LABYRINTH・2
オリビエ・ポプラン少佐を探検隊隊長として、イワン・コーネフ少佐、ユリアン・ミンツ少年らが 1100時にイゼルローン要塞マイナス0141レベルへおりた。 女性提督は、士官食堂で一緒に食事をする美しき大尉殿にその話を聞いた。 彼女はブロッコリーとパスタのキッシュを口にしていう。 「うらやましいな。私も行きたかった。勿論うちの司令官閣下はお赦しにならないだろけれど、 幽霊退治なんてわくわくするよ。少将なんかじゃなければ行くけどな。」 とフレデリカが目を瞠るようなことを、美しい表情を崩さぬまま言ってのけた。 アッテンボロー提督とポプラン少佐は大きく違うのだけれど、どこか似てらっしゃるわ。 23歳の若き副官殿は考えた。 ところで。 「ユリアンから聞きましたよ。提督。とうとうポプラン少佐とお食事に行ったそうですね。」 ローストラムを切り分けながらアッテンボローはうんと言う。「中華料理を食べた。」 提督はチャイナフーズがお好きだから。フレデリカはシーザーサラダを口に運ぶ。 「「徳貴楼」という店でね。民間区に新しくできたんだ。 油淋鶏(ユーリンチー)とか ワンタン、ヌードルも美味しかった。なまこ料理とか麻婆豆腐。水餃子。蟹も美味しかったよ。 飲茶だろ。坦坦麺、栗入り中華おこわ、焼き豚、魚の酒蒸しとかね。 軟炸肉片(ルアンツァーロウピエン)、青椒牛肉絲(チンジャオニウロースー)、 干貝蘿蔔丁(カンペイルッポテイン)・・・・・・月餅や杏仁豆腐・・・・・・。おいしかったな。」 ・・・・・・どれだけ召しあがるのですかとフレデリカは思う。 「酒もおいしかったよ。紹興酒はちょっとくせはあるけど甘くして飲むから美味しいよ。・・・・・・そうだ 今度食べに行こうよ。グリーンヒル大尉。」 フレデリカは喜んでぜひ行きたいですわという。 「中華ってさ。人数が多いほうが美味しいんだよな。ユリアンも誘おう。あの子は食べ盛りだし。」 アッテンボローは気持ちのよい食べっぷりを披露しながら言った。 「ついでに先輩も誘って4人でチャイナと行こう。先輩も好きな料理だし。」 フレデリカはどきりとした。「閣下も、ですか。」 うんと女性提督はこの当時めったに見せぬ笑顔を見せた。 「老酒があるといえば来るよ。無類の酒好きなんだし。帰りは私はユリアンに送ってもらうから 大尉は先輩に送ってもらうことにしよう。夜道は物騒だからね。」 ・・・・・・。 「私は一人でも大丈夫です。アッテンボロー提督。」 「いや。あなたは特別かわいい人だからだめ。ヤン・ウェンリーにはちゃんと言っておくから。」 皿の料理をフォークでつつきつつ。大尉は考えていった。 「・・・・・・なら私、ユリアンに送ってもらいます。閣下に送っていただくなんて申し訳なくて できません・・・・・・。」 いいかい。フレデリカ。とアッテンボローは言う。 「簡単な論理だよ。あなたと私。実際酔漢に囲まれて強いのはどちらだろう。」 フレデリカはアッテンボローが実は士官候補生時代それほど、彼女の上官と変わらないレベルの 戦闘能力しかないことを知った。 「言いにくいですが、多分私でしょうか・・・・・・。」うんうんと女性提督は頷いた。 「では酔漢に囲まれたとき、頼りになるのはヤン・ウェンリーとユリアン・ミンツどちらかな。」 女性提督はほとんど料理を食べつくしてフレデリカを見つめて言う。 「・・・・・・まことに申し上げにくいのですが・・・・・・。」 結論。 「強いほうを私の護衛につけて欲しいな。私と先輩じゃ夜道、心もとないよ。」 むちゃくちゃな論法だが事実でもあるのでフレデリカは答えに窮した。 決定だな。 「私があの二人を誘うから。美味しいよ。チャイナ。」アッテンボローはもうすでに行く日を 考えている。 外見は冷たい印象をお持ちだけれど本当は心にあたたかいものを持ってる方だわと 大尉殿は考えていた。 「提督、先日少佐はちゃんと送ってくださったんですの。」とにこやかに大尉は聞いた。 彼女には悪意などないし、からかっているのでもない。 「・・・・・・それがね。送ってもらう筈じゃなかったんだけれど・・・・・・・。」女性提督はとたんに 言葉が詰まる。 過日2人で中華料理を食べ2100時には店を出て別れた。ポプランはその夜の「恋人」を 見つけると言い出して消えた。女性提督はちょっと酔っていたから酔い覚ましの散歩をした。 