for you 6











一週間たつとミキの部屋にはシェーンコップの衣類が増えてきた。






バスローブなどは彼女が用意したがあの男は着るものにうるさいし

いちいち要望を聞く彼女ではなかったから服は勝手に自分で用意

しなさいというと男は衣類一式をこの家に箱詰めで送ってきた。

幸い彼女の家は部屋数が多いので衣類を置く部屋をひとつ作っている。

そこにその箱はほりこんで彼女はさわらないことにした。




洗濯物は彼女が洗うことになったが。




もともと少女時代から家庭の手伝いは好きで、料理、洗濯など家事一般は

ミキはそれほどストレスなくこなせる。

ワーカホリックでもあるが家事をしているといろいろなことが心の整理などできるし

ランドリーが回っているのを見つめていると息抜きができる類の女性だった。

男はさきに彼女の家にいることもある。

そんなときは少しくらいは家事でも手伝ってもいいと思うが彼女は趣味が家事

なのでできればおとなしく酒でも飲んでまっていろという。







彼女が先に帰ってくると、はたで見ていて感嘆するばかりの家事をこなす姿。

無駄がない。

惚れ惚れする男。

男は毎日、仕事の合間に花を買っておき女の家を

訪れるときには花を渡した。

それと彼女が好きなリキュール。





彼女の肌の手入れが気になるので男は一度女をデパートに

引っ張って化粧品を選ばせて買い上げた。

贅沢だし面倒だと女はいうが聞く耳を持たない。

ついでにドレスの何枚かを買うつもりだったが彼女が断固拒否

するのでこれは次回にしようと示談が成立した。








一度外食に連れ出して二人でレストランで食事をした。

すずきのソースが彼女の口にあったらしく何を使えばこの味が

出るかと知りたがるのでシェフにテーブルに来てもらいレシピを

賜った。

休暇の日を利用して彼女は一週間分の食事を作って冷蔵する

のであるがその日の晩はあの夜二人が食べたすずきのソース和えが

メインディッシュだった。



見事にあの味を再現している。







二週間もすれば




彼女は業を煮やして言った。

「明日は私も起きるから」

いったい何のことだろうかと男はわからぬまま、抱き合い眠った翌日

彼女は彼より早く起きて温かい珈琲と、冷たいミルク。

朝からたっぷりの朝食を用意した。

勿論二人分。



「あなたも軍人だったんだからしっかり朝食を食べなさい。朝飯も食わせ

なかったなんて私の矜持が許さない」

ということで二人でしっかりした、栄養価の高い朝の食事を取った。






二人のことは誰もわからないようでキャゼルヌはミキに電話で

「たまにはうちで、飯でも食え」

といってくる。

しかし行きたいのは山々であるが手術など一日に2回ペースで

行っていた時期でもあったので感謝の言葉を述べて辞している。





忙しさと腰が今ひとつ上がらないままさらに二週間が過ぎた。






カリンの診察も彼女が行っていた。

順調に赤ん坊は育っている。

心音がしっかりしているし今のところ問題はない。

カリンはミキを敬愛している。



けれどワルター・フォン・シェーンコップと毎日ディープな夜を

過ごしていると知ったらその気持ちはうせるであろう。

ミキが気になるのは、その点であった。



カリンの母親はシェーンコップがついてくるかといったとき、

ついていかないといった。

三日、愛し合ってそれでも男と暮らすことを選ばなかった。

カリンを妊娠したときにはおそらく後悔したのではないだろうか・・・。

カリンはシェーンコップが母親と自分を捨てたと思っている。

それは客観的に見れば事実であるし男も弁解は一切しない。

ただそんな男を一人の人間として母となるカリンは許しはじめている。




母性のなせる業なのかしら。



母親になったことがないミキは思う。

トラバース法でコーネリア・フィッツジラルドという少女を養育はしたがミキは

ほとんど忙しかったしヤンがユリアンにさまざまなことを伝えたのに比べれば

看護婦として看護学校にすぐに通い始めたコーネリアにミキは何を教えることが

できたであろうかと感じる。



「先生、これが赤ちゃんの心臓なの?」

カリンのエコーを取ってモニターに映る胎児のちいさな心臓を指差す。

「そうよ。リズムよく動いているでしょう?ユリアンに似てもあなたに似ても

きっと健康な子供が生まれると思うわ。だからつわりがないといっても

無茶はしないでね」



カリンはつわりがない。



つわりは一応妊娠初期の母体を護る症状のうちのひとつでも

あるがカリンは健康すぎるのかつわりがない。父親に似て

頑健な様子である。



ユリアンが仕事をしているときは家庭のことを彼女がするので

あるが残念ながらカリンには家事能力が乏しい。

もっともユリアンが何もかも器用にこなすだけなのだがどうしても

彼女は少しコンプレックスをいだいている。

フレデリカにしても料理は苦手なのだし気にすることではないとユリアンは

いうのであるがフレデリカは整理整頓には秀でている。

通常軍人であれば身の回りのものをすぐにまとめて移動することが

多いので自然と掃除や整頓にはなれるのであるがカリンは士官学校を出た

わけではなく、母親がなくなりいく当てもないところで軍人になった娘である。



そしてその上官はオリビエ・ポプラン。

撃墜王殿はカリンが美人で律動的でありスパルタニアンの操縦に

秀でていれば文句などはない。

士官学校次席で卒業したフレデリカとはいささか具合が違う。

もっともいくら士官学校を卒業しようが30代で元帥になろうが自分の

身の回りのこともおぼつかないヤン・ウェンリーという人間もいた。




「ユリアンはあなたが家のことが苦手でも何の不満も持っていない

でしょう?いますぐ家事全般をすべてマスターしようなんて無謀だし、

無茶でもあるわ。無理をして赤ちゃんに何かあれば大変。料理や家事は

ほかの人に頼めるけれどこの赤ちゃんを産めるのはあなただけだから。

あなたの代わりは誰もいないのよ」




ミキはカリンの体のことはユリアンにも口をすっぱくして注意するように

いっているし一番カリンを説得できるフレデリカには念を押していた。

フレデリカが重いものを持ってはいけないと、一言カリンにささやけば

カリンはいいといわれるまで重い荷物を持たないであろう。




「わかってます。今はマダム・キャゼルヌに料理を教わっているんです」

「それがいいわね。ストレスをためないように何か発散できることはある?

