for you 5











仕事を終えて女医は夕食をきちんと作る。

昨日はまともなものを口にしていない。

健康回復にはまことよくない。医者の不養生はあってはならない。

先日休暇のうちに作っているローストビーフを切って。

キャベツとウィンナソーセージの蒸し煮。サフランライスを作って。

サラダを用意して・・・。

食前酒にはシェリー。赤ワインを用意したころ





玄関のチャイムが鳴った。









予測をしていたから彼女は料理は二人分用意していた。

ドアを開けると赤い薔薇の花束が彼女の眼に飛び込んできた。

「・・・・・・あら。」

よくこのご時世にこれだけの見事な薔薇を。彼女は驚きその美しさに

見とれた。

「お前には赤い薔薇が似合う。勿論いれてくれるんだろうな」

男はいったがこたえるまもなく彼女の家に上がりこみ夕餉のよい香りが

するほうへ歩いていった。

女は玄関のドアを黙って閉めた。

何を言っても仕方がなさそうだ。





「きれいな薔薇ね。いまどきこれほどの薔薇を街で手に入れるのは

難しかったでしょう。ありがとう。」

シェーンコップはいつものようにもう自分の家にいるかのように

くつろいでいる。

「美人に花を贈るのは古来から男の務めだ」

ミキは笑った。

「古めかしいことをいうのね。一度もあなたから花など受け取ったことはなかった

はずだけど。」

うれしくないのか?男は肩をすくめる。








いいえ。

「悪くないものね。男から薔薇を受け取るなんて心ときめくわ。」

あなたは美男子であるには違いないしと彼女は早速花を生けた。

この時期に薔薇とは。

この男は本当に伊達者。







「このうまそうな料理は一人で食うためのものか?」

台所に立つ彼女の後ろに回り小さな彼女をそっと抱きしめる男。

意外にも柔らかい唇が彼女の首筋を這う。やさしいキス。

なぜこの男なら許してしまうのであろうか。

ミキ・マクレインは少し、考える。



長い付き合いだからだわと帰結。



「いいえ。召し上がって。」





では、遠慮なく頂戴するとしよう。

男は彼女を自分のほうへ向きなおすと、灰色がかった茶色の瞳で

彼女の瞳を捕らえた。

軽く頭ひとつ分以上彼が背が高いので悠々と見下ろされてしまうので

あるがいまさら彼女はそれに不快な気持ちはない。







「具合はいかがかな?女医殿」

「すこぶる、元気よ。秘書官殿」








彼女の瞳にうそが見えず、今日一日平和に過ごしたのを見て取ると、

男は安心してごく自然に彼女の唇にキスをした。長い腕にすっぽりと

体が収まって、女は居心地のよさを感じる。

長いキスが終わって女は男の胸に顔を伏せた。

それを男は受けとめ彼女の髪を撫でる。





「俺が恋しかったか?」

と、男が言うので彼女は抱きしめられたまま笑って。





「・・・・・・いいえ。平気だった。」



鈴のなるような女のかわいい笑い声が男の耳に心地よい。

「つれないことを言う女だ。」

シェーンコップは笑うミキを抱き寄せて。



男は彼女の額にキスをして「俺は恋しかった」と臆面もなくいう。

そんなに手の内を明かしていいの?と女は彼の腕から逃れて

花瓶をテーブルに置いた。



「冗漫な言葉も態度も嫌いなんでね。いまさら隠してなんになる。

恋をしてしまったんだ。つれない女にな。」

彼は自分の家のように、食卓に着いた。

「うまそうだ。食事も作れないほどだったら夕食を誘うつもりだった」

シェーンコップはミキの料理は好きだった。

食べなれているし実質美味い。

「作りおきなのよ。悪いけれど。休みの日に多くつくっておくの。

たいしたものではないけれど」

「いや、お前さんの作る食事はうまい」

伊達ものは口がうまいとミキは思い。

「赤ワインでいい?ウィスキーも用意しましょうか?」

「そうだな。最初はワインにするか。」

彼女も酒の用意をしてやっと食卓に着いた。





「では、記念すべき二人の夜に乾杯というのでよかろう」

「お好きにどうぞ。特に異議は無いから。」

「一言よけいなんだ。お前は。乾杯。」




グラスを合わせて、二人でディナーをいただく。




「キャゼルヌやユリアンがお前を心配して見舞いに行こうか

相談していた」

「・・・・・・見舞いというほどでもないのに」

「心配するな。二人とも体よく話をつけてしばらくここには

寄せ付けないように話している」




ちょっとまって。





「私たちのことを話すわけはないわね。ワルター?」

ミキは男に尋ねた。

「別に俺は知られてもかまわんが、お前の気持ちがまだまだはっきり

しないからあえて公言していない。二人で酒を飲んで朝まで一緒だったと

いったまでだ。誰もなんとも思っていない」



彼女はちょっと考える。

しかしながら自分がまいた種だし、自分とこの男が男女の関係になろうが

なるまいが誰に遠慮がいるであろう?

