あなたのたましいを宙(そら)に還しましょう・4
おい、と大きな手で軽く頭を小突かれて女医はうたた寝から目覚めた。 女医は思う。 ワルター・フォン・シェーンコップという男は昔から失礼な男だと。 「どうせ短い時間しかねないなら横になって寝ろ。椅子に座ったままじゃ疲れはとれないぞ。」 ごく一般的な美人の場合であればシェーンコップは怜悧な口元に柔らかな笑みを浮かべ美人を横抱きにして ベッドに横たえるであろうが、ミキ・M・マクレインの場合はたたき起こされる。いささか不合理とも思わないでも ないがシェーンコップに淑女扱いされるのも気味が悪いと女医は生あくびを一つした。 「ユリアンは随分回復したな。いつ床上げできそうだ。」 「そうねえ。乱暴に扱わないというならあと二日で病室から出られるわね。白兵なんかに使うのはまだまだ 先のことよ。ユリアンは若いから生きているけれどあの子だって危なかったんだから。」 そんな野暮なことには使いはせんよとシェーンコップは言った。 じゃあともかく。 「軍事的指導者の話を持っていってもよかろうな。」 「好きになさい。」 もうミキは端末を使って患者たちのバイタルを素早く見ては指を走らせている。ペンをくわえてモニタを見つめる 姿だけを見れば、ただの美しい女だとシェーンコップは思う。華奢でありながら女性らしい体の線を保ち、しなや かな黒い猫を思わせる。黒い髪は肌と対象的に黒く艶があって黒曜石を思わせる眸はらんらんと輝いている。 アッテンボローにしろこの女医にしろ、生命に覇気がある女は5割り増し輝いて見える。 「寝ないのか。」 「寝たわよ。起こされるまでは。20分ほど。」 シェーンコップにはわからない書類を女医は書き始めて顔も上げない。起こされて不機嫌なのではなくこの女は 愛想がない。 否、愛想がなくなった。 彼女の夫が脳死状態になり生命維持装置を拒絶する遺言がでて、担当医であったこの女がすべての医療 器具をはずしたときから・・・・・・女の心の何かが壊れたのか・・・・・・ひとをいたわるが自分をいたわるということ を忘れてしまっている。 比翼の鳥連理の枝と古来からいうが女医とその亭主はまさにそんな二人だったから、片方の翼を失った彼女は さまよいつつ飛んでいる。昔のシェーンコップならミキをいたわったであろうけれど今の彼はそれをしない。 なぜならミキ・M・マクレインはいたわりを求めているのではなかったからである。 彼女は夫以外の男の優しさなどいらぬ女であったから。 「ユリアンやフレデリカに頼るしかないというのもいささかふがいないけれど仕方のないことね。」 そんな男の数年の追憶など消し去るように現実の女の声がした。「お前ならもっと反対するだろうと思ってい たが。」 「仕方がないじゃない。ヤン・ウェンリーの名前は大きすぎるもの。一個人としては大体において無害な男でも 政治的、戦術的には銀河帝国の皇帝にすれば脅威でしょうね。」 そこまでわかってるならこちらも楽だとシェーンコップは言う。 「で、一個人レベルでまあ無害の男はいつになれば意識を回復するんだ。」 女医はかんでいたペンをくるくると指で回してわからないと答えた。 二人の間に沈黙の川が流れた。 「一流の医者をもってしても、わからぬものはわからぬか・・・・・・。」 こうなるとシェーンコップはしばし考える。イゼルローン要塞ではもうヤン・ウェンリーが意識がなく回復のめども 立たないことは喧伝されてしまった。銀河帝国皇帝にもこちらから正式な発表をせねばなるまい。その日にちを 男は考えていた。新政府の樹立と後任者の擁立のこともある。 ドアの向こうは集中治療室になっていてフレデリカ・G・ヤンは目覚めぬ夢に住まう夫の床ずれを気遣い、体を 拭き、なにやら語りかけている。眠っているヤンの潜在意識には妻の声は届いているが彼から何も応答はない しただ、目を閉じて横になっているだけである。人形相手に尽くしているようなものだとシェーンコップなど思わぬ でもないが生きているのは事実である。まだ「遷延性意識障害」の部類にははいらぬのであるが・・・・・・一般的 には植物状態のことをいう・・・・・・意識を失い昏睡して三ヶ月たっていないので「遷延性意識障害」という状態 ではないのだが女医の見立てではおそらくはそうなるであろうというものだった。 女医はどちらかといえば楽観的な人間だったが患者の執刀をしているが故に現実が見えているのであろう。 できるものなら。 