孤独の、その先に。・3


アレックス・キャゼルヌ行政府事務局部長は執務室で実にいやな顔をしている。

目の前の応接セットのソファに座っているのがオリビエ・ポプランだから、である。












厳密に言えば「相手そのもの」というよりも相手の「必死の懇願」に負けて今の今までこの男と「密約」をかわして

いたことである。実はこの二人・・・・・・アッテンボローやみなの知らない間に毎日のように極秘で連絡を取り合

っていた。

フェザーンで姿をくらましたオリビエ・ポプラン。

彼の評判は日に日に悪くなっていった。

ダスティ・アッテンボロー・ポプラン夫人を二年という期限つきで暫定政府に貸したといえば聞こえはよいが愛妻

である彼女にこの二ヶ月というもの超光速通信(FTL)すらいれていない。アッテンボローはともかく周囲のものは

気が気でなくその非人情さに呆れていた。



「で、ここで午後からでも働きたいと。」

キャゼルヌは眉根を思い切り寄せて仏頂面でポプランをにらんでいる。その片棒を拝み倒されて担ぐ羽目にな

った彼とてよい気持ちはしていない。アッテンボローは感情を表にださないでいくらでも精励できる女であるが知

己ならば彼女が本来どれだけこのどうしようもない目の前の「お馬鹿さん」を愛しているのか知っている。この男

から音信がないことをどれだけ彼女が心痛めているかを思うと・・・・・・。



腹が立つ。



「そんなに怖い顔しないでくださいよ。だんな。ちゃんとライセンスも取ってきましたし今後こちらの政府で小生、

ちゃんとお役に立てると思うんですけど。」

キャゼルヌはため息をついた。



「アッテンボローのお父上の口添えがなかったら俺とてお前さんとアッテンボローを別れさせて帝国元帥夫人

におさめたところだが・・・・・・お義父殿のコネクションは大いに役に立ったみたいだな。2ヶ月でグローバル・

ライセンスを習得するとは確かにすごい。前代未聞だ。」

珈琲を口にしてポプランは言う。

「同じ弁護士であれハイネセンで資格を取っても仕事は限られますしフェザーンでしか国際弁護士の資格が

取れませんし・・・・・・。お義父上の知人にあたる弁護士先生の元でこの二ヶ月近くフルタイムで働いて銀河

帝国でも通用する司法試験に一度でパスしちゃったんですよね。自分でもこんなにも早く試験にトライできる

とは思わなかったんです。でも今後この資格があればこちらの共和政府でも何らかの経済的新規事業を行う上

で銀河帝国に支払うべき税金を最小限にする知識はたっぷり詰め込んできたつもりです。雇ってくださいよ。

税金対策専門です。この先使い出があると思います。」












そう。

オリビエ・ポプランがフェザーンでしかできないことというのは宇宙で通用する民事弁護士の資格を習得する

ことであった。刑事ではなく民事を撰ぶところにこの男の知恵があったとも言えるがいずれ問題になるはずの

税金問題を解決する人間がいずれこの世に必要とされるだろうと軍籍にあったころから考えていた。イゼルロ

ーン要塞にアッテンボローの父親がやってきてまずまずの親交をあたためると婿殿は舅殿にあらかじめその

方面のコネクションをあたっていた。紹介状まで書かせて肌身離さず持ち歩きフェザーンへ行った折に交渉成

立。法律事務所で働くことが決まった。

だがこれでは弁護士になったわけではもちろんない。



通常であれば「ロー・スクール」に最低でも二年は通ってフルタイムで弁護士事務所で働きながら司法試験を

受けて運がよければはれて弁護士となる。

長い道程がある。

フェザーンで二年は少なくとも滞在し宇宙で一番かわいい女、アッテンボローとはなればなれになる。彼女が

ハイネセンへ還るのはわかっていた。離れがたいが二年すれば自分は晴れて手に職をつけ女房殿を堂々と

迎えに行ける。会えないのは誠に辛いが二年は丁度いい機会なのかもしれないと思った。



アッテンボローもヤン・ウェンリーとの義理を果たせる。

十分過ぎる時間だろう。

ポプランは思っていた。








実際は艦が飛び立ったときには何故女を手放したのだろうと激しい後悔が彼を襲った。

ヤン・ウェンリーに義理を果たす?

