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光る雲間のなかで・3
傷の具合を見てもらってまた廊下を歩いていたユリアンは、紅茶を薄く入れた髪の少女が工具を両手に抱え ながら教本らしきものを読んでいる光景を目にした。 やはり、器用である。父親のDNAのせいだろうか。今日は本から顔を上げたとき少女は荷物を取り落とさな かった。 「・・・・・・重そうだね。持とうか。」 青年はおそるおそる声をかけた。ユリアンは学校に通っていたころも、イゼルローン要塞で軍属でいた時代も 自分と年が近い女の子との接点がない。もちろん容姿が劣っていたわけでもないしむしろ文武両道のアイドル 的存在とも言えた。告白や手紙を受けたことはいくらもあるけれど、そういう気持ちを抱かないまま誠実さ故に すべて丁寧に断りを入れたものである。 この少女は自分の「本性」を引き出す力がある。 青年は大人の中で育ちおもねるように生きてきたことも否めない。 品行方正であれば預けられた祖母の家や孤児院ではむやみにしかられることもない。成績優秀であれば、 学校でもそう悪く言われることもない。やさしく誠実であれば・・・・・・ヤンに見捨てられることもないと信じ切って いた時代もある。青年は少年時代から・・・・・・いやであったときからヤン・ウェンリーが大好きだったから懸命に 料理を覚え・・・・・・もっとも家事は得意ではあったが・・・・・・ヤンの役に立ちたいと常に願ってあらゆることに 果敢に挑戦してきた。 カリンは違う。 大人にこびない。 真正直で彼女をだますことはできそうもない。 以前、こんな風に彼女が工具と教本を抱えて廊下で取り落としたとき。はなしがあっという間に急転直下して つい、シェーンコップ中将はいい人だといってしまった。カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長にとって中将が 誰にいい人であっても自分や母親を捨てた卑劣な男であるという認識はそう簡単に変わるわけないのに、つい 青年は口に出していってしまた。あとになれば自分が悪かったと思っている。 「男にとっては好都合でいい男に見えるでしょうね。一夜の恋を愉しんで。男からすれば羨ましいでしょう。」 そのときカリンは少女独特の潔癖さでいった。脊髄反射というのかユリアンはシェーンコップから常日頃かわい がられている自覚もあってその言葉に反感を覚えた。 「君のお母さんはたった一夜の恋で終わるような女性だったのかい。」違うだろう?愛し合ったからこそ君が生ま れたんじゃないかといいたかったのであるが、カリンはなくした母親のことを侮蔑されたと思って瞬時に顔をこわ ばらせた。 「あんたなんかに・・・・・・いえ、あなたにそんなことを言われる筋合いはないです。ミンツ中尉。」 ユリアンも謝ればいいのに「・・・・・・君が言わせたんだよ。」といった・・・・・・。 自分はこんな程度の男なんだとユリアンは狭量さに嘆くのであった。ヤンはその夜その話をユリアンに打ち明け られてそのことについて多くを語りはしなかったけれど・・・・・・・あの夜が二人で過ごした最後の夜だったんだと 青年は思い出して心が痛んだ。 あの日から今日まで少女と会話をしてこなかった。 様々な思いが交差(クロス)するから。 「別に重くないですし、けっこうです。中尉。」 微笑みや和解の成分はないけれど、少しだけ柔らかな感触の声がかえってきた。 そうかいとユリアンはいってその場を立ち去ろうとした。 「怪我はどうなの。中尉。出歩いていいの。重傷だと聞いていたから。」 薄青紫色の眸はまっすぐユリアンを見つめていた。 このまっすぐな眸。 青年はつい自分自身の本当の姿が映る気がして仕方がない。それが怖くもあり・・・・・・自由になれる気もする。 飾る必要はないのだと安堵する。 「・・・・・・傷はふさがっているから大丈夫。僕は今のところ力仕事じゃないからね。ありがとう。クロイツェル 伍長。」 しどろもどろにならないようにユリアンは答えた。 