光る雲間のなかで・1




どうでもいいんだがとアレックス・キャゼルヌが口にしたのは宇宙歴800年6月10日のことである。



「ユリアンの怪我が治ってきたのはめでたい。それにあさってには帝国軍からナイトハルト・ミュラー上級大将が

皇帝の名代として要塞に来るという。それがよりにもよってこんな時期になぜアッテンボローは男になってポプ

ランは記憶喪失になったんだ。」



ある意味どんなときでも自分を見失わない夫婦とも言えるポプラン夫妻である。

ヤン・ウェンリーたちがテロに斃れようが・・・・・・実際にはヤンは生きているのであるが過日6月6日にユリアン・

ミンツの名で「ヤン・ウェンリー深昏睡。エル・ファシル独立政権の解体。引き続き暫定政府指導者にフレデリカ・

G・ヤン、軍事司令官にユリアン・ミンツ中佐就任。」とアッテンボローは全宇宙に発信していた。



そんなときに。

そんなときにアッテンボローは突発性の性転換で数度目の男になり、ポプランは「一過性全健忘」状態に

なった。

時も場所も選ばない二人であった。



「私の場合はよくわかりません。自分でも辟易しているのであまり追いつめないでください。男になるのはなれて

しまいましたが正直情緒が安定を欠きます。オリビエの場合はまた落っこちてきた少年兵をかばって頭を打った

んだそうですよ。ごく軽い「一過性全健忘」 状態とか言うものです。今日は部屋で安静にさせるしかなさそう

ですしこの状態ではオリビエに何を言っても明日には忘れていますから無駄ですからね。すべてきれいに忘れ

ちゃいますから。」



キャゼルヌ中将はすぐに亭主を事務処理の仕事でこき使おうとするからともう男になったところで口ほどには

動揺も何もない女性提督は要塞事務監に釘を刺しておいた。

運がよければ二人ともミュラー上級大将がお出ましの時にはまともに戻っているでしょうとアッテンボローは他人

事のように言う。



「そのごく軽い「一過性全健忘」 状態っていうのはなんなんだ。ポプランはどうなってるんだ。」

シェーンコップは男になっても中性的な美しさを残すアッテンボローに尋ねる。



お前さんの娘に聞いてみなと心の奥でアッテンボローは思ったけれど、それでは憎々しいシェーンコップへの

当てつけよりも可憐なカリンの心的健康によくない。

「ダヤン・ハーンにいたころうちのオリビエは訓練中の士官をかばって横転して頭を打った。そのときにこの状態

になった。でも一日で元に戻ったし大丈夫みたいだよ。ミキ先生や軍医長も脳に異常はないといっている。今回

も同じことのようだ。現在彼はかわいいポプラン少佐に戻っているのさ。今日覚えたことはすべて忘れる。過去の

記憶の中で今日一日オリビエ・ポプランは生きているってわけだ。」

お前さんと結婚したことも忘れているのかとシェーンコップは呆れていった。

「でも、私たちが夫婦であることには代わりはないからな。邪魔するなよ。貴官は戯れるのが好きな御仁だから

な。この機会に乗じて茶々を入れないでくれよ。ま、今私は男の体だから問題はならないか。」



ダヤン・ハーンで記憶を失ったポプランはアッテンボローにたとえ男になってもシェーンコップに近づくなと言って

いた。



アッテンボローは男になっても心は従順な乙女のままだったので、愛する夫の言いつけを護る心づもりでいた。

もっともその愛する夫は現在医務室で女医の検査を受けている。

「テレサは懐妊。私はまた男になった。子供など望めないのかもしれないなあ。」と

女性提督はまた憎々しげにシェーンコップをにらみつけた。



「気のせいかもしれないが今日のアッテンボロー中将の視線が痛い。」

「いや。ただのひがみだよ。お前さんのように18、19で子供を作っていたらいまごろ私かオリビエに似たかわ

いい娘か息子がいたんだろうなあと思うとな。独身主義を吹聴しすぎた罪業かなとおもったりもしたのさ。」

貴官をうらやんでいるんだよとアッテンボローは苦笑した。



あんないい娘がこの世に生まれて。

こんな不貞の父親がここにいる。



おまけに自分は男になって(もう何回目か数えるのもおっくうである。)なかなか子宝に恵まれない。普段から

カリンへの淡い態度が気に入らないシェーンコップに八つ当たりしたくなるアッテンボローであった。だがこんな

自分も不条理だとわかっているからこれ以上の嫌みは言わない。

「かわいいポプラン少佐ねえ。あいつが過去・現在とかわいいと思えたことはない。女性提督はどうも男の趣味

がよくないな。」

