夢を殺すな、夢を追うんだ・1
宇宙歴800年5月1日。 戦場での一時的勝利が、大きな戦局面で圧倒的な勝利を呼ぶとは限らないと 幕僚会議でヤンは皆にあっさりと、しかしいつものごとく淡々と言っている。 今日の夕食はシチューだね、というような口ぶりで皆もその司令官の癖を熟知 していた。 本当のところ、もちろんヤンは疲労していたし戦争が終わって自分が戦争を嫌って いることに気づき、嫌気がさす。戦いのあとはひたすら一杯のブランデーと風呂を 欲したものが、オリビエ・ポプラン中佐の女房である女性提督を借りて休ませずに 仕事をさせている。 亭主は珍しく文句を言わず最愛の妻をヤンに貸してくれているし、女房のほうも 疲れを見せず「了解です。」と綺麗な笑顔で敬礼して任務にあたっている。 皆、疲れている。 司令官の矜恃としてある意味悠々と会議室で通常通り変わらぬ様子を見せていた。 ヤンの数少ない矜恃。 「司令官たるもの、むやみな不安を与えるような愚かしいまねはしない。」 信念だの信条だのを好まぬ傾向のヤンであるが決定的な事態が起るまでは「長」 である人間の芯がぶれると兵に影響を及ぼすので、これは自分で戒めている。 敵将ファーレンハイトが戦死したことを受けウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ 提督は一日、喪に服し幕僚会議を欠席した。 副官であるベルンハルト・フォン・シュナイダー中佐は会議こそ欠席はしなかったが 服喪を意味する腕章を胸につけ出席した。 それに関してはムライだけが眉をひそめただけで、誰も敵将の死を悼むことに 意義はなかった。 メルカッツやシュナイダーにしかわからぬ追悼がある。 「今回はアムリッツァやバーミリオンの時と違って私は意地悪く穴蔵にこもっている。 銀河を凌駕する皇帝といえどそうたやすく手がうてないよ。」 相変わらず淡々とヤンは言った。事態は好転しているとは言えないが。 ヤン・ウェンリーという人物はだいたいにおいて物腰の柔らかい穏和な人柄だと 思われているが事実、こと戦術においては勝つために大層底意地が悪くもなれる 男である。 けして理想主義者でも正統派を重んじる性質ではない。 当人が意地悪く、と謙遜で言っているように聞こえるとしたら、あまりにヤンを誤解 していると言えよう。 ユリアンもフレデリカもその点は美化してはいない。 「閣下、アッテンボロー提督より任務無事完了したとのことです。」 フレデリカ・G・ヤンは幕僚会議などの席ではヤンを「閣下」と呼んでいた。けして司令官 夫人として偉ぶることなど全くなく、昔日自由惑星同盟軍時代のまま有能な副官として 夫に仕えていた。 夫婦そろってある意味権威、権力を嫌うところが似ている。 似たもの夫婦といったところかなとユリアン・ミンツ中尉などは思う。 女性提督が不眠不休で執り行っていた仕事。 イゼルローン要塞回廊入り口に、連鎖式爆発機雷を500万個敷設するのがダスティ・ アッテンボロー・ポプラン中将の任務であった。 こうしておけばより、皇帝の手を煩わせることができるとの考えである。 「時間を稼がないとね。そう度々連戦では疲れも出るよ。」 この時点でヤン艦隊の疲労度は相当なものだった。幕僚会議に出席しているもので 最年少のユリアンでさえ、ときおり心臓と肺に不安定さを感じるときがあった。 一時間で八時間の睡眠をとれるとされるタンク・ベッドに皆がこぞって一日に数度利用 してフルに稼働していた。 「ワイフは喧嘩の下準備となると不眠不休で喜んで働く酔狂なひとなんだよな。帰って きたらたっぷりおねんねさせてやらないと」亭主のポプランはつぶやき、この二人も似た もの夫婦なんだなとユリアン・ミンツ中尉などは思う。 アッテンボロー、ポプラン、シェーンコップなどは精神的にも肉体的にも相当なタフさを 持っているから、連戦であろうがなかろうがどうということはない様子である。 たださすがのヤン艦隊に所属する普通の精神を持つ人間は極度に緊張し、生き残れる のか勝てるのかその前に疲労で死ぬのではなどと平静ではなかった。 ただいまと女性提督が要塞に還ってきたとき当然のごとくポプランは、 「お帰りなさい。おれの提督。」 といって周囲をはばかることなどなく、熱い抱擁と接吻で出迎えた。 「まったくお祭り人間の集まりよね。ここって本当に。」 父親のムライ中将が言わないことを娘のミキ・M・マクレインはその「見目麗しい、 日常の光景」を耳にして作業をやめることなく言った。 