彼女はクィーン・3
実は58回じゃないんだよと食堂でダスティ・アッテンボロー・ポプランは亭主を横目でちらりと 見やってカーテローゼ・フォン・クロイツェルに悪戯っ子のように無邪気に笑みを作って話した。 「オリビエが私にプロポーズをした回数は58回が通説なんだけれど実は59回なんだ。」 翡翠色の髪がさらさらと流れる様が美しい。 女性提督は食後の珈琲をいただきながら隣のオリビエ・ポプランの赤めの金褐色の髪を撫でた。 愛妻に髪を撫でられつつポプランは目をぱちくりと見開き何とも不可解な顔をしていた。 「・・・・・・おれは記憶力には自信があるんだがダーリン・ダスティ。58回だろう。べつに1万回でも 100万回でもプロポーズしてくれとお前が望むなら喜んでするけど58回だろう。59回目はまだだ。」 「かわいい私の旦那様は時々一日だけの記憶喪失になる。お前さんは覚えていないだろうけれど 私は忘れないよ。」 ルージュを付けない唇が優しく言葉を発してマニキュアをしない綺麗な指先でポプランの額にぴたりと 当てた。 アッテンボローにはヌードな色彩がよく似合う。 革命軍司令官補佐である彼女は三十路を超えてもなおメイクアップをしない。淡雪のように白い肌とほん のりと薔薇色に染まる頬だけで独特の性を超えた美しさを誇っている。 ご当人は全く無意識であるので罪作りな女性であるに違いない。 感情が高ぶると蒼く宇宙の色の眸になる双眸は普段は翡翠石をはめ込んだような鈍く淡い翠の色を している。 「おれが記憶を失っている間のことは・・・・・・・なんだか釈然としない。困ったな。そんな曖昧な59回目 のプロポーズじゃなくて形あるきっちりとした求婚がいいな。結婚記念日も近いし。去年は圧力鍋をプレ ゼントしたがいささか色気に欠けるし。・・・・・・やっぱりあれだな。」 シャンパンと「アンネマリー!」の白い薔薇。 アッテンボローがポプランより先にそれを言うとカリンはくすっと笑った。 本当に心を許しているひとたちにしか見せないカリンの笑顔。 「笑ったな。カリン。ワイフには白い薔薇が似合うだろう。何か文句があるのか。」 ポプランは文句を言うが表情には愛嬌の二文字が浮かんでいる。美男子ではないのだがカリンの上官 は人なつこい眸の輝きをもっている。唇を尖らせているものの本気で少女に不平を鳴らしているのでは ない。 オリビエ・ポプランは自分の麗しきワイフ殿の次に女性を大事にしている。 「アッテンボロー提督にはもちろん白い薔薇がお似合いです。仲がいいのは拝見していてとても・・・・・・ 幸せな気持ちになります。なんの文句もありません。中佐。」 カリンはにっこりと微笑んだ。 このくらいの年齢の女の子は日々輝きを増していくなあとアッテンボローはよいことだと満足していた。 ダヤン・ハーン基地ではじめてであったときはまだまだ蕾のようにかたくなで触れれば壊れそうな硝子 細工のようだったカリンが今現在イゼルローン要塞でまさに開花しようとしている。今もどこか繊細さを 持ってはいるもののユリアン・ミンツをかばったり差し入れをする柔軟さは少女が大人になっていくさま を表しているようだと母親のような気持ちで見守っているアッテンボローは嬉しくなる。ユリアンなら間違っ てもシェーンコップのような男にはならないし互いに惹かれ合っているのはそれこそ顕著にわかる。 他人の恋愛事情は面白い。 女性提督は一人ほくそ笑む。 「またおれよりカリンばかり見て。いけない奥さんだ。今年は圧力鍋じゃない贈物を必死で考えている のに。」小さなあごを持ち上げられてキスされた。アッテンボローはカリンの視線を気にはしたけれど いずれ少女にも「first time」が訪れる。 ・・・・・・ユリアンはうまくできるだろうかとポプランと唇を合わせながらアッテンボローが考えたのはそ んなことであった。 うちの奥さんは。 「どうも観客(ギャラリー)がいると理性が損なわれない。