未来は美しい夢を信じる人のためにある。・2
ボリス・コーネフのもたらした情報はこの時期皇帝ラインハルトI世が主席秘書官である伯爵令嬢、ヒルデ ガルド・フォン・マリーンドルフを皇妃に迎えることとすでに身籠もっているというものであった。 「彼女はそもそも大本営第二代幕僚総監も務めた中将待遇の伯爵令嬢だ。政治的な助言をあの金髪の 坊やが請うほどの智謀の持ち主。前から帝国ではあの二人の噂はあったしそう驚く情報でもないな。」 どうせなら久しぶりに女性提督の入れる珈琲が飲みたいというので船長にアッテンボローが珈琲を出した。 彼はうまそうにそれを口にして。 「ユリアン、年寄りの老婆心とでも思ってくれればいいんだがトリューニヒト、地球教、潜伏したアドリアン・ ルビンスキー・・・・・・このあたりのうさんくさい連中が銀河帝国の第二代皇帝を歓迎するとはおれには思え ない。といえど帝国の未来にこの流浪集団であるイゼルローンのお前さんたちが何かする必要があるとは 思えんがこれで宇宙でも何らかの作用は起こりうると考えてもいいんじゃないか。」 船長の言うことにアッテンボローもポプランもコーネフ、マシュンゴは頷いた。 彼らは地球教の恐ろしさを知っている。シェーンコップもリンツも「レダIIの悲劇」を思い出し眉をひそめた。 ユリアンも沈痛な面持ちを隠せないまま船長の意見を肯定した。 「以前ヤン元帥がおっしゃっていました。アドリアン・ルビンスキーは拮抗した勢力同士であった帝国と同盟 の均衡を崩し宇宙を制覇した銀河帝国を掌中に収めるつもりだろうと。アムリッツァ会戦や救国軍事同盟で 同盟の兵力をことごとく疲弊させた張本人は当時のファザーン自治領(ラント)のルビンスキーと補佐官であ り息子であったルパート・ケッセルリンクだったことを僕もファザーン駐在武官のときに知りました。」 若すぎる司令官代行は続けた。 「元帥はこうもおっしゃっていました。ルビンスキーが欲するものはファザーン自身の存続ではないだろうと。 事実帝国軍が無血占領を果たし現在フェザーンは新帝国の首都星です。僕が元帥に申し上げたのは稚拙 な妄想でした・・・・・・思想、イデオロギー、宗教という精神的な利益をルビンスキーは欲したのではない かと。地球教は船長が情報をくれたおかげでワーレン艦隊が殲滅を徹底的に行ったと言われています。しか しヨブ・トリューニヒトという個人でさえ新帝国で故国の民衆を裏切っていまなお帝国の官職に就きました。」 地球教徒なら。 「何をするかわかんねえな。残党もまだまだいそうだし。」 ポプランは口を挟む。 「去年、「グエン・キム・ホア事件」が起った。現時点でも各地で惑星ハイネセンでも民主共和を訴えるもの がいる。去年、ロイエンタールの提案を退けて帝国にイゼルローン回廊を使わせたことがハイネセンの共和 主義者に心理的な失望を与えただろうな。イゼルローン共和政府は帝国に荷担したと。」 アッテンボローは言う。 ええ。 「そうとられても仕方がありません。」 ユリアンは答えた。 「でも悪くない判断だったと思う。少なくとも帝国の人民は皇帝ラインハルトの政治に満足しているんだ。ロ イエンタールが優れた男であっても人民や兵士が皇帝を支持しているなら至極正当な判断だったよ。ユリ アン。」 女性提督の政治的感性(センス)もなかなか悪いものではないと青年は思っている。 同盟政府並びに軍が存続していれば間違いなく元帥になり得た史上初の女性提督。 アッテンボローは言う。 「この時代にハイネセンで共和グループが蜂起をしていること自体は望ましいがなんと言ってもここには ヤン・ウェンリーがいる。いずれやたらと頼られることになりそうで困るんだよな。そりゃここにある軍備が すべてだものな。仕方がないがそんな未来が見えないこともない。」 ここにも女予言者がいるとキャゼルヌは思い。 