LABYRINTH・1
寧日、安寧のイゼルローン要塞。 士官食堂で仲良く食事をしているヤン艦隊の華と呼ばれる女性二人。 一人はヤン・ウェンリー大将閣下の副官・フレデリカ・グリーンヒル大尉。 彼女は御年23歳。金褐色の髪と、ヘイゼルの大きな美しい眸を持つ若い美人士官である。 統合作戦本部にいるドワイト・グリーンヒル大将の令嬢であるが、士官学校を次席で卒業した 若手の才媛で、実務レベルで均衡の取れた優秀な副官を務めている。 もう一人は、分艦隊司令官閣下といういかめしい地位を持つダスティ・アッテンボロー少将。 こちらは27歳の女性。司令官のヤンとは2歳年少で士官学校時代を送り軍人となり艦長、参謀 を務め上げ、現在「同盟軍史上初の女性提督」である。翡翠の石に、銀をコーティングしたような 長いまっすぐな髪を持ち、同じ色の眸を持つやや、怜悧な面立ちの女性である。白皙の肌に そばかすがわずかにあり、それが親しみを感じさせる。だが、おおむね無表情でいることが この当時は多かった。 そんな2人が一緒に食事をするようになったのは、女性提督から副官殿を誘ったのが始まり。 女性士官同士とても話が合い私生活でも、自宅を行き来する仲になっている。副官殿が相手だと 女性提督も笑みをこぼし、その笑顔に魅せられる男は実は多い。 その最たる男が、ワルター・フォン・シェーンコップ准将。要塞防御指揮官。もとは薔薇の騎士連隊 連隊長13代目。帝国からの亡命者の子弟である彼はまず申し分なく、美男子である。そして陸戦の 勇士でもある。美しい容貌には不敵さがにじみ優男ではない。当然彼は恋のうわさが絶えぬ男性で 常に隣に美女がいる。けれども彼は「女性提督」も狙っている。32歳の男盛りの美丈夫。彼は情事の 達人であったので、別れた女性から恨まれたことはない・・・・・・らしい。 もう一人、女性提督に惹きつけられた男がいる。 オリビエ・ポプラン少佐。淡い金褐色のやや赤い髪を持ち、煌めく孔雀石のような双眸を持つ。 陽気と洒脱の成分を大いに含んだ魅力的な青年である。容貌は美男子ではないが、女性の心理に 長けた御仁。彼も通常は夜をひとりで過ごさない、華麗なる独身貴族。26歳の彼は少年の甘さと 大人の魅力の華ねそろえていた。追記をすれば彼はヤン艦隊きっての艦載機スパルタニアンのりで 称号は「ハートの撃墜王」である。同盟のトップガンとして期待されている・・・・・・であろう 人物。 両名ともに同盟軍の恋の双璧とうたわれていた。 「私が不機嫌になる理由が准将ともあろう人がわからぬとは。貴官は軍専科学校を7位の成績で 卒業した文武両道の軍人だろう。むしろ頭脳の明晰さを私は評価していたのだが。グリーンヒル大尉と 歓談しているときは特に、口説くなと申し渡しているだろうが。邪魔せんでくれ。」 また始まったわと、フレデリカは思った。 「あなたも存外固い頭をしている。小官はあなたを見れば声が聞きたい。たとえ罵詈雑言でも 女性提督の氷のような美しき無表情が、怒りで崩れるさまが愉快なんです。眉根にしわがよって 切れ長の眸が鋭くなるのも、またこの上なく美しいですな。少将。」 彼は不遜な表情を崩さないで賛辞を贈る。 「貴官はいやらしい。仕事振りでは高く評価しているし、何も含むところはないけれどなんというか 私はあんまり好きじゃない。包み隠さないで言えば男として嫌いだ。」 「小官はそんなあなたも、美しいと見とれますな。」 グリーンヒル大尉は心で思う。アッテンボロー提督という人はこういう「逃げ場のない」口説かれ方は 苦手でいらっしゃるんだわと。 その点では過日、あっさり女性提督と食事に行ったとユリアン少年から聞いたポプラン少佐のほうが アッテンボローの気を引くのがうまいと思った。 少佐はいつでも出会えばアッテンボローを誘うけれど彼女がすげなくすれば、すぐ引っ込む。 実は彼女は逃げられると興味がでるという女性らしく、そこをポプランは押さえていた。 シェーンコップの誘いはやや強引でもう少し逃げ場があれば・・・・・・。 また違う物語もできたであろう。 シェーンコップの誘い方はやや獲物を追いつめるハンターのそれであり、恋慕というより求めているものが 情事そのものであると、女性提督は肌で感じる。