希望の轍・2
「訓練中止。第二臨戦態勢に入れ。50分後敵と接触する。」 1月22日のこと。 イゼルローン回廊の宙域帝国側ポイントでダスティ・アッテンボロー提督率いる分艦隊は、 帝国軍哨戒艦隊と「偶発的」に接触した。 帝国軍艦隊数およそ1000隻。 両艦隊とも敵がそれほど前進していると考えていなかったのである。 戦略的には意味のない戦いであったが、戦端は開かれた。 女性提督は全艦隊に指示を出し参謀のラオ中佐が新兵も会戦に参加させるのかと、 上官に問えば普段は年長の分艦隊主任参謀長に甘えている部分の多い彼女が本分にかえった。 その美しき翡翠の目を宇宙に向け硬質の唇をわずかに開いて厳しい口調で言った。 「当然だ。誰もが最初の戦いを経験せねばなるまい。・・・・・・もっとも、もう少し訓練をしてから 初陣を迎えさせたかったがやむをえまい。特等席で見物させるだけのゆとりがないよ。」 ふがいないことだと彼女は思う。そして次にはオペレーターが読み上げる敵艦隊の規模や 情報に耳を傾け、 「イゼルローンに来援を請う。司令部に伝えろ。」 そう隣の副官に告げた。すぐ彼は行動を起こした。 この女性提督は自分を評価していないがラオ中佐は思う。彼女の指揮系統は的確で、 情報収集にも不備がない。そしてこの度胸。20代で閣下と呼ぶにふさわしく現在でも動じている 様子はない。 その不動の姿は、兵士に安堵感を与える。 彼女の「勇気」は大きく評価されるべきだと考えた。 「むこうは1000隻以上。負けない戦いをするしかないな。こっちは数はそこそこだが 新兵の集まりだ。それを悟られぬようにできぬかな。」 女性提督は副官に呟く。やれやれ。 今回の彼女の艦隊はボーイスカウトの集まりで、彼女が防御に回るのも自然なことであった。 「妨害電波、出ます。」 その声を耳にして彼女は間違いなく敵に遭遇した事実に直面する。 普段ならばそう驚きもしないことであるが今回は彼女にしても、その上官でさえも 想定外の「接触」であった。 「連絡艇を出せ。妨害電波が出るのは当たり前だ。敵の正確な数が知りたい。」 アッテンボローは次々指示を出す。 「まだ正確な数は出ないのか。」 ラオはオペレーターに怒鳴った。 「敵は戦艦200ないし250隻、巡航艦400ないし500隻、駆逐艦およそ1000隻、宇宙母艦 30ないし40隻と推察されます。」 「数は互角か。十分気をつけて選んだポイントなんだが敵さんえらく出張ったきてたんだな。」 彼女は長い前髪を指でかきあげてスクリーンを見る。 安全だと思ったんだが。なんてこった。どれだけの新兵を生かして帰せるかな。 「敵艦載機、でます!」 ワルキューレの群れがまるで昆虫のように敵艦から出撃してきた。 「こちらもスパルタニアンを出せ。」 彼女の声が響く。だがその声は力強いが静かだ。 アッテンボローは思う。 パイロット一人を育てるのにおよそ300万ディナールかかると恋人から聞いていた。 その金額だけでなく、パイロットの訓練に要する時間も膨大なものである。 だが、今回はその時間すらなかった。 「全艦、突出するな。私の船より前に出なくていい。」 勝つ戦でなく、できるだけ味方を殺さぬには時間をかけること。 時間を設けられればヤン艦隊の増援が来る。 それがこの戦いの彼女の基本方針だった。 制空権をこちらが取れるだろうか。 戦艦アムルタート・・・・・・。ユリアン・ミンツ軍曹が今回初陣で出ることになった。 彼女が一時的でもユリアン少年を預かったのはひとえにヤン・ウェンリーが彼女を 信頼しているからであった。 ユリアンが落とされるくらいなら新兵は全員やられるな。 彼女は敵艦からの白い直線のビームの束を見つめながら思う。 「敵が深くは攻めてこないですね。粘りもない。なにか思うところがあるのでしょうか。」 ラオがレーダーを読みながら女性提督に言った。 「こっちとしては助かる。おそらくはヤン艦隊の名前に警戒しているんだ。ここにヤン・ウェンリーが いるとでも思っているのだろう。思わせておけ。こちらは時間があれば有利だ。」 はったりか。 私にはその程度しか力量はないな。 ベレーをかぶりなおして敵の陣形を読む。 「敵さんはだれかれヤン・ウェンリーと戦いたいようだが、うちの司令官にも都合がある。 陣形を立て直しつつこちらからアクションは起こすな。