして軍を辞めぬ限り私よりえらくなってもらいたいし フィッシャーが退役する時代にはここの艦隊副司令官にはなってもらわないとね。これはここだけの話だよ。」 ヤンは小声でポプランにだけ言った。 「閣下はえらくアッテンボロー提督を買ってらっしゃるんですね。」 うん。とヤンはいう。 「ま、私の懐刀だね。でも私がいっているだけじゃ、肝心の兵士の信用を得られない。存分にシビアに 彼女の仕事を見てきてごらん。」 ヤンの執務室を出たポプラン少佐は自分の書類とグリーンヒル大尉が用意した書類を持って 分艦隊司令官殿の執務室へ赴いた。 できるだけまじめな面持ちで。 「・・・・・・。司令官閣下のお許しが出たなら仕方ない。シャトルの準備までされちゃ手の内は見せたくないよと いっても無駄だな。了解した。しかし私は貴官らに厚遇はせんぞ。茶を出したり菓子を出す余裕はない。」 ダスティ・アッテンボロー少将はサインをしてその書類を副官に渡した。 「勿論です。邪魔にならないところで拝見させていただきますから。」 ポプラン少佐はまっすぐな姿勢でデスクのアッテンボローにきっぱりといった。 「ま、こういうものはガラス張りであるべきだな。隠すこともないか。せいぜい私の無能振りをみていって おくれ。・・・・・・こういう乏しい人材でやりくりしている我が軍の貧弱さを見せる結果になると思うけどね。 ほかに何かあるかい。少佐。」 美人とうたわれる提督は机の上で指を組んだ。ポプラン少佐を見据えるけれど瞳の色は見事な翡翠色。 「いいえ。ありません。閣下。」 「じゃあ特に打ち合わせがなければ仕事に戻るとしよう。すまないが私はあまり有能でないから演習にむけて 時間がない。」 「了解しました。閣下。」 ポプラン少佐も連日この演習に向けてかなり残業をこなしている女性提督の私生活も心得ているので 邪魔もせずに執務室をあとにした。 「・・・・・・よくまあ、あっさりとお前の悪巧みが通ったな。ワル知恵の巧みなやつだ。ポプラン。」 空戦隊第二飛行隊長のイワン・コーネフ少佐はややあきれた物言いをした。だがヤンが言うことも 理にかなうので、まれに見る「需要と供給の一致」だなと評した。 「でもおれの提督の仕事する姿がみたいだろ。」 「別にみたいと思わないよ。」コーネフはあっさりと否定した。 「なんでだ。あんな美人の指揮なんてなんかわくわくするじゃないか。」 「・・・・・・彼女が有能でも無能でも人事の上で命令がおりれば艦載機を出すのに変わらないんだ。 アッテンボロー提督がどちらのタイプであろうと興味ないけどな。」 「お。うちの提督が無能だというのか。コーネフ。」 「そうじゃなくてさ。有無能にかかわらずおれたちは命令がでたら出撃するんだ。スクランブルがかかれば あほうの命令でも飛ぶ。うちの軍は疲弊しているからな。人材は大いに不足しているだろう。ヤン司令官や アッテンボロー提督が有能でもなかなか厳しい戦いであるのには、変わりない。」 まあなとポプランもいう。 「おれはヤン司令官より彼女に「死んで来い」っていわれたほうがいい。あのひとな・・・・・・。仕事では 悪くない線はいくだろうけど、ときどき頭に血が上るひとだからな。そこはどうなんだっていうのは見たいな。」 「誰でも頭に血は上る。お前なんぞしょっちゅうだろ。」 コーネフは紙コップの珈琲を飲んでいう。 「おれの提督は大体において分別があるように見えるけど、時々すごい無茶をするんだぜ。おれが とめても止まらないようなのをな。まあ彼女の副官に言わせるとおおむね提督は「沈着冷静」でいるという。」 「なら何も問題はないだろ。」 「うん。あとはあれだ。好奇心だな。」 