大人の男と女が一夜を過ごしても怪しまれないのは長い年月、この男と

友人関係だったためで、そのバランスが崩れたとしておかしいことはない。

昨日崩れたバランス。





「別に知られてもかまわないわね。」





つとめて平然に彼女は言った。



「・・・・・・機が熟せば、自然に知れ渡りもしよう。言いふらすのは

趣味じゃない」

男の食べっぷりに見とれる。



悪くないわね。

それは昔から思っていたこと。シェーンコップは食べ方に品があり

見ていて気持ちがよい。








確かに言いふらすことはない。

隠すこともなければ真正直に言いふらさずともよい。




この男と元のように友人に戻ったときにお互いその方がいいかもしれない。

ミキは思った。



「そうね」

女は従ったかのように返事をした。

実際は自分が起こした行動やそれに伴う男の反応が彼女は少し

怖かった。しかし自分で責任は取るべきであろう・・・・・・。

ミキの母親は女傑とも言われていたが恋の履歴も華々しい女性だった。

そのDNAがあれば。

きっとこの男が離れても上手に自分は生きていける。

情けないほどマイナス思考ではあるが夢を見て生きるには

年をとりすぎた。





「妙なことは考えるな」






シェーンコップはすっかり食事をきれいに済ませた。

実にきれいに食事をする男。

今はウィスキーを飲んでいる。



「およそ、自分でまいた種だからいずれ俺がお前から離れることを

考えているだろうが俺はそういう気持ちはない。責任を取るとらないだ

のと見当違いのことを考えているのではないのか。ミキ」

彼女も食事を終えて、彼から水割りをもらって飲んでいる。



む。

案外人の気持ちを読むのがうまい男だったのねとミキは思う。

実は彼女は知らない。

人の気持ちが読めるからこそ12年ミキに手を出しあぐねていたのが

今、目の前にいる男。



「あなたと恒常的な男女関係を望む女がおかしいと思うけれど。

あなたの華麗なる恋愛履歴を慮ればいつでも身を引く覚悟をして

おきたいわ。私は潔くいきたい」



そう。できるだけ潔く。

けれどシェーンコップが言う言葉も事実。

「どんな男女間でも、恒常的な関係は望めない。どちらの気持ちも

変わるだろうし相手にしなれることもある。俺が聖人君子であろうが

無かろうが残念ながら恒常的な関係というものはなかなか無い。

頭を使え。つまり俺が言いたいのは。」



2歳だけ彼が年上。

水割りを口にしてミキは言う。

「・・・つまり、本気の沙汰だといいたいわけ」



ご名答。だが補足回答が必要だとシェーンコップは言う。

「俺は本気だ。だがな」




なに?と女が聞く。




「いかんせん肝心のお前が恋愛を忘れている。恋の仕方を忘れている。

だからおれの思いもまだ通じていない。お前は男を愛する気持ちを

まだまだ取り戻せていない。」



人を冷血動物のように言わないでとミキは思うが。

案外図星で言い返せない。



彼女はさっさとテーブルの食器を片付けた。食器洗い機にいれて。

片付かないのは彼女の性にあわない。






「だから俺の過去の女や未来の女の心配ではなく、おまえ自身の

気持ちをよくよく考えて欲しいものだな。考えるより、感じるが正しいか」

ミキの気持ち。



男は女を抱き寄せて、女はそれに抗わない。

抗うことはいくらでもできるしそうすれば男とはまたもとの友人知己に戻れる。

けれど彼女は抗えないのではなく抗おうとしない自分の「何か」が

わからないでいる。



「シャワー浴びたい」

「なら二人で浴びればいい」




「・・・」

彼女は困った顔をした。



「照れているのか」

「・・・今夜もなし崩しに抱き合うの?」

「嫌なら隣で眠るだけでかまわない」



ワルター・フォン・シェーンコップが女を抱かずに一夜を過ごす。

今まではそうして二人は夜を過ごした。といっても彼はリビングの

ソファに眠るわけだったが。

「やっぱり、あのベッドで眠るのね」

「ほれている女を抱きしめながら寝るのもいいじゃないか」

「ベッドが広くないのよ。一人暮らしだから。あなたは大きいし。」

「今後お前さんの気持ちが固まれば、キングサイズのベッドを

俺が買ってやる。今の寝室に十分入る」




「・・・シャワーを浴びてくるわ。はいるならはいりなさい。バスタブに

お湯をはってくる」






彼が度し難いのではない。

きっと自分が度し難い女なのだ。

ミキ・マクレインはそう感じている。彼は素直に自分の気持ちを偽らずに

すべて堂々と口にするではないか。

行動だって彼女が嫌がることはしない。



二人で浴室に入り、彼に触れると彼女が我慢できなくなり

その場で愛し合った。度し難いのは彼女のほうだ。







愛し合っているの?