そんなことはどうでもいい。

ダスティ・アッテンボロー・ポプランを旅立たせた我を呪った。

遠くなる船影をいつまでも見つめた・・・・・・。











夏の蒼い空が歪んで見えた。



さてポプランは早速見習として弁護士事務所で働くことになる。

仕事は夜も昼もなくそれでも浮かぶのは美しい背中の妻。

次から次にこなしていく書類の山に埋もれ借りた部屋に帰れないので解約し事務所で寝起きした。

仕事がつらいとは思わないがフルタイム働く。

たとえそばに妻を置いてもキスする時間すら取れない。

資格を取るまで距離をおいてある意味お互いの精神衛生上よかったかもしれない。

その法律事務所では離婚率と別居率が高い。






アッテンボローのお義父上にはお礼の連絡を入れアレックス・キャゼルヌには麗しの妻の様子を毎日三分だけ

超光速通信(FTL)で尋ねこちらの近況を短く伝える。クライアントに会う以外は伊達者のこの男が髭も剃れない

ていたらく。それをみればキャゼルヌもアッテンボローの父親もポプランがアッテンボローとの新しい生活のため

に一所懸命であるのがわかるので文句は言えない。



男には女に言えない闘いがあるということだ。



アッテンボローの父はそんな娘婿をまずまず気に入ったが・・・・・・。

キャゼルヌは自分に連絡を入れる間があれば少しでもアッテンボローを安心させてやればいいのにと思わぬ

でもなかった。だがポプランはこれで決死の覚悟で「妻絶ち」をしているのだから資格をとるまえに姿や声に触

れればたちまちのうちに性根をあげて彼女の元に逃走する自分が見えていたので、男の矜持にかけてけっして

彼女に言ってくれるなとキャゼルヌに懇願した。



一生のお願いだといって。



それにうまく二年で資格を取れれば幸いだがしくじれば女房に示しがつかない。

ポプランはエリート・トップガンだった男だから見栄もある。












彼はアッテンボローには見栄をはりたいのである。



そんな彼に思いも寄らない幸運が待ちかまえていた。

パトリック・アッテンボローご推薦の弁護士事務所はハイクラスの事務所でありポプランの民事の知識、法律

の知識などを考慮して期間が短いものの司法試験の受験を認めてくれた。この男はこんな瘋癲だが好機到来

と千載一遇の機会を逃す男ではない。はれて次席の成績で民事専門の国際弁護士となったのである。



この男は存外努力家で軍人時代から民事の本を独学で読み尽くしすべて頭にたたき込んでいた。女房殿はた

だの趣味だと思って気に止めていなかった。ポプランの父親は三年の兵役を終えて法律を大学で教えていた男

である。青年が荒野を目指すようにオリビエ・ポプランが法律家を目指すのはごく自然なことであった。

イワン・コーネフのように民間航空で働くのはポプランの性に合わなかった。



かわいい女房殿がすねたとしても。



艦載機乗りでは戦後かわいい女房殿を養っていけないと知っていたから資格を取るときめていた。それにはフェ

ザーンが一番適していると知っていた。

だから彼女と二年の約束で離れて思いもよらず二ヶ月でことがおさまった。















「でも実際、二ヶ月が限界です。ダーリンと離れて二ヶ月。よく俺はとち狂わなかったなって思いますよ。彼女の

姿が網膜に焼き付いて離れない。声が聞こえる。恋しくて仕方ない。二年も酔狂な政治に妻を貸すなんて阿呆

なことを言ったと後悔して二ヶ月暮らしました。ダーリン・ダスティはいかがです?今日も元気ですか?」



元気だと思うがなとキャゼルヌは面白くもなさそうに呟く。



「元気だと思うじゃだめです。帝国の猪がちょっかい出してるの、止めてくれてるでしょうね。さあて。これから愛

しいダーリンと感動の再会でもしようかなあ・・・・・・。薔薇とシャンペンも用意しましたし。ああ恋しい。早く抱きし

めたい。キス位してもいいですよね。いや連れて帰ろう。あ、代わりに俺が今日からここで働くんでしたっけ。じ

ゃあ俺の秘書にしよう。それがいい。それがいい。」と「アンネ・マリー!」の花束とシャンパン。









キャゼルヌは呟く。

「・・・・・・アッテンボローはかなり無理をしているんじゃないだろうか。」

え。

「無理な仕事させてるんじゃないでしょうね。」



馬鹿。