敵をその気にさせるような誘惑はするなよ。」 こういう物言いを兵士たちは喜ぶ。 彼女もヤンと同様、自分が指揮する以上先頭に立つのは当然で退却に当たれば しんがりを努めるのが司令官の最低限の仕事だと認識している。 それにしても敵にこちらが「新兵だらけの集団」であるといつばれるか。 ばれたらおしまいだな。 彼女は緊張状態にあった。けれどそんな様子は微塵も外面には出ない。 いつもならば彼女が指揮をすればそのとおりに兵士は動く。 けれど今回は「ボーイスカウト」然の新兵を率いている。 陣形を維持するにしても熟練兵のようにはいかない。 指示を出してもそのとおりに動けないのだ。 艦隊運動すらぎこちなくままならない。今までの戦闘とはわけが違いすぎている。 よくまあ平然とした顔を保っていられるなと自分でも不思議なのであるが 普段どおり情報を集め分析しては退く機会をうかがっている。 素人集団と知れたら一気にやられるなと思う。 「こちらの艦載機の状況は?」 「我がほう、被害大です。」 聞くんじゃなかったなと彼女は思うが表情に出さない。 戦端が開かれて4時間経過。 敵はまだこちらに奇策があると思って徹底的に攻めてこない。 だがこれが奇策でなく、ただ単に「軍隊として機能していない状態」であるとしれれば 容赦なく襲ってくる。 たまらん重圧だ。 かわってくれる人間がいればかわってほしいよな。 彼女の怜悧な表情からは全く読み取れないプレッシャーを彼女は感じている。 「閣下。食事を召し上がってください。」 ラオがトレイを運んできた。固形栄養物とプロテイン飲料を戦場では彼女は取る。 食べたいわけではないが司令官が何も食べないでいるのは、あまり見た目いいものではない。 ふてぶてしいほどの鷹揚さがこの際、彼女にはマスクとして必要だった。 「全員交代をしながら食事を取るように指示を出してくれ。まだまだ引っ張りたい。 こっちは粘りしかないからね。それにしても増援はまだか。」 美人提督は飲み物を口にした。 味なんかするわけない。 でもここは糞でも度胸をひりだすしかない女性提督の実像であった。 「妨害電波です。連絡艇は出しているんですが。」 「ふん。しかたがないな。これが地上なら軍用犬か伝書鳩を飛ばすところだ。 ともかくみなにも交代で食事をさせよう。」 了解しましたとラオは言う。 「それとラオ。」 彼女は指図を終えた副官に小さな声で言った。 「戦艦アムルタートは健在か。状況を教えておくれ。司令官閣下の秘蔵っ子の母艦だ。 内密でな。」 そちらも了解しましたと彼は言った。こんなことは私情を挟みすぎているとは思うが、ユリアンの 生死は気がかりだ。「アムルタート」とは不死を意味する。そうあってほしいのだが。 彼女の恋人は絶対に死なない。 あれは宇宙の女神に愛された男だ。あいつが死ぬようなことがあれば「トリグラフ」も落ちる。 「敵陣は包囲網を作っているが攻めてこない。今のうち損傷した船は相手に気づかれないように 後退。我が艦隊もイゼルローン要塞側に、逃げろ。ただしむこうに悟られぬなよ。」 うまく退がれるかな。 ストローを思わず噛みながら光の矢の行きかう様、そして一瞬にして撃沈されゆく味方の船を 見る。まともに指揮が取れる船はないのか。大きな爆発を冷たい翡翠の瞳は見ていた。 彼女の視界に悠然と戦艦「ユリシーズ」が入った。 「ユリシーズだな。」 惨敗を喫したアムリッツァ会戦の折に生き残った戦艦である。武勲と先頭の数がほぼ一致する 歴戦の「闘志艦(ファイター・ウォーシップ)」である。 しかしながらその船の名前は女性提督の笑みを誘った。 ユリシーズは「トイレを破壊された船」としても名高い。これは実は事実ではないのであるが 格好が悪くてもたくましく生き残っている様を見ると虚構であれ、愉快であった。 「この際ユリシーズの武勲にあやかろう。かっこなんてどうでもいい。無様でも生き残れよ。」 そんな彼女の声がブリッジに響くと「トリグラフ」の空気が明るくなった。 みな、国家の存亡のために戦うわけではない。 死なないために戦っているのだった。 そんな兵士の気持ちを司令官自体が推奨しているので士気が上がる。 それがヤン艦隊の気風であり、アッテンボローもそれを習うことにしている。 いな、習うというよりもやはり彼女とヤンとの精神の傾向性は似ているのだ。 