蕩けきった顔を拝みたかったが夜までお預け だな。それにしてももう記念日まで日にちがないんだよな。去年はフェザーンで自然の中で愛し合った なかなかいい結婚記念日だったけれど今年はバケーションに期待はできないなあ。せめてシチュエー ションくらいロマンチックなものに演出できないものかな。・・・・・・・ダーリンのほしいものはわかっている。 プレゼントは「アンネマリー!」とシャンパンと香水。それと・・・・・・・。」 思案顔でポプランがいうとアッテンボローは開放された唇で言う。 「ロイヤルコペンハーゲンの珈琲ポットほしいんだ。ちょっとばかりオリエンタルでなかなか素敵なんだ。 値が張るけれど宝石や服をもらうよりこっちの方がいい。」 思考が台所用品から離れないのがアッテンボローの主婦として秀でたところかもしれない。 「同じアンティークでもアクセサリーに目がいかないんだな。ダーリン。それもそれでいいのかも。おれが 愛した女はお茶目さんだ。」 ポプランはアッテンボローの頭を愛しげに撫でる。 「ジュエリーならこれで十分だよ。」と左の薬指にはめた鈍く光るプラチナ製のアンフィニをモチーフにした 二人の結婚指輪を見せていう。 ウェッジウッドのクィーンズウェアってカップとソーサーでもいいんだよとアッテンボローは無邪気に夫に ねだっている。 「珈琲タイムが優雅になるだろう。あの青のいろといいエンボスの加工といい実にすばらしい。私はアクセ サリーより日常で使うものがいいな。お前と二人で使うのにいいかなあと。」 圧力鍋よりは色気があるかもしれないが。 これでいいのかなとオリビエ・ポプラン氏は思わないでもない。 けれど。 化粧っけもなく過ごしているけれど知性と品性にあふれわずかに心地よい「遊びの加減」が備わっている 美しい自分の妻を見ていると。 「空戦隊の仕事が終わったらちょいとプレゼントでも見繕ってくる。」 と夏の太陽を思わせる自由で闊達な笑顔をアッテンボローに向けてまた、キス一つ。 信じがたい話であるが現在第一空戦隊長殿は第二空戦隊長の代わりに「八月の新政府」軍の空戦隊を 統括している。全く使い物にならないわけではないのであるが奥方の懐妊でイワン・コーネフ中佐に落ち着 きがないのである。普段冷静で沈着であるコーネフが彼の愛妻とその子供のことになるとポプランでさえも 目を覆いたくなるようなあわてぶりを見せるときがある。 信じられないことであるが事実である。 人間とはわからぬものだ。 普段から落ち着きがないオリビエ・ポプランなどはたまにまじめに仕事をすると評価が上がるので得な男 とも言える。 「この時期空戦隊の出番はないもんな。そのうちテレサがベイビーを産めばコーネフだって少しは落ち着く だろう。子煩悩な父親になりそうだな。」 アッテンボローが言うとカリンも頷いた。 「もう6ヶ月だそうですね。性別は女の子らしいとミキ先生がおっしゃってました。」 ほうとアッテンボロー。 「うちの艦隊は女腹なのかな。キャゼルヌ家も令嬢(レディ)二人。コーネフののところも娘なのか。なんだか あいつはあれで身内に過保護だから今から嫁には出さないとかいってそうで恐ろしいよ。あはは。」 言ってるんだぜとポプランはかわいいアッテンボローの桜色した頬にキス。 「あのばか。もうすでに嫁に出す気はないときっぱり断言したぞ。おれは正直寒気がした。」 ・・・・・・。 沈黙のあと女性二人は笑い出した。 「笑っているが真剣に馬鹿を言う奴ほど恐ろしいものはないんだぞ。」 確かになとアッテンボローは愛する彼女の夫の綺麗な額に接吻けした。 「じゃあいつの日か私がめでたく懐妊してそれが女の子であってもオリビエはそんな血迷ったことを 言わないでおくれよ。」 そういってアッテンボローは微笑んだ。 馬鹿言うな。 「ダスティにそっくりな娘なぞ深窓の令嬢として男なんて寄せ付けない。嫁に出す以前の問題だ。」 またわずかな沈黙があって。 