宇宙は一つの、劇場。・2


うちの若すぎる司令官閣下は。



「確かに才能もあるし才覚もある。運にも恵まれているかもしれない。ボリス・コーネフなどは謀反気がない

などという。事実はそうだとしてもヤン・ウェンリーはこと軍事に関すること、宇宙一の人間といっても過言で

はないと小生などは思います。模倣したいとユリアンが思うのもワルイコとじゃないでしょ。」

ねえ中将、と珍しくオリビエ・ポプランはワルター・フォン・シェーンコップと士官ルームで酒を酌み交わして

いた。



天変地異の前触れではない。

別段和解を目的に酒を飲んでいるわけでもない。いわば僚友同士の浮世のつきあいというもの。コーネフ

には新婚の夫という重要な役割がある故にポプランの飲み友達は自ずと限られてくる。階級の差を考えて

も遠慮せずに忌憚なくはなせるのは案外シェーンコップだった。






この時期・・・・・・宇宙歴800年10月。

ボリス・コーネフはとんでもない情報をユリアンに知らせた。

「ロイエンタール元帥の叛乱」である。

当然全貌をこの時点で知りうる訳にはいかないまでもこの知らせはユリアン・ミンツ司令官代行に大きな

衝撃と岐路を与えた。



これに乗じていまの「八月の新政府」の打開策を若い青年は考慮するに至った。

アッテンボローやキャゼルヌ、ヤン夫人であるフレデリカもユリアンの出す答えにいつでも呼応する覚悟

はしていた。



お前さん。

「そういうことより本当は聞きたい話でもあったのじゃないか。」

「さすがは中将。蛇の道は蛇ですよね。話が早い。」

お前も同じ穴のむじなだったくせにとシェーンコップは琥珀の液体を手の中でゆらして目で愉しんだ。



本当のところ。

「あの怖い女の先生とよほど馬が合うんですね。中将。」

ポプランはミキ・M・マクレインが怖い。

イゼルローン要塞を再奪取する作戦で陸戦部隊に配備された女医が敵装甲服団をものともせず先陣を

きって血しぶきを浴び、平然と攻撃をかわして男たちの屍を超えていく女。

ポプランがかわいいと愛してやまない愛妻のアッテンボローの方が戦艦や艦隊を指揮して大量の生命を

奪うのだから本来は物騒なのだが・・・・・・目前で体の小さい女医が戦斧(トマホーク)を振りかざしている

姿が網膜に焼き付いて一生離れそうもない。



といういとも単純な理由でポプランは女医が苦手なのである。

「馬が合うか・・・・・・。合うと言えば合うし合わないと言えば合わないものさ。お若いの。」

愛する伴侶の生命を断たなければならなかった罪業を持つ女を見たことはあるかとシェーンコップは

ポプランに言った。

相変わらず男はたなごころで揺れる液体の色彩を見つめていた。

「あの女の亭主はこの時代にしてはいい男だった。男ぶりは精彩を欠くが人間としての格があった。少なく

とも独善的で排他主義のおれでもそう思えるやつだった。よい人間は長生きできない。特にこの乱世では

な。脳死状態だったあの男は生前の遺言で生命維持装置を拒んだ。手術で助けた生命で、しかもそれは

亭主。結局遺言が履行されて担当医であった妻のあの女が生命維持装置をすべてはずした。お前さんな

らアッテンボローが死なせてくれと言えば死なせてやるか。おれは惚れた女が殺してくれと言っても手を

下す気にはなれない。男の方が脆いものだ。」



らしくもないことを言っているとシェーンコップは思っている。

ブルームハルトを失ったとき。

彼の心に冥い雲は覆った。

その体には銃創がいくつもあり血がおびただしいほど紅く床を染めていた。

死なせるために鍛えたつもりはない。死なせるためにヤン・ウェンリーの護衛につけたのではない。

若い青年といえる男は浅い息の中、絶命した。

血の負債を負うべき人間は自分だとシェーンコップは勝手に思いこんでいた。銀河帝国という国を捨て

自由を求めて亡命してきた少年時代。

けれど自由などなかった。

常にさげすみの目で見られる生活を送ってきたものが集っているのが薔薇の騎士連隊といえる。ほとん

どのものが自由惑星同盟軍で出世を望めない。蔑視の対象とされていた。



そのなかでライナー・ブルームハルトは清廉な魂を持っていた。シェーンコップには理解できぬ部分はあっ

たがあのおおらかさはよい資質といえる。素直であるからこそ何を教えても迷わずに研鑽するから上達も

早い。年齢が若すぎて薔薇の騎士連隊第15代連隊長に推すことができぬままこの世を去った。

そのぶつけようもない理不尽で暴走するシェーンコップの怒りをミキは叱りはしなかった。本来は彼女の

咎は何一つない。むしろブルームハルトを弟のようにかわいがっていたのは女医だ。ヤン・ウェンリーの

緊急手術のあと遺体を安置している部屋でブルームハルトの体を調べ、清めたあの女に怒りを発散する

のはまるで方向が違う。



なのに。

心情を、激情を吐露しても安心できた。

これが男の性(さが)なのかもしれない。