ジョンとの場合はどうだったか。

男が彼女の髪を乾かしている。

「風呂上りに化粧水のひとつもつけないとは、お前らしいが少しは

手入れを始めたらどうだ。俺でもローションくらいは使うぞ」


もともときっと持っている肌の質がよいのであろう。

彼女はあまり肌に何かを塗らなくてもそう困った記憶がない。

普段メイクをしないから余計に負担がかかっていないせいだろう。

ジョンとの夫婦生活は、彼が淡白であったのかあまり濃厚なそれ

ではなかった。

バスルームで愛し合うなどというアクロバティックなことはしていない。

お互いの愛情を確かめるための、儀式、そして子供をもうけるための行為。



子供は彼の身体的理由で恵まれなかったが。



「もしかしてあなたは自分の子供が欲しいの?」

天啓を得たかのようにミキはシェーンコップにたずねた。





「・・・娘一人でとりあえずは愉快に過ごしているが、お前との間に

できたとしてもそれはそれで喜ばしいだろうな。」

「・・・あら。子供目当てでもない・・・」

男はふと、笑い女の髪にドライヤーを当てていう。




「俺の今後の希望は、150歳まで生きて、娘や孫、ひ孫にやっと

爺さんが死んでくれると憎まれ口をたたかれながら天寿を全うすることだ。

子供が多くてもかまわないし誤解が多いが俺は独身主義者ではない。

結婚は恭しすぎるといったことはあるが生涯独身で通すとは決めてない。」

「ではなぜ、カリンの母親を妻にしなかったの?」

「伍長に任官して赴任地についてくるかと聞いたらいかないといった。

それで別れた」

「それはカリンは知っているの?」

「教えていない。お前だけにしかな」

「・・・だからうらまれるのよ。ワルター」

「話したところでいまさらどうにもなるまい。是が非でも赴任地に連れて

行く男もいるだろうし、俺のように連れて行かなかった男もいる。それに

カリンが父親なしで育ったことは事実だ。何かはけ口のひとつでも残して

おくのが年長者の計らいじゃないか」



憎むことと愛することは表裏一体であるから甘えさせることはできないけれど

憎ませてうらませることならできると不器用な生き方をシェーンコップは選んだ。



「じゃあこれからあなたがもしもほかの星へ赴任することになったときは、私を

どうしておくつもりなの」

決まっている。

「是が非でも連れて行く」

首になわしてでも。



「あなた、もしかして私と結婚したいの。もしかして。」

「いずれな」

「カリンが聞いたらなんて思うかしら」



それより。




「お前の気持ちがなんとも決まっていないだろう。俺を愛しているのかと

聞けば愛していないというし、愛していないくせにいつも俺の腕の中にいる。

お前はそもそも愛してもいない男に付け入る隙など与えぬ女だ。だがこの

現状はどうだ。少しゆっくり考えろ。・・・・・・お前も俺に恋をしているんだと

俺は素直に思うがな。」



そう。

結局同じベッドの中で男の腕の中にすっぽりと抱え込まれている彼女。




「ともかくバスローブとガウンを用意しなくちゃね」

「それがないから、お互い裸なのか。それだけが理由じゃないだろう。」

まったくと、男は女を腕の中に抱き、目を閉じた。



「・・・眠った?」

「眠ってる」

「怒ってるの?」

「なぜ」



だって、キスのひとつもしないのだもの。

「キスをしたらキスだけでは終わらん。なし崩しに抱かれるのが嫌なら、黙って

目を閉じろ」



なるほど。

二人はシーツの中で肌を寄せて眠っていて、何も身につけていない。