「問題はお前さんのやり方だ。男として生業(なりわい)をたてるのに成功するかめどがつくまで女房に黙ってお

きたい気持ちはわかる。だからいやいやながらこれまでおまえさんの秘密を守ってきたものの・・・・・・。おれは

アッテンボローに申し訳ないと思っている。お前さんに義理立てするよりアッテンボローの心配を軽減してやれ

ばよかったんじゃないかと後悔しているんだ。」



そうは言いますけどねとポプランはソファにどかっと無遠慮にもたれて言う。



「国際弁護士になれるかなれないかわかったもんじゃない状態だったし実質ここ二ヶ月まともに部屋でねてな

いんです。ソファか床で寝てたんですよ。俺はまだパートナーに雇われてたアソシエイトでしたし。だんなとお義

父上に連絡を取るのがやっとでした。この二ヶ月は一緒に暮らしても結局淋しい思いをさせたでしょう。とても自

分の時間なんて作れなかった。今朝ハイネセンについたばっかですが午後からでもここで働きますよ。少しで

もワイフの側にいたいですからね。もう金輪際離れるのは御免です。」



だから。






お前さんと密約をかわしたくはなかったんだよなとポプランの執務室を用意するようにヴィジフォンで指示を出

そうとしたとき、ユリアン・ミンツが行政府事務局部長執務室に飛び込んできた。

驚いたのは青年であった。



「ちゅ、中佐!!なぜ今頃ここにいるんですか。」









・・・・・・えらい言われようだなあとポプランは思う。

アッテンボローを一人にした負い目は感じている。

にしてもユリアンの台詞は胸に痛いものがある。

「おれ様が今ここにいちゃ悪い理由でもあるのか。ユリアン・ミンツ。」ダークスーツをさらりと着こなしたポプラン

はドア付近で口がふさがらない青年をねめつけていった。



ポプラン夫人が倒れました。



「今シェーンコップ秘書官に頼んでミキ先生を呼んでもらったんですが・・・・・・どうも深刻な状態らしくて医務室

に運ばれたんですが面会させてもらえないんです。行政府事務局部長か主席を呼んでこいというのでまずキャ

ゼルヌ行政府事務局部長のところに来ました。」

ポプランの表情が真剣になった。

「面会謝絶?うちの奥さん、何が深刻なんだろ。ここで坊やに話しを聞くより医務室へいった方がいいな。いくら

あの怖い先生でも亭主まで面会謝絶ってことはないよな。」

ひらりとソファを飛び越して・・・・・・いささか行儀が悪いがかまってはおられない。

部屋を飛び出してユリアンはポプランは医務室に案内した。



外には難しい顔をした女医がうつむき考え込んでいる。

「じゃあ、僕はヤン主席に知らせに行きますから。・・・・・・中佐、今回はちょっとひどいですよ。僕たちポプラン夫

人の味方ですからね。」

ユリアンにしては厳しい口調でポプランに言い捨てて走っていった。









歓迎されないことはうすうすわかっていたがえらく嫌われたなあとポプランは思う。そのぶんかわいい妻が憔悴し

切っていたのであろうことはしれた。

だが今は彼の女房殿の体の様態の方が心配である。

女医はポプランに気付くとさらに険しい顔をした。















「奥さんは深刻よ。中佐。」

ミキの声はポプランの耳に冷たく届いた。



深刻な状態・・・・・・。



「そんな話しは聞いてないですよ。執務室で斃れたって聞いたけど昨日まで元気に働いてたんでしょう。」

中佐。

「元気で働いていたってなぜご存じなの。」

「なぜ、といわれましても・・・・・・。」

ここでキャゼルヌの名前を出すのは得策じゃない気がしてポプランは黙った。こんなときにいやなことを聞く女

だと思う。アッテンボローの状態が気になるのに女医は難しい顔をしてポプランを生涯の仇敵のように睨みつけ

ている。



どうもこの女医は苦手だ。



「きわめて深刻な状態なんだけどあなた、ダスティさんのこと一体なんだと思っているの。連絡一つ寄越さない

で離れて暮らすなんて女房の心労を考えたことはあるの。中佐。」

いくら美人でも切り口上で言われるとポプランもむっと来る。

「考えてました。そりゃワイフに内緒で仕事の資格を取ってましたから淋しい思いはさせたと思っています。でも

所詮艦載機乗りの次の仕事なんてしれていると思ったし民事の弁護士になってここで使ってもらうよう話が付い

