地図のない旅、新しい宙(そら)・1
「親不孝号(アンデューティネス)」はフェザーンまでは事なきを得て無事到着をした。 向かうはエル・ファシルである。 さて。 ここに一人の青年がいる。 彼はさきのバーミリオン会戦でたったの一個艦隊で当時の銀河帝国ラインハルト・フォン・ ローエングラム公の旗艦「ブリュンヒルト」をその射程におさめあと一声、「攻撃。」と呟けば。 しかしながら今現在彼はさんざん労を尽くした祖国を追われた。 自由惑星同盟最年少元帥閣下は国家の保全のために誅殺されかけていた。 事実、妻や僚友が「自主的」に彼を救わなければ彼は銃口にさらされあやうく 抹殺されるところであった。 救ったのは彼の妻、フレデリカ・G・ヤン夫人。 そしてワルター・フォン・シェーンコップと愉快な仲間たちである。 ヤン・ウェンリーは考えてもみた。 なんとかハイネセンをでずに僚友たちと死せるヘルムート・レンネンカンプ高等弁務官と 生きる自由惑星同盟最高評議会議長ジョアン・レベロ氏を人質にして帝国と同盟とを 敵に回し戦うこと・・・・・・。 でも基本彼は市民を巻き込む紛争は嫌っていた。 故にハイネセンをでるしかなかったのである。 ヤン・ウェンリーの軍人としての徳は市民に犠牲を出さないことであった。 その思いがあるからこそ後々まで彼の生き様をその正論が邪魔をする。 宇宙に飛び出すしかない。 策など何も考える間もなかった。 レサヴィク星系で破壊されるはずだった同盟軍の軍艦、空母はぜひとも確保 したかった。 だからメルカッツ提督に善処を呼びかけた。 しかしそれが呼び水となりヤンを追いつめた。彼がすることなす事すべて彼を がんじがらめにしてしまう。 半ば喜んで巻き込まれたがる僚友たちにさっさと何か案を絞り出せと文句を 言われても。 はてさて。ヤンとて困り果てていた。 「困ったものだ。」 とまるで某参謀長でも背後にたっていたのかとヤンは椅子から転げ落ちそうに なったが後ろに立ってくすくすとフレデリカと笑っているのはミキ・M・マクレイン。 彼女はムライ参謀長の娘であり元軍医。階級は中佐だったとフレデリカは記憶 していた。 似てるでしょと顔と声は全く違えどイントネーションから雰囲気から父親そっくりの 小うるさい女医が笑った。 「元帥閣下にまでなってしまうとささやかなる静謐もままならないわね。ヤン。 ご愁傷様だと思っているわ。」 まあねとヤンはまたベレー帽を顔に乗せようとした。 「ユリアンに申し訳ないからなかなか動けない気持ちが大きいってのもある。 ・・・・・・ってところかしら。」 小柄で久々の軍服がなかなか似合う女医に言われてヤンの動きも止まる。 「ああ。図星だ。元帥だろうが何だろうが・・・・・・私はユリアンの還る家を飛び出さ ざるをえなかった。・・・・・・心残りだよ。」 でもそれは仕方のないことですわとデータを作成していたフレデリカは隣から 会話に入った。「ユリアンは聡い子です。必ず巡り会えます。」 ヤン夫人の言葉にミキはうなずく。 「うん。あの子は私の考えを10のうち8まではわかる子だから・・・・・・あえるとは思って いる。ただ還る家を用意していたのにそれを失ったことが申し訳ない。」 黒髪の司令官はベレー帽を頭に乗せてさっき妻が入れてくれた紅茶を飲む。 そうねえと女医は呟く。 君こそ。 「せっかくJの遺族年金でかったあの診療所と家を捨ててまでよくここにきたね。 ・・・・・・ありがたかったけれど申し訳ない。」 ヤンは女医に言う。レンネンカンプのエンバーミングを女医がしたおかげで現在 無事に至っている。 「あの家は知人に貸してるし捨てた訳じゃないわ。診療所も若い医者に任せてる。 還れる望みはないわけだけど捨てた訳じゃないのよ。名義はうちの母のものに しているから心配ないの。」 