それにしてもまさか。 「まさか医者としてのお前さんが役に立つ日が来るとは思わなかった。」 ワルター・フォン・シェーンコップ中将も誰も言わないことを平然と言ってのける質の 人間である。 軍医局では疲労、過労を訴える兵士であふれんばかりの状態で、軍医長である バーソロミュー准将はじめ、退役中佐である女医まで診察と治療にあたっていた。 「で、戦闘指揮官であるシェーンコップ中将ともあろうひとが医局で油を売っていて いいわけ。どこも具合など悪くない人間は持ち場に戻って頂戴。大男がうろつくと 狭くて困る。」 士官の診察後、処方箋を書いている女医は顔も上げずに言う。 そんなE式美貌の持ち主の横顔をシェーンコップは見つめ。 「長いつきあいだがお前はおれのことを誤解しているな。」 「そうだったかしらね。」 帝国からの亡命の師弟である怜悧で剛胆な美丈夫の男は、ややとがり気味のあごを 撫でて言う。 「おれほど繊細な男はそうこの宇宙にいないんだぞ。」 「・・・・・・あら。それは失敬。」 冗談はともかく。 「うちの司令官閣下も副官の令夫人もお忙しい様子だし、頼まれているものを渡して おいてほしいの。この紙袋に入っているから。」 小柄で一見華奢。 だが、体のラインに女性らしい美しさがあるシェーンコップの「天敵」とも言えなくもない 女医が小さな紙袋を男に渡した。 寝酒のアルコールが増えて困ると言うから。 「軽い睡眠導入剤を処方して午後薬局から届いたから。こっちも忙しくてここを離れられ ないの。頼めます?中将閣下。」 大きな黒い眸を瞠らせてミキは言う。 安んじて。 「安んじて引き受けましょう。軍医殿。・・・・・・うちの司令官閣下にほかに具合が悪い ところはないな。ミキ。」 「実はね悪い風邪がはやりだしているんだけれど、ヤンはワクチン接種できたから 大丈夫。フレデリカは微熱があったからまだうてない状態ね。睡眠事情がよろしくない だけでヤンはまずまず大丈夫よ。珍しく食事をきちんととっているから元気みたいよ。」 それをきいて安心した。 「なにせ長い人生、ヤン・ウェンリーがいないとおもしろくないからな。」 そんな戦闘指揮官の言葉など聞く耳を持たぬ女医は、次の患者を診察室に入れ 男を追い出した。ワルター・フォン・シェーンコップ中将が御し得ることができぬ女が 彼女であった。 要塞に還ってきたのはよいけれど。 女性提督は部屋でポプランの腕枕を久々に堪能して呟いた。 疲労の局地にあると思われるけれどアッテンボローは、すっかりこの腕枕が気に 入ってしまっていた。 制服の上からではわからない綺麗な筋肉がついていてちょっと固いけれど心地 よい、感触。 本当は要塞内で悪い風邪がはやっているらしく、午後、アッテンボローもポプランも ワクチン接種しポプランの腕にもその跡が残っていた。 「今夜は腕まくらなしでいいよ。痛いだろ。」 「ううん。そんなの、ちっとも痛くない。お前がいないと心が痛い。」 だからしっかりホールドされ、いまに至る。 さみしかったかとアッテンボローはポプランにまじめに聞いた。 うん、とまじめにポプランは答えた。 こんなおかしな危険な状況にありながら、この夫婦の蜜月ぶりは伊達や酔狂どころの 騒ぎではない。この妻にして夫あり。 フレデリカの微熱ねえ。 「あの元気なフレデリカが微熱って何でだろうね。まあ女性が前線にいるってのも 考えものだな。」 アッテンボローが考え込むように言うとその唇にキス。 「ダーリン・ダスティはたまに自分も女だってことを失念する。こんなかわいい女、 宇宙にいないのに。お前は前線で指揮官じゃないか。」とまた、アッテンボローの 唇にキス。 「子供のときは熱もだしたけど大人になってからは元気だなあ。風邪もあんまり 引かないし。」 女性提督、ダスティ・アッテンボロー・ポプラン中将は健康な美女である。 早寝早起き。 睡眠良好。 三度の食事をしっかりとり、間食をしない。 飲酒癖はない。 家事労働と仕事が大好きで屋外で遊ぶことも大好き。柔軟な体をきびきび動かして あまりじっとしていない。美しい姿勢の持ち主。 「お前は生活習慣がしっかりしつけされてて健全だもんな。」 特にダイエットもしたこともなく、軽い運動はするが鍛えるほどハードなトレーニングは 制服組の彼女はしない。 「せいぜいおいしいものでも食べさせてやった方がいいな。ヤン先輩のような不摂生の 権化と結婚すれば夜更かし組になっちゃうかもね。」 フレデリカは実は少女時代は口より手が先に出る女の子で、いわゆるお転婆娘だった。 