「・・・・・・・その好奇心におれの名前を連ねたな。ポプラン。悪いことをするときは一人でしてくれないか。」 「おれだけの名前だと却下されるかなと思ったんだ。いいじゃん。美人提督のお手並みを拝見しようぜ。」 ポプランはコーネフの肩をパンと叩いた。 これだよ。 数年この男とは一緒にいるがいつになれば縁が切れるのであろうか。浮世の付き合い。 友人を大事にするというのは大いに結構だがこいつの場合には当てはまらないのではないかと コーネフ少佐は珈琲を飲み込んで考えた。 それにしてもな。 「艦隊演習よりおれには大事なものがある。おれが主将を務めるフライング・ボールのチームに 得点能力のある戦力が一つかけるんだよな。」 後日2月1日の午後からイゼルローン要塞駐留艦隊内でフライング・ボール対抗戦が行われる。 「お前はそこそこフライング・ボールのつわものだったはずじゃないか。あんまり薔薇の騎士連隊と ざれるなよ。過ぎればつまらん確執を生むからな。」 コーネフは釘を刺しておいた。もっともかれは出場しない。25歳にもなってフライング・ボールに真剣に なれそうもない淡白な自分を知っていたからだ。 「薔薇の騎士連隊の野朗どもには負けたくないな。まあ。おれが最戦力なのはこの際真実としてもだ。 ポイントゲッターは1人よりふたりだろ。」 ポプランは紙コップをくちにくわえてチームメンバー表を見ている。 「ユリアン・ミンツなんかあんなちびのくせに年間得点王を二年もとってやがるし誘ったけどのってこないんだ。 あいつが言うには自分はヤン・ウェンリーの軍属だから司令部チームから出るのが正当だろうというんだぜ。 パトリチェフのおっさんまで言い張る。だからさ、折衷案を出したんだがな。ユリアン、まじめでな。却下するん だ。小生意気なやつだよ。」 ・・・・・・。 玉遊びに酔狂なことだとコーネフはパトリチェフ准将の人のよい顔を思い浮かべた。 「飛び切り美人な女の子をふたり紹介するから薔薇の騎士連隊の人間をひとり再起不能にして くれよといっても首を縦に振らないんだよな。贅沢な子供だぜ。ユリアンのやつ。」 コーネフは一言言った。 「その美人ふたりはどこでいつ調達したんだ。アッテンボロー提督とお前はまじめな交際をしてるんじゃ なかったっけ。」 ポプランは唇を尖らせていう。 「おれが行く美容室に新しい女の子が二人入った。なかなか綺麗だったからな。声をかけるのは 礼儀だぞ。それくらいはおれの提督だって赦してくれる。おれは提督一途だぞ。あの夜からな。」 「・・・・・・ま、問題はそういう卑劣な勧誘をユリアン君にしていることを女性提督が知ると・・・・・・ 今度お話をしておこう。」 待てとポプランはあせった。 「ともかくユリアンがのってこなかったんだし、勧誘も買収も成立してないぜ。」 「いや。買収はともかく「不当勧誘」は成立している。アッテンボロー提督はそういうことがお好きじゃない よな。確か。」 激しく待て。とポプラン。 勘弁してくれよとあっけなく白旗を揚げた。 コーネフは内心で、この男も女性提督のことになると全く弱くなるなと笑う。 それもいいかと珈琲を飲み干して「おい。シュミレーションで対戦しないか。ポプランさん。」 と声をかけた。 「お。いいですねえ。コーネフさん。このドM。」 「だれがマゾなんだよ。」 「おれに叩きのめされたいんだろ。うひひ。」 そんなポプランをみて。 「言っとくけど現在最多撃墜王は俺なんだぜ。あんまり言うと自慢になるから言わないけれど。」 とコーネフはおだやかに笑った。 「くそ。一機に後々までたたられる。よっしゃ。勝負だ。コーネフ。」 人生の快楽のさなかにいる、ハートの撃墜王殿である。 by りょう |