「私もJを生かしておきたかったわ。」 氷の惑星カプチュランカ。夫妻が士官学校を卒業してそろって任官した初めての地でシェーンコップはミキと 出会った。同盟軍基地に帝国軍が来襲してきたという異常事態のなかで。気密服姿でけが人の応急処置を すませて炭素クリスタルの軽い戦斧を握り片手で彼女よりも大男たちをなぎ倒していくさまを、25才のシェーン コップは見た。トマホーク自体は女でももてる重さである。それを男たちはあえて両手で持つことが多い。片手 だと力が入りにくいからである。けれどジョン・マクレインの新妻ミキ・ムライ・マクレインは男を遙かに凌駕する 膂力で敵兵士をなぎ倒し屍を積み上げていった・・・・・・。 後日彼女はこの初陣で中佐に昇格する。 改めて制服姿でであうとまだ少女のおもかfげすらのこる21才の女医。夫のいくあとを鴨の子供のようにくっつ いて歩くかわいらしい女。 だが、ワルター・フォン・シェーンコップにとっては宇宙一怖い女になった。 亭主のJ・・・・・・ジョン・マクレインが気のいい男でなければこの10年の歳月女医と親交をあたためて来れたか はなはだ疑問である。 「ジョンが生きていればお前さんも無邪気な女でいられただろうな。」 シェーンコップコップの言葉に女医は薄く笑った。 ええ。そうね。 「椅子に座って寝る女じゃなかったでしょうね。」 女が得意の料理を振る舞って亭主と三人で夜を明かしながら語り合ったあのころ。 「私は今後の政治的なことは何もわからないけれどユリアンとフレデリカには十分気を使ってあげてね。 二人とも口には出さないけれど心は喪失感でいっぱいなんだから。」 ヤン・ウェンリーは死んではいない。 けれど。 呼びかけても指一本うごかしもしないまま、昏々と眠っている。 生きていてもこれもまた悲しい現実である。 シェーンコップは聞いた。「お前、ヤン・ウェンリーを回復させられるのか。」 女医は大きな双眸で男を見やってはっきり言った。 「そのために宙(そら)へ還ってきたのよ。Jを失った宙(そら)へ。回復させてみせる。だって彼は生きているの だから。」 どこまでも楽観的な女だとシェーンコップは医務室をあとにした。人間そう希望通りのことが進むはずがない ことくらいこの女はわかっていると思ったがと男はわびしさを覚えた。 ヤンの不予・・・・・・革命軍司令官職にあった彼にその言葉が適切なのかアッテンボローは考えて 「深昏睡」に文章を変えた。銀河帝国に今のヤン・ウェンリーの状態を隠し通す気は皆さらさらなかった。 また皇帝に「手加減」してもらう腹もない。 ただ事実を報告せねばなるまいと女性提督は全宇宙へ発信する通信文の草稿を自室でしたためていた。 清書して一息ついた。 なあ、オリビエ。 アッテンボローの隣にはいつもオリビエ・ポプランがいた。革命軍司令官補佐の補佐というだけではない。当然 アッテンボローの夫だからである。 「私がユリアンとであったとき寝転がって本を読んでいる先輩に紅茶を与えて、ピクニックの用意をしていたよ。 サンドイッチには自家製のピクルスが入ってておいしかったな。私は紅茶がそれほど好きじゃないけれどあの子 がいれたアルーシャは好きだった・・・・・・成績優秀で家事を任せても何をさせてもできがよかった。それは今も 変わらない・・・・・・。」 あの子を護るのが当面の私の仕事になるよと女性提督は赤めの金髪を撫でていった。 「ユリアンに焼き餅を焼かないでくれよ。オリビエ。」 髪を撫でられながらハートの撃墜王殿は微笑んで。 「善処しましょ。」といった。 あのなあとアッテンボローは苦笑する。 お前以外に私をここまで愛してくれる男なんていないんだし、お前以外の男なんて私には興味ないんだからと アッテンボローが緑の眸をのぞき込んで言う。 「おまえさ。この馬鹿女って言ったよな。」女性提督はまじめな面持ちで言い出した。額をポプランの額にくっつ けて。 「え。そんなおそれおおいこと言ったっけ。おれ。」 「言ったんだよ。だから・・・・・・。」 私はお前に惚れたんだとほほを真っ赤に染めてアッテンボローは言った。 「こんな無茶はいけません。おれの前ではもうこんなことは金輪際させませんからね。・・・・・・・この馬鹿女。」 二人がまだ恋愛ごっこを愉しんでいた時代。僚友ごっこを愉しんでいた時代。 酔漢を取り押さえたアッテンボローはほほにナイフの切り傷を負った。