あなたのたましいを宙(そら)に還しましょう・3




運命の糸を紡ぐ女神。クロト。








女医が耳にしたのはダスティ・アッテンボロー・ポプラン中将がヤンの病室で彼を看護しているフレデリカ・G・

ヤンに民主共和制政府の政治的指導者にという話だった。



ミキ・M・マクレインはワルター・フォン・シェーンコップに宇宙に連れ戻されて以来、ヤンの幕僚が決めたこと

に当然口出ししていない。

自分は一医者であり退役当時の階級も中佐であったからムライの娘で、ヤンと旧知の仲といっても意見できる

立場でないことを知っている。しかし随分女性提督は大きなな役割をヤン夫人に与えるのだなと静かに耳に

入ったことについて考えていた。



ヤン・ウェンリーが現実問題、今まで銀河帝国の専制政治に対する民主共和制を一人中心になって護ってきた

といえる。たとえエル・ファシル独立政権というものがあったにせよ現時点でイゼルローン要塞にいる民主共和を

望むものはヤン・ウェンリーを旗頭に仰いできた。

政治的にも軍事的にも今回のテロで指導者を実質失っている。

今のヤンは自発呼吸ができるだけの状態だし、ドクター・ロムスキーはなくなっている。



眠れるヤン・ウェンリーのもとではどうにもならぬと離反する人間が要塞に増えるだろうと父は言っていた。

だからムライは要塞を去るのだと娘にいっている。

もちろん長年の友人知己を失って疲れが出たのであろう。ミキとしては父が母の元に無事に還れたら嬉しい。

娘の立場として。



アッテンボローが日々眠れるヤン・ウェンリーから離脱しようとしている人間たちを彼女特有の弁舌で追い出して

いることも知っている。ほとんど寝ていない生活が続いていても女性提督には忠実な下僕・・・・・・オリビエ・ポプ

ラン中佐がひっついているのでアッテンボローの健康の心配をミキはする必要はなかった。あの亭主は

不真面目で無節操で秩序とは縁のない男だが女房孝行にかけては銀河一といってもよいだろうと女医は思う。

もしあの男がいなかったら・・・・・・。

父、ムライが言っていた。

「アッテンボロー提督はよく人間を見ているし若いけれど識見も豊かで、人望がある。あの人物まで倒れてしま

えばもうこちらは組織的な抵抗はなにもできないだろう。彼女がいるなら大丈夫だ。」



ヤン・ウェンリーの名を継ぐものはフレデリカ・G・ヤンとユリアン・ミンツしかいない。



残酷な話ではあるけれどフレデリカに政治的指導者としての力量がなくともよいのだ。

この際ヤンに及ばなくてもロムスキー以上ならば問題ない。

ヤンの令夫人であるということが大きいのだろう。

政治的効果として。



軍事的指導者にユリアン・ミンツを据えたのも同じ理由ではないかとミキは思った。

ヤンとは士官候補生時代から夫婦でのつきあいだったから、12才のころのユリアンを知っているが聡明で

何をさせても絵になるくらい秀でた子供であった。本来なら女性提督の方が艦隊を率いている経験上指導者

になるべきなのかもしれないが、不眠不休で不穏分子と煮え切らぬ交渉を繰り返すような仕事は17才の

ユリアンではおよそ無理である。

この際青年はおとなしく祭り上げられて、あとは周りの大人がしっかり支えるのがよいのであろう。ヤンの

秘蔵っこであるという名札もなかなか効果的だと思われる。



そういうことを女性提督、ダスティ・アッテンボロー・ポプラン中将は「レダIIの悲劇」が報じられたあと根回しして

いたのであるから、父のような人間でも高い評価をするのは理解できる。

その女性提督の提案であったし、女医はヤン夫人が夫の看護をしながらでも仮の政治的指導者になることは

この際やむを得ないかもしれないと思った。

ほかの人物では求心力に欠ける。これはミキでもわかる。

現にフレデリカはアッテンボローの申し出を承諾した。