触れれば欲情するということなのかと女は思う。



彼女はシーツを手繰り寄せてベッドサイドの自分の鞄を、うんしょと

引き寄せた。男は彼女の肩に唇をつけたまま動かず、静かに眠ろうと

している。




「ね。ワルター、あなた自分の部屋に帰るときこの家のドアを開けっ放しで

出て行くでしょう」

「・・・鍵を持ってないからな。鍵をあけるのも閉めるのもできんことはないが

あまり紳士がすることじゃない」

「家の鍵を渡すわ。明日の朝はおきて出て行くときは閉めてくれる?」




シェーンコップは目を開け、女がまじめな顔して自分に鍵を差し出して

いるのがおかしく、困ったものだと思う。



「お前さんは誰にでも自分の家の鍵を差し出すのか。おれはそっちに

興味がある。」

「そんな馬鹿な真似、するわけないでしょ。それとももうこの家には

来ないの?それなら話は別だけれど・・・・・・」

当人が悪びれもなくいうので、何を言ってもまだ彼女はよく自分の

気持ちがわかっていないのであろうと男は思う。



「では、ありがたく頂戴しよう」

「バスローブと部屋着を用意しておくわ。毎日裸で眠るわけにも

行かないでしょ」

「悪いが俺はベッドでは裸だ」

女医は男の端正すぎる顔を見て、一言。





「おなかを冷やすわよ。これから本格的な秋になって

冬になるというのに」











男は噴出した。

観念しよう。

ほれた弱みだ。

そう男は思った。

おとなしく女に従うことを告げると男はまた瞳を閉じた。

彼女の長い髪に顔をうずめその髪の香りにまどろもうとしている。・・・と。







女が寝返りを打って男の頬に手を添えた。頬をやさしくなでて、

目を閉じている男を眺めているようである。



「ワルター。眠った?」

「眠ろうとしている」

「キスしていい?」






目を閉じたまま男はいった。

「キスをしたら、キスだけじゃ終わらせられないといっておいただろう。

お前のかわいいおつむはいつの間に・・・」

そういう男のせりふが終わらぬうちに女は自分から、唇をかさねた。

「・・・・・・誘ってるのか」

「・・・・・・そうよ。そうみたい。」

「なし崩しが嫌だといってたくせに」

「なし崩しじゃないわ。私が誘っているの。・・・・・・でも愛しているか

どうかはまだ聞かないで・・・・・・・これでも考えているんだから。」




男は女の体を抱き寄せて、また口付けをする。

「誘惑がうまい。」

結局、広いとはいえないベッドで男は女を抱く。

いとおしさをこめて、抱く。

女はまだ整理がつかない様子であるがこれはあと少しの時間が

必要なのであろう。

この女を、こういう女であるとわかったうえで男は彼女を

愛したのだから。







明け方、また男はそっと眠っている女を起こさないようにベッドを出て

自分の官舎に帰る。

服装を整えると女の頬にキスをして朝のあけ切らぬ街に出る。

鍵はきちんと閉めて。



女は眠ったふりで男が出て行くのを実は知っている。

そしてまだ男の後姿にすがりつく気持ちまでにはいかない。

けれども自分の体から男がいないと・・・



いや、彼がいないと、少し、戸惑う。







こんな生活がしばらくつづくことがよいことなのか悪いことなのかさえ、

本当のところ彼女にはわからないし、誰にも相談ができない。




また朝が来る。








彼女は跳ね起きて、風呂に入り、朝食を食べ・・・

あの男は朝食をちゃんと食べているのかしらと、心配になった。








6へつづく。