「事実上ハイネセンは新帝国領だ。その人民に帝国が何らかの制裁を下さないとも限らんな。途方もなく いやな未来予想図だ。」 「未来は美しい夢を信じる人のためにある。」 ダスティ・アッテンボロー・ポプラン中将は唇をそう動かした。 「まだ人類が地球(テラ)時代を謳歌していたころ。エレノア・ルーズベルト大統領夫人が言った言葉だ そうだ。革命戦争を美化したくはないが浪漫の欠片もなければやっておられん。どんな未来でも享受す るとしましょう。」 美しさにはじめは惹かれた。 男性社会の中で見る一輪の白い薔薇。 冷たい月を心に抱いているようで・・・・・・その歌声がいまだ耳から離れない。 あのとき。 自分は彼女に惹かれた。 すべてを知った訳じゃない。 知れば知るほど狂おしく、恋に落ちた。 どんなときでもこうべをあげて光を見つめるそのまっすぐな彼女の視線を愛した。 そして今もまたオリビエ・ポプランはダスティ・アッテンボロー・ポプランに恋をする。 「女性提督は不屈の魂を持っておいでだ。革命戦争が終わったら帝国のブルジョアを紹介しよう。家事能 力の優れた美人のメイドには奴らは大枚をはたく。相変わらずうまかったぜ。珈琲。」 船長は冗談ではない世辞を言った。 是非そうしてくれとアッテンボローは口角をあげてわずかに微笑んだ。 「なんせ戦争しか能がない女だし終わってしまえばかわいい男を養わなければならん。つましく革命戦争の 回想録など書いては見るが文才がある訳じゃないから売る自信がない。私の夫はスパルタニアンに乗せれ ば英雄でしかないが地に足をつければ特に芸がない。鱒釣りがうまいから二人で食う扶持くらいはなんとで もなるが子でもできれば教育を受けさせたい。きちんとした教育。知識や教養だけではない素地を創れる場 所で子供には学ばせたいな。」 戦争の世代は。 「私たちの世代で終わりにしたいよね。ユリアン。」 7年間変わらぬアッテンボローの笑顔にユリアンは頷いた。 「おっしゃるとおりです。・・・・・・今後のことは今はまだ議論するときではないでしょうね。帝国の動きをもう しばらく見ていても後手にならぬように考えさせてください。」 幕僚たちは会議が終わると三々五々に散った。 ユリアンも会議室をあとにした。 彼には「ヤン提督のベンチ」で考えることが山ほどある・・・・・・。 「ユリアン。こんにちは。」 薄く入れた紅茶色の髪が律動感あふれて揺れている。青紫色(パープルブルー)の眸。 「こんにちは。カリン。」 少女はユリアンより背が低い。ユリアンの身長がかなり伸びたのだ。 「ヤン提督のベンチにいくのね。これ、おのみなさいよ。まだあったかいから。」 レモンティーを魔法瓶に入れてカリンはユリアンに渡した。 「フレデリカさんにも渡してこようと思うの。」 彼女はにっこり微笑んだ。 自分には見せてくれなかったはずの、綺麗だなと思える笑顔。 「ありがとう。君は紅茶も珈琲も入れるのが上手なんだね。フレデリカさんも喜ぶよ。」 「そうかしら。・・・・・・私は料理は苦手だけど紅茶や珈琲を入れるのは好きよ。飲むのも好き。でも上手だって 言われるほど上手かどうかわからない。母は美味しいっていってくれたわ。」 カリンの母親。 シェーンコップの三日間の恋人。 フレデリカさんのおっしゃるように・・・・・・。 「フレデリカさんがおっしゃるようにあの男は卑怯とは無縁な男かもしれないけど・・・・・・今更好きにはなれ ない。やっぱり嫌いだわ。最近はよくミキ先生のところで鉢合わせをするけど子供相手に容赦をしないところ は悪くはないと思うけどそれってあの男が子供っぽいとも言えなくはない?どう考えても私は好きにはなれそ うもないわ。血のつながりなんていい加減なものよね。あんたとヤン提督の方がよほど・・・・・・いい関係に 見えるもの。」 