あなたのたましいを宙(そら)に還しましょう・1
運命の糸を割り当てる女神。ラケシス。 フレデリカ・G・ヤンの発熱は治まっていた。 病室に入ったダスティ・アッテンボロー・ポプラン中将は上体を起こして女性提督を出迎えたヤン夫人に軽く 頭をさげ傍らの椅子に腰をかけた。 「あのひとに何かあったんですね。」 フレデリカの声は静かだった。 ヘイゼルの眸が穏やかに女性提督の答えを待っている。 「左大腿部動脈叢を撃たれてミキ先生が執刀した。一命は取り留めたけれど意識はまだかえらない。回復の 見通しは今後の治療次第だと先生はおっしゃっている。生きておいでだし脳死でもない。ただ、司令官は深い 眠りについておられる。」 アッテンボローも長きにわたって女性同士親しんできたフレデリカに静かに言う。 あのひとが・・・・・・。 「あのひとが還るのを私は待ちますわ。アッテンボロー提督。妻である私があのひとが還ってくるのを信じな ければ。・・・・・・私、あのひとには会えますの。」 あえるよとアッテンボローは薄く微笑んだ。翡翠の石を溶かし込んだその眸は穏やかな色をたたえていた。 フレデリカは様々な思いが胸に押し寄せている様子でしばらくわずかにうつむいて、黙った。 「・・・・・・ユリアンはどうしているんです?」 「ユリアンはヤン先輩を護りきったよ。ひどい怪我を負って一両日中には意識が回復するのではないかと 聞いている。マシュンゴは重傷だが無事だ。」 青年は目覚めたら、罪にさいなまれるかもしれない。 ヤン・ウェンリーを傷ひとつつけずにイゼルローンへ還す役割を青年は自分に課していた。 けれど、多くの犠牲者をだしなおヤンはいつ目覚めの時がくるのかわからない。女性提督は思いを巡らせた。 ユリアン・ミンツにとってヤン・ウェンリーは師父なのであるから。 12才のころの青年は希望の光の宿ったまなざしで彼の保護者を見つめていた。青年の指標はすべてにおいて ヤンであり、少なくとも同じ星を仰ぎたいと青年は願って生きてきた。 「・・・・・・ほかの皆さん方はどうなったんですか。アッテンボロー提督。」 ヤン夫人の声は柔らかく穏やかで、むしろ感情を抑えたもののように聞こえた。 「スール少佐が重態で集中治療室に入っている。パトリチェフ少将とブルームハルト中佐は死んだ。」 女性提督の声も普段と変わらぬ様子を見せていた。ルージュのない硬質な唇。 医務室が静かなる鎮魂の空気に満ちあふれ、二人の女性はただお互いを見つめ合ったまましばらく言葉を 発しなかった。 あのひと・・・・・・。 「あのひと、目が覚めたらきっとこういいますわ。「ごめん、みんな」って・・・・・・。」 フレデリカはのばしかけている金褐色の髪を一つにまとめて背筋を伸ばし・・・・・・けれどいつかまた夫と 出会える日を思い浮かべるかのように呟いた。 「体の具合はよくなったかい。フレデリカ。」 アッテンボローは尋ねた。 「ええ。もう大丈夫なんです。今夜にはここをでられると軍医にも言われています。」 先輩は静かに眠っているから。 「君が会いに行きたいときは会いに行きなさい。一番の治療は妻である君が先輩の側にいることだとミキ先生は 言っていた。先輩は自分で呼吸もできるし・・・・・・ただ意識はない。辛いだろうが側にいてやってほしいんだ。」 私は・・・・・・。 「私は7年、あのひとともう一度出会えるのを待っていた一人のファンでした。3年副官としてつとめて今、やっと あのひとの妻になりました。これから何十年と待つことになろうと・・・・・・あのひとが生きている。それで私は 幸せです。」 ヘイゼルの眸の佳人は静かに舞い落ちる雪のような笑みを見せた。 「あのひとに会いに行きます。」 アッテンボローはその言葉をしおに医務室を辞した。女性だし居住まいを正したいであろうし、早く眠る夫に会い たいと願っているはずだろうから・・・・・・。 医務室を出るとこんなときに役に立たない男たちが雁首並べてアッテンボローを一斉に見つめた。キャゼルヌ、 シェーンコップ。そして女性提督のかわいい亭主ポプラン。 「ヤン夫人はどうだった。アッテンボロー。」一番に口を開いたのはキャゼルヌであった。 「落ち着いています。彼女も軍にいた人間ですし・・・・・・今から服装を整えてヤン先輩の病室に行くつもりで しょう。しばらく二人にしてあげてはいかがでしょうか。」 きっと。 「きっと語りかけたい言葉がたくさんあるはずですから。」 「そうだな。そのことに関しては司令官についているのはあの女医だしうまく計らってくれるだろう。問題は今後 この革命軍をどうするかだ。戒厳令を敷いて司令官閣下の状態は伏せているが、人の口に戸は立てられん ものだからな。」シェーンコップは女性の扱いが巧みではない。特に悲しみを抱えた女性はかえって不得手な 粗忽者かもしれない。 「それに関してはここで話すのは得策じゃない。私にも考えはある。集まれるだけの幕僚で会議を開きたい。」 アッテンボローには思案があるらしい。 「わかった。幕僚会議を開くとしよう。その準備はおれとポプランがするから。」とキャゼルヌは女性提督の亭主の 首根っこを押さえた。 「そういう事務的な仕事は中将のお得意とするところでしょう。」 「うるさい。馬鹿。お前さんの事務処理能力だって捨てたものじゃない。いつでも後方勤務で使ってやる。」 