あなたのたましいを宙(そら)に還しましょう・2
運命の糸を大ばさみで断ち切る女神。アトロポス。 女性提督が要塞防御指揮官と個室で二人きりになることはまず、ない。 アッテンボローを宇宙で唯一の女と慈しみあがめている亭主オリビエ・ポプランが彼女に必ず随行している からである。彼女とてポプランを宇宙でただ一人の男と認識しているのであるから、なんと幸いなる二人で あろう事か。 人知を越える神秘的な関係が二人にはあった。 アッテンボローはシェーンコップと二人きりになると長身の男をにらみつけた。 「任務はご苦労だった。うちの司令官閣下がなんとかこの世に踏みとどまっているのも貴官らの功績だと思う。 ゆえにその点は大いに評価する。」 翡翠色した怜悧な眸に艶があるだけの硬質な唇。 いい女だなとシェーンコップは思う。 赴任してくる「女性提督」というネームプレイト以上にダスティ・アッテンボローは美しく、そして有能だった。 ただの政治宣伝(プロパガンダ)のお人形ではなかった。気位は高いし鼻っ柱も強い。度胸も並の男以上 のもの。 簡単にポプランなぞにくれてやるのではなかったとワルター・フォン・シェーンコップは思う。 「ということはほめられているのか。おれは。」 「ここまではな。及第点以上だ。さすがワルター・フォン・シェーンコップ中将だよ。ドクター・M・マクレインの 技量も神業に近い。・・・・・・さてお小言を一つ言わせてもらうがかまわないかな。誰も言わないから私が言う 必要があろう。」 エル・ファシル独立政権のお歴々の遺体収容は誰がするんだ。 シェーンコップはわずかに苦い顔をした。 「失念していた訳じゃない。弁解してもいいのか。裁判長。」 どのような状況にあってもこの男は典雅な男だと女性提督は思う。 初めてであったとき。 もう少しこの男の本当の心がのぞける力が自分にあったなら、アッテンボローはシェーンコップを拒まなかった かもしれない。けれど当時彼女は若かったし、この御仁も若かった。オリビエ・ポプランのように素直に愛を惜し みなく注いでくれた男にアッテンボローは惹かれたし、その結果今に至ってもそれが自分が人生で決めた答え のうちベストなものの一つであると思っている。 ワルター・フォン・シェーンコップは女を不安にさせる。 それは今も変わらない。 「いいよ。言い訳は男の専売特許だ。あらたに「レダII」に人間を送る必要があるのじゃないか。」 耳元に切りそろえたボブヘアが彼女のほほに触れている。翡翠や瑪瑙を銀とあわせてコーティングしたような 艶やかで触れたくなる髪をしている。 「あの船は今、屍食鬼(グール)どもの巣窟だ。地球教徒の連中は死ぬことなど怖いと思っていない。聖なる 殉死と喜んでこちらに向かってくる。新たな人員を割いて死者を増やしたくない。早々に「レダII」を引き上げた のも司令官閣下たちの救命もあったが陸戦部隊の消耗が思いの外激しかったのでな。エル・ファシルの お歴々には申し訳はないが遺体を回収する間はなかった。ヤン・ウェンリーはともかくおれはロムスキー医師を 特別に崇拝はしていないし現場指揮官として言えば妥当だったと今でも言える。」 やれやれとアッテンボローは薄く微笑んだ。 「地球教徒は異教徒に死をと思っているからさもありなん。実のところを言えば後世の評論家などはお前さんを 批判するだろうな。だが現場を知っているもの、地球教徒の異様な狂信を目にしたものであればなるほどその 場に私がいれば撤退をしただろう。概要さえわかればもういいよ。小言というのはそれだけのことだ。ただこう いうことは組織である以上、報告する必要性がある。エル・ファシル独立政権の残った政治家たちに私が報告 しておくとしよう。」 えらく。 「えらくいかめしい役目をお前がしてるんだな。こんなことはキャゼルヌかムライ中将に任せればよいだろう。」 あごを撫でて。ややとがり気味なのはほほがそげたのであろうか。シェーンコップはそんなことも思いつつ、女性 提督に尋ねた。 「キャゼルヌ中将には別の仕事をしてもらう必要がある。革命軍の事務処理が滞っている。何せ司令官が実質 何もできぬ状態だし令夫人もやっと今夜床上げできる状態だ。