ワルター・フォン・シェーンコップを子供っぽいと17才の少女が酷評している。 ユリアンはつい笑みを浮かべてしまった。 「それよりアッテンボロー提督のお父様が今日おいでになったんでしょう。どんなかただった?」 涼やかな目元。 やや薄い唇。 やっぱり親子って似るんだなとユリアンは考えつつ。 「僕は思うんだけど。誰にも言わないかい。カリン。」 「口は堅いのよ。言わないわ。」 年の頃が近いと仲がよくなればうち解けるのが早い。 僕が思うだけなんだろうけど・・・・・・。 「アッテンボロー提督のお父さんとポプラン中佐はどこか似てるよ。」 似たもの同士だからこそ難しいだろうけど。 「仲良くなればいいなって思ってる。」 ユリアンがいったことに少女はくすっと笑って。 「そうね。仲良くなれればいいわね。アッテンボロー提督もそのほうが「楽」だもの。」 率直で。 素直な物言い。 少しばかり強気だけれど・・・・・・。 青年は彼女に恋をしていることに気付いた。 未来の美しい夢は信じる人のためにある。 美しい夢をともに信じられる仲間であればいいなとユリアンは彼女に恋をした・・・・・・。 「要塞の見学でもなさいます?お義父さん。こちら、初めてでしょう。お義父さん。」 ・・・・・・。 パトリック・アッテンボローはポプラン夫婦に割り当てられた部屋に逗留することになる。 本当に娘はこの男と結婚しているのだなとしみじみ考える間もない。 お義父さんというな、といってもいいがいささか大人げないので案内された寝室に荷物を置いてベッドに 座った。もとは帝国の要塞だから室内は華美な装飾がなされているとパトリックは思った。でもまんざら 居心地は悪くない。 部屋が広いからだろう。 「あれは随分忙しいんだな。会議が終わったのにまだ仕事なのか。」 憮然としてアッテンボロー父は言う。 あれ、とはまさしくダスティ・アッテンボロー・ポプランのことである。 「仕事人間ですから。お義父さんに似たんでしょう。でも今日は残業しないで定時で帰ってくると思いま すよ。夕食を作るの彼女張り切ってましたし。」 娘婿・・・・・・と認めたくないオリビエ・ポプランが笑顔を絶やさないで言う。 「あれはいつも残業をするのかね。」 ええ。 「小生の奥さんは根っから仕事がすきで。執務室で分艦隊主席参謀長と艦隊運動のパターンを組んでい るか船の管理に目を光らせているか。暇があれば図書室で本を書くんです。だからときどき小生は夕飯を 作って差し入れにいきます。」 でも今夜は。 「彼女が作るって言ってました。料理上手ですからね。お義母さまも料理がお上手だとか。」 娘婿と認めたくない軽佻浮薄な伊達男がまだまだあまり気に入らないアッテンボロー父である。 オリビエ・ポプラン中佐の軍人としての評価はよい。 なにせ同盟史上最多撃墜王に一歩遅れるといえど一機だけの僅差であるから優秀なパイロットであると ジャーナリストであるパトリックは思わないでもない。 だが。 ハートの撃墜王といわれる男は名うての色事師といわれてきた。 日替わりで女性を口説き落とし撃墜する男。 アッテンボロー父は思う。 うちの娘はそんな軽薄な男のどこに惚れてしまったのであろうか。 やはり若いうちに婚約が破棄されたことが原因で娘は男性を見る目を誤るようになったのであろうか。 妻はこの縁談を喜んでいて・・・・・・すっかり好男子に見えなくはないこの男にたぶらかされて娘がよい 人と結婚できたといつも言っていたが。 よい男などこの世にはいない。 それがパトリック・アッテンボローの持論の一つである。 せめて。 せめてヤン・ウェンリーのような浮気をする甲斐性がなさそうな朴訥な人間を夫にしてくれればよかったのに と思うが現時点深昏睡と発表されているのを考えればこれも娘には不幸かもしれない。 キャゼルヌ中将あたりの男などが娘をもらってくれていればよかったのだが縁とは難しいと考える。 