カリンはかわいい笑い声を上げたがアッテンボローは苦笑しただけであった。 くだんの理由で我が「八月の新政府」空戦隊第二飛行隊長の代わりをポプランが務めているので自然と アッテンボローは先に自分の部屋に帰ることができて主婦業にいそしむことができるようになった。小ガモ のようにアッテンボローにくっついてくるポプランはかわいいけれどたまには一人でゆっくりと夕食の準備も したい。新陳代謝の高い健康な体と頭脳を持つ夫にはおいしいもので栄養価のあるものを食べさせたい。 結婚生活三年目に突入するダスティ・アッテンボロー・ポプランの私生活はまずまずの優秀な主婦になる。 もちろんオルタンス・キャゼルヌには及ばないがその妹分程度にはなれる。 あんな横暴で体の大きい亭主なんぞ自分の居住スペースに住まわせたくないとアッテンボローは思って いる。キャゼルヌに憧れの気持ちが昔なかったわけではないけれど鼻にも引っかけられぬことがわかって いたのでよき先輩として尊敬はしている。 結果的にオリビエ・ポプランと恋に落ちた。 そして彼は彼女より3センチだけ高い。 小さくて、かわいいとアッテンボローは思っている。 ポプランはそれでも182センチはあるのだけれど。 珍しく分艦隊主席参謀長のラオ大佐からヴィジフォンがかかってきた。 上官が私室にいるときは滅多に電話を入れてこない彼がすぐに中央司令室にきてくださいと言ってきた。 「なんだなんだ。今頃飯の準備よりも重要なことなんぞないはずだぞ。」 アッテンボローは綺麗な笑顔でこわばった表情でスクリーンを見ているラオの肩をたたき自分も中央司令 室の大きなスクリーンを直視した。 「・・・・・・ヨブ・トリューニヒトが新領土(ノイエ・ラント)総督府高等参事官に任命されたなんて・・・・・・。」 まだ制服姿だったアッテンボローは硬質に見える唇をわずかに震わせて呟いた。 「これが帝国の人事か。」 「ええ。先ほどから定期的に全宇宙へ発信されています。もちろん録画はしてあります。」 ラオもことの異常さに蒼然としてついユリアンではなく上官のアッテンボローを呼んでしまったのだ。 「ミンツ司令官はどこにいる。まだこれを知らないだろう。ヤン夫人とシェーンコップ、キャゼルヌを呼びだ そう。」 皇帝ラインハルト一世の人事。 アッテンボローには空恐ろしく思うことがあった。 人事というものは任命したものか任命されたもののいずれかが望んだものである。その意味を今彼女は 考えるべきかもしれないと思った。 ユリアンは港湾施設を点検していたところを呼び出されフレデリカはヤン・ウェンリーの病室からおのおの 集まってきて中央司令室で流れる新帝国人事の報を耳にして愕然とした。 シェーンコップ、キャゼルヌも嘆息した。 「アッテンボロー提督のおっしゃるとおりこの人事の意味、気に染まないことだけれど考えなくてはならない でしょうね。」 グレイッシュ・ピンクのスーツを着たフレデリカはヘイゼルの眸でスクリーンを見つめて言った。 「笑っているのが不気味だよ。どの面を下げて旧同盟領で任官するつもりだ。ヤン司令官が昔おっしゃっ ていたがあの男、ヨブ・トリューニヒトは案外二流や三流の政治家ではすまない恐ろしい生き物に思えて 仕方がない。」 アッテンボローはユリアンに向かってそういった。 「不愉快な人事であるには違いありません。なんと言ってもトリューニヒトは・・・・・以前地球教と繋がって いました。皇帝ラインハルトが何を思って発令した人事としても任官は任官です。去年の6月に地球教 徒による皇帝暗殺未遂事件がありました。キュンメル男爵という人物が実行犯だったようですがキュンメル 男爵と地球教とのつながりを帝国に進言したのはトリューニヒトだとコーネフ船長から聞いています。だか らといって皇帝のあの気質から言えばトリューニヒトは功を上げたもの、よりも卑劣漢以外の何者でもな いと判断こそすれ官職を与えるとは何がなにやら・・・・・・・。」 