希望の轍・1
宇宙暦798年。1月。 女性提督が管轄する大小2200隻の分艦隊はイゼルローン要塞をあとにして、 イゼルローン回廊を銀河帝国よりに突出していた。 最前線の警備と、哨戒。そして新兵の訓練。 さきの救国軍事会議のクーデターで同盟軍は人材を失っている。 本国では内戦後中核部隊が結成されそこに多くの経験のある軍人は 配属されて、自由惑星同盟イゼルローン駐留艦隊、いわばヤンの艦隊には 引き抜かれた軍人の代わりに数を合わせるために新兵が補充された。 各部署の教官たちは、厳しい訓練を怠らなかった。 ヤン艦隊では厳しい規律はなかったが 「軍人が民間人に暴力をふるうこと」「上官が下士官に暴力をふるうこと」は厳格に処罰された。 権力や暴力ではむかえない人間を従わせる人間として卑劣な軍人を一人過去に降格し、本国へ 強制送還している。ほかの艦隊では許されたかもしれないがヤンが司令官となる イゼルローン要塞ではそれは徹底されている。 もちろんアッテンボローもそれに習って今回の新兵訓練でそのような不祥事が起こらぬように 厳しく監視の目を光らせている。 それと数日前上官の司令官と会話したことも思い出していた。 「なるほど。艦載機にはそういう事情もあるね。でもポプラン少佐が言うことが今のところ、精一杯だな。 お前さんの恋人は頭が切れるね。残念だがないものはない・・・・・・。 今度の哨戒と偵察に関してだけれどね。アッテンボロー。新兵の訓練が大きな目標だ。宇宙を知らない 連中が多い。」 黒髪の司令官はいつものように穏やかでないだ海のように静かである。 「イゼルローン回廊を帝国領土よりにでるわけだけれど、まぁあちらと接触しない程度に哨戒と警備に あたっておくれ。・・・・・・自分でも能のないことを言っているけれど。本当なら今頃は敵さんが こっちに手を打つこと自体、なさそうなんだが。」 「今頃はローエングラム公、帝国宰相として足固めの時期だと司令官おっしゃいませんでしたっけ?」 ヤンにもラインハルトが何を最終的に求めているのかわからないが、「宇宙の覇者」には 違いなかろうと思っている。 幼帝をまつりあげているがどう考えてもいずれは彼が銀河帝国の皇帝になるであろう。 今はさしあたり内政の安定をはかっているか。 「私ならそうするけれどね。戦略的に今接触しても無意味だ。 前進しすぎないことだよ。向こうも今接触したところで利点はないと思うよ。」 帝国軍との大きな接触はない。 しかし確実にないとは言い切れない。 「ボーイスカウトをつれてピクニック・・・・・・で終われば幸いですね。」 アッテンボローは上官に言った。 「終わると思うよ。我々は同盟軍でも小者だから。小者を相手にしている間はローエングラム侯には 今現在ないからね。ジークフリード・キルヒアイスがいないんだ。なおさら。」 「美人薄命ですね。」 アッテンボローは敵将であった赤毛の青年を思い出していた。 「馴れ合いを避けるためにあまり話をしなかったのが今になって悔やまれるよ。敵の提督ながら 彼なら・・・・・・。」 彼となら、この戦争も和平を結ぶことができたであろう。 「お前さんも気をつけるんだよ。美人は薄命で、佳人薄命だ。」 ヤンは「仮定」を考えたところでどうにもならないので、その思考をやめた。 彼がなくなった以上、和平交渉はよほどの好材料がないと考えにくい。 「才人多病といいますから、先輩も気をつけてくださいね。」 彼女は微笑んでいった。 「私は才人ではないよ。お前さんの恋人のほうがよほど才覚があるね。少佐までなれば 国の事情も知っていて当然といえば当然なんだろうが。ポプランの言うとおり私ももっと船もほしいし 人もほしいよ。ローエングラム公の諸提督の顔ぶれを見れば一人くらいはほしいな。でも ないものはないんだ。