たところです。こんなときにこんなはなししても仕方ないでしょう。先生。で、うちのダスティはどう悪いんで

すか。」



中佐。

「じゃあもう彼女を一人にしないと誓えるのかしら。」

きっとにらまれる。









だがポプランは怖じないで言い切った。「誓います。二年っていっちゃったけど二ヶ月が限度でした。俺が馬鹿

でした。彼女のいない二ヶ月は忙しかったけど耐えられません。もう一生離れるつもりはありません。誓います

・・・・・・というかダスティは・・・・・・。重体なんでしょう。深刻な事態って生命に関わることなら先生、助けてくだ

さい!彼女のいない世界なんて生きてる価値がない!」



ふむ。









「じゃあ宇宙で一番大事にしてあげて。彼女妊娠9週目ってところね。おめでとう。中佐。父親なんだから風来

坊は卒業しなさいよ。しっかりなさい。」

女医はかわいい顔してポプランの背中をどんと叩いた。体は小さい癖に亭主並の膂力がありポプランは一瞬顔

をしかめた。

ポプランはふえという間抜けな声を出した。そして女医の言った言葉を反芻した。









「・・・・・・赤んぼうですか。俺たちに・・・・・・。」

そうよと女医は頷く。

いつの間にかラオやキャゼルヌ、ヤン、ユリアンやシェーンコップも廊下に集まってきた。



「でも状態はカリンほどよくないの。つわりもあるし最近食事をろくろくとっていなかったっていうし。不眠もあるみ

たい。フェザーンからハイネセンへ恒星間旅行もしたでしょ。その影響はないみたいだけどしばらく安静させて。

だからちゃんと大事にしてあげて頂戴。じゃないと本当に赦さないわよ。」

また背中を叩かれた。



彼女の体に自分との子供が宿っている・・・・・・。

長い間ダスティ・アッテンボロー・ポプランは妊娠しないのが心の奥底で悩んでいた。二人とも健康だったし医者

からも心配はしなくていいと言われていたがなかなか恵まれなくて見ていてかわいそうな思いに幾度もさせられ

た。こんなにも愛し合っているのに子が授からない不条理を妻にかわってポプランは呪った。









けれど。

二人の間に待望の子を授かった・・・・・・。



女医は今度は優しく言う。

「ダスティさん、かなり消耗しているから連れて帰ってあげて。食べたいものを食べさせて・・・・・・不出来な夫でも

彼女にとってはあなたが一番なの。そばにいてあげて。」

キャゼルヌは言う。

「お前さんの雇用は決めているし執務室も用意する。だが今日はこのままアッテンボローをつれてかえれ。新し

い首席秘書官はラオが適任だろう。アッテンボローの仕事を一番知っているし。あいつには安心してゆっくり休ま

せてやれ。」









随分長く・・・・・・。

「中佐の奥さんをお借りしたけどありがとう。もう十分だ。アッテンボローが一番幸せになれるようにしてやって

ほしい。お疲れ様・・・・・・。そして・・・・・・。」

ありがとう、とヤンは頭をポプランに下げた。






早く。

「早く会ってあげて。中佐。」

ミキは促した。

ポプランは一同に頭を下げて医務室に入って行った。












あれが父親になるのか。

キャゼルヌは感慨深げに口にした。

「ユリアンが父親になるほうが自然に感じるのは何故だろう。」などいうから廊下で皆は笑った。






カーテンの仕切をそっと開けると背中を向けてベッドで休んでいるアッテンボローがいた。ここは静かで廊下の

騒ぎが全く聞こえない。シーツにくるまって懐かしい女は横たわっていた。ひとの気配は感じているようだがけだ

るさだろうか。

顔をこちらに向けない。



よくみれば薄い肩が震えている。















先生。

アッテンボローが嗚咽を堪えながら一言漏らした。

ポプランだと気づいていないのだ。

ミキだと思い込んで言葉をつむぎだしている。



「先生。だめですよね。私。こんな弱くちゃ。オリビエが還ってくるまでもっと強い母親じゃないと。せっかく赤ちゃ

んを授かったのにこんな泣いてばかりではだめですよね・・・・・・。」



ポプランは胸をえぐられた思いがする。

こんな脆い女だと思っていなかった。

何故一人にしてしまったんだろう。

何故もっとアッテンボローのことを思いやらなかったんだろう。自分で自分が憎らしくなる。



手を離すんじゃなかった!