ヤン夫妻の健康状態を把握するのが自分の責務だと女医は思った。

集中治療室のカーテンの向こうから出てきたアッテンボローはミキに声をかけた。

「ヤン司令官の代行を夫人にお願いしたところです。司令官の看護もあるのですが他に人がおりません。夫人は

了承してくださいました。先生、司令官夫妻の体のことお願いできますか。夫人に倒れられても困るのです。

事務処理、裏の仕事は私たちで請け負うのですけれど表向きの式典などではヤン夫人の役割が大きくなる

ので。我ながら情けない采配をふるっているとは思うのですけれど。」

アッテンボローはベレーをとって耳元までの髪をいじった。



「薄いカーテンのこちら側にいたものですから話は伺いました。礼儀知らずでごめんなさい。情けない采配どころ

じゃないです。提督のお体こそ大丈夫ですね。何かあればいってください。どのみち私はヤン夫妻を護るために

この宇宙に還ってきたんです。お任せくださいね。」

背の低い女医は長身の女性提督に負けない存在感がある。

「それは心強いです。ヤン先輩もよい同期生を持ったと思います。私の健康はポプラン中佐が請け負うみたいで

好きな酒に手も出さないでうるさく食事をしろだの、少しはねろだのと留意してくれています。本当は女房の私が

亭主の世話をすべきなんですけれど。」

そばかすの美人は微笑んだ。

そのご亭主は集中治療室の外で待っているとのこと。



「仲がよろしくてけっこうですわ。結婚して何年になるんですの。」

「もう2年はたちますよ。今年の八月が来れば。」

「でも、蜜月ですのね。」女医はいたずらっぽく微笑んでいった。アッテンボローはまた頭をかいた。翡翠の色と

銀の色を混ぜたような不思議な髪のいろ。さらさらと流れる。

「ユリアンとはいつ頃はなせますかね。」

アッテンボローは話題を変えた。女医も別段固執しなかった。

「もう意識も回復して30分くらいなら面会できますけれど・・・・・・随分気落ちしています。自分がいながら「レダII

の悲劇」を食い止められなかったとね。本当はそんな問題じゃないんですけれど彼の唯一の欠点かもしれない

ですね。責任転嫁をしないこと。美徳でもありますけれど今の状態ではよい考えじゃないです。」

「ええ。先生のいうとおりですね。ユリアンやマシュンゴがいなかったらと思うと私などはぞっとします。発想の

転換がへたというのか物事を深刻に考えすぎるきらいがあるんですよね。真剣に考えることと深刻に考えるの

では実は意味合いが違っていて。ま、17才のユリアンにはまだまだ飲み込めないことですよね。」

まだ話を持っていくのは早いかもしれないから歓談だけしてもいいですかと女性提督が言う。



「問題ないですよ。提督と中佐でユリアンを引っ張り上げてください。そっとね。」

にっこりと笑みを浮かべる女医。E式の極上の美人。

「そういう仕事は多分私たち夫婦が一番得意かもしれないですね。そっと無理させないで引っ張り上げることに

します。そおっとね。」

まだ、心の傷は深いだろうから。

アレックス・キャゼルヌ曰く宇宙一酔狂な夫婦らしいのでユリアンの心の傷をきっとこの二人がいやしてくれる

であろうとミキは確信して女性提督を見送った。









運命の糸を紡ぐ女神。クロト。

彼女は今日も静かに生命の糸を紡いでいる。







「お前って本当ミキ先生が苦手なんだな。オリビエ。」

アッテンボローはユリアンとの面会を終えてそろって廊下に出たときポプランにいった。

「だって参謀長の娘だぞ。美人だが口うるさいし。おまけに医者としてだけじゃなくてひとをぶった切るのがお

得意な女性なんだぞ。シェーンコップの不良中年じゃないがやはり美人は戦斧(トマホーク)をふるっちゃ

いかん。」