要するに。 娘の結婚に反対なのだ。 「・・・・・・我が家の女たちはみな見目麗しく才長けている。妻に娘のしつけをほとんど任せたような ものだがどの娘も円満で幸せな家庭生活を送っている。もちろん相応の亭主に大事にされている。 相応のね。ダスティは相応の幸せを手に入れたのかどうか疑わしい。不憫で仕方がない。」 パトリックはポプランに嫌みを言ってみる。 「ダーリン・ダスティは難しい立場と複雑な胸中を抱えている特別な女性ですし市井の一夫人と比較でき ないと思うのですがねえ。それにワイフは亭主で左右される女じゃないですよ。普通の女性ではないん です。」 言われた方は安穏と台所(キッチン)で珈琲を入れている。 長旅でお疲れでしょうと実に香りのよい珈琲がパトリックの目前に差し出された。 「お義父さん、昼食は何が食べたいですか。特にお嫌いなものがあったら言ってください。好物があれば 作りますよ。」 ポプランが慣れた様子でギャルソン・エプロンをまく。 この男。 料理も作るのか。 今時の男は料理くらいできねば格好が付かない。伊達ものは違うなとパトリックは気に入らない。 ふん。 珈琲の味も悪くない。 しかしどれも女を墜とす技術(テクニック)にも見えてアッテンボロー父は不満げな顔になる。 「中佐は料理もするんだねえ。実に器用だ。さぞや女性にもてただろう。」 ええ、昔は。 ポプランはしれっと答える。 「今でも女性から声がかからなくもないですけれどうちの奥さんほどの女性と結婚すればどんな女 性も色あせて見えます。ダーリン・ダスティは小生にとっては宇宙一の女ですから。お義父さん、特に リクエストがなければワイフの好きなメニューを作っていいですか。あのひと最近昼間も仕事を休ま ないから飯を作って届けてやりたいんです。トマトとツナのパスタとロールキャベツですけど。お義父 さん、お嫌いですか?」 それはパトリック・アッテンボローの妻が得意とするレシピではないか。 「嫌いではないが・・・・・・味の方はどうだろうねえ。」 むろん。 「ワイフの方が上手です。その辺はご勘弁ください。」 なんてポプランはすっかり大きな鍋に湯を張って調理をはじめている。 ふむ。 まだまだ安堵などできないなとパトリック・アッテンボローは考える。 従順なふりをしているがいつかどこかでこの男、化けの皮が剥がれるぞといささか意固地な物見をして いる。 娘の父親というものはつくづく難しい。 ポプランはそんなことくらい世の常だと思っているのでいつものように調理をして難癖をつける舅殿にいや な顔一つせずトマトとツナのパスタとロールキャベツを給仕した。 格段にパトリック・アッテンボローの妻の方が料理の腕はいいに決まっている。 そして愛娘のダスティ・アッテンボローの作る食事のほうが美味しいに決まっている。 けれど。 娘の料理の又従兄弟程度にはうまい料理であった。 「・・・・・・まあ、達者な料理の腕だと言わせてもらおう。まずくはなかったよ。中佐。」 それは何よりとポプランはにっこりと笑顔を見せた。 ねえ。お義父上。 「ダーリンが仕事しているところに今からランチを届けようと思います。どうですか。お嬢さんの精励ぶりを ごらんになりませんか。」 ポプランの提案は嬉しかったがパトリックは気になることを尋ねた。 「あれの仕事は機密じゃないのかね。」 さっき軍の機密になることには一切関与しないとアッテンボロー父は若き司令官代行に約束したのである。 「まあ、機密は機密でしょうけど。でも昼飯くらいは食べさせないと。彼女は間食をつままないし腹時計が 正確だしきっちり食べさせないといけないでしょ。同席したって大丈夫ですよ。」 何となく。 何となく小癪な男だが。 悪くない提案をするものだからアッテンボロー父は娘の職場に行くことに同意した。 by りょう |