「まだ二ヶ月なのに・・・・・・。離れて二ヶ月でこんな弱い自分だなんて思いませんでした。あのとき素直にあいつ

についていけばよかった・・・・・・。私は大馬鹿者だ・・・・・・。」

そっと髪を撫でた。懐かしい感触。

翡翠と銀の混じる不思議な色の髪がさらさらと指の間からこぼれ落ちていく。

アッテンボローは体を固くして涙に濡れた顔をこちらに向けた。



「・・・・・・オリビエ・・・・・・。」

「ただいま。奥さん。」



泣き出したアッテンボローをポプランは優しく抱きしめた。



「馬鹿なのは俺だ。ダーリン・ダスティ。二年も離れて暮らせるわけない。手を離したときにもう後悔してた。無理

にでもついてこいって離すべきじゃなかった。・・・・・・ごめん。俺が馬鹿だった・・・・・・。」



あきらかに彼女は痩せた。

妊娠しているはずなのに腰が細くなってポプランは抱きしめてより腕のなかの女が愛しく健気に思えた。一日で

も離れてくらした自分は大馬鹿だと思う。背中を優しく撫でて泣きたいだけ泣かせようとしっかり抱きしめた。









いつ。

いつ帰ってきたんだとアッテンボローは尋ねた。

まだしゃくりあげて泣いている。

二年といって別れた男が二ヶ月で自分を抱きしめているのが謎だが、もう彼から離れたくないと思っている。

男のほうももうアッテンボローを離したくない。

今朝、ハイネセンについたとポプランは答えた。






「ハロー、ベイビーだな。ダスティ。苦労かけてばかりだけどもう離れないからな。二年は無理だ!一秒だって

これ以上離れていたくない。家に帰ろう。ヤン・ウェンリーから赦しをもらった。明日からはおれがここで働くこと

になる。お前は好きな家事をして赤ん坊と暮らすんだ。まずは何か口にしないとな。・・・・・・何なら食べれるか

な。スープなら飲めそうか。ダスティ。」



アッテンボローの下腹部をポプランは優しく撫でる。



「・・・・・・赤ちゃんだよ。オリビエ・・・・・・。」

彼女はやっとはにかんで笑った。

うん。お前は最高の女房だとポプランはアッテンボローにキスをした。









「二人分食べなくちゃな。デザートでもいいぞ。それに今夜からは一緒に眠ろう。お前が眠るまで子守唄を歌っ

てやる。」

額と額をくっつけてポプランは優しく言う。

アッテンボローは笑った。

「うるさくて眠れないよ。」

ポプランは彼女の耳元で囁く。

「じゃあ眠るまでキスしよう。」

あははと泣いていたはずのアッテンボローは小さく笑った。

「それじゃ眠れないよ。」

ママは我が儘だとポプランは彼女に唇を合わせた。



じゃあ。

眠るまでずっと手を繋ごう・・・・・・。

アッテンボローは腕を伸ばしてポプランの首に廻した。

うん。

手を繋ごう・・・・・・。









ずっと離さないでねと彼女は言った。

ずっと離してやるもんかと彼は言った。



ねえ。

フェザーンで何してたのとアッテンボローがしがみついてポプランに尋ねた。



実は。

お前のことばかり考えてた。

などというものだからアッテンボローは「馬鹿。」と呟いた。












そう。

「今回本当におれが馬鹿だった・・・・・・。詳しい事情は家で飯食ってバスタブで話しよう。これでも一応は今後

妻をどう養うかを俺なりに・・・・・・。」

アッテンボローを横抱きにするポプランの耳を彼女は真っ赤になってそっと引っ張る。






「・・・・・・お風呂はいいけどそのさきはダメなんだよ。」

耳まで薔薇色に染めて彼女は口ごもる。

うん。

「大事な体だからな。ベイビーが安定期に入るまでは我慢する。あの怖い先生に安定期に入ったらすぐ教えてく

れっていってくれよ。かわいい顔してあのシェーンコップと結婚するような女だからなあ。俺では歯が立たない。」

安定期に入るまではいい子にしてるとポプランはアッテンボローの体を抱いてまだみぬ家路につくことにした。荷

物の類は明日自分が出仕してひきとればいいやと考えていた。



鍵。

「鍵、オフィスだよ。財布も・・・・・・。」

一人でも歩けると言っても無駄だからアッテンボローは言わない。

「鍵くらいあけれるぞ。」

と物騒なことを平気でポプランは言う。

それじゃだめなんだってばと理性的なアッテンボローは抗議する。









医務室を出ると女医が亭主と廊下で話しており二人が出てくるとアッテンボローのコートやバッグを差し出した。

「ラオはもう仕事に戻った。お前さんが困るだろうとあの男が預けて行ったんだ。車は手配しておいた。この礼は

結婚祝いをかねて形のあるものにしてくれ。」

シェーンコップはふてぶてしく微笑みポプランに言った。

