駆け抜ける、瞬き・3
ヤン夫人の会議好き。 夫のヤン・ウェンリーに劣らずフレデリカ・G・ヤンも大事なことは一人では決 裁を出さなかった。幕僚を集めて会議を開いた。 議題は今後の彼ら革命軍の公式名称をいかがするかであった。フレデリカは病床 の夫の介護をしつつ政治的指導者としてまずこの問題を民主主義に基づいて決め るべきであろうと考えた。銀河帝国皇帝首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリ ーンドルフほどではないが、フレデリカも政治の感性(センス)はあった。 共和国という名を用いれば帝国政府との修復と妥協の道が困難になると彼女は考 えていた。それに組織的にも小さくなっている。国家・政府・軍との関係も複雑 になる。何か妙案はないものであろうかとヘイゼルの瞳の主席は皆に問い掛けた。 ヤン夫人が淑女であり真摯であるが故に反謹厳の不埒な輩・・・・・・ワルター・ フォン・シェーンコップだとかオリビエ・ポプランなども眉根を寄せて真剣に 議題に集中している。女性提督がフレデリカ・G・ヤンを主席に据えたのはこの 二人りが会議をまぜ返さないようにするためでもあったやも知れぬ。多大なる責 任を果たそうとする佳人をこの二人が邪魔をするはずがない。 オリビエ・ポプランは「イゼルローン・コミューン」という名前は韻を踏んで いてなかなかよいのではと提案したがそれは妻であるダスティ・アッテンボロー・ ポプランが速攻で「却下。」と封じた。 「なぜに却下するんだ。ダーリン・ダスティ。知的でいい名前だろうが。」 ポプランは唇を尖らせ珍しく夫に物申した可愛い細君をみた。 「歴史上コミューンという名前の革命組織がいずれも途半ばで頓挫しているんだ よ。縁起が悪いだろう。縁起を担ぐパイロットとしては。私はこのイゼルローン を民主共和制の墓になぞしたくないんだ。」 そう言って夫ににっこりと優しくも魅力的な微笑みをおくった。 「ふむ。お前が言うなら間違いはないなあ。いいと思ったんだけど。」 あんなCUTEな笑顔を向けられればポプランも満足して自分の意見をさっさと引っ 込める。 相変わらずポプラン転がしが巧みだと列席していたイワン・コーネフ中佐は内心 舌を巻いた。 珍しくカスパー・リンツ大佐が発言した。 「名称だけ奇抜なものにしてもあまり意味がないように思います。ヤン提督はそ のような形式はお嫌いのはずです。暫定的な組織であればなおさらイゼルローン 共和政府でよろしいのではないでしょうか。」 結局さしたる反対意見がなかったが故にこの没個性的な名称が公式で用いられる ことになった。ユリアンもフレデリカもこれでよいと思った。 イゼルローン共和政府。 この名前が今後歴史的に不滅なものとして遺るのかはこれからの自分たちにかか っているのだと青年は心した。 その名称に意義はないがとアレックス・キャゼルヌ中将が口を挟んだ。 「先だって分離したエル・ファシル独立政権と混同されては困らんかな。今八月 でもあるし八月の新政府あたりの予備の名称もあって不便じゃないと思うんだが、 博識なるアッテンボロー提督に聞くがこの名前は縁起が悪いだろうか。」 アッテンボローはなるほどと頷いた。 「帝国からみればエル・ファシル独立政権と混同しかねないですし古代の四月革 命に因(ちな)んで八月政府ってのもありですね。同意します。」 女性提督としてはヤン・ウェンリーが目覚めないのを知りイゼルローンを去って いった連中と同じに見られたいとは思っていなかったのでキャゼルヌの意見は有 効に思えた。 フレデリカは次に組織編成を議題にあげた。主席である彼女を補佐する組織が必 要になる。だがこれを系統だてるのに三度の協議が必要だった。自由惑星同盟初 期のそれを参考にして官房、外交・情報、軍事、財政・経済、工部、法制度内政 の七部局に整理した。煩雑な組織は小さな組織には不要だった。帝国の工部省を 真似て工部を設けた。戦争をしているといえどよい制度は取り入れるに値する。 その点誰も疑義を唱えなかった。 各部署に責任者をおくのが次の段階で軍事局長に軍政と補給の権威であるキャゼ ルヌが勤めることになった。実はこの段階では他の人事は正式に決まってもいな かった。 ユリアンはそれでいいと思っていた。 長征(ロング・マーチ)を振り返ればいい。 帝国の専制政治の迫害を逃れ苦労に苦労を重ねた無名の人々が今はなき自由惑星 同盟を建国したのである。フレデリカにせよユリアンにせよ有名である必要はな い。 最後にフレデリカは会議で同意を求めた。 「アーレ・ハイネセンとヤン・ウェンリーの肖像を総力会議場、中央委員会、主 席執務室、革命軍司令部の四ヶ所にだけ飾ろうと思います。他の公的な場所には 一切禁じます。偶像崇拝に成り兼ねませんから。いかがですか。」 皆、賛同した。 ヤンが目覚めたらさぞかし困った顔をするであろうとアッテンボローは思った。 彼女の先輩は自分が民主共和の父と並べられるなどとんでもないから止めてくれ というだろう。 フレデリカとてそれは十分承知している・・・・・・。 けれどフレデリカは思う。 夫が守り通してきたものがどのような変遷を辿っているのか見てほしいと。たと えいつ目覚めるのかわからなくても今ここに集う仲間たちはすくなくともヤン・ ウェンリーと志しを共にしてきた。