まさか見舞いの言葉を頂戴するとは思っていなかった。 「・・・・・・そう。お大事にね。」 硬質な声だがそれはカリンがまだ幼すぎてかたくなになってしまうだけのことだった。れっきとしたねぎらいの 言葉をユリアンはカーテローゼ・フォン・クロイツェルから受けてしばらく呆然とした。カリンの方はそのまま教本に 目を落として歩いていってしまった。薄い紅茶を入れたような長いウェーブのかかった髪が揺れていた。 とても懐かしく、あたたかさを思わせる色。 ヤンに紅茶を注ぐとき、夜に入れる紅茶は薄目にしていた。 長い夜。 常にひとがなしえない戦略や戦術を思考してきたヤン・ウェンリーをいたわる思いで、薄く紅茶を入れたもので ある。 ユリアンは思った。 へたに慰めないでいてくれるスタンスは、シェーンコップにそっくりだなと。 年少の少女に気を配ってもらうのはいささか情けないけれどそのさりげなさにユリアンは感謝した。自分は 生きてかえってきたことを、とても悔いているのだから。 まだ意識がもうろうとしてベッドにいるスーン・スールには生き残ってくれたことを感謝していたのに、ユリアンは 自分にそんなやさしさをもてなかった。幼少時代から絶対的な愛情を受けないまま育ったユリアンには自分を 慈しむ心の豊かさが欠如していた。ほとんどの大人はユリアンが若いわりに成熟していて安定した性質を持って いるものと思っているようだが、実は違う。 あと二年もすれば二十歳になるというのにユリアンは自己愛にかけている不安定な青年だった。 自分は生きて還ってきた。 けれどブルームハルトやパトリチェフは死んだ。 そして最愛のヤン・ウェンリーはいつ、意識が戻るかわからない状況にいる。 身代わりになりたかったと思う。 そんなことはヤンが望むはずもないし、そんなユリアンの考えをしかると思っていても身代わりになりたかった。 青年の傷は心の方が深かった。 幾度めかの熱く甘い情交のあと。 「ひえ。」 アッテンボローもポプランも昼下がり、まどろんでいたところにアッテンボローは亭主に聞こえるような声で 短絡的な嬌声をはいた。女性の体に戻っていた。今回はたった半日で美しき女性提督は女性の体を取り戻 したのである。 「あ。きれいな女。・・・・・・・愛してる・・・・・・ダスティ・・・・・・。」 ポプランはうでの中のアッテンボローに深く接吻けをして囁いた。 一方の女性提督は合点がゆかない。 前回は二日かかって男のからだから解放されたのに対して今回はたった半日であった。突発性性転換とは いえど・・・・・・・もっともその症状すら未知の分野でしかないわけであるが、あまりに突発に性転換をしては 歴戦の女性提督も頭を抱える。 「あさってにはミュラー上級大将が見舞いと表してイゼルローンにやってくるというのに明日は女であさって男 だったり数時間ごとに男と女を行き来していたら明らかにわたしは、変人だな。」 シーツをたぐり寄せ胸元を隠して自分の額に手を当ててアッテンボローはため息をついた。 いいんじゃないのとポプランはいう。 「どうせヤン艦隊は変人の集まりなんだし。男であれ女であれおれはお前の絶対的な味方だ。 というか・・・・・・。」 愛してる。 マラカイト(孔雀石)の双眸がアッテンボローをとらえた。ポプランの眸は夏の陽光を思わせる輝きがあって 故郷の自然を思い出すのでアッテンボローは好きだった。宇宙で誰もがアッテンボローを見放したとしても オリビア・ポプランだけは彼女を護り続けることはアッテンボローも確信していた。 「ありがとよ。旦那様。」 アッテンボローはポプランの唇に唇を重ねた。 指を赤めの金褐色の髪に差し入れて引き寄せた。 「・・・・・・今日の提督は大胆だなあ。」 今日のオリビエ・ポプラン「少佐」は物忘れが激しい。 一過性全健忘という状態だからであるがそれでもやはりハートはちゃんとアッテンボローに握られていた。 ところで。 「ところでお前の方は頭痛とかしない?気分悪いとかないか。そんなことがあったらすぐに言えよ。これでも すごく心配してるんだから。」 