知的さととまどい、怒りを交差させたダークブラウンの眸の若者は自ずと拳を握りしめた。 ヤン・ウェンリーと過ごした日々のなかでいかに彼がトリューニヒトを忌み嫌っていたのかを青年は思い出し ていた。確かにヤンは政治家としてのトリューニヒトを嫌悪しただけではなかった。ユリアンはまだ幼かった が「救国軍事同盟会議」というドワイト・グリーンヒル大将・フレデリカの実父が代表を務めたクーデターの おり、政治家、軍中枢の人間が拘禁されたにもかかわらずヨブ・トリューニヒトだけは地球教徒に地下で かくまわれていたとしゃあしゃあと言っていた。 「同盟市民を平気で帝国に売り渡す男だからな。地球教徒程度帝国に差し出すのはこいつの良心に幾ば くの痛痒もなかったと思うぞ。」 シェーンコップはそう呟くと口角をゆがめた。 「どんな政治形態にも潜入して取り込んでいくつもりじゃないだろうか。まるで・・・・・・宿り木のように。」 アッテンボローもそれきり黙った。 そうかもしれない。 いずれロ王朝を腐敗させていく算段がトリューニヒトにはあるのかもしれない。 ユリアン・ミンツには自分の人生を賭けてでも成し遂げたいと思うことが二つあった。 一つは師父であるヤン・ウェンリーが目覚めるまでの間は彼が残した思想や言葉を体系化して分類し 書物として残すことである。もちろんヤンが女医の言うようにいつか目覚めるのであれば・・・・・・目覚めて 欲しいとユリアンは常に思っているが目覚めればその仕事はヤンと分かち合えればいいと思っていた。 ヤンの助手ができるならこの上ない歓びになる。 もう一つは復讐であった。 ヤンを眠りにつかせただけじゃない。 パトリチェフを、ブルームハルトを殺した地球教にユリアンは必ず報復することを誓っている。マシュン ゴやスールにも大きな傷を与えた敵をユリアンは絶対に赦さない。 実はこのことはのちに歴史上大きな転機を産むことになる。 ユリアンの復讐相手はもしヤンが害されたのが帝国であれば皇帝ラインハルトやロ王朝に向けられて いたはずである。青年は気づいてはいなかったが彼はラインハルト・フォン・ローエングラムという専制 君主を憎まずにいるのであった。 和平への第一関門が開かれていた。 まだ先の話になるので誰もこの可能性を考えてはいなかった。 「トリューニヒトの持ち前の厚顔だけで決まった人事なら気楽でいいのですがそれはあくまで結果論です。 問題は咲いた花ではなく地中深く根ざしている根の部分です。あまりに情報が少ないので推測に頼らざ るをえない自分の能力に情けなさを感じます。しかし推察する姿勢だけでもヤン提督に習ってしっかり考 えようと思います。」 ユリアンは自分が未熟だと知っていた。 それでも追うべき責任から逃れようとはしなかった。 そこにポプランがパイロットスーツのまま現れた。 コーネフは制服を着ている。 「ダーリンを捜していたらおぞましいものを目にしちまった。こいつはなんで死なないんだろうな。世の中 不条理きわまりないぜ。」 ポプランは物騒なことを呪詛のごとくつぶやきアッテンボローにキスした。 「なに。帝国だって馬鹿じゃない。いずれ才のある人物がこの不愉快な男を撃ち殺してくれることを望む。」 アッテンボローは夫よりさらに物騒なことを言ってのけた。 一同は苦い笑みを浮かべるしかなかった。 彼女はまごうことなき美女である。 その美女の願いを聞き届けるのが銀河帝国新領土総督に就任した名将の誉れ高いオスカー・フォン・ ロイエンタールという剣に斃れた男である・・・・・・。 by りょう このあと皇帝とフロイラインの夜があるわけで。 トリューニヒトが赴任したのが8月10日らしいので8月18日の話で締めくくれれば いいなと思います。回天篇すっ飛ばしていきたいなと。でもよくロイエンタールが出て きますがさすがに要所要所で重要な人物みたいなんですよね。確かもうじき誕生日だったはず。 次は甘い話で終わりたいです。 |