また憎々しいことを言うシェーンコップの脚をけってやりたい気持ちのアッテンボローであった。そんな空気を

読んでいたのかカスパー・リンツ大佐が言う。

「アッテンボロー中将、男になってもうちの閣下に近寄ってはいけないとダヤン・ハーンであなたのご亭主が言っ

てましたよね。今日のところはご亭主に付き添ってあげてはいかがですか。あなたがいればポプランは割合に

無害ですから。」

隣で聞いているイワン・コーネフ中佐もうんうんと頷いていた。数ヶ月後に父親になるクラブの撃墜王殿。

「あの状態のポプラン転がしはアッテンボロー提督じゃないと無理です。いってやってください。」



みなそうはいうけれど。

アッテンボローとしては「ポプラン少佐」に男の姿であうのは本当はいただけない。ダヤン・ハーンの時は彼女は

心身共に女性だった。現在心は女性で体は男性。



「しかたないなー。」



多分。

オリビエ・ポプランなら男の体になった自分をからかいはしない。

多分。

オリビエ・ポプランなら男の体になった自分でも愛してくれる。

女性提督は心の中でそう唱えながら医務室へ足を運んだ。







次から次に病人がでると女医はオリビエ・ポプラン中佐の脳のカルテを見て異常を認めなかったので一安心

した。亭主は一過性全健忘症、奥方の方は突発性性転換。医学の領域を遙かに超えているのでミキは深く

考えるよりも当人が健康であるかどうかを基準においていた。二人のバイタルは正常値で実に健康な成人

男性。

それがアッテンボローの場合は問題なのである。

以前一日で解決していたこの突発性性転換がフェザーン滞在中二日に延びたという。今回のびれば少しデー

タをとっておいた方がいいかもしれないとミキは軍医長のバーソロミュー准将とはなしをしていた。



はなしが逸脱するが。



女医は退役当時中佐であった。だが本当であれば将官にもなれたのである。第六次イゼルローン要塞攻略戦

で被弾した「エルムIII」のなかで夫と上官二人の命を救った功績があったので特例の二階級特進の話が出て

いたのを女医が辞退したのであった。だから軍医長のバーソロミューはミキの意見を軽んじることもなく、むしろ

自分の代わりに軍医長をとも進言していたくらいである。外科執刀3000例のミキの手腕はバーソロミューを

遙かに凌駕している。



「美人の先生。いつまで小生はここにいなくてはいけないんでしょう。もっとも先生が一緒ならいつまでもいても

いいですけれど。」

現在ポプラン少佐は25才の時空軸にいる。女性提督にちょっかいを出しながら美人にはその美しさを賛嘆する

リップサービスを忘れない恋愛においては勤勉な青年士官であった。

「もうすぐ少佐の身元を引き受けてくれる極上の美人がお出ましになるからそれまでここで待っててくださいね。」

25才当時のポプラン少佐は女医が陸戦の達人でサイレンの魔女の再来ということは、知らない。

極上の美人って誰だろうなあと25才の時空軸にいる少佐は脳内アドレスをぱらぱらめくり、イゼルローンの美女

たち一人一人を思い浮かべていた。



本当は。

一番あいたいのは、ダスティ・アッテンボロー少将。

翡翠と銀を織り交ぜたさらさらした長い髪と、冷たい月を思わせる怜悧な美貌の持ち主。けれど実は軍務以上に

料理上手で家庭的で、その見事なギャップにハートを打たれた。

冬の凍えるような冷たさを持つ表向きの表情と、春の緑のきらめきを思わせる優しい笑顔。

彼女がいれば、なんにもいらない。

そんな気持ちがポプランのなかに日増しにあふれ出てくる。



恋に墜ちたなとさすがのレディ・キラーも観念している。



カーテンの向こうで女医がアッテンボロー提督と名前を出した。ハスキーな耳障りのいい声と女医の会話は鮮

明には聞こえない。女性提督はお風邪を召したのであろうか。彼女の話し方は母音に特徴があるのでポプ

ランはよく覚えている。この声は低いけれどダスティ・アッテンボロー少将閣下のもの。口調は変わらないが声

自体は低い。お気の毒に。彼女がもしも凍えているとしたら、そっとあたためてあげたいとハートの撃墜王は

ベッドに上体を起こして考えた。



しかし一体自分はなぜここにいるのだろうとポプラン少佐は頭をひねる。



カーテンをさっと開ける気配がしてポプランの目の前にアッテンボローが立っている。相変わらず冷たい美貌。

けれど内面はまだおさなさが残るベイビーな女。・・・・・・女。ポプランはさらに首をひねった。

ダスティ・アッテンボローは女のはず。

肌を合わせたことはないからこのとき25才のオリビエポプランはどう考えても、女性提督は女だったよなと胸の

