彼女はクィーン・2
律動感あふれる足取りでカーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長は魔法瓶を 手にして集中治療室のチャイムを鳴らした。彼女はフレデリカ・G・ヤン夫人を 尊敬してやまない。 先日ユリアン・ミンツ中尉に差し入れをした飲み物はいわば彼女の悪戯。 紅茶をベースにアッテンボローのキッチンにあるスパイスを適当に入れて 「気付け薬」として若者に飲ませた。 彼のことは第一印象から随分格上げした。 現在イゼルローン要塞には60万人もの人間が残っている。 あの青年は60万人の生命の責任を背負っている。逃げずに罵倒されても大人として 対処している。そんなユリアンをアッテンボローやポプランは支えている。 彼女らがあの亜麻色の髪の青年を擁護するのは当然だとカリンは思っていた。 自分も少しだが応援しようと思っていた。 逃げたくない。 逃げるのは卑怯だ。 少女特有の潔癖さも手伝っていた。 フレデリカ・G・ヤンやユリアン・ミンツを見捨てるなんて人間の風上にも置けないと やや勝ち気に見える青紫色(パープルブルー)の眸がきらりと輝く。 カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長はユリアン・ミンツ中尉を同年代では立派な 青年だと認めてはいる。態度に示すのは気恥ずかしいからあんな悪戯をして 元気づけられるものなら手伝いたいと行動を起こした。 友人になれるのなら彼の手伝いをしたいと思っていた。 そう。友人として。 治療室から顔を出したのはあの男が連れてきて普段からも仲がよい女医だった。 「どうしたの。クロイツェル伍長。」 このミキ・M・マクレイン退役中佐は年齢がわからない。以前アッテンボローから 聞いたらヤン・ウェンリーと同じ年だと言われた。カリンはヤンの年齢もわからないから E式(イースタン)は不思議だと思わず目の前の女医を見た。 「フレデリカさん・・・・・・いえ、ヤン夫人に差し入れというか飲み物をお持ちしたんです。 マクレイン中佐殿。」 カリンは敬礼をしてミキに言った。 「ヤン夫人は今キャゼルヌ中将と打ち合わせをなさって席を外しているの。そうねえ。」 女医はカリンより背が低い。 華奢な白い手首に大きな軍用の腕時計をはめている。 「一時間はここを頼むと言われて・・・・・・あと15分もすればご主人のもとに戻られると思 うわ。どうする?ここで待っていったらどうかしら。」 大きな黒曜石の眸はカリンをまっすぐ見つめていた。 ますます年齢がわからない。 「・・・・・・中佐のおじゃまにはなりませんか。小官なら出直して参りますが。」 カリンの硬質の声が小さく響いた。 「まあまあいいじゃない。今珈琲でも入れるからなかで待っていきなさいな。」 黒髪を一つに束ねて女医はヤンが眠る集中治療室にカリンを招いた。クリーム色のカー テンの向こうには魔術師と呼ばれた男が眠っている。 8月を過ぎてもなお目を醒まさない。 「砂糖とクリームは好きなだけとって頂戴ね。遠慮しないで椅子にかけて飲みなさい。」 女医は特に愛想がいいわけでもなく不機嫌でもない。カリンは正直この女医が苦手で あった。アッテンボローが言うにはカリンの遺伝子上の父親と友人以上の関係ではないと 聞いていてもあの男がこの佳人を特別頼りにしているのがあまりよい気分ではない。 別にワルター・フォン・シェーンコップ中将がどの女性と懇ろになろうと自分には関係な いとカリンは言い聞かしているが釈然としない思いは募っていた。 女医のほうはヤン・ウェンリーの生体データーに異常がないかを確認して自分で入れた 珈琲をすすっている。 「・・・・・・先生とヤン司令官閣下は士官学校時代の同期とアッテンボロー中将からお 聞きしています。」 