ゆえに苦手に思う。 ポプランの場合は、目的は情事も含んでいるのであるが、一番は「同盟史上初の女性提督」という 肩書きに関心をいだいていることが彼女としては面白い。ダスティ・アッテンボローという人間は はてそれほどの器がある人物なのかが、ポプランの興味を引き起こしている様子であまり男女の 仲でもなく人物観察をお互い愉しんでいたという状態だった。 「シェーンコップは正々堂々と口説いているが時と場合も考慮して欲しいし、やや苦手だ。 まだあの坊やは口説くときはそれなりの準備をするからというところが、まあかわいいかなと。 下心を隠しているのは見え見えなんだがな。」 そんなことを親友のグリーンヒル大尉に女性提督は漏らしている。 そのころ。イゼルローン要塞ではひとつの噂が流れていた。 要塞内に幽霊が出るという・・・・・・。 「噂というものはうまく使えば利用価値はあるけれど、この要塞はもとは帝国から我々が横取りした ものだし、幽霊はともかくも帝国軍の残党が残っているという話はいささかまことしやかに聞こえるね。 ただ何か画策するのであれば、アムリッツァ会戦時にできただろう。だから帝国軍人が裏で陰謀めいた ことをしているとは、私には思えない。」 ヤン・ウェンリーは机に足を投げ出して執務室で要塞防御指揮官と話をしていた。側で副官殿は 端末に向かって正確かつ緻密、迅速に仕事をこなしている。随分美しい副官がいてよいことだなと シェーンコップは思う。 「あまり恐怖心理がつのれば集団パニックにもなるだろうから、それは困る。その幽霊退治は 言いだしっぺの准将、してくれるんだろうね。」 そんな馬鹿らしい真似を小官はしませんとワルター・フォン・シェーンコップ准将はにべもなく答える。 物好きな男がこの艦隊にいますから、そのお調子者の坊やにさせるのがよいでしょうと 言う。ヤンはさてと考え。どうもシェーンコップも誰が適任者か考えてることは同じらしい。 「一応立候補者を募るけれど、ポプラン少佐は名乗り出るだろう。彼の危機回避能力は どの程度なんだい。准将。できれば幽霊騒ぎのような馬鹿らしいことは冗談で済ませたい。」 「閣下たちは空戦部隊の戦闘能力をあまり評価なさっておいでじゃないですが、同盟軍のなみの 陸戦部隊以上の技量と能力を持っています。あの坊やはその上、運とこしゃくな頭脳に恵まれてます からな。まず危険はありますまい。そしてあの坊やは冗談に満ち溢れています。適任でしょうな。」 シェーンコップはごく素直に評価して、ひとこと付け加えた。 「冗談で薔薇の騎士連隊を出すほど私は調子ものではないですよ。」と。ヤンはそうだねと頷いた。 こうして「幽霊退治」の実行者を募れば、一番乗りだったのが件(くだん)のポプラン少佐。 執務室にいさんで立候補してきた。ヤンは予想通りの人事だから「少佐に任せるよ。」といって 他の仕事に取り掛かるつもりでいた。だが相棒のコーネフ少佐はともかく、ユリアンまで探検隊に 引っ張り込んだことは予想外であった。しかし空戦部隊が優秀ならば、ユリアンの身の上に危ない ことは起こるまいと釘だけ刺した。 「私は自分の養子をとてもかわいがっている。軍人にしたくないほど才能豊かな子だから、 怪我などさせないでくれよ。」といった。少年には、 「おなかがすくとなんでも失敗する。アムリッツァを思い出しなさい。ユリアン。補給は重要だぞ。」 と弁当を持って行けといった。さすがにその一言でグリーンヒル大尉もくすりと笑みをこぼした。 「すみません。閣下の言うとおりです。補給は重要です。」 そういう彼女にヤンはうんと満足げに頷いた。 少年は聡明な子であったので、ポプラン少佐の「無邪気な無謀さ」を幾度も垣間見て知っている。 コーネフ少佐も浮世の付き合いでいくと聞き、やっと同意した。 少年の回答にポプランはなんとなくひがみっぽくなりたい気持ちであった。 ユリアン少年をかわいがっているのは自分なのに、コーネフのあほうを信頼している・・・・・・。 「おれがユリアン君でも同じ判断をするよ。オリビエ・ポプランともう一人いれば、もう一人の意見を 重く受け取る。そのほうが賢明だ。」 