彼女はクィーン・1


八月の新政府樹立三日後にオリビエ・ポプラン中佐が機嫌よく下手な口笛などふ

きながら「愛の巣」といえる自分の部屋に定刻に帰宅すると。









彼の愛妻であるダスティ・アッテンボロー・ポプラン中将が食卓に夫の好きな御

馳走と愛飲しているコーン・ウィスキーを用意して笑顔で・・・・・・否、とび

きりの愛情と愛らしさをおおいに含んだ美しい笑みで彼を待っていた。



アッテンボローは特別優しく甘い抱擁と熱い接吻でポプランを出迎えた。



「・・・・・・えっと結婚記念日はまだだろう。出会った日も違う。初めての夜

も違うし・・・・・・。8月9日って何の日だっけ。こんなお熱いお出迎えを受

ける記念日って・・・・・・。」

アッテンボローの柔らかな唇がポプランから離れて・・・・・・実に名残惜しそ

うに撃墜王殿は妻の唇を解放した。



ただ・・・・・・。

ポプランの腕の中で宙(そら)色の女性提督の眸がいとおしげに夫を見つめている

理由が残念なことにわからない。



玄関ホールでいまだかつてこんなに熱烈に歓迎されることはなかった。戸惑って

いるポプランの意外に綺麗な鼻のラインを指で優しくなぞってアッテンボローは

微笑んだ。



「大好き。オリビエ。」

そういってアッテンボローはポプランの鼻にキスを一つ。









「降参。ダーリン・ダスティ。今日はどういう風のふきまわしなんだ?いつもこ

んなに甘い歓迎は受けないからびっくりしたぞ。」

ポプランは苦笑してアッテンボローの艶がある唇にキス。



お前さ。

「お前さ。今日ユリアンを庇ってくれたんだろう。さすがオリビエ。愛してる。」






・・・・・・ああ、あれかあとポプランは赤めの金褐色の髪をかいた。

「もしかして惚れなおしたか。ダスティ。」

うん、と春の木漏れ日の煌めきを思わせる彼女の微笑み。

「カリンとユリアンから聞いた。お前を好きになってよかった。大好き。」

無邪気に笑ってポプランの首に華奢で長い腕を回した。



そっか。






あれか。

「あのくらいでここまで喜ばれるとは思わなかった。奥さん。」

でもその場にアッテンボローがいれば同じことをしていたであろうとポプランは

柔らかい彼女の体の感触をじっくり味わいながら思う。アッテンボローの肢体は

豊満さと華奢が見事に融合した美しい身体なのである。抱きしめればお揃いのシ

ャンプーの香りがした。






訓練もなく午前中はイワン・コーネフ中佐と飛行プログラムの見直しをしてポプ

ランはお約束のようにアッテンボローが食事を取る士官食堂にいって散々愛の言

葉と甘いキスを繰り返して女性提督は・・・・・・。



「飯が食えん。あっちにいけ。」と臍を曲げる始末。

愛情過多もいかがなものか。



食堂を追い出されてポプランはふらふら歩いていると・・・・・・ユリアンとカ

リンが一緒にいる。それ自体はなかなか良い光景であったが一人の壮年士官にユ

リアンが絡まれている・・・・・・ようだ。好ましくないなあとポプランは口を

への字にして呆れて見ていた。士官がいうところユリアンが司令官といえどヤン・

ウェンリー一人完全に護衛できなかったではないかと。



「ミンツ中尉、あんたは今不当な非難を受けているのよ。ヤン司令官のこと

はあんただけの責任じゃない。イゼルローンにいる皆全てが負うべき責任なのよ。

あたしなら平手打ちの2ダースは食らわせてやるわ。あんたはあんたを支持す

るひとの為に自分自身の正当な権利を守るべきじゃないの。黙ってないで抗議な

さいよ!」






・・・・・・。

あのカーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長がユリアン・ミンツを擁護し

ている・・・・・・。

いささか不器用ではあるがカリンがユリアンに味方している。

悪くないなとポプランは眺めていた。






しかし士官はユリアンが黙っていることに増長したのかあろうことか若者の逆鱗

に触れる言葉を吐いた。



「ヤン・ウェンリーもふがいない。帝国との戦いで斃れるならともかくテロに

襲われて意識が戻らないとは何が「魔術師ヤン」だ。」






もう一度・・・・・・。

「もう一度言ってみろ。暗殺者に襲われた人間は戦争で死ぬ人間より格が下がる

とでも言うのか。」

ユリアンのおとなしい容貌は豹変し怒気が結晶化した低く地を這うような声に

変わった。

若き司令官を甘く見ていた年長の士官は「怒りのエネルギー」に満ちたユリアンに

肝を冷やした。己の生命を賭けてでもヤン・ウェンリーの尊厳を護ろうとする本気の

「男」の表情に士官は怯えた。



いけませんな。司令官閣下。

「できのわるい部下に手を挙げるのはいけませんな。司令官殿。」

ポプランはユリアンの気質をよく知っている。

自分が責められることには甘んじても、ヤン・ウェンリーをおとしめる言動は絶

対赦さない。



だから男には因果を含ませて退散させた。

ユリアンが本気になれば男一人くらいミンチ・ボールにされてしまうし若くして

全責任を背負わされた青年とそれに言いがかりをつける年長の男とどちらが