沈黙が流れたのを気にしていたのはカリンだけで女医はそもそも空気など気にしない。 「基礎学科だけ一緒だったの。お互い劣等生で仲はよかったわよ。こんなに出世して しまうとは誰も想像しなかったけれどね。」 普段は微笑んだ表情を見たことがなかったけれどミキ・M・マクレインは笑うと少女のようで 可憐だった。 「あなたはヤン司令官とは話をしたことがあったの。クロイツェル伍長。」 女医は尋ねた。 「少しだけです。数回ほどです。」 「あの、とかえっとをやたらと連発してなかった?」 女医は面白そうに言う。 そういえば・・・・・・。 「はい。自分など下級兵士なのにヤン提督はそのように・・・・・・そんな口調でした。」 30を超した男があのだのえっとだのを連呼して。 「なんだか目に浮かぶわ。あなたのほうが背筋ものびていて端正で。ヤン司令官は 猫背でベレーをとったり頭をかいたり。」 カリンは吹き出した。 ミキが言ったまんまだったからである。 「でも・・・・・・誰にでも偉ぶらないところがヤン司令官の・・・・・・いいところだったのか なって思うんですけど。」 カリンがおずおずというと女医はそうねと微笑んだ。 「そんなところは学生時代のころからちっとも変わらないわね。そういえばきみも変わら ないだろうと言いたいでしょうね。ヤン。言えるものなら言ってご覧なさい。みんなで 祝福のキスをしてあげるから。」 そういった女医の面差しは大人の女性のものだとカリンは思った。 そこへフレデリカが帰ってきた。 「おいしそうな香りですわね。先生。カリン、いらっしゃい。ウェンリーの見舞いをしてくれた のね。ありがとう。」 淡い金褐色の髪とヘイゼルの優しい色味の眸の持ち主は柔らかな笑顔で少女に礼を 言った。 「お見舞いと言うほどのことじゃなかったんです。実はエッグ・ノックをアッテンボロー 提督に教わって作ってきました。フレデリカさんはお仕事が忙しいご様子だから滋養が 必要だなと思ってお持ちしたんです。お口に合えばよろしいのですけれど。」 少女はフレデリカには素直になれた。 後生大事に抱えていた魔法瓶をフレデリカに手渡した。 「まあ。アッテンボロー提督のエッグ・ノックは好きよ。カリンは優しいわね。私なんかより きっといい奥さんになれるわ。」 フレデリカは受け取りにっこりと綺麗な笑みを見せた。 女医はすでにほかの仕事をしている。 「フレデリカさんは素敵な奥さんです。それに私、結婚なんてしたいと思いません。」 カリンは顔を赤らめてはっきり言ったがフレデリカは魔法瓶のコップにエッグ・ノックを 注いで予言者のように言った。 「結婚なんてしないといっていた美人提督が現在は素敵な奥さんになってらっしゃるわ。 アッテンボロー提督は独身主義者を豪語なさってたけれどポプラン中佐に58回求婚されて 主婦になったのよ。こういうものはご縁ですからね。あなたがもう少し大人になったらあな たの独身主義を喜んで返上してくれる男性が列を作るわよ。きっと。」 フレデリカは一口飲んでおいしいわと笑った。 58回もプロポーズをしたポプランもさすがだと思うがさせたアッテンボローはすごい。 まだ少女のカリンでは「結婚」というものの印象があまりよくない。イゼルローン要塞で 言い寄ってくる男の子たちにも辟易している。彼女の母親は美人だったし父親は美丈夫で あるには違いない。カリンはその血を引き継いでいるので声はかかるが冷たい無視で 今のところ誰も相手にしていない。 男になんて興味はない。 ・・・・・・あの若い司令官の頼りなげなところは気にかかるから自分がしっかりしなくては と思ってはいた。ダークブラウンの聡明さが宿る眸は常に過去と現在と未来を見据えて 今日も「ヤン・ウェンリーのベンチ」で深刻にいろいろと悩んでいるのであろう・・・・・・・。 