「地獄を見た女性なんですね。センセって。」

ポプランは多くを聞く必要がない。

一時は一人の女を本気で取り合った御仁であるし、男の事情など聞いたところで面白いはずがない。

「人に話をさせておいて小癪な小僧だな。お前なら瀕死のアッテンボローが殺してくれと言えば殺してやる

か。そのあたりは少しばかりおれも興味がわいた。」

そんな縁起でもないこと言わないでくださいよねとポプランは心底いやな顔をした。

「俺たちは現場の人間でしょ。縁起を担ぐんです。だからお答えしないでおきます。」



裏切り者めとシェーンコップは口角をややあげて怜悧な笑みを浮かべ酒をあおった。空になったグラスを

つまらぬ様子で眺めている。

中将の味方になった覚えは一度もないですよとポプランは笑う。

それはその通りだ。






「確かに。アッテンボローはいい女だった。ややアンバランスな性質を持っているがおおむねのところいい女

だ。特にお前さんに隠し子が現れたときに鷹揚と構えていたあいつは見事だったな。お前さんごときにく

れてしまったのは一生の不覚だと思っている。」

小生から言わせてもらえばですね。



「小生から言えば中将はご面相がよろしくてそれなりに腕が立つと言うから女に不自由しないだけです。

実際のところ女を口説き落とす技術(テクニック)やハートは明らかに小生がうわてなんですよ。」

「否定はしない。おれは口説かなくても夜には女が隣に寝ている。」

ポプランはシェーンコップに一撃を食らわしてつもりでいたが開き直られてしまった。



そのうち。

「そのうち小生のワイフではない女に手を出さなくてよかったと思うときがきますよ。妻曰く・・・・・・いや

もったいないから言わないでおこう。」

気になることばかり言う男だなとシェーンコップはいいポプランはグラスの酒を飲み干した。









で。

「で、結局シェーンコップと酒を飲んでいたわけだ。珍しい。」

アッテンボローは仕事でも緻密な作業をこなすが自宅でもマダム・オルタンスに触発されレース編みなど

愉しんでいた。

「一体何を作るつもりでいるの。奥さん。」

とただいまのキスを一つ。

「うん。テレサがキャゼルヌ夫人のテーブルクロスを見て懐かしいって言ったんだ。調べたら帝国風の編み

方を見つけてさ。彼女はこういうことは不得手らしくてね。すべてを故郷のように整えるなんて無理だしそ

んなことはテレサだって望んでいないのはわかるんだけど。必死に私たちの文化になじもうとしている。涙ぐ

ましいじゃないか。テーブルクロスの一枚くらい編んじゃうよ。」

かぎ針をせわしなく動かしてそれこそ必死に目を落とさないように編み物をしているアッテンボローを見て

ポプランは思う。



愛しい女。

死なせたりはしない。

女医には女医の事情があった。

それは理解できる。



でもポプランにはアッテンボローを失うことなど考えることすら、怖い。

「こら。なんだよ。オリビエ。いきなり抱きつくな。苦しいじゃないか。」

邪魔をされて笑うアッテンボローの意外に細い肩を抱きしめて顔を埋めてポプランは呟いた。



なにがあっても。

「何があってもお前とお前が愛するものをおれは必ず護るからな。」

赤めの金褐色の髪に優しく指を入れて撫でる。

「馬鹿だね。お前。」



私の愛するものはお前なのに。

こんなに毎日一緒にいてもわからないのか。

オリビエ・ポプラン。

困ったやつだ。



当分アッテンボローはベイビーを求めてはいなかった。



宇宙一かわいい亭主が大きな子供であるからぎゅっと・・・・・・ポプランは優男に見えるだけでがたい

はしっかりしているので遠慮なく抱きしめた。










抱きたい女は世の中ごまんといた。でも抱かれたいと思った女は過去も現在もお前だけだと過去に

ポプランから言われていた。だからアッテンボローはそのうでの中に夫を抱きしめた。





ぽかんと後頭部を軽く小突かれてシェーンコップは改めて不遜な戦闘指揮官の頭をはたける数少ない

人物を背後に確認した。彼はそもそも陸戦の英雄である。背後の気配くらいは察知できるがそれが麗し

い女であれば別に撃ち殺されてもかまわないと思っている。




「お前、うちのオリビエになんか妙なこと吹き込んでいないか。」

女性提督はややおかんむりで長身の歴戦の勇士を下から見上げた。

やれやれ。









「お前さんたちは双子だな。どっちも相手に過保護だ。おれはポプランになにもいってはいないぞ。」

歩きながらシェーンコップが言うのでアッテンボローは仕方なく肩を並べた。

「ふむ。まあそういうならそうだろう。お前さんは案外嘘などつかない男だしな。お前さんと酒を飲んで帰った

オリビエの様子がおかしかったんで気になったんだ。言っておくがあいつはあいつなりの矜恃があるから

何があったか言わない。でも男って生き物は存外繊細で護ってやらねばならん。そのくらいの方程式