唇をとがらせてポプランはろくろく女房殿と甘い蜜月も過ごせるはずもなく要塞事務監殿にこき使われるので あった。 さあ。 「やることはたくさんある。戦闘指揮官殿、ちょっと話がある。顔を貸せ。」 アッテンボローはいつもの覇気を見せ始めた。 「おやおや。お前さんの坊やが妬くぞ。おれと二人になれば。」 「それがどうした。ここで言えない話だから顔を貸せと言っている。」 シェーンコップは思う。 ダスティ・アッテンボロー・ポプランという女は宇宙で一番生命力を感じさせる女だと。そしてそんな女性提督は いつにもまして魅力がある。 にやけてるが。 「お前さん、にやけてるがたっぷり小言がいいたくて呼び出してるんだ。早く来い。」 大きなストライドで風を切って歩く女性提督に革命軍戦闘指揮官も弱いのである。 女医の許可はすぐに下りてフレデリカは夫の状態を細かく説明してもらった。 このような状態の患者には家族の支えが大きいことを念押しされフレデリカはヤンが眠るベッドの側に行った。 本当に、眠っているだけのようなヤンを見てフレデリカはよく生きて還ってきてくれたと胸が熱くなった。 あなた。 あなた、存分にお昼寝ができますね。 ベッドサイドの椅子に腰掛けて夫の手を握った。 象牙色した柔らかい手には温かさと脈動が感じられた・・・・・・。 いつも。 ヤンは結婚してからいつも一緒に眠るときは手を握ってくれた。 「君の手は、冷たいなあ。貸しなさい。」そういってすこしはにかんで言うのだ。手が冷たいひとは心があたた かいと言うねと付け加えて。 よくアッテンボローとポプランが手をつないでいるのを見ては「公共の場では恥ずかしいけれど手をつなぐって いうのはいいね。」と彼は言っていた。思った以上に甘えん坊なところがあったかわいいひと。 戦場においては他の追随を許さない唯一無二の英雄。 フレデリカはヤンと初めてであったとき髪にろくにくしも入れないで、バターも塗らないトーストをかじって仕事を している彼を好きになった。 こんなひと、自分が好きにならなければ誰も好きにならないのではないかしらと少女のころは思ったので ある。 そんなことは14才のフレデリカの願望でしかなく、「エル・ファシルの英雄」となったヤンはマスコミにも取り上げ られ女性たちのあこがれの対象となった。いくらでもヤンは才色兼備の女性を選べたはずであった。 父親が推薦してくれできたばかりの半個艦隊、第13艦隊に所属されたのはフレデリカの人生に光を与えた。 亡くなった父は娘が軍務に励むのは父親の影響だと思っていた。 もちろん、父は尊敬するに値する人物だとフレデリカは今も思っている。 ラインハルト・フォン・ローエングラムという人物に操られて殺されたと聞いている父・・・・・・。 けれどフレデリカが士官候補生卒業時次席だったのもヤン・ウェンリーという男の力になりたいが故であった。 「あなた、ユリアンが責務を全うしてくれてもうすぐ目が覚めるようです。怪我の後遺症もないとミキ先生が おっしゃってましたわ。ユリアンをほめてくださるでしょう。あなた。」 食事がとれないので栄養をとるためのチューブがつけられている。自発呼吸ができるので酸素マスクなどは していない。唇が乾いているのかかさかさしている。水分も管で摂取しているがフレデリカは清潔なガーゼを 女医に言ってもらいうけ水をしめらせ唇に含ませた。けれどそれを飲み下すことはできないでしずくがあごに 垂れてしまう。 けれど脈打つ肌の感触と体温にフレデリカは感謝する。 ユリアンに。 マシュンゴに。 スールに。 身を挺して息絶えたパトリチェフとブルームハルトに。 瞼を閉じて一人一人の顔を思い浮かべて感謝した。 自分の性(さが)なのだろうかとフレデリカはヤンの手を握りしめて思う。 愛するひとの生命のために多くの人々が死んでゆく・・・・・・。ドワイト・グリーンヒルは皇帝に踊らされて 「救国軍事会議」なるものを作った。ハイネセンの「スタジアムの大虐殺」を父が先導したとは思いたくは ない。 それでもすべての責任を父はとっていたはずである。 そして夫を愛して。 英雄を愛したのではない。 ベンチで昼寝をしたり、ソファでごろ寝をしたり、ユリアンと三次元チェスをして負けてしまうようなヤンを フレデリカは愛した。 しかし夫は革命軍司令官でもあり、多くの屍を乗り越えてきた・・・・・・。 バーミリオン会戦前、シンデレラリバティ(12時までの休息)でヤンからプロポーズを受けたとき、すでに ともに屍を超えゆくもの同士になったのだ。 否、14才のころエル・ファシルでであったころから同じ運命を生きると決めていた・・・・・・。 手に手を重ねて。 眠るヤンのほほに接吻けを。 「いいわ。ウェンリー。たっぷり眠りなさい。その代わりお願いだから離れて一人にしておいてくれよと言っても 私は聞かないから。ずっとあなたの側にいるから・・・・・・。」 運命の糸を割り当てる女神。ラケシス。 寄り添う二人の影を女医はみて思った。 女性提督は運命の糸を切るアトロポスだとオリビエ・ポプランはよく言っている。 運命の糸を紡ぐものは生命をつなぐ役割を果たす自分だとあの陽気な撃墜王は言った。 ここに眠り続ける男を待ち続ける女がいる。 もう一度微笑み会える日を信じて。 彼女がラケシスなんだわと女医は二人きりにするためにカーテンを引いた・・・・・・。 by りょう |