「あなた。カリンがエッグ・ノックを作ってくれたの。あとで先生に聞いて飲んでもいいと お許しがでたら飲ませてあげますからね。ウェンリー。」 ダスティ・アッテンボロー・ポプラン。 フレデリカ・グリーンヒル・ヤン。 ミキ・ムライ・マクレイン。 みなどうしてあれだけ美しく才も長けているのに男なんかと結婚するのだろうかと カリンはわずかに思わぬでもない。カリンの母親は結婚しなかった。 ワルター・フォン・シェーンコップは赴任地にカリンの母親を連れて行こうとしたが カリンの母親がその手を離した。カリンはその話を聞いて知っているけれど、なぜ 父親を母が伴侶に求めなかったのかわからない。 多分ずっとわからないままだろうなと少女は尖り気味のあごに指を添えた。 男なんて大体が軽佻浮薄だ。 カリンはフレデリカに抗辯はしないもののそう思っていた。 女医は遠巻きに見てシェーンコップと同じ癖を持つ・・・・・・思案するときにわずかに尖り 気味のあごに指を添える仕草が不思議に似ていると思って仕事を続けた。 いずれにせよシェーンコップにはもったいない気性と美しさを持つ娘だとミキは端末に 指を走らせながら思っていた。 遠くにいても父と娘はどこかにているものなのかとイゼルローン要塞を離れたムライを 思った。 よくまあ勤務中に品性の欠片もない言葉を口にするようになったなとシェーンコップ は女性提督に言った。 「じゃあ言い方を変えるよ。勃起不全にでもなったのか。中将。」 この8月18日が来れば結婚歴三年を迎えるアッテンボローは臆面もなく質問をした。 「これだからポプランのような下品な小僧にお前さんを嫁に出したくなかったんだ。亭 主の悪影響が顕著だな。アッテンボロー中将。」 ただいま第2空戦隊長は家庭人として忙しい。 はじめて父親になる。 といってもテレサ・ビッターハウゼン・コーネフは健康な妊婦の部類にはいっていたし 状態も安定している。さらにオルタンス・キャゼルヌが必要とあればコーネフ家の手伝 いをする手はずになっているものの。 あの明晰で冷静沈着なイワン・コーネフ中佐は心配性な新米夫であり、新米パパで あった。時間ができればすぐに自宅に戻って新妻を心配して特に役に立たないまま仕 事場に戻ってくる。 「使えん。どうせしばらくスクランブルはないんだから家でテレサと一緒にいろ。みてて うっとおしい。第2空戦隊の面倒もおれが見ようじゃないか。」 と誰もが驚く発言をしたのがオリビエ・ポプラン中佐であった。 アッテンボローはそんな亭主に満足して現在執務室で回顧録なる記録をノートに書き 付けていた。 シェーンコップは腰巾着のいない女性提督のご機嫌伺いにやってきたのである。 「あの小僧のものになる前はお前さんは孤高の白い薔薇のような美人だった。惜しい ことをしたと今でも悔いている。あのころのお前さんは昼日中からしもの話をする女じゃ なかった。ポプランの罪は大きい。」 シェーンコップはからになったマグカップを拳銃のように回して時折やや尖り気味の あごに指を添えた。 「そのポプランが言うんだ。最近シェーンコップ中将ともあろう男が美女の一人も寄せ 付けないと。愛の伝道師だった中将の体に障りでもあるのか聞いてみろと。私も不思 議に思ってる。一人の僚友としてな。一体どういう心境なのか。それともとうとうベアトリ ーチェを見つけて恋いこがれているのかって。ベアトリーチェって誰だ。」 アッテンボローは珈琲を口にして無邪気に尋ねた。 「本くらい読め。ダンテ「新曲」。あの小僧は案外インテリなんだな。」 感心してシェーンコップは口角だけをあげて不敵な笑みを浮かべた。 頭がいい男だから亭主にしたんだとアッテンボローは臆面もなく言う。 「夜をどう過ごそうがおれの勝手だと思うけれど美人に尋ねられればむげにでき ないな。