「じゃあうちにも出産祝いくださいね。首席次席補佐官首席秘書官殿・・・・・・。長い名前だなあ。」

アッテンボローを抱き抱えながら荷物を受けとってポプランは言う。

「お前さんみたいに簡単な名前がほしいとは思う。税金屋。」

国際弁護士ですよとポプランは口を尖らせた。



どうでもいいから。

「さっさと家に妊婦を連れて帰りなさい。それでなくとも弱ってるんだから。」

女医は怖い。

ポプランは礼もそこそこにして妻を抱いて逃走した。












ワルター。

「ごめんね。子供が産めない女で。」

ミキは二人になると随分小さな声で夫に詫びた。

彼女の体は子に恵まれないものだと知ってて男は結婚している。

それでもたまに、女医は謝る。

それもいいさとシェーンコップは屈んで妻にキスをする。

「俺には娘が一人いてしかも子供を産む。それも双子ときたものだ。だがいくらじいさんと呼ばれてもお前とは

いつまでも二人がいい。せいぜい俺は150歳まで生きて気位の高い小癪な妻に「よい夫でした」と涙ながらに

言わせてみたい。なかなかおもしろみがある。お前の点数はからいからな。」



それも愉しみの一つさと典雅で不遜な帝国貴族であった夫は言う。

女医はそんな彼にそっと寄り添った。







ええ。親父も共犯だったのかと濃いコーンスープを口にしながらアッテンボローは実家での父親の反応を思

い出していた。確かに姉たちはそんな男とは離婚しろと言ったし、母もおろおろしていた。のわりに父は黙って

いた。



普通であれば一番に怒り出しそうな人物なのに。



「要塞にお義父上が来たときにちょっと相談したんだ。弁護士になろうか迷ってるんですがねって。そしたら

飛行機乗りよりは安全だろうしって思いのほか喜んでくれてさ。事務所に推薦状まで書いてくれて。さすがに

まさか二ヶ月で資格を取れるとは思わなかったが法律事務所の人間が便宜をはらってくれたのもある。うちの

父親が元は法曹界の人間だってことは話したよな。」

隣でポプランが作ったスープを美味しそうに食べているアッテンボローはうんと頷いた。



「世の中せまい。父親に世話になったといって便宜を図ってくれたボスが親父の教え子だった。いやあ。はじ

めて父親に感謝したな。おれはなんせ父親の記憶がないから。」

そっかあとアッテンボローは考えて。












でもさ。

「父さんとキャゼルヌ先輩とは連絡して私にはなしのつぶてってひどくないか。すごく・・・・・・。」

すごく心配したし。

すごく淋しかった。

宙(そら)いろの眸にうっすら涙が浮かんだ。

ポプランはアッテンボローの肩を抱いて髪に接吻けを落とす。



「ごめん。それに関しては謝るほかない。成功すると決まった世界じゃなかったしお前にかっこわるいとこ見せ

たくなかった。男の見栄でしかないわけだけどな。それと。」

きっとあのときお前の声を聞いたなら。

「即効還ったな。ハイネセンへ。毎日自分を馬鹿だとののしったしお前を手放したこと後悔してた。書類を見て

もお前を思い出すし、声も聞こえる。すごく会いたいって思ってた。でもあったら・・・・・・俺は根性がある方じゃ

ないからとんずらしてこっちに還ってきただろう。それはそれでよかったと思うか。」

まじめに聞かれてアッテンボローはポプランの緑の双眸を見つめて思う。












ううん。それじゃだめだ。



「コーネフのように民間航空で働いても生きていける空の男はいると思う。でもお前は違う。多分違う・・・・・・。」

ダーリン・ダスティ。

「いい女だな。お前。」

とキスをされた。

懐かしい感触とかおり。ちょっとだけかさついた唇。優しくてなぜか甘い・・・・・・。



で、でもさ。

照れてアッテンボローは温かいレモネードを口にして言う。

「たとえばお前、コンピュータに詳しいだろ。それを生業にしようとは思わなかったわけ?あれならすぐ仕事でき

るだろ・・・・・・。」

それがそうでもないとポプランはアッテンボローの額に自分の額をこつんとぶつける。

「俺くらいのスキルを持つ人間は山ほど実はいる。弁護士もそうだろっていう点を指摘されても反論はでき

るぞ。ああいうソフト関係の仕事って言うのは金がかかる。俺は軍にいたから軍の金で色んなことを試せたが

個人の範疇でできる程度ってしれてんのね。それこそ身上を食いつぶすって言うのかな。ハイネセン及びバー

ラト星域では軍備を持たないのが今回自治を認められた大きな理由だろ。宇宙開発とか軍備に携わればコン

ピューターで食うのも悪くなかったんだがそれができないだろうなって俺としてはふんでた。」



ポプランさんの未来予想図。

意外にあなどれない。