いろいろと雑事に取りかかってもらっている。 ムライ中将はこの要塞を去ると今朝私にいってきたよ。」 アッテンボローの答えにシェーンコップは無表情だった。 「・・・・・・ずいぶんと損な役回りをなさるおつもりのようだな。ムライ中将は。」 「私もそういったよ。歴史はあなたを悪く言うだろうと。でも、中将のお気持ちは変わらないそうだ。フィッシャー 提督もパトリチェフ少将も亡くなった・・・・・・ムライほどの幕僚がイゼルローンからさるとなれば不平分子を追い 出す絶好の手札になる。あの人はそこまで考えておいでなんだ。」 革命軍は事実上現在、恒星を失った。 ヤン・ウェンリーは人道上生きている。 けれど革命軍司令官としてはもう指揮を執る日はいつになるのかわからない。 「我々は軍事的指導者と政治的指導者のどちらをも兼ね備えた人物を失った。これは現実。このまま革命軍 というものを存続させるつもりがあるならその代わりの指導者を祭りあげねばなるまい。人間は結局人間に ついて行く。イデオロギーや思想を元にしても人的象徴は必要だと思っている。このあとの会議で問題にする のは「革命軍を存続させるか否か。」だ。」 アッテンボローのドラスティックな発言にシェーンコップは眉をひそめた。 「女はいつも現実主義だな。シュールでリアリストだ。」 ちゃかすなとアッテンボローはシェーンコップを軽くにらんだ。 「ヤン・ウェンリーは生きている。けれどあれで指揮は執れまい。では皇帝にひれ伏すか。こんな酔狂なまね 投げ出して「専制政治万歳」とでも降伏するのか。民主共和制を宇宙から根絶やしにするのか。私はその気は ない。」 「共和制だの云々はどうでもいいが今更あの金髪の坊やにすみませんでしたと白旗を揚げるのはしゃくな話だ。 細かい差違はあれどお前さんが言うことはもっともだな。だがその人事はどうするんだ。」 そういうことは考えているよと女性提督は髪をかき上げて呟いた。 「軍事的指導者にはユリアンを。政治的指導者にはヤン夫人にお願いするつもりさ。」 ほうと男は呟いた。 「てっきり軍事の方はお前さんが表に立つと思ったが裏に回るつもりか。」 「小汚い仕事がたんとある。ユリアンのような精錬な青年には任せられない。ヤン司令官不在でこの要塞に 不穏分子が必ず出てくる。そいつらを掃討するのが当分の私の仕事になりそうだな。」 数など必要じゃない。 現時点では核(コア)となる人材が残ればいい。 「ヤンのシンパである私が革命軍存続派として動き、ヤン艦隊幕僚ムライ中将が要塞を去る。なかなかうまく できているよ。小うるさいおっさんだとばかり思っていたが・・・・・・感謝せねばなるまい。」 白皙の美人提督はかすかに口角をあげて笑みを作った。 お前さんには。 「お前さんは頭がいい男だし味方につけておきたかったから手の内をばらした。キャゼルヌ中将もオリビエも この話は知っている。どうだい。黒幕の女性提督の手足になってくれるかい。」 運命の糸を大ばさみで断ち切る女神。アトロポス。 まさしくこの女にふさわしいとシェーンコップは思い、頷いた。 ユリアン・ミンツは意識を取り戻しヤンの状態をフレデリカと女医から聞いた。 青年は罪の意識にさいなまれ取り乱しかけたが、フレデリカ・G・ヤンがあまりに静かで安寧に彼を慰めた。 あのひとは生きているのよ、ユリアン。 その一言でユリアンは何も言葉を継ぐことができないでいた。 「ヤン夫人はともかくユリアンが引き受けるかね。軍事司令官を。」 ピロートーク。 ポプランの腕に頭をのせてアッテンボローは囁かれた言葉にわずかに沈黙をして。 「引き受けてもらわないと困る。」 「お前の方が人望があるといわれるぞ。どうも同盟軍が存続していたら史上初の女性元帥の誕生を噂されて いたようだしな。おれのかわいい奥さんは。」 ポプランはアッテンボローの広くてすべすべした額が好き。 ついキスしてしまう。 透き通るような白い肌。 ルージュを引かない、艶のある唇。 美貌と内面のギャップに男は惚れてしまった・・・・・・。 「存続してても元帥の給料はしれてそうだな。ヤン先輩を見てて思った。資金のない国は辛いものがあるよ。 ・・・・・・ユリアンには表舞台に立ってもらう必要がある。何せヤン・ウェンリーの養子と言うだけで18才の未知の 青年だ。ユリアンが司令官として優秀か否かはさておいてもネームバリューは女性提督よりよほどある。帝国 の連中にはまあ、脅威だろうよ。しばらくはね。」 アッテンボローはポプランの鼻が好き。 ついついいじって、軽くひねる。 形のよい鼻が悪くなると夫は文句を言うけれどそこがまた、かわいいと思ってしまう。 結句この二人は蜜月なのである。 「艦隊を実際動かすのは仕方ないけれど私がいる。ユリアンには追々伝授しよう。」 アッテンボローはポプランのきらめく緑の眸もすき。 夏の小川のきらめきを思わせる。 彼といれば。 きっと自分はなんでもできるだろうと彼女は自分を信じる。 「ユリアンにはなかなかセンスってものがあるからな。空戦と陸戦をあの年でこなすんだし。ヤン・ウェンリーの 側で用兵を見ていた坊やがただ漫然と見ていたとも思えない。おれの期待のしすぎかな。」 そうでもないかもしれないし、そうかもしれないとアッテンボローはポプランの唇に唇を重ねて呟いた。 しばらく自分は鬼にならねばならないとアッテンボローは考えていた。 ユリアンはともかくフレデリカは重篤なヤンを看護しなければならない。 けれど政治指導者としてフレデリカ・G・ヤンは欠かせない人物なのである。 実際、アッテンボローだって民主政治だのどうだってよかった。もちろんヤンが話す論理はすきだったし賛成も 共感もしていた。現在でもヤン・ウェンリーを支持しているのである。ヤンが目覚めるまでは民主共和の苗床は 守り抜かねばならなかった。 そのためには自分はやらなければならなかったことがあった。 悲しんで涙を落とす暇など、ない。 そしてその資格も、ない。 もうカエサルのようにルビコンの河を渡ってしまった・・・・・・。 涙を流して失った仲間や、目を覚まさぬヤン・ウェンリーを元に戻せるのならばいくらでも涙を流そう。 現実は不可能なのだ。 ならば。 残された自分は前を向いていくしかない。 「ダスティ。」 「・・・・・・なに。」 「いつもおれが側にいること、忘れるなよ。いいか。」 地獄まで、一緒。 絡め取られた指先に唇がおりてきて。 赤めの金髪をもう一方の手でやさしく撫でる。白い胸に抱く。 運命の糸を大ばさみで断ち切る女神。アトロポス。 これから幾夜も眠れぬ夜を過ごしてイゼルローン要塞にいる不要な人間を排除する仕事に奔走することになる だろう。みな、ヤン・ウェンリーが常勝不敗の智将であるから後ろをついてきた。けれどもヤンはいつ目覚めるか わからない今、この革命軍を見限る自由はあってよいとアッテンボローは思っていたし、ムライもそのようで あった。ムライの離反は裏切りではない。むしろヤンたちを護るための決別だった。 民主共和とは「自由な思想」を旗印として成立しているので眠るヤン・ウェンリーと流浪する必要はない。本当に ヤンとともに夢を見て、現実を見て生きてきた仲間が残ればそれでいいのだ。そのような交渉ごとなどはユリ アンよりアッテンボローの方がむいている。穢い仕事が彼女を待っている。 そんな女を支えるというのだから、抱きしめあった男は酔狂もいいところだと女はふと笑みを漏らした。 あ。余裕の微笑みだな。 などとキスのさなかにポプランはアッテンボローの耳元で囁いた。 「なあ、オリビエ。」 男の少しほお骨のでている顔を掌で包み込んだ。「お前は、いつも私の側にいるよね。」 アッテンボローの問いにポプランは微笑むことなどせずはっきりとああ、一緒にいるといった。お前の側にいると。 交差する緑と宙(そら)色の眸。 安心してアッテンボローは素肌のまま体も心も男にゆだねた。ポプランはその重みとあたたかさで心が安ら いだ。 運命の糸を大ばさみで断ち切る女神。アトロポス。 ダスティ・アッテンボロー・ポプランの本当の戦いは始まったばかりであった。 その心の内を知るのはオリビエ・ポプランただ一人であることをアッテンボローは実はまだよくわかっていな かった。 絡み合うからだと絡み合う指。 二人の愛の指輪。 アッテンボローが思うよりポプランは彼女を愛していた・・・・・・。 by りょう |