問われるまま答えるが別に恋いこがれた女ができたわけでもない。くわ えて言えば娘への贖罪でもない。」 こういう気持ちは女には理解できないだろうとシェーンコップは言う。 「一人になりたかった。それだけだ。女が恋しくなればまた女と眠る夜を過ごす だろう。」 言い終えたシェーンコップの端正な横顔をアッテンボローはしばし見つめて。 「・・・・・・体に不具合がないならいい。もっともお前さんが病気にでもなればミキ先 生が黙ってはいないだろう。私たち夫婦が心配をすることでもなかったな。」 アッテンボローはわかっていてもそぶりを見せない。 失ったもの。 シェーンコップはブルームハルトやパトリチェフを見送っているのだ。「レダIIの 悲劇」で生命を賭けてヤン・ウェンリーを護って逝った仲間を一人で送って いる・・・・・・。 その領域にはアッテンボローもポプランもはいってはいけない。 いたずらに感傷にふけっているのではないと理解している。 パトリチェフはヤン艦隊の幕僚だった。 ブルームハルトは次の薔薇の騎士連隊長を務めるはずの男だった。 銀河帝国という故郷の国を追われて自由惑星同盟で冷たい視線にさらされながら 生きてきた薔薇の騎士連隊の男たちには、薔薇の騎士の男にしかわかり得ぬ絆が 存在する。 二つの国を捨てた報いかとシェーンコップの鋼の精神にわずかな傷を作っていた。 「ところで悋気もちのお前さんの亭主は相棒の分まで仕事に精を出しているとか。 ムライ参謀長がごらんになれば首をかしげたくもなるだろう。」 そうだなとアッテンボローは微笑んだ。 「オリビエはひとが好きなんだ。悪者ぶっているけれど仲間が困ればそれなりに進んで 助けを買って出る。世話焼きなんだよ。」 まあ、もちろんそこは美点だと思っていると女房殿はえもいわれぬ美しい微笑みを見 せた。 マダム・オルタンスじゃないけれどね。 「ヤン先輩が宇宙へ還るとなったときキャゼルヌ先輩が後方勤務本部長代理の 椅子をけって夫人たちに荷を作らせてシャトルに家族で乗り込んだと聞いた。自分 の夫が友情に薄い男だなんて娘たちに聞かせることができないといってらした。 私だって薄情なオリビエ・ポプランなんて愛せない。」 アッテンボローが美しい指を組んでいうとシェーンコップは一部訂正を入れた。 「後方勤務本部長令夫人の地位をいともたやすく放棄した淑女(レディ)がキャゼ ルヌ夫人だ。」 ぴゅうっとアッテンボローは口笛を吹いた。 「じゃあ自由惑星同盟軍は後方勤務本部長の役職をキャゼルヌ先輩に今更く れてやるつもりだったのか。愚の骨頂だな。ますますマダム・オルタンスを尊敬 する。」 そうだろうとシェーンコップはしたり顔で頷く。 「だから我らが女神のアッテンボロー提督も亭主の品性に惑わされることなく 麗しいレディ・アドミラル(女性提督)であって欲しいものだ。今のお前さんでは くどく気にもならない。」 口説かれなくてけっこうだとアッテンボローはノートにペンを走らせた。 「仕事でもなさそうだがお前さんはさっきから何をしている。」 「こんな面白い時代に生まれて記録を残さないなんてもったいないだろう。 いずれは推敲して出版でもして印税で亭主とささやかに暮らそうと思っている んだ。オリビエは頭はいいけれどつぶしがきかない仕事をしているから戦後 何で食べていくかやりくりをせなならん。」 翡翠色の眸はまじめにシェーンコップに向けられた。 「生き残れると思ってるのか。」 「まあな。たかだか革命程度で死ぬような儚い命数の持ち主じゃないと思って いるから。」 シェーンコップが呆れて尋ねるとアッテンボローは冗談を言うでもなく本気で 言った。 どうも女は怖い生き物だと30代を半ばにシェーンコップは最近思うようになった。 by りょう |