「戦端が開かれて7時間か。あと2時間もたせられれば。」 それでも彼女は以前表情を変えない。そうだ。2時間。増援は確実に来る。 それはおそらく大きな増援であることは理解できる。 ヤン・ウェンリーがでてくるだろう。 そうなればなんとかなるんだがなと彼女は思う。 分艦隊主任参謀長が言う。 「こちらの艦載機の被害が大きく、制空権の維持ができません。」 「了解した。死なない程度に逃げ回らせろ。それほどこちらには弾薬もないし 船もやられているから補給もできんだろう。生き延びさせるためにはなりふりかまわず 逃げることに専念させろ。無理な攻撃はさせるな。」 聞きたくない報告を聞くのも司令官の務めで、彼女は自分の腕時計を見ながら いつもと変わらぬ口調でラオの報告に答えた。どのような報告を聞いても劣勢に尽きるのであるが 彼女は動じていないふりをする。 こちらがひそかに要塞よりに後退していることを見抜かれなければ幸いだな。 だが彼女の思惑通りにはいかなかった。敵は馬鹿ではなかったということである。 こちらの半数以上が素人であると知れたのであろう。 次々と味方の船が破砕され、攻撃の的になっている。 「ばれたな。」 ばれた以上は、開き直る。 「各艦に告げる。損傷のひどい船を内側の陣列に入れて装甲の厚い船は外側に移動。 速やかに時機を見つつ退避する。援軍はあとわずかで来る。あせってことを仕損じるな。 艦隊運動は基本どおりに行えば陣形も整う。中央突破を許して各個撃破は避ける。 繰り返す。あせってことを仕損じるな。」 そう。会戦後9時間が経過した。 援軍は来る。間違いなく近くまで来ている。そのときラオが彼女に耳打ちした。 「戦艦アムルタート撃沈。艦載機はすべて発艦した模様です。」 「そうか。了解した。」 オリビエ、ユリアンを守ってくれよ。 彼女にすればどの兵士の命も大きいものであり、軽んじることはできないがやはりユリアン・ミンツは 特別な少年であるには違いなく、その少年の命をこの宙(そら)で預けられる男は、オリビエ・ポプランを 置いて他にはないのである。 彼女が信頼を置ける男が、彼であった。 また彼女は腕時計を見た。 「そろそろ来るぞ。」 通信士の一人が歓声をあげた。 「援軍です!援軍1万隻きました!援軍が来たぞ!」 この場合は通信士はオーバーに、大声で船に声をとどろかせれば味方の士気を鼓舞する。 これは通信士の義務でもあった。 味方兵士たちの歓声が大きく渦巻き、かぶっていた無数のベレー帽が船の中を飛び交う。 さらに女性提督はよく響く声で自分が指揮するすべての船に援軍が きたことを告げる。 「この通信を敵に傍受されるように伝えよ。増援1万隻来る。援軍は来た。 繰り返す。援軍1万隻到着せり。むこうの尻を引っぱたくぞ。こっちは圧倒的優勢に転じた。」 アッテンボローの声は電波に乗って敵、帝国軍提督に知れ数で圧倒された敵は、戦意を喪失し 退却命令を出した。 もとよりアッテンボローは「敵の尻をひっぱたく」気持ちはないがそういうはったりが現場では 大いに効果を上げる。現に帝国軍はやはり馬鹿ではない。あちらにも増援は来るであろうが こちらの数は圧倒的多数で、戦場ではまず「数」がおおきな勝利の分水嶺になる。 よほどの奇策でもない限りは。 「こちらの損傷状況をすべて掌握せよ。艦載機はすべて収容。」 女性提督は普段どおり落ち着いた口調で指示を出した。 「閣下、持ちこたえましたね。」 ラオだけは、彼女がひどく疲弊していることを知る。 「まったくな。偶然とは言えど同じポイントを哨戒しているとは思わなかったよ。今後は 監視衛星と電波衛星を配置してほしいな。ま、うちの司令官はそういう手を早く打つ人だから 私が苦心することもないな。母艦をなくした味方を収容してくれ。」 アッテンボローの疲れてはいるが穏やかな笑顔を見てラオは返事をする。 「はい。閣下。了解しました。」 とんだピクニックだったと彼女は思うけれどユリアン・ミンツ軍曹の生存と、戦果をきくと 安堵もし、初陣で少年はワルキューレ3機と巡航艦をしとめたと聞くと身震いがした。 ヤン・ウェンリーが聞けば・・・・・・ま、大体何を言うかは判る気がした。 彼女はオリビエ・ポプランの生死は気にかけていない。 彼が生き残るのは、当たり前のことなのである。 by りょう |