ワルター・フォン・シェーンコップ中将ともあろうひとはわからぬでもないよな。」



グレイがかった髪と眸をした男はちらりとアッテンボローを見た。

「自分の男に優しい女は悪くない。それに男の弱さも甘えも赦す寛容さは見上げたものだ。やっぱりポプラ

ンごときの生意気盛りの子供にくれてやるには惜しい女だな。アッテンボロー。」

ほざけとシェーンコップの言葉を女性提督は一蹴した。



アッテンボローは歩調をゆるめ廊下で立ち止まってシェーンコップの背中に呟いた。









「お前さんは・・・・・・やっぱりそれほど恋愛に長けている訳じゃないんだな。むしろ不器用だったんだ。」

シェーンコップも立ち止まって。

「それはお前さんのかわいい男に言われたしおれも認めている。おれは男ぶりがいいからあえて女を

たぶらかさなくても女が勝手に恋してくる。自分に恋する女で美人ならばおれもやぶさかじゃない。今ま

でそうして夜毎の情事を繰り返してきた。否定も何もせんよ。」

確かに。

「私をくどく様はあまり巧いとは言えなかったものな。お前さん、容貌は私好みだったが鼻につくから

嫌いだったんだ。」

白皙の美女、アッテンボローは翡翠と瑪瑙の石を思わせる美しく高貴なまっすぐな眸でシェーンコップを

酷評した。



でも、事実であるのでシェーンコップも反論しない。

「ま、お前さんは恋の放浪者と見た。ついでに言えば案外センチメンタリストなんだな。」

腕組みをして苦笑しているアッテンボローに「お褒めいただき光栄です。女性提督。」と恭しく貴族趣味で典

雅なポーズなど作る。

「男は大なり小なりセンチメンタルないきものだ。理解ある女の鑑(かがみ)のアッテンボロー提督に敬意を

表してるぞ。」などといって背を向けて歩き出した。

残されたアッテンボローは。

あいつは恋の教主(カリフ)ではなく、恋の奴隷なんだと一人納得した。



やれやれ。

「情勢がおかしいとなんだかみんな情緒が不安定だな。まともな人間はメルカッツ提督だけ、てか。」

アッテンボローは髪をかき上げて手持ちぶさたになり唇を尖らせた。

結局のところユリアンは「ロイエンタール元帥の叛乱」を「八月の新政府」を優位にせんがために利用しよう

とは思っていないらしい。10月も残りわずかになる。なんの策も講じていない様子から見ても今回は機に乗

じるつもりはないのであろう。

あの男。

一度、旧首都星オーディンでエレベーターに乗り合わせたオスカー・フォン・ロイエンタールという男が皇帝

に反旗を翻すとは。どこまで本当の話かは知らないが船長・ボリス・コーネフの情報ではロイエンタールと

ミッターマイヤーという双璧と呼ばれる二人は孤立していた当時のローエングラム伯爵に進んで忠誠を誓っ

たという。それまではラインハルト・フォン・ローエングラムにはジークフリード・キルヒアイスただ一人が心

を赦せる唯一の友人であったとか・・・・・・。



「かわいい男とは言えないもんな。皇帝(カイザー)ラインハルトは。ロ王朝にこんなにも早くひびが入るとは

思っていなかったよ。」

ロイエンタールが指揮する軍は500万以上と推計したとしてユリアンが腰を上げないのはその500万すべ

ての兵が皇帝に叛逆することを是とするかであった。暴君でもない、安寧とも言える世を築いているラインハ

ルトに謀反を起こす理由が見あたらない兵士は多いであろう。



あの男の眸は猛禽のそれににている。

第三代皇帝あたりの地位なら・・・・・・これはユリアンが言っていたことであるがロイエンタールは第三代皇

帝としてならばオスカー・フォン・ロイエンタールはうまく国を治めるであろう・・・・・・アッテンボローもそう思

う。



少なくとも皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムの治世においては。



「叛逆は英雄の特権か・・・・・・。」

そう呟くと自分の執務室に向かって歩き出した。

英雄が過分に多いと世が乱れる、とアッテンボローは思う。



季節は様々な展開を見せながら秋から冬へと移りゆく。

夏に新政府を立ち上げるまでダスティ・アッテンボロー・ポプランが心休まるときはなかった。現時点では

イゼルローン要塞は辺境の一惑星にすぎない。帝国ではウルバシーにおいて皇帝ラインハルトI世が襲撃

されコルネリアス・ルッツ上級大将が亡くなっていた。挙兵するにあたって皇帝はロイエンタールの親友で

あるミッターマイヤー元帥にあえてその総指揮を命じていた。



宇宙はどれだけの血を欲するのであろうか。

あの奥方はまた夫を戦地へ見送るのだなと過日オーディンでであった可憐な女性をアッテンボローは思

った。クリーム色の巻き毛に菫の色をした眸。少女とも言えるあの奥方にも子が授からない・・・・・・。

親友を討ちに征く夫を見送るなど女性提督には到底まねができそうもない。









歌劇(オペラ)は続く。



by りょう




LadyAdmiral