イワン・コーネフ少佐は、それほど派手な顔立ちではないが淡い金髪の美男子だと周りは 評価している。目立ちはしないけれど、よほどポプラン少佐より整った容貌の持ち主であると。 けれど彼は女性関係がわずらわしいのか、決まった恋人もつくらなければ、不特定多数の 恋人を抱えることもない。口数も少ないし一人で読書やクロスワードパズルをするほうが性に あっているという、ポプランとは全く違う「クラブの撃墜王」であった。 「結局お前が隊長だと知れると、誰も探検隊に加わらないね。」 たまに口を開くと、コーネフはひどいことを平気に言ってのける。 「みんな退屈じゃないんだな。イイコトしてるんじゃないか。くそ。」 「それはお前さんの妄想に過ぎないよ。ポプランさん。」 「やかましい。いちいち分別くさいことを言いやがるな。とにかく作戦を考える。探検隊隊長はおれ。 副隊長はコーネフで、ユリアンは当然補給係だ。ほれみろ人事令を出したぞ。」 少年はいったん自宅に帰ることが赦され、三人分の食料を用意した。正確には五人分のサンドイッチを 準備した。2大撃墜王殿は彼の被保護者以上に食糧が必要だと判断したのだ。 それと熱い珈琲を大き目のポットに詰め込んだ。 そもそも、ヤン家には「珈琲」というしろものはないので豆をひいたものを買ってきて湯を落とした。 本格派のものではないけれどインスタントよりはできも悪くなかった。当然おかわりの用意もした。 補給が失敗すればキャゼルヌ少将のような仕事ができる人でも責任を取らされる。 はやくキャゼルヌ一家が来ないかなとユリアンは思っていた。 少年は「補給物資」を十分用意して探検隊長のもとに戻ってきた。 「補給は万全だ。だがあとはどういう作戦を考えてるんだ。ポプラン。低周波発生器や、 赤外線モニターでも用意するのか。」 「用意するのは懐中電灯くらいでよかろう。あとは三時のおやつだな。」 コーネフは少年にいった。 「作戦名は「いきあたりばったり」だって。」 1100時に三人の探検隊がマイナス0141ブロックへ出征した。 1215時。 ダスティ・アッテンボロー女史の執務室。 年が明ければ艦隊演習をするので彼女は演習予定表や編成表を作るのに、思案をめぐらし 精励していた。 「閣下、少しは休憩されてもよいのではありませんか。昼食時ですよ。」 ラオ中佐は自分の上官をほぼ完璧な上司だと思っている。若いが部下への配慮があるし、 女性であるのに感情的にならない。無表情に淡々と仕事をこなす。事務の処理にしてもこちらが 煩わされることがまずない。実際の指揮官としても能力はまだ推し量るしかないが、多分期待を 裏切らないであろうと思われる。 ただ、仕事に夢中になると自分で休憩時間を忘れるから、ときどきそこに留意する必要がある。 そんなわずかな点を除けばまさに優れた上官であった。 「いかんな。他のものも休憩しろよ。食わないで仕事はできない。グリーンヒル大尉を待たせては 悪いな。」 女性提督は部下たちに声をかけて自分も席を立った。 それはそうと。 「とうとう幽霊に探検隊をヤン司令官が出したと、先ほどグリーンヒル大尉が言ってましたよ。」 さっき廊下でであったヤン司令官閣下の才媛の副官と会話したことをラオは思い出した。 「ほう。噂では首なし美女の幽霊と聞くが。あのパイロットの坊やが吹聴しているらしいな。 探検隊とはオーバーな話だ。」 「そのポプラン少佐が探検隊の隊長だそうです。」 ・・・・・・。 つい先日うっかり自宅まで送り届けられてしまったことを思い出す。 シェーンコップにしろポプランにしろ、答えは「情事」でありそれも「永続的ではない情事」目当てなのは 実はちゃんと彼女はわかっている。けれど幾分パイロットの坊やに軍配が上がるのは、幽霊探検隊とかいう 馬鹿なことを、喜んでする酔狂さが自分と似ているからだ、と彼女は思っている。 もう閣下と呼ばれる身になれば、幽霊とやらの退治を彼女だってしたいけれど、ヤンが赦すはずがない。 過去、彼女が自由でいた時代に赦されたことをできる青年パイロットのことを、やや思う 女性提督である。 「詳しい話をあの、美しい副官殿から聞いてみるとするか。」 彼女は執務室を出て、士官食堂に足を向けた。 by りょう |