なえちまうぜと廊下で人目をはばかることなくアッテンボローに接吻けをした。



「お前程度のじゃじゃ馬でおれは至極ご満悦。お前以外の女はいらないから。」

といいながらアッテンボローの口に固形栄養物を小さく切って押し込む。続いてドリンクを飲ませようとする

からさすがにアッテンボローは赤面して一人で飲めるとポプランの手からドリンクをもぎ取った。

「だってまたこれから仕事だろ。お前が倒れたらそれこそもう革命軍はおしまいだぞ。というより革命軍程度

のことでワイフにひもじい思いはさせたくない。ちゃんと飯食おうぜ。おれ作るからさ。」

そんな暇がないよとアッテンボローは笑みを浮かべた。



ああ、宇宙一かわいい女だとポプランはその微笑みにハートをやられてしまう。

外見の美しさだけじゃない。

内面からでる覇気や生命力が素顔に現れて、魅力あふれる笑顔になっている。



廊下を大きなストライドで歩く女性提督に付録のように付随して歩くハートの撃墜王。

傍目に見れば気楽そうな二人だがこれから兵士や住民たちのあらゆる不平や不満を聞いて回るハード

ワークが待っている。

これらの交渉役はアッテンボローが責任者になって動いているのだった。



「ヤン司令官なしで民主共和制政治を打ち立てるなんて無理でしょう。皇帝はヤン・ウェンリーを相手にしても

我々こものなど相手にしない。一体どうなさるおつもりですか。司令部は。」

などという陳情を数百件聞いているアッテンボローは冷静かつ沈着にいう。

「後継者はたてている。ヤン司令官不在であっても民主共和を放置してよいという話ではない。皇帝が相手に

するか否かはこちらの知るところではない。問題はヤン司令官殿の意志を継ぐことだ。」

「あなたが後継者となるのですか。アッテンボロー提督。」

軍人の一人が怒号をあげた。

「まだここで述べる段階ではない。幕僚会議で検討中の事案だ。」

女なんかにヤン・ウェンリーの代わりができるわけないよなとこれも数千と聞いている女性提督。



「ほう。自由民主の思想のもと、男尊女卑の輩がまだいるとは思わなかったな。原始時代に戻った気持ちだ。」

翡翠色した眸が怜悧にきらめき硬質の唇からほとんど感情のこもらぬ一言が漏れた。

「ちょっとばかり出世が早かったからって女じゃどうしようもないこともある。」

などというものもいるのでアッテンボローは伝家の宝刀を取り出す。



「それがどうした。いやならイゼルローン要塞を出て行け。私が指導者にはならずとも司令部に属するものだ。

司令部に疑義を抱くのであれば誰がいつ要塞を出て行こうが私はかまわない。」



男たちの一団はこれに絶句してしまう。

「司令部の役に立たないのならここにいてもらう義理はない。出て行ってくれてかまわんよ。」

特に声を荒げることもなく静かに追い打ちをかけるアッテンボロー。



ヤンが昏睡状態にあり指揮を執れないことを知るとわかると旗色を大きくかえるものが多くいた。

アッテンボローもキャゼルヌもシェーンコップもそのあたりはよく読んでいて、交渉はアッテンボローが引き

受け事務処理はキャゼルヌが行い、新政府の準備をシェーンコップらが中心にこの時期取りかかっていた。

新政府の人事もアッテンボローが決めたし女性提督のこの時期のドラスティック(徹底的)な動きに皆が

目を瞠ったものであった。

「レダIIの悲劇」で殉死したものたちの葬儀の指揮もアッテンボローが行っている。



「おれのワイフが過労死しないか気がかりで仕方ない。」

ポプランがユリアン・ミンツに借りたままのバスケットのなかにアッテンボローが片手間にとれる食事や珈琲を

いれて随行しつつ呟く。

「アッテンボロー提督はキャゼルヌ夫人並みの女性ならではの強さがおありだからな。せいぜい亭主としては

女房殿の健康に気をつけることだ。」

イワン・コーネフ中佐がしれっとして言う。

