駆け抜ける、瞬き・2




豪奢な金髪と蒼氷色(アイスブルー)の双眸を持つ宇宙の覇者は発熱が治まってか

らはまたも多忙で・・・・・・時折、一種空虚な思いに駆られるときもあった。



自分の名代にナイトハルト・ミュラー上級大将をイゼルローン要塞に送り、若い

皇帝の生涯の敵手たるヤン・ウェンリーが集中治療室で令夫人に介護されている

事実を知りラインハルト・フォン・ローエングラムは去来する喪失感を持て余し

ていた。









「生きる屍となったヤン・ウェンリーか・・・・・・。フロイライン、予はあな

たに常に苦々しい知らせを聞かされたが今回ほどの失望を伴う報告はなかった。

我ながら度を失ってあなたを叱責したことは情けないかぎりであった。」



ヤンがテロに倒れたという知らせをヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ大本

営幕僚総監から聞いた若き王者は彼女をその場で面罵した。発熱で病臥していた

苛立ちも加わって理不尽とも言える言葉でヒルダを叱責したのである。だがヒル

ダはラインハルトの激昂が理解できたし、臣下として甘んじてその激情の吐露を

赦していた。



「いいえ。陛下。お叱りはごもっともでございました。」

ヒルダはそう答えるだけに留めた。






明晰なる伯爵令嬢は思いを馳せる。

このかたには敵が必要なのだと。



それも戦場において彼に匹敵する・・・・・・あるいはそれ以上の強大な敵が必

要なのだと痛感していた。戦いこそがラインハルトの生命を鮮やかに燃え上がら

せ超新星のごとき輝きを与えることをヒルダはしっていたし、また畏(おそ)れて

いた。



幼いうちに巨大なゴールデンバウム王朝の権力で敬愛する姉を奪われ、戦うこと

でその王朝をも覆し宇宙をその掌中にいれたラインハルトの人生。戦いによって

のみ、この美しい皇帝は生きている意味を感じることが出来た。



側で仕えてきたヒルダは敵を失ったラインハルトが病に冒されはしまいかと案じ

る。発熱の頻度が増えて来ているのも事実である。ゴールデンバウム王朝を破り

銀河帝国を掌中に治め次は何が何でも敵将・ヤン・ウェンリーを討伐する矢先・

・・・・・ジークフリード・キルヒアイスが諌めにきたと金髪の皇帝はいつもと

違う温かさのこもった声で伯爵令嬢に告げた。故に停戦と会談を敵総旗艦「ヒュ

ーベリオン」に打電した。






そんなさなかに地球教徒のたちによるテロにヤン・ウェンリーは斃れたのであっ

た・・・・・・。






地球教徒掃討はアウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将によってただちに行わ

れた。



結局、ヤン・ウェンリーという人間は常勝のままいつ目覚めるのかわからない夢

路についたということなのねとヒルダは長い睫毛を伏せながら思った。ラインハ

ルト・フォン・ローエングラムはついにたった一人の男を屈服させるに至らなか

った・・・・・・。ヒルダはその点に大きな価値は見出だしてはいないが若き皇

帝はどうであろうか。






ヒルダは自制心を働かせてラインハルトに伝えた。



「陛下。ヨブ・トリューニヒトから陛下と銀河帝国のお役に立ちたい故に職務を

仰せつかりたいとのことです。いかようになさいますか。」

長くなった前髪を欝陶しい様子でかきあげてラインハルトはヒルダの言葉を聞い

ていた。さも不潔なものを見たかのように不快感を隠さず暫く沈黙しつつ思案し

て意地悪くヒルダに言った。



「あの男、官職がそれほどまでにほしいのか・・・・・・。ならば新領土総督府

高等参事官あたりならロイエンタールの役にも立とう。トリューニヒトはさぞハ

イネセンの事情に長じているであろうからな。」



陛下、とヒルダは皇帝の人事に驚きやがて呆れた。何も意趣返しのような人事で

なくとも辺境の星の開拓事務にでもしておけばよろしいものをと一応自分の意見

を具申したがラインハルトは高潔であるが故に悍(おぞ)ましいトリューニヒトが

旧同盟領、新領土(ノイエラント)の高等参事官など怖じて引き受けはしまいと甘

く見たのであった。



しかしながら後日トリューニヒトはその人事を快諾したと知り歯噛みした。ライ

ンハルトの羞恥心とあの男のそれは異質であり、ついにラインハルトはトリュー

ニヒトを士官させてしまうのである。ヒルダはこうなることがわかっていたが陛

下が決めたことですとしか言う言葉がない。ラインハルトにとっては不覚な人事

であった。







女性提督と撃墜王殿夫妻はすっかり人が減った要塞で仕事のあいまに士官

食堂でささやかなる食事を済ませた。



「ユリアンだ。」と食堂に入ってきた青年をオリビエ・ポプランは見つけたが今は

そっとしておいた方がいいかと声をかけぬままかわいい妻を目の前にして頬杖

をついて歓談していた。

ダスティ・アッテンボロー・ポプランも夫にあわせてユリアンに声をかけないでいた。