その行く末を夫には見守ってほしいと彼女は 思っていた。 こうして新しい風がイゼルローンを吹き抜ける・・・・・・。 なんかさ。 ダスティ・アッテンボロー・ポプランは夫の腕を枕に甘い時間を過ごしながら可 愛い声で呟いた。 「フレデリカの愛情を感じるよ・・・・・・。彼女は偉いね。」 会議を終えて用意された大きなヤン・ウェンリーの肖像を見つめていたフレデ リカ。大きく描かれた夫の困ったような頼りなさげな笑顔がよく特徴をとらえて いるとヤン夫人は小さく笑った。こんな風に持ち上げられては参るよと呟きそう な顔をしたヤン・ウェンリー。 「大丈夫。あなた。一生あなたをお守りしますから。」 そうフレデリカが語りかけた姿をアッテンボローはポプランと見ていた・・・・ ・・。 司令官とは思えぬ学者さんという風情の彼は今、集中治療室で眠っている。すで に二ヶ月、意識がない。それでもフレデリカは毎日彼の側で起きて執務をこなし 彼に話し掛けながら・・・・・・。微笑みかけながら日常を送ってヤンの側で眠 る。 そんな日々が二ヶ月続いており、これからもまだ数年・・・・・・十数年・・・ ・・・あるいは数十年続くかもしれない・・・・・・。 もしも。 「もしも私が同じ立場だったらとても堪えられない・・・・・・。お前の側から 片時も離れないだろうけれど・・・・・・あんな風に優しく微笑むことなんて出 来ない・・・・・・。」 ・・・・・・多分、泣き暮らすだろうなとポプランの素肌の胸に額をこすりつけ た。女の体に熱があるからポプランはアッテンボローがまどろみかけているのだ と察する。 この女は・・・・・・。強いようで自分がいなくなれば崩れ堕ちてしまうだろう とポプランはアッテンボローの愛しい重みをしっかりと抱きしめる。もっともポ プランとて彼女がいなければどうなるかわからない・・・・・・。 側にいるから。 アッテンボローの小さな顔を掌で包んでそっとその艶めいた濡れた唇に接吻けを する。熱い舌を絡ませて唇を離すと宙(そら)色の眸がポプランを見つめている。 上気した頬が朱く染まって・・・・・・男の心を捕らえて離さない。また互いを 求めあって肌を重ねる。 絶対、側にいろよ・・・・・・。 熱い視線が交差して。赤みのかかった彼の金褐色の髪に指を差し入れて頭を引き 寄せるアッテンボロー。白い細い彼女の指には二人の絆をかたちにしたアンフィ ニをモチーフにしたプラチナの指輪が鈍く光る。そのいろを見るのがポプランは 好きだ。アッテンボローとて揃いの指輪を男がしているのを眸を閉じたまま・・ ・・・・瞼を閉じてまさぐる。指を重ねてアッテンボローは安堵する。 温かな二人の体温を互いに確認していると肉欲や情欲だけではない心のたちがた い絆を思い知らされる。ただまどろみながら体を抱きしめあうだけでも言葉には ならない魂を揺さぶる繋がりを二人、感じる。幾度も幾千ものキスを交わして・ ・・・・・。 こんな触れ合いがないままフレデリカはヤンを待ち続ける。 ヤン・ウェンリーの掌の温もりを愛おしんで彼女は生き続ける。彼は眠っている だけだとフレデリカは笑顔でアッテンボローに語った。 それぞれの愛情。 それぞれの人間がいるのだからそれぞれの愛がある。 かたちのないものであるから何が正しくて何が一番なのかアッテンボローにはわ からない。でも彼女は常に側に煌めく緑の瞳・・・・・・夏の緑を思わせる懐か しい愛する色が見えないと心許ない気持ちになる。 自分が贅沢な女であるように思える。 こんなに一人の男を自分に愛する能力があるとは思わなかった。四年前までは顔 すら知らなかった。存在すら感じなかった。 眠りに堕ちそうになるのが惜しいほど・・・・・・ポプランの肌に触れてこの上 ない幸福を感じる。じっと自分を見守る男を見つめる。 「なんでずっと・・・・・・見つめるんだ。オリビエ。」 アッテンボローが男の高い頬骨にそっと触れる。 「・・・・・・。お前が蕩けそうな目つきで俺を見るから。あまりに愛しさが募 る・・・・・・。」 瞼に優しい唇が触れた・・・・・・。 明日は。 「明日は忙しいだろうから・・・・・・ダスティ、眠ろうか。眠いんだろう。お 前。」くすりとポプランは宙色の彼女の瞳を見つめて囁いた。アッテンボローは もくすっと笑って愛する男に言った。 「あ。寝かせてくれるんだ。オリビエ・・・・・・紳士だね。」と細い長い腕を ポプランの綺麗に筋肉のついた背中に回した。 うん、今夜はな。 朝一イイコトしような。 「疲れてちゃお前がもたないもんな。今から5時間寝てイイコトしような。」 ・・・・・・紳士を愛したわけじゃない。 むしろ若い野獣を愛したんだっけとアッテンボローはポプランの腕に頭をもたげ て、頷いた・・・・・・。 いつも二人同じ空を見ようねと呟いてアッテンボローは夢の中に堕ちた・・・・ ・・。指を絡めたまま女は男の温度を感じて眠る。ポプランはアッテンボローの 顔にかかる髪の毛に接吻けをして優しく撫でる。翡翠の石に銀をコートしたよう な彼女の髪。しなやかな女の体。安らかな寝息を感じて微笑んだ。 お前を一人にはけしてしない。 そう囁いてポプランも目を閉じた。 まだまだ闘いは続くだろう。それでも彼女を一人にはしないと男は誓った。八月 の優しい夜が二人を包み込んでいく。 明日はやって来る。どんな苛酷な明日が待っていようとも二人で必ず生きていこ うと誓って。 by りょう |