健康といえばさ。

「お前さんのかわいい奥方が午後医務室にいたけどどうしてだ。風邪か。」

ポプランはアッテンボローのために魔法瓶を取り出し濃いコーンスープをカップに注いだ。

「いや。・・・・・・・おめでたというやつだ。」



なんですととポプランは自分の耳を疑った。

「コーネフさん。おめでたというのは妊娠のことをいうんだぜ。」

「だから、その、妊娠というやつだ。なんども言わせるな。」

コーネフは耳を赤くしてそしらぬふりで答えた。

「ということはお前は父親か。」

「母親ではないな。」

一緒に聞いていた女性提督はそういうめでたいことを隠すんじゃないとコーネフをしかった。そしてすぐに

キャゼルヌに報告させた。こういう家庭的なことはあの一家に任せるのが一番である。媒酌人でもあるし。

駆けつけたキャゼルヌは開口一番、コーネフに「馬鹿。祝い事は先にいわんか。めでたいじゃないか。」と

案の定しかった。

テレサは極健康な女性でつわりは若干あるけれど自分で食事の用意もできるらしい。けれどもキャゼルヌは

すぐに彼の宇宙一頼りになる女房殿を電話で呼びつけた。



「赤んぼうが生まれるぞ。お前、コーネフ夫人の世話を頼む。」

「まだ生まれませんよ。あなた。ミキ先生に聞けば三ヶ月じゃないですか。」ぴしゃりとキャゼルヌ夫人は語彙と

思考が麻痺した夫に言い返した。



「ともかく今が大事なときではあるから安定期にはいるまではお世話させてくださいね。コーネフ中佐。」

にっこりと微笑むオルタンス・キャゼルヌにコーネフははあ、その、お願いしますとしどろもどろになって頭を

下げた。



こんな時、男って全然役に立たないなと傍目でアッテンボローは見ていたが。

「テレサはメルカッツ提督の指揮下にいる軍人に違いないんだからメルカッツ提督にもご報告申し上げないと

いけないだろう。行ってこい。コーネフ。」カップのスープをすすってまだ父親になりきれないイワン・コーネフに

指示を出した。

「そうね。メルカッツ提督も喜ばれることでしょう。いってらっしゃいな。コーネフ中佐。」

小官一人、でですかねと明晰を誇るクラブの撃墜王殿も間の抜けたことをいった。

「馬鹿。お前はこれじゃポプランよりできが悪いじゃないか。仕方がない。おれが一緒に行ってやる。」

アレックス・キャゼルヌは撃墜王二人をしかるのが大好きだ。

首根っこをつかまれて連れて行かれる父親候補のコーネフを見てアッテンボローとポプラン、キャゼルヌ夫人は

顔を見合わせて笑った。



無事生まれるといいな。

アッテンボローは呟いた。

宇宙へ還る生命と、宇宙からいずる生命。



殺伐たる雰囲気の要塞内での吉報であった。

まだまだ女性提督は今夜だけで37件の陳情につきあう予定が詰まっている。それでも。テレサの懐妊は

喜ばしく、一同の心に潤いを得た思いがした。

「うちもがんばろうな。ダーリン。うちはうちらしくって訳なんだけど。」

同じくスープをマグカップですすっているポプランがアッテンボローの薔薇色のほほにやさしく指で触れた。



「新政府樹立後大いに励もうな。それまではお預けだ。」

ごちそうさまとカップをポプランに渡してアッテンボローはベレーを整えて席を立った。

イゼルローン要塞から大半の人材が遠のいたとしても。

フレデリカやユリアンの役に立たないやつに用はないと女性提督は気持ちのスィッチを切り替えた。そんな

妻の様子を見て取ってポプランも手早くバスケットを片づけて。



この当時ポプラン夫妻が生み出すものは、新政府への道であった。



by りょう



今夜は更新無理かなと思っていましたがなんとか。原作では飲んだくれーなポプランですが

ヤンさんが生きているのでアッテンボローのお小姓さんです。

コーネフはパパになるんですよー。


LadyAdmiral