「で、結局ハイネセンで暮らしていくには何が儲けになるかなと思うと民事で食うのが俺には手っ取り早かった。

デスクワークの達人がいるのに改めてその分野を開拓するよりアレックス・キャゼルヌでもできかねることを

考えたら税金対策かなとか考えてさ。」



今後バーラト星域では必ず経済復興のための産業が必要になる。

「軍需が見込めないからな。産業を興す。するといろいろと金の回りに聡いやつが必要になるからまず食いはぐ

れない。それにフェザーンの独立商人たちや帝国の貴族さまにしても資産がある人間は必ず税金控除に血眼

になる。ま、どこででもお前と子供何人かは養えるって計算。といっても先だっては金がないからだんなを頼っ

て宣伝費をかせぐ。人気商売だし俺のルックスと知性で宣伝さえ整えば完璧。」









完璧と言っていいのかアッテンボローはすぐには回答できなかったが少なくとも自分の回想録よりは糊口を

しのぐ手だてにはなりそうである。

「決めているのは浮気をしないことと政界進出しないことだな。俺はトリューニヒトが大嫌いだ。」

大体の人間が嫌いだと思うなとアッテンボローは呟く。

「多少小ずるい商売になるけどそもそもが俺は小ずるい小悪党だししばらくは税金対策でお前を養う。そ

れと。」



待望の、ベイビーと。



「つわり、どう。あまりひどければ点滴するって怖い先生は言うけど。」

ポプランはアッテンボローの綺麗な鼻筋に指を這わす。

とにかく彼女をいじくりたいらしい。

けれどおいた禁止だから自分がとどまれる範囲でしかアッテンボローに触れてはいない。

大事な体である。

アッテンボローに悲しい思いだけはさせたくない。

今までさんざん淋しい思いをさせてきたのだから。



「薬、嫌いだからいいよ。明日から出仕しなくていいなら眩暈がしたり戻しそうになっても大丈夫だから。でも

正直妊娠してるとは思わなかった。薬飲まなくてよかった。結構眩暈と吐き気ひどかったんだよね。ストレス

だと思ってたから薬飲まなかったんだ。つわりとも思わなかったんだけどね。」

えらいなー。ダスティは。

とすかさずキスをする。

すると彼女はこういうのだ。









「ご飯食べれないよ。そんなにキスばかりされたら。」









様々な不安がなくなってアッテンボローの顔にきらめく特上の笑顔が戻ってきた。

あ、とアッテンボローは気付いたのか言い出した。

「最近食欲がなかったから料理作り置きしてない。お前、おなかすいてるよね。何か作ろうか。」



立ち上がろうとする女房殿をポプランは座らせて言う。



「無理するな。今日はいい。何せさっき斃れたんだぞ。あの先生、深刻な状態だとか言うし・・・・・・そりゃ深刻

には違いないけど・・・・・・おれみんなから亭主失格の烙印押されてるもんな。ま、それは仕方ない。お前を一

人にしたんだ。・・・・・・俺がいなくてここまで崩れちゃうとは思わなかった。ごめん・・・・・・。」

みんながいるから、大丈夫だって思ってた。



「でも考えりゃ逆だったんだな。お前はみんなが心配するから俺のことかばったり何もないふりしてくれた。

そんな女だってわかってたのに・・・・・・。」

もういいってば。

「今こうして一緒にいるし、これからも一緒にいるだろ。」



うん。

「離さない。一緒にいる。二ヶ月で根を上げた。おれ、ダスティ中毒だから。」

またキスをしようと思って綺麗なあごに指を添えて考える。









「飯、くわなくちゃな。無理して詰め込まなくていいけど食えるなら食えよ。」

うん。

アッテンボローは微笑んで頷いた。

でもね。

「キスして。」



宇宙一かわいい女。

そして生まれてくる子供。

この二人のために自分はなんでもしようとポプランは思う。

戦争は終わった。

けれど内情はまだまだ冬の時代をこのバーラト星域は迎える。

その長い冬がいつ春になるのか誰にもわからない。



唇をあわせて考える。
















どれだけ辛い時期を迎えようとこの女とその胎内の子を護ろう。

護るべきものを見つけた自分は幸せ者だとポプランは思う。

自分は強い男ではない。

けれど共に生きるこの女と子供は自分のすべてをかけて護り抜こうと決めた。

恋など一夜で終わるものでいいと思っていた。

女性とは一瞬愛し合えればそれでいいと思っていた。



出会った女はどの女とも違った。

冗談や陽気さは見え隠れしたけれどどの局面でも真剣に生きていた。一分一秒を丁寧に織り上げ美しい生き

方をする女だった。その真剣さに応える自信はあったといえば嘘になる。けれど目が離せない。まっすぐ未来

を見つめて生きる女を愛した。