星の見える展望台で戦艦を見ていたら男がひょいと現れ「いい女がいませんでした。」という。 そのまま少し話して2200時に帰ることになった。読みかけの小説の話に花が咲いて気がつけば アッテンボローの部屋の前で。「じゃあ。提督。おやすなさい。」と男は帰った・・・・・・。 という話をフレデリカにした。 明敏なる副官殿はポプラン少佐のさりげない思いやりを感じた。 面と向かって送るといえばアッテンボローは拒否する。だからあえて一度離れて、 あとをそれとなく気を使って彼女に危険が及ばぬように尾行したのであろう。 まだ帰らないでうろうろしているアッテンボローを見かねて声をかけ部屋まで送った。 フレデリカはすぐにそう察知した。 あの少佐は本当にアッテンボロー提督がお好きなんだわ。 とうのアッテンボローはどこまで気がついているのかわからないけれどと思った。 「それにしても、探検隊はちゃんと持っていったのかな。」 女性提督は食後の珈琲を飲みながら呟いた。 「懐中電灯とお弁当を持っていったと思いますわ。」フレデリカは答えた。 「うん。それも大事だけど、三時のおやつ。持って行ったのかな。」 ・・・・・・。フレデリカは絶句する。 「子供のころ遠足の前の日におやつを買いに行くのが楽しみで。10ディナールで 何を買うか選ぶのがおもしろかったな。ピクニックにはおやつが必要だろ。大尉。」 フレデリカ・グリーンヒルはにっこりと優しく美しい笑みを浮かべ。 「ええ。勿論ですわ。」と同意した。 ・・・・・・アッテンボローはいつまでも学生気分が抜けない。もう将官なんだから、少しは大人になって 欲しいな・・・・・・と過日自分の上官が漏らしていたことを思い出すフレデリカであるが、こういう 無邪気さがまた女性提督のひとつの「魅力」だと確認した。 女性提督と撃墜王殿は実はかくも見事なシンクロを見せていたのである。 誰も知らないことではあるが。 「三時のおやつ。」 ふたりにとっては大きな問題だったのである。 1430時。マイナス0141レベル。
「ポプラン少佐。質問してよいでしょうか。」 「なんだ。ユリアン・ミンツ軍属。何でも聞いていいぞ。」 「ここはどこでしょうか。」 0141レベルは、要塞攻略以前に可燃物倉庫であり、火災を出した。以後使われない空間と 化していた。灯りなどもない。要塞が同盟のものになったあとも特に入用なブロックでもないから まさに無人。重い二重のドアを開けてみると、10年間の怨念なのか黴と埃のにおい。怨念より 放置のにおいが三人をつつんだ。ほぼ5キロ四方のスペースが闇の空間となり眼前に広がっている。 彗星のように正確な方向感覚を誇るポプラン探検隊隊長に、コーネフもユリアンもついていったので あるが。30分闇の中を崩れた建材やあらゆる材質の成れの果てを踏みしめて歩いた結果。 三人の現在位置がまったくわからなくなった。 少年はそれでもふたりの撃墜王殿を信じていたので、道に迷ってもなんとかはなるであろうとは 思っている。 けれど・・・・・・。 「彗星のように正確な方向感覚ね。彗星って出現するのは数十年単位だから今頃ポプランの 方向感覚は遥か彼方で飛んでいるだろうな。ユリアン君、そこに瓦礫があるからね。」 コーネフはユリアン少年の足元にライトを当て危なくないよう誘導している。 「これだから地面だの床に足をつけているのは嫌いなんだ。」 やはり赤外線可動モニターくらいは持って来るべきだったなとコーネフが言う。 「三時のおやつより遥かに大事なものをポプラン少佐はお忘れだ。」 「うるさいな。コーネフ。いまさら慣性航法システムがいるとか、低周波発生器がいるとかそれらしい 説教をするな。」ポプランは懐中電灯でいろいろな方向を照らしながら全く足元など気にせず 躓きもせず、歩く。そこは確かにすごいと少年は思う。 「いや。もっと根本的なものだ。計画とか思慮とか、用意とかその類を忘れている。いや、すまない 元から持ち合わせていないものを求めるのは酷だよな。ポプラン隊長。」 「いちいちお前の言うことはかわいくない。」 「図星だろう。・・・・・・それにしてもこれじゃ遭難の危険もあるな。ポプランの冗談もここまでにして。 1430時か。隊長、食事にしよう。」 「のんきな男だな。コーネフ。ま、異存はない。ユリアン。弁当あるか。」 