ヤン・ウェンリーがいつ目覚めるかわからない今、彼は弱冠20歳にもならぬ身に

して少なくなったとはいえど94万4087名の命運を担っている。ユリアン・ミンツに

できることと言えば過去にヤンが言ってきた言葉を記憶に刻み、系統立てて自

分の今後の指針にするしかなかったわけである。












いつかヤン・ウェンリーは目覚める。

でも、いつかというのはいつなのであろうか・・・・・・。

フレデリカや女医が弱音を吐かない以上は青年も音を上げてはいられなかった。



ユリアンは機械的に食事をしてアッテンボローやポプランの存在にも気がつ

かぬ様子であった。



そこへ現れたのはカーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長であった。彼女は

アッテンボローたちが見ていることも知らないでユリアンに一杯の飲み物を

差し出した。

口を付けた青年の顔を見ているとどうも珈琲や紅茶のたぐいではないらしい。



「何を飲ませてるんだ。カリンは。」アッテンボローが呟くと亭主はその唇に

人差し指をあてて優しく、しっと言った。ユリアン・ミンツとカーテローゼ・フォ

ン・クロイツェルの間に和平の時が到来したのであろうか。ならばその様子を

じっくり大人は見ていようじゃないかという腹づもりらしく、女房殿も異議なしで

あった。



どうもカリンの声はよく響くので聞こえてくるのだがユリアンに飲ませている

のはクロイツェル家に伝わる疲労回復薬らしい。薬なんだからまずくても

飲めと姉のようにユリアンに叱咤していた。といえど以前のような尖りきっ

た口調ではなく幾分かの柔らかさがくわえられていた。



ずいぶんとイゼルローン要塞に人がいなくなってしまったけれどカリンは転居

(ひっこし)はきらいだといっている。少女は言い切った。



「私はフレデリカ・G・ヤン夫人を尊敬しているわ。こんな時にフレデリカさんを

見捨てるなんて女として最低よ。ヤン司令官閣下を献身的に看護しながら仕事

にも精を出してらっしゃる。私にはそれほど力はないけれどそんなフレデリカさん

を見て力になろうと思わないなんて女の風上にも置けはしないわ。」



カリンはよくアッテンボローたちと夕食をともにするが「特に念入りに二人が愛し

合う夜」はフレデリカ・G・ヤンとキャゼルヌ一家と食事をよくしていた。

カリンがフレデリカを黙ってみておれない気持ちは女性提督にはよくわかる。

きらめく青紫色(パープルブルー)の眸がまっすぐユリアン・ミンツに向かって

いた。まるで美術商か骨董屋が品物の真偽を確かめるように青年をじっくり

品定めしているようである。



「男だって、フレデリカさんをみて逃げるなんてできないよ。」



よけいな一言だっただろうかと若者は考えた。けれどカリンはその言葉に

脊椎反射せず無視をした。少女はフレデリカがいかに夫を深く愛している

か、それは世の美しいものの一つであると認めている様子を語っていた。

そしてまた青年に向かって言う。



「そんな立派なフレデリカさんのような女性の寛容さに甘えて男がだめに

なるのかもしれないわ。もちろんヤン提督のことじゃないけれど女の優しさに

つけ込んでいる無責任な男は赦せない。」

ほほを紅潮させてユリアンに語っているカリンであったけれどユリアンを責め

ているのでもない。ユリアンの未熟さを彼女は認めていたしそれを売りにして

堂々と生きればいいのよと、気まぐれなのか恒常的な和解なのか青年の

味方を少ししているようであった。



責めを負うべき男はワルター・フォン・シェーンコップ中将だけらしい。彼は

「レダIIの悲劇」以来夜は薔薇の騎士連隊の人間といるか女医といるかで

ぱたりと女性を見繕わなくなっていた。

もちろんこれはカリンへの贖罪ではない。



それから二言三言二人は会話をして女性提督夫妻に気づくこともなく食堂を

後にしていた。



アッテンボローは言う。

「あれだな。ユリアンが飲まされたものの正体は。紅茶にスパイスをたっぷり入

れて飲ませたんだろうな。効能のほどはわからないぞ。気の毒なユリアン。胃を

悪くしなけりゃいいけれど。」

ポプランは言う。

「美人から頂戴したもので体をこわすくらいやわな男ではおれの弟子はつとま

らんな。」



それにしても。

若い二人が何かをはぐくんでいる兆しは美しいものだよなと妻は感心した。

父親と娘の関係は修復されないままではあるがそれはこの際放置してもよい。

「カリンは駆け抜ける一筋の光のような子だな。やっぱりユリアンに似合いの

女の子かもしれないぞ。よしよし。いいことだ。」

アッテンボローは微笑んだ。

うんうんとポプランは頷いて「お前に似合いのオトコノコはおれだぞ。ダスティ。」

などと抜かした。



お前はオトコノコじゃないだろうと女性提督は食後の珈琲を飲み干して綺麗な

笑みを見せた。そんな笑顔が大好きな撃墜王殿は本日も、幸せであった。

そんなイゼルローンの夏の一日が鮮やかにすぎていった・・・・・・。



by りょう




LadyAdmiral