一夜の恋では終われなかった。









自分以外の生命をこれだけ愛しく思えたことなどなかった。

やや堅苦しい分別くささ。

時折見せる無鉄砲さと頑固さ。

恋愛レベルになると融通が利かないまじめさ。

息がつまるときもある。

もっと自由な女であればいいのにと思わなかったこともない。



けれど。

この不器用さと清らかな優しい魂。

言い争うことがあっても自分を送り出すときは必ず笑顔でいてくれる思いやり。

自分のわがままや見栄を赦してくれるあたたかさ。

外見の美しさだけじゃなくて内奥からにじみ出る品の良さ。

甘えやいとけなさと同居する人間としてのしたたかさとしなやかさ。

どんなオリビエ・ポプランでも愛し側にいようと懸命な愛しい女。

嫌なところよりも好きなところが沢山つまったダスティ・アッテンボロー・ポプランがかわいい。

どこにもこんな女はいない。



これからも色んなことがあるだろう。

でもこの女となら・・・・・・。



自分が見る空と同じ空を見る女。

出会えてよかった。

巡り会えてよかった。

そんな思いを込めて・・・・・・キス。












「きっと男の子だと思うよ。」

愛しい唇を離してアッテンボローは囁いた。

「そういうのってわかるのか。母親ってもんは。」

ポプランは優しく尋ねた。

ううん。

「願望。オリビエに似た男の子がほしいなって。男の子だったら名前、決めてるからね。」

じゃあ女の子だったら「俺が名前決めていいのか。奥さん。」

といってみた。

いいよとポプラン夫人は笑った。



孤独の、その先にあったもの。

それは普通の幸せ。

けれど得がたく輝く幸せ。

簡単に手にはいるように見えて実はそうでない尊いもの。

愛する女と愛する子供。









アッテンボローの隣には・・・・・・いつも必ずオリビエ・ポプランがいて。

あまりに当たり前になっていたことだったからその生活を見失ったとき彼女は突然光を失った気持ちになった。

必ず会えると思いながら。

必ず還ってくるとみなに虚構の笑顔を見せて一人耐えた二ヶ月。

孤独の、その先に・・・・・・彼女は懐かしい夫と出会えた。

そして新しい生命と出会った。

もっと強くならなくちゃと思う自分と、ありのままでいていいんだと思う自分がいる。

いつも隣で手をつないでくれるポプランはありのままのアッテンボローを愛してくれている。



そんな風についポプランの優しい横顔を眺めていたら。

「いつまでも食べてたら俺がお前を食べちゃうぞ。」

などと洒脱で陽気な笑顔で言われた。

新しい大事な命。



「だめだよ。安定期にはいるまでは。獰猛なポプランさんは封印して。」

ちえと本気とも冗談ともつかない夫の尖った唇に、キス。











本性がオオカミさんのポプランさんはしばらく赤ずきんちゃんを襲うことはできません。

ただぎゅっと手をつないで夜、色んなお話をしたり触れあって笑い合って暮らしたんだとさ。

「早く解禁日が来ないかなあ。」

言葉の選び方を間違えている気がするが・・・・・・アッテンボローはポプランの気持ちがわかる。

彼女だって彼がほしいから。



お互い辛いよなあと弁護士となって出仕したポプランさんはミンツ主席次席補佐官に同意を求めた。

「昼間からそんな話題はできません。」

と品性のあるお弟子さんからおしかりを受けるお師匠さんでありました。












冬の時代は続くだろう。

0からのスタートを迎えたバーラト星域である。

だからこそ。

愛しい女のために強くなろう。

愛しい女の幸せのために強くなろう。

流血の歴史は終わり静かな時代が訪れて・・・・・・創り出すべきものは多すぎて足りないものも多すぎて。

まだまだ人の心は荒れていても。









愛は死なない。

そして、夢も死ななかった。



空を飛ぶ野鳥を見てポプランは思った。

あの鳥はセキレイの一種だ。

ちゃんと調べておかないと妻にせがまれて質問されたとき答えられないと格好が付かない。



アッテンボローは空を飛ぶ鳥が好き。

その子供も空をかける鳥を愛するようになるのだろうか。

まだ全然目立たない彼女の腹部は温かい。

その温かさがある限り自分は生きていけるとポプランは思えた。失った仲間や部下を思う気持ちもまだ傷として

残っていてもそれは妻も共有している。アッテンボローもその重い生命を背負って生きている。だからこそ彼女

を支えたい。側にいたい。



ときに彼女に甘えたい。

アッテンボロー以外の女に抱きしめられたいと思えない。












愛は死なない。

夢も死なない。



by りょう


LadyAdmiral