「勿論です。今敷布を敷きますからその上で食べましょう。」少年はばさばさと防水加工された 敷布を取り出して埃が静まるとその上にサンドイッチと珈琲を並べた。 「さすがユリアンはおれが補給係に任命しただけのことはある。ところでおやつは持ってきたか。」 ポプランはどかっと敷布の上に座り込み手も拭かずに、早速サンドイッチを口に入れた。 「三時のおやつはありません。隊長。」 少年は熱い珈琲をついでコーネフとポプランに渡しながら言う。 「今後の課題だな。ユリアン。三時のおやつは、幸運の要因のひとつだ。以後気をつけろよ。」 アイアイサーと少年は適当に返答した。 「ユリアン君は美味しい珈琲を入れるね。紅茶を入れる達人だとヤン提督は自慢されていたけれど 何でもできるんだな。」コーネフはきちんと手を拭いてサンドイッチを口にした。 「豆からひいたものではないんです。我が家は珈琲ご法度ですから。ひいたものに湯を落とした だけです。」少年も手を拭き自分が作ったサンドイッチを食べている。 「ユリアンをみているとおれの少年時代を思い出す。だからかわいいんだ。才能溢れる点といい 顔のつくりの愛らしさといい、よく気がつくところといい。そっくりだ。」 隊長が次々とサンドイッチを口にする。 「それはとてもうれしいです。隊長。サンドイッチのお味はいかがですか。」 少年は5人前用意してきたことは正解だったなと思った。 「女が作るものには及ばないが、かなりうまいな。」 「それは何よりです。」少年はにっこり微笑んだ。 「ポプランは女性が作ったものなら毒でも食う男だからね。・・・・・・アッテンボロー提督はいつも 士官食堂でヤン司令官の副官殿と食事しているけれど、あのひとは自炊はなさらないのかな。」 コーネフは言った。 「いいえ。とっても料理がお上手ですよ。よく我が家でも作ってくれるんですが、アッテンボロー提督は グリーンヒル大尉がだいすきなんです。だから昼食は大尉と召し上がるんです。普段は自炊ですよ。」 いいなあ。子供ってだけでユリアンはあの美人提督の作る食事を食べることができるのかと思いつつ ポプラン少佐は珈琲を飲む。 「・・・・・・アッテンボロー提督はなぜグリーンヒル大尉がだいすきなんだろう。女性同士、話が合う のかな。女性士官は少ないからな。」コーネフが少年に聞く。 「アッテンボロー提督はご自分が美人だってことをお認めならない方なんです。」 はあ?とふたりの撃墜王殿は頓狂な声をあげた。 「周りからすればおかしいんですが、アッテンボロー提督の頭の中の美人というのは、グリーンヒル 大尉のような方なんだそうですよ。綺麗でうらやましいとおっしゃるんです。もちろん大尉もお綺麗です。 でもアッテンボロー提督もかなりの美人ですよね。僕には比べる意味がわからないんです。」 少年はあどけなくポプランとコーネフに同意を求めた。 「かなりお美しいひとだと思うけれど。なあ。ポプラン。」 「ブロンドの大尉にあこがれる気持ちはわからんでもないがな。男は赤毛と黒髪とブロンドと、 ブルネットに弱い。」 ポプランはふたり分のサンドイッチをつまんで言う。 「・・・・・・ほとんどの女性がその中におさまるぞ。ポプランさん。」 「アッテンボロー提督の美しさは罪の分野にいたるな。犯罪的な美しさだ。男の人生を狂わせるぞ。」 「そうか。じゃあお前は特に気をつけないとな。ただでさえ人生が狂っているんだから。」 少年は笑った。 「ユリアン。お前も女に惚れればわかるときが来る。狂わされてもかまわないような女ってのは、 実は世の中にはいるんだ。ごくまれだけれどな。」 ポプランは小指を一本立てていった。 それにしても。 「これじゃピクニックのほうがましだよな。こんな陰気くさいかび臭い真っ暗闇。」 ポプランはいささか不機嫌になってきた。 おれたちはどこにいるんだろうなとコーネフはサンドイッチを食べながら呟く。 幽霊でも出てくればいいのになーと探検隊隊長が言うので、補給係の少年は退治なさるんですね と羨望の眼で隊長を見た。 「道案内させるんだ。」 女の幽霊ならキスして男の幽霊ならスパンクしてやると隊長殿は言う。 少年のあこがれはこうしていつも崩れ去る。 こんなときに本当にうめき声でもすれば雰囲気も出るんだろうなと少年が思っているとき。 背後から事実、うめき声が聞こえてきた。 by りょう |