世に麗しく映るかを説き男を追い払った。



その間にユリアンはポプランのさり気ないあたたかさに触れ自分を取り戻した。

カリンも自分の信頼する上官の登場にほっとした。ポプランは活気あふれる緑の眸を

きらめかせて若い二人の肩を抱き珈琲でも飲みに行こうぜと笑った・・・・・・・。







たくさんのおいしいご馳走を頂戴し、一緒に浴室で吐息も溶けるほど愛し合ったあと。

いつものベッドの上で。



「そういうことをさり気なくやってのけるお前が大好き。」

アッテンボローはご機嫌なご様子である。

シーツにくるまって彼女を抱きしめて横になっているポプランの赤めの金褐色の髪に指を

入れて胸に抱き寄せて微笑んだ。

「うーん。複雑な気分だなあ。いつものおれは大好きじゃないわけ。ダーリン・ダスティ。」

まさか。

「大好きに決まってるだろ。」

アッテンボローは宙(そら)色の眸を輝かせてポプランのすべらかな肌に唇を当てた。

でも。

「惚れ直しちゃうときは惚れ直すもんだろ。理屈いるわけ。恋の達人。」






女にたましいを奪われている「恋の達人」は反論できずに悪戯な彼女の眸に魅せ

られる。唇をあわせて静かに熱い接吻。

互いに離れるのが惜しいのか肌を重ねたまま睦言を・・・・・・。









ユリアンはさ・・・・・・。

「ヤン先輩を完全に護り切れなかった罪の意識があるから今の役職を引き受け

たんだ。眠るヤン・ウェンリーの理念を受け継いで実現させることで責任をとろうと

必死なんだよ。そんなことすらわからないような人間にイゼルローンにいてほしい

とは思わない。」

それが「民主共和に反する思想」に近いことを口にしていることは十分わかるん

だけどねとポプランの腕の中でアッテンボローは彼の首筋にキスをして呟く。

滑らかな彼の肌に男らしさを感じる。

細いのに隆起する美しい肩や上腕を指でなぞった。






確かに。



「反対意見を全て排除するなら独裁政権とかわらん。・・・・・・なんて表向きで俺も

ユリアンの邪魔になるような奴にイゼルローンにいてほしくはないな。」

ポプランはもアッテンボローの華奢な首や白い指を優しく眺めていた。彼の掌にすっぽり

とおさまる彼女の白い胸。

そっと包み込んでみれば心が安らぐ。



だからといって。

「これからも不満の声は出てくるだろうね。そういやこの話シェーンコップとキャゼルヌ

先輩と話していたんだけどね・・・・・・。」

アッテンボローが言いかけるとポプランが唇で唇を閉じた。



「かわいいダーリンは。すぐにベッドでほかの男の名前を出す。キャゼルヌのだんなは

許容範囲だが不良中年は却下だぞ。」

悋気もちのかわいいポプラン。

アッテンボローはくすっと笑った。



じゃあ。

「キャゼルヌ先輩たちと話をしてたらね・・・・・・これでいい?オリビエ。」

上目遣いのアッテンボローにポプランは唇を尖らせた。

「そんなかわいく見つめられれば赦さざるをえない。で、どんな話をしたんだ。」

固いポプランの腕に頭をのせてアッテンボローは話を続けた。



彼女は恋愛音痴である。

けれど彼女は末娘なので甘えるのが旨い。



「どこぞの御仁が民主政治とは権力者の自己規制を法に変えた体制だとのたまった。

言わんとするところはわかるがあのユリアンが権力者とはね。ヤン先輩同様似合わないね。」

ふむとポプランは美しい妻を見て言う。

「そういうところまでヤン・ウェンリーから見習っているんだな。苦労性な奴さ。」



祭りは終わった。

ヤン・ウェンリーは生きている。

集中治療室で昏々と眠っているけれど、確実に生きている。







それでも。

アッテンボローにしろポプランにしろ、キャゼルヌ、シェーンコップ並み居る個性も能力も

ある人間たちは「ヤン・ウェンリーの手の上」でこそ巧みにメロディを奏でることができた。

見事なハーモニーを生み出すことができた。

それは。

「ヤン・ウェンリーの手の上」だからこそ、である。

それはユリアンをはじめ皆が思っていた。



あれが黄金期だったのかと二人は思う。

それがあれほど鮮やかに、そして短いものだとは思いもせず。



「黄金期はまた作ることができるよ。及ばないかもしれないけれどまたあの時代を作れるさ。」

アッテンボローは頬骨のでている夫の顔を手のひらで包んだ。

白い雪のような肌。



彼女の肌は降り積もったましろな雪のように淡く白く、懐かしい。

翡翠色のさらさらとした髪は優しくポプランに触れる。

どんな時代であっても。



「どんな時代であってもおれはお前から離れないぞ。」

ポプランはまじめな面持ちでアッテンボローを見つめて言う。彼女の頬にふしのある骨張った

指を添えて。



うん。

「離れないでね。どんな時代になっても。」

イゼルローン要塞の黄金期は今や幕を閉じたかもしれない。けれどオリビエ・ポプランにとって

ダスティ・アッテンボロー・ポプランはずっと夢を見させてくれる女。



終わらない夢を魅せてくれる彼女は・・・・・・彼のクィーン。

抱き合って眠りまた朝が来る・・・・・・。



by りょう



LadyAdmiral