ユリアンはよき夫?彼は何でもできる人だけれど夫として優秀かは

別問題ですからね。鬱憤があれば言っていいのよ」



女医は少年時代のユリアンも知っている。

才覚豊かな子供ではあったけれど同世代の友人がいないことを

保護者のヤンは気にかけていた。ユリアンは頭がよすぎる。



「ありがとう。先生。でもユリアンには何も不満はありません。できる限り

仕事を早めに切り上げて帰ってきてくれるし、私たち、よく話しをします」

「そう。素敵ね。会話できる夫婦なんて、理想的」



ふむ。

思った以上にユリアンはいい亭主になった様子。

いいことだとミキは安堵した。



「ねえ。先生」

「なぁに?まだ赤ん坊の性別はわからないわよ?」

「先生はワルター・フォン・シェーンコップと長年お友達でいらっしゃるそう

ですけれどあの男と何か進展はないんですか」





エコー用のゼリーをミキがぬぐっているときにカリンの恐ろしい

質問がふってきた。





「・・・・・・進展というと何かしら」

清潔なタオルでそれをぬぐい終えるとカリンは服装を整えた。



「うまくいえないんですが・・・。先生とあの男はずっと友人同士だった

のでしょう?先生にキャゼルヌ秘書官はアッテンボロー補佐官をと

考えてらっしゃるようですがなかなか引き合わせようにも先生はお忙しいから

すすまないのだって秘書官は悩んでおいでです。」



目に浮かぶ。キャゼルヌのおせっかいなやさしさ。



「そうね。悩んでいるでしょうね。先輩はおせっかいだから」

「でも、先生にだって誰か頼れる男の人がいてもいいと

思うんです。・・・・・・すみません。ユリアンと話していても私は

よく会話をまとめるのがうまくないと自分で思うんで、あちこちに

話が飛ぶと思います。私の母は・・・私を生んで苦労したのは

事実です。でもそれは母自身が決めたことです。私は小さい

子供だったので、父親がいないことで口さがないことも言われた

こともあったしどうしてお父さんがいないのか母になきべそを

かいて訊ねた夜もあります」

「話がうまくないのは私も一緒よ。私がきいていい話なのかしら」




先生だから、話したい気持ちになったんです、とカーテローゼ・ミンツはいう。



「・・・父と再会した時点では私は本当に子供でした。ポプラン中佐や

フレデリカさんはかばってくれたけれどユリアンのこともとても嫌なやつ

だって思っていました。それは私は父から何も教わったことがないのに

ユリアンは父にかわいがられているし、・・・・・・何でもできるから私は嫉妬

していたんです。父と会話してもまったく埒が明かない自分にも腹立たしかった

時代です」



カリンの美徳はこのような明晰さと素直さであるなと、ミキは思う。



「私が妊娠して、母親になることを自覚するといつまでも父に腹を立てて

いるのも馬鹿らしくなってきました。でも・・・・・・」

バイオレットの輝く瞳がはっきりいった。

「仲直りしようとは思いません。生きてユリアンを還してくれたことには感謝

していますがいまさらあの男にお父さんって甘えようと思わないです。私には

ユリアンがいますから」

母親にそっくりだと聞いていたが、口角を上げて美しく微笑む表情は

父親譲りかもしれない・・・とミキは思う。




「つまり、ワルター・フォン・シェーンコップを選んだ母は私の大好きな

母ですし大好きな母をあの男が愛さなかったとも思っていません。たった

三日だけ一緒にいた二人には二人だけの事情があるのだと、私は思える

ようになりました。でもこれを当たりかまわず、つんけんしていた私を知っている

人たちに知られるのはちょっと恥ずかしいです。

だから先生だと話しやすくて・・・先生があの男と長く親友でいられるのには

あの男にとってきっと先生は、特別な女性なんだと思うんで、思うんで・・・」



カリンはその先をいっていいものか悩み、年長者の務めで

ミキは答えを誘導した。



「彼を頼れ?」

薄く入れた紅茶色の髪をした若い、ミンツ夫人は少しうつむきつつ、言った。

「頼りがいはあるはずなんです」






何かいわなければいけないのであるが、ミキはカリンがあまりに素直で

率直にものをいうので、それがかわいらしくもありシェーンコップの娘の

「できのよさ」に感嘆してしまっていた。