たとえキャゼルヌ少将でも調達できないね。」 司令官殿は座っている椅子の背もたれに体を預け、テーブルに自分の足を上げて座っている。 「メルカッツ提督がいらしたのは幸いでしたね。」 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ提督は、さきの銀河帝国内戦で貴族連合の指揮をとっていたが 副官に進言されてヤン・ウェンリーを頼って亡命してきた。現在イゼルローン要塞司令官顧問である。 「うん。だからというわけではないが、アッテンボロー。私はこれでもお前さんを大いにあてにしている。 帝国軍の双璧を引きずり回すくらいの策士になっておくれ。」 冗談言わないでくださいとアッテンボローは唇を尖らせた。 「私は同盟軍のマスコットですよ。キャンペーンガールとでも言うべきか。司令官に策を練ってもらって 実行をするのがやっとですからね。買いかぶらないでくださいよ。」 ヤンとしては本音を語ったつもりであるが、アッテンボローは自己評価が低い。 「じゃあ、このまま少佐と甘い結婚とでもしゃれ込むのかな。」 「そんな話は出てないですね。私、独身主義ですから。」 たしか一年前の初めての夜にアッテンボローは恋人から「ドクシンシュギノヘンジョウ」をすると いわれた気がするが、実はこの話をするまで忘れていた。 「いずれにしても私はヤン・ウェンリーのシンパでしかないわけです。策士にはおよそ及びません。」 いいかい。アッテンボロー。 「私だって「英雄」の看板を背負ったのは好きで背負ったわけではない。お前の力はこれからも あてにするよ。ポプランとの結婚が決まれば解放するけれど、独身時代は悪いがこの戦争に 付き合ってもらう。・・・・・・本当戦争なんて終わればいいのにな。」 こういうところは正直者だなと女性提督は思うのである。 「大丈夫ですよ。力はないですが先輩一人に押し付けたりしませんから。 せいぜいうまく私を使ってくださいね。」 「他の連中には話せないことだな。軍閥化の始まりだって言われそうだ。」 ヤンは頭をかいた。 「私がヤン・ウェンリーのシンパでなかったのは士官学校であなたと出会う前までですよ。」 やれやれ。 ますます他の人間には聞かせられぬ話だ。 彼女はきれいな敬礼をして司令官の執務室を出た。 そんな上官との会話も数日前。 今、彼女の目の前には星星が輝く宇宙であった。 スパルタニアンの操縦にあたって、DNAや血液型、脳波など細かいデータがIDとして艦載機に 記録されている。パイロットのヘルメットからデータは照合される。その人物とIDが一致しなけば 艦載機に搭乗できない仕組みになっている。 つまり一人に一機のスパルタニアンが決まっている。 「使えそうなひよこは育ったか。ポプランさん。」 訓練終了後、イワン・コーネフ少佐が休憩室でコーヒーを飲んでいる自分の僚友に声をかけた。 「おれの提督にかっこつけていった手前何とかするつもりだがな・・・・・・。」 ポプランは面白くなさそうな顔をしている。 「ま、何とかするしかないわけだがね。そもそもひよこの育成には時間がかかる。 全員がせめてユリアン・ミンツ程度の反射神経を持っていれば楽なんだがな。」 ばかいうなとコーネフは笑った。 「ミンツ軍曹はルーキーだよ。フライングボールの年間得点王で、あの頭脳と性質。 100人に一人、いや500人に一人の素質がある少年だ。そんな少年兵だらけなら 何も俺たちも苦労はしないよ。ばかなことをいまさら言うなよ。」 そうだよなぁ。 各部署で新兵の訓練で教官の怒号が飛んでいる。 この空戦隊ではオリビエ・ポプラン、イワン・コーネフ両少佐が飛行隊長兼教官であるが、 この2人は軍にありがちな「鬼軍曹」ではなかった。 それでも実質訓練ははるかに手厳しく脱落する新兵も続出する。 