エル・ファシルでヤンと出会い、軍に入り彼の部下になるために、猫の皮を三枚ほど かぶったと言っていた。けれどアッテンボローにしてもポプランにしても、その話を直接 きいたユリアンにしてもとうてい信じられない。 「尽くすタイプだもんね。フレデリカ。うちの司令官のような日常生活において、 完全な無能ものがたまらなく愛しく感じるんだと。朝起きて何もつけないトーストを かじっているヤン先輩を見て、こんなひと自分が側にいないと絶対だめだわって 言うのが本当に恋した理由らしいよ。母性本能とか庇護欲に駆り立てられたんだ ねえ。」 以前、昼食の時フレデリカが、自分は英雄に恋をしたのではないといっていた ことを思い出し、ポプランに話した。 「まあ、ある意味そういう男がかわいく思える女性はいるからな。」 アッテンボローの翡翠色の髪を指でときすかしてポプランはしたり顔で言う。時々 忘れるがこの男は4年前までは「美人とワンナイト・ラブ・アフェア」が趣味だった のだ。 アッテンボローと出会ってからは・・・・・・。 おれも。 指でアッテンボローのほほをつつきポプランは言う。 「おれも美人提督ってだけで惚れたんじゃないな。破天荒さとやたら切れる頭と・・・・・・。」 お前の特上の笑顔。 じっとポプランに見つめられてアッテンボローは少しはにかんだ笑みを見せ、うつむいた。 「それとそのいつまでたってもシャイなところ。かわいい。愛してるぜ。ダスティ。」 腕の中でさらに熱い抱擁と・・・・・・。 お後はご想像にお任せいたします。 蜜月の二人のおじゃまはいたしますまい。 なにしろこの翌日には、銀河帝国皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムが直接 指揮を執り、イゼルローン回廊へ進入してくるのである。 宇宙歴800年5月3日0630時。 銀河帝国軍の総勢は緒戦で数は減ったものの艦艇数14万6600隻。 しかも予備兵力としてアウグスト・ザムエル・ワーレン艦隊を回廊と旧自由惑星同盟領 ハイネセンの中間地点に配備。 その数1万5200隻。 一方でヤン艦隊はすでに2万を切っていたので比較にならない。 圧倒的数の優勢をもってラインハルトはヤンをしとめようとしていた。 ヤン艦隊において史上最高の苛烈な戦いがその生命がつきるまで続くと、ほとんど のものが考えていた。ヤンは負ける戦いはしない。しかし今回は切り札と呼べる 好カードは「イゼルローン回廊」だけであり、これではあまりに弱い手札とも言えた。 アッテンボローとポプランが蜜月の夜を過ごすころ。 ミキに処方された睡眠導入剤をのむとヤンは徐々に朦朧としてきた。 以前までは眠れない夜はナイトキャップを聞こし召していたが、フレデリカは夫が 体壊してはいけないと、信頼の置ける女医の処方による軽い睡眠導入剤をもらった。 「お酒がすぎるとかえって眠りが浅くなると聞きましたの。ミキ先生が処方したお薬 なら安心でしょう。お酒を飲まないでといっているのではないんです。だんだん 悪循環になってしまうとあなたの体によくありませんから・・・・・・。」 ヘイゼルのやさしい眸にさとされるとヤンは素直に妻の助言に従った。 フレデリカが間違ったことを自分に提示したことはない。 ヤンは妻を信頼していたし、そして・・・・・・宇宙で一番愛していた。 彼女は自分といることが幸せのように見えたし、事実幸せであった。 だったら、なんとしてでも生き残りたいなと思う。 しかし・・・・・・。 大量殺戮者の自分がなんとしても生き残りたいとは浅ましい限りだと思いもするし 死んでいった兵士たちに合わせる顔もない。 「君の具合はどうなんだい。ミキが言うには微熱があってワクチン接種できないまま なんだろう。皇帝の艦隊もそろそろじれて手を出してくる。」 連戦に次ぐ連戦になるけれど。 「君は女性だし、具合が悪くなったらすぐに言いなさい。」隣で横になっているフレデリカの 小さくて華奢な手を握っていった。 「あなた、まさか私はおいていくおつもりですか。」 心配そうにヤンの顔をのぞき込むフレデリカにやさしいが、けれどはっきり言った。 「君がいないと困るんだ。いつも側にいてもらわないと困る。」 それをきいて夫の少しひんやりした手を握り直して「ええ。いつもおともしますわ。」 いつまでも・・・・・・。 二人は顔を見合わせて微笑んだ。 夜が明ける。 限りない戦いが始まる・・・・・・。 by りょう |