「こんなことは私が言うことではないってわかっています。先生には大事な

ご主人がいらしたのだし、忘れるなんて無理ですもの。でも先生だって無茶を

なさりすぎです。ユリアンからこの間の遭難を聞きましたけれど・・・・・・少なくとも

あの男ならこの地上にいる限り先生を護って差し上げられる男のはずなんです

・・・・・・あいつは先生がすきなんです。これはカンなんですけどそう外れていない

カンだと思うんです。」






「・・・一度前向きに考えてみるわ。カリン」







ミキは冗談ではなくそういった。

カリンはなにか感づいているのかもしれない。

けれども一向に腰を上げないミキを見てシェーンコップの娘である彼女が

できることをした。

それは普通の女性ではできないこと。



シェーンコップを赦しミキを赦してくれた。



父親をはぐらかせることはできたけれどカリンをごまかすことは

ミキは、したくなかった。



「長い間、友達だった二人が恋をするなんて大変なことかも

しれないですがあの男は先生がきっと好きだと思います。」

「そうなのかしら」

「そうです。」



にっこりとカリンは微笑んだ。

・・・二人のことは知られていないはずなのだが

カリンの自信あふれる笑顔に圧倒される。















仕事が終わって家路につくとミキは少し自分の寝室で考え込んで

しまった。考え込んでも何もならない。

食事の用意をしようと思うと男が・・・くだんの男が帰ってきた。

そう。




彼は来るのではない。








この家に帰ってくるのだ。



ミキは自然とそう感じている。

「どうした。疲れているなら今夜は外で飯を食うか。それとも俺が作ろうか。

・・・・・・余りうまくはないが。」

寝室でベッドに座り込んで何かを考え込んでいる彼女を見たシェーンコップは

彼女の顔を覗き込み、彼女の額にキスをした。

「熱があるわけでもないようだな」



「私たちのことって、回りは知っているのかしら?」

ミキの質問にシェーンコップは答えた。

「特に吹聴もしていなければ、特に隠しているわけでもないってところだ。」




あなた、本当にいい娘を持ったわね、とミキは言った。








「カリンにいわれたわ。私が無茶ばかりするからあなたに頼れって。

あなたはきっと頼りがいがあるからって」

「・・・・・・そうか。いい娘だな」

ええ。いいお嬢さんをお持ちだわと女医は言う。



「もうあの夜から、一ヶ月になるわよね」

「そうだな。そうなるな。」

「考えてみればあなたの荷物はほとんどここにあるんじゃないのかしら」

「まだ官舎においているものもあるがな」





「引き払って、うちで暮らせばどうかしら」

「気持ちの整理がついたか」

「・・・・・・・私は甘えるとなるととことん甘える女、だと思うんだけど。

独立精神が旺盛で女傑でもなんでもないの。母より父に似て慎重で

・・・・・・規律を重んじる・・・・・・。」

指を黒髪に入れてなでた。

「かまわんさ。ほれた女に甘えられるのは悪い気はせん」



「ワルター」

「なんだ」





男は彼女の足元に腰を下ろした。ベッドに座る彼女の足もとのラグのうえに。

「あなたを愛している・・・・・・みたい。多分。いえ。」

好きになっちゃったみたい・・・・・・。



そうかとシェーンコップは小さく笑う。

「観念したか。」

「・・・・・・ええ。観念した。」


男は彼女の左手をとり、薬指にキスをした。





「俺は一人の女を愛したらその間はほかの女を愛さない主義だ。

・・・・・・誰も知らないことだがな」







いうが早いか彼はポケットからリングを取り出して彼女の指にはめた。

リングのサイズも聞かれたことはないし、いつの間に彼はそれを購入した

かもわからない。

「変だな。女はこういうとき、喜ぶはずなんだがな」

皮肉っぽく女医を見据えてシェーンコップは苦笑した。

長い友人関係。

これから始まる恋愛関係。

ミキは笑みをこぼして、男の首に自分の腕を回して。

男は揺らがず、彼女の体を受けとめた。



「・・・・・・ねえ。今日は記念日だから、夕食はどうする?私の手料理

を食べる?レストランの食事を食べる?」



ミキが彼の、くすんだ茶色の瞳を覗き込んで、尋ねた。








「決まっている。この家で、お前を食う」





7へつづく。