そんなかわいいことを言っているアッテンボローの体に覆い被さってポプランはにっこり微笑んだ。 「頭の中は薔薇色。薔薇色の人生。うでの中にお前がいるから。」 あたたかな体温を肌で感じてアッテンボローは幸せな気持ちになる。男の重みが心地よくて背中にそっと腕を 回した。 初めて手をつないだとき。 しかもアッテンボローからポプランの手を握った、昔。 二人で酒をこじゃれたバーにのみにいった帰り酔漢たちの喧嘩を取り押さえてほほにナイフの切り傷を作った アッテンボローを部屋まで送るポプランの手をアッテンボローはつい、握りたくなった。 危険なことを平気でする自分のことを心配して、やり場のない怒りを持った男の手をつかみたくなった。あれは 恋心だったのだろうか。それとも友情だったのだろうか。 初めて手をつないだとき、握りかえしてくれた手。 幾万回と体を重ねているのにあのときの優しい気持ちが忘れられない。 それでも告白されたときは逃げてしまった。 恋の教主(カリフ)ともいえるオリビエ・ポプランの「たった一人の恋人」になど自分がなれるとは思わなかった から。多くの女性のうちの一人では女として悲しい。 特にアッテンボローは寂しがり屋だから、そんな恋は無理だと逃げた。 でも実際はオリビエ・ポプランのたった一人の女として生きている。 彼は・・・・・・大いに不遜で不真面目な人物だったけれどアッテンボローに対する愛情だけは真実だったし、 誠実だった。記憶を失っても、アッテンボローが男の体に変わったときでもポプランの愛情が一瞬たりとも 薄れたことなどなかった。 だから今。 重ねた指にプラチナのアンフィニのリングが鈍く輝いている。 結婚などしないと思っていた自分が革命軍の司令官補佐でありながら夫を持っている。少し不思議に自分では 思うけれど・・・・・・本当の男に出会ってしまったならば、そんな人生も大いにありだと思った。 ついこの間結婚したコーネフとテレサの間には子供ができた。 自分たちはまだ懐妊する様子はない。 やはり頻繁に男の体に変わってしまう自分の異常さが大きく影響しているように思えて仕方がない。軍医長や ミキはそれはあまり関係ないというけれど・・・・・・アッテンボローの心的ストレスになっているに違いない。 こまっちゃったなーとアッテンボローの体の至る所に唇を当てるポプランはいう。 「誤解しないでくれよ。ハニー。女になったお前とこれ以上・・・・・・進められないや。おれ、一生の不覚。」 スキンがない。 ポプランは結婚するまでアッテンボローをハニーと呼んでいた。 子供ができると艦隊指揮に影響が出るからスキンは必須アイテムだった。 オリビエ・ポプランは事実アッテンボローの正式な夫であるため避妊する必要が二人になかったために、 「少佐」は律儀にもことをススメナカッタ。むしろアッテンボローの体が男だったときは最後までイタスコトガ デキタ。 永遠の男女の大問題である。 ぷっ。 アッテンボローは吹き出した。 「あ、ハニー笑ったな。ハニーが独身主義者だから気を使って必死にこらえている男心をわかってないなあ。 おれ、ちょっと心外。入れちゃおっかなあ。」 ポプランは言葉ほど憤慨する様子もなく笑ってアッテンボローの唇にキスをした。 いいよ。入れて。 「だってお前の子供、ほしいんだもん。かまわないよ。して。」 オリビエ・ポプラン「少佐」には青天の霹靂的な女性提督の言葉である。 「なあ、ハニー。おれは種まくひとになりたくない。お前のたった一人の男でありたいんだ。シングルマザーに させる気なんてないからな。」 ああ。もうかわいい。 抱きしめてついキスしてしまう。 「じゃ、プロポーズして。」 こうしてダスティ・アッテンボロー・ポプランは59回目のプロポーズを夫にさせた女となった。 当然答えは、イエスである。 明後日には帝国から皇帝の名代が訪れるという日。 この夫婦。どんなときでもある意味自分たちを見失わない。 相も変わらず蜜月なままであった。 by りょう |
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LadyAdmiral