なかで繰り返す。けれど目の前のアッテンボローは華奢で薄い肩をしていても・・・・・・男。

「ご機嫌いかが。撃墜王殿。」

ややぎこちなく微笑む彼女は中性的な美しさを誇る・・・・・・男。



提督。

「・・・・・・別に性別なんて小生の愛には代わりありませんから。けれど何が悲しくて性転換をされたんですか。

小生に話してください。必ずあなたの支えになりますから。」

女医はその言葉に吹き出した。

世にこれだけの馬鹿な亭主がいるとは思わなかった。女房狂いというのであろうか。仲のよいことは実によい。

オリビエ・ポプランはその点だけは評価ができる。



どうせ一過性全健忘症のポプランにいちいち事情をすべて話しても、明日にはきれいに忘れるのだし女医は口を

はさまないで医務室を出た。二人きりの方がうまくいくこともあろうから。



別に。

「別に世をはかなんでこうなった訳じゃない。どうも私は時々男になる体質なんだ。一日か二日で今まで元に戻っ

てるし体になんの不調も見られないし原因もわからぬから、黙って男になった日はやり過ごしてきてるだけさ。

お前は頭痛とかしないのか。吐き気もないか。」

オリビエ・ポプランはまたもあっさり性別の差を超してしまった。

何度こんなシーンを迎えても、オリビエ・ポプランはどんな壁も越えてアッテンボローを包み込んでくれるの

だと思うと彼女は心があたたかくなった。



ぎゅっと手を握られた。

「うん。この感触はアッテンボロー提督の感触だ。男だろうが女だろうが小生は、あなたが好きです。・・・・・・あ、

これ口説いてるんじゃないですからね。少将はくどくと逃げるから。」



きらめく緑の眸がまぶしくて。

そういえば昔の彼女はポプランに口説かれるたびに苦言を呈した時期があった。数多の女性と華々しい恋を

重ねた撃墜王をなかなか信じることができなかったからだ。

自分が彼のオンリーワンであるということがなかなか信じることができなかったもどかしい日々があったっけ

・・・・・・・。

アッテンボローはやっと少し微笑んで。



「口説いてごらん。少佐。あっという間に墜ちるから。」

手を握り替えして。

「本当に口説いちゃいますよ。逃げ道なしで。誘惑してもいいんですか。」ポプランは握り替えされた手の感触を

大事に思って。

口説いてごらん。逃げないからとアッテンボローがいうより先に腕を引っ張られて体ごと抱きしめられた。



「提督、逃しませんからね。」

私は男なのにいいのかとアッテンボローが愚問とも言える質問をすると言葉の返事の代わりにやさしい唇で唇を

ふさがれた。

「だってあなたが好きなんです。自分でもどう説明したらいいのかわからないほど、あなたが好きなんです。」



この腕の中から逃げる気持ちなどアッテンボローはさらさらない。

だが。

「オリビエ、ここは医務室で公共の場所だ。」

巧みにアッテンボローの制服を脱がしていくポプランにアッテンボローは甘い疼きを覚えつつも抵抗を試みた。

「公共の場所ですけれど鍵かかりますし個室ですよ。大丈夫。」

いや。大丈夫とかじゃなくて。



逃げないから。

「逃げないから二人の部屋で・・・・・・・ここじゃやだ。」

ポプランにしがみつき真っ赤になっているアッテンボロー。二人の部屋という言葉は25才のポプラン少佐には

わからないが、なんとときめく言葉であろうか。

「ほんと、逃しませんよ。」

「ほんと、逃げないよ。」

どうせ今日一日はポプランは安静させなくてはいけない。自分も一日軍務から解放されている。夫婦二人で一日

部屋にこもっていたところで誰も文句を言うまい。

失笑を買うこと、間違いなしであるが。



私がお前から逃げるなんてこと。

「もう、絶対ないから。」

事実交際をして四年もなるのにまだキスするときにはにかむ女性提督に撃墜王は大満足。

提督。愛してますよ。

衣服をお互い整えてポプランは赤くなっているアッテンボローの耳元で囁いた。

いつまでたっても晩熟なままのアッテンボローは男になろうが、中将になろうが、妻になろうがほほを染めて

しまう。



私だってそうなんだから。

心の中で呟いた。

私だってお前のことを愛してるんだから。

仲間の失笑などこのさいどうでもいいやとアッテンボローは医務室を出て「ポプラン少佐」の手を握った。

ご機嫌な少佐はその手をぎゅっと握りかえす。



ヤン艦隊での小さなハプニングはこうして幕を切ったのであった。



by りょう


LadyAdmiral