「そりゃ苛め抜いてひよこが鶏にでもなって卵を産めば、そうするけどな。」 と、ポプラン。 「ようは体で覚えるしかない。それと持続して訓練を続けること。」 と、コーネフ。 ふたりとも性格は違えどなにかと共通点も多い。 訓練兵たちは2人の隊長に憧れ日々のたゆまぬ、そして彼らには高度な訓練に明け暮れるのである。 操縦のシュミレーションと艦載機で訓練も繰り返し行われた。 重力調整室でのブリーフィングは新兵たちに「重力への耐力」と「重力下での頭脳活動」の訓練にもなった。 時折変化が加わる重力の中で飛行プログラムや作戦内容を新兵は「より正確に」反芻し、 発展させねばならない。 気楽な会話すらもこの重力調整室で行われたので、新兵のなかでも脱落するものとわずかにであれ、 力をつけるものとでてきた。 「力のばらつきがでてきたな。」 コーネフは呟く。 「ま、確かにこちらも口調だけがやさしくてやってること自体は意地悪に近いもんな。かわいい女の子なら いたずらする楽しみも増えるんだが。」 「重力調整室での訓練はお前さんが言い出したことだもんな。意地悪だよな。確かに。」 ポプランが言ったことにコーネフは言う。 「一応、休息日も作ってるんだが。なんせ新兵は若いからな。もともと体をつくる土台もないか。 あまり成長していない肉体を鍛えすぎるわけにはいかないし。だが確実にぼんくらな陸戦部隊程度には 育っているんだがな。パイロットとなるとむずかしいなぁ。うーむ。いつのまにおれはこんなに 天才パイロットになったんだろう。どうやったら一流のパイロットになれるかだよな。」 若い訓練兵は15歳のユリアン・ミンツ軍曹くらいの年齢の者もいる。あまりに激しい負荷は急激に 与えられない。 「お前さんはたいした努力もしてなかったよな。そういえば。勤勉家でもなかったし。むしろその日のお相手を 探すのにご執心だった。シェイクリやヒューズと張り合っていた時代もどっちかというとお前さんはいつも 酒をおごらねばならんかったし。大方よほど運がいいんだろう。それがハートの撃墜王の ゆえんじゃないのか。」 コーネフはコーヒーにウィスキーを注いだ。そしてその酒の瓶を僚友に投げた。 ポプランはそれを受け取り、自分のカップに注いだ。 「いやいや。コーネフさん。考えてもみてくれ。天才って罪だな。我ながら、常々思うんだ。 才人多病。おれは若くして病に倒れるかもしれん。」 ハートの撃墜王殿の言葉に言葉を失うクラブの撃墜王殿であった。 「お前さんは長生きするよ。なんか夭逝しそうな人間じゃないもんな。」 コーネフは肩をすくめた。 ところで。 「ちょっとした興味だが、お前さんと女性提督が交際して一年になるがまさか、お前結婚とか 考えているのか?」 「そうなんだよな。一年。おれ、そんなに長く一人の女と付き合ったことがないぜ。でもな。 間にいろいろとあっただろ。あっという間の一年だな。おれは結構本気で交際をしているんだぜ。」 ポプランはテーブルに頬づえをついて言う。 「アッテンボロー提督は独身主義を謳歌されているようだな。あのひとがさて、お前に降嫁するのかね。」 今度はポプランが投げた酒瓶をコーネフがキャッチする。 「そろそろ劇的なプロポーズを考えよう。うきうきするな。」 「本当に結婚する気だったのか?お前。」 「なんだよ。おかしいか。」 ポプランは唇を尖らせて文句を言う。 おかしくはないといいたいがおかしい気もするコーネフである。 「ま、結婚式には呼んでくれ。きっとあの人は美しい花嫁になるだろうし。劇的なプロポーズが成功すればの 話だけれどな。」 くそ。 絶対さりげなくてでも、ロマンチックで心に残るプロポーズを考えてやるとポプランさんは言ったそうな。 まだまだ彼女は花嫁にならないと思うなと、コーネフさんは言ったそうな。 by りょう |