その程度でひるむ女性提督じゃないから ほほから血が流れていても憲兵時代の名残で酔漢の軍人を取り押さえることに躊躇しなかった。相手がどんな 武器を持っていようとアッテンボローは怖じなかったであろう。 「もう全然あの傷はないな。」 「当たり前だ。何年前のことをいっていると思う。このときお前私のことを馬鹿って言ったんだ。」 ポプランは交際をして4年、結婚して1年になるのにまだときどきシャイになるアッテンボローがたまらなく愛 しい。 ぎゅっと手を握っていった。 「そう。忘れるなよ。危険なときはおれより前に出るな。そこは覚えてる。でもお前無茶だからやっぱり時々 馬鹿だなって思うぜ。だからおれがいつも必要なんだ。」といって艶のあるアッテンボローの唇にキスをした。 抱きしめると耳元でポプランが言う。 「少しやせたな。腰が。まともにくってないし寝てないもんな。お前。」 抱きしめられながらやせたかなとアッテンボローは自分ではわからない。 「固形栄養物では脂肪が落ちてしまうからな。飯作るけど食うか。まともなもの口に運んでないだろ。」 そだなとポプランの腕が体を離れて、少し寂しい気持ちを女性提督は味わった。怪訝そうな顔をしているアッテン ボローをみてポプランはしょうがないけどかわいい女だなあと手早くキッチンでリゾットを作って女房殿に 差し出した。 ふうふうとあたたかい食事をとっているアッテンボローにポプランは言う。 あのな。 「おれはお前だけの男なんだから寂しいときは寂しいって抱きつけばいいんだ。おれの前では強い女じゃなくても いいんだから。」と翡翠色した髪をくしゃっと撫でた。 スプーンをくわえたままじっとアッテンボローは髪を撫でられるまま彼女にとってだけ頼りがいがある夫をみつめ た。行儀がよいはずのアッテンボローだったけれどスプーンをテーブルに置き食事中にもかかわらず、ポプランに 抱きついた。ポプランはアッテンボローの体を受け止めて背中や髪を撫でてやった。 まだこの女は泣かないまま歩き続けなければならない。 軍事的指導者にユリアン・ミンツを据えたけれど実質艦隊を指揮するのは彼女やメルカッツ提督になるだろう。 政治的指導者にフレデリカ・G・ヤンを据えたけれど実際に暗躍しているのは彼女だ。 強がっているのではなくてほかの人間が動かないから彼女が最初の一歩を踏み出したにすぎない。こんなに やつれてしまうまでみをつくして戦っているのはダスティ・アッテンボロー・ポプランだった。 食事も睡眠も大事だが、アッテンボローにはポプランだけが逃げ場所だった。 疲れた心を休めるためには彼の温かさが必要不可欠だった。 「・・・・・・オリビエはどうしてそういうことがすぐわかるんだ。」 「お前のことしか見てないからわかるんだ。今は飯時じゃなくて抱擁の時間だなと。抱きしめあうのって大事 だろ。ぬくもりって必要なんだぜ。生きている人間にはな。」 だから・・・・・・・深昏睡であっても肌に体温が残るヤン・ウェンリーとともにいるフレデリカはヤンが死んでしまう ことよりも遙かに幸せなんだと思うぜともいった。 「あの御仁のことだからすべてが終わったときにひょこっと起きてくるさ。」 「お前は楽観的だね。」 ポプランの腕に抱かれてアッテンボローは安心して呟いた。 こんな時は誰かが楽観論を馬鹿でも唱えなならんのだと、彼女にとってだけ宇宙一頼りになる夫が綺麗な ウィンクをした。 もう一度キスして。 唇が重なったあと。 「補給完了。」とアッテンボローは綺麗でこしゃくな微笑みをポプランに見せた。 「まいったなあ。おれはガス欠になりそうだ。」 これからイイコトヲシヨウトもくろんでいたポプランだったが素直にアッテンボローを自由にした。残したリゾッ トを平らげてアッテンボローは作った発信文をキャゼルヌに見せるべく席を立った。 宇宙歴800年6月6日。 エル・ファシル独立政権も解散して「レダIIの悲劇」でなくなった僚友たちの葬儀をアッテンボローたちは出した。 そして全宇宙にむけて「ヤン・ウェンリー深昏睡。回復の望み現時点ではなし。」との声明文を発信した。 軍事司令官代行にヤンの養子であるユリアン・ミンツ中佐、政治的司令官代行にフレデリカ・G・ヤンの名前を だして。 あわただしく動き回る女性提督のあとには皆が失笑するくらいハートの撃墜王がくっついていた。でもフレデ リカも女医も笑いはしなかった。 できうるならば、夫とそう生きていければよかったと願う二人だったからである・・・・・・。 by りょう |