同盟史上最多女性撃墜王リー・アイファン退役中佐。極上の美人であり現在 ムライ参謀長夫人。 だいたいなんでもシェーンコップがあおるからいけないのよねと一声ミキが言うと 当の本人が現れた。 「ユリアンをまつにしろダヤン・ハーンに向かうしかないでしょう。司令官殿。あそこ には一万余人の兵士がつめています。司令官閣下を渇望しているのはまずは あそこでしょう。我々は現在武力もありませんからね。」 ダヤン・ハーンに向かったあとのことはさてどうしようかとヤンは考えている。 船籍数わずか1000余隻の艦隊。 これをどう生かせばいいのかわずか二ヶ月で新婚とおさらばせざるをえなかった 黒髪の司令官閣下は考えあぐねている。 「もう少し考える。進路はダヤン・ハーンでいいんだが。もう少し考える。」 まあ考えるのは悪いことではないですけれどねと声に響きのある戦闘指揮官は 一言進言した。 「このヤン不正規隊(イレギュラーズ)にも何らかの名称がいりませんかね。 ハイネセンから脱出したはいいが何の名前もなくヤン不正規隊(イレギュラーズ) というのも味気ないでしょう。兵士も退屈していますしあなたが今後の進路を 考える間ネームプレイトを司令部で募ってはいかがです。多少兵士の士気もあがる でしょう。たぶん。」 ヤン不正規隊(イレギュラーズ)・・・・・・。 「不正規隊の前の固有名詞がよけいだよ。私の私兵集団になるじゃないか。」 ヤンは年長の黒幕に抗議した。 「あなたの軍隊ですよ。紛れもなくね。いい加減腹をくくって認めなさい。」 「司令官が私になるのは仕方がないにしろ私兵集団などもってのほかだよ。 そういうことが嫌いだとわかっててお前は・・・・・・もういい。考える。名前の件は 好きにしてくれ。」 ヤンはとうとうベレーを目深にかぶって「考える」姿勢を整えた。椅子に浅く座って 机に脚を投げ出す。 あなたって。 「ヤンをからかうのが好きなのね。シェーンコップ。好きな子をいじめるティーンエイジ みたい。大人げないわよ。」と誰も言わないことを女医は帝国からの亡命の師弟である グレイッシュブラウンの髪と眸を持つ怜悧な美貌の持ち主にはっきり言う。 言いにくいことをあっさり言う女だな。お前さんはとシェーンコップは傲岸さのにじむ 笑みを見せ言う。 誰も言わないから。 「誰も言わないから言う人間が必要なのよ。ヤンをかっているのはわかるけど 生きたいように生きられない人間に何もかも求めるのがあなたの他力で 子供っぽいところね。いいおとななんだからそろそろ改めたらいかが。」 小柄なミキと長身のシェーンコップはしばしにらみ合いをして。 ああ。お前は本当に小うるさいとまんまと戦闘指揮官を退場せしめた。 女医もブリッジにいても退屈だから自室で調べ物をすると下がった。 「ドクターにかかるとシェーンコップ中将も答えに窮するんですわね。」 フレデリカが指先を端末に走らせながら隣の夫に呟くともなく呟いた。 彼女はね。 お父上に似て規律を重んじ、ご母堂に似て女傑なんだよとヤンはフレデリカ にだけ優しく答え再び思索の世界に心を寄せた・・・・・・。 ダヤン・ハーンにいくのは異議はない。 そしてウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ提督の知恵を借りるのは悪くない。 ユリアンも見当をつけるだろうし・・・・・・。 もう一人ヤンは待ち人がいる。 フェザーン人の友人、ボリス・コーネフ。 フェザーン人の自由な気質、反骨精神をもってして反帝国の気風を盛り上げる 民衆の力をヤンは望んでいた。 民主共和制がひとたび根こそぎ失われてしまうと復興までに数世紀かかって しまう歴史を鑑みれば。 何も帝国の反対勢力となる必要はない。 わずかでもいい。 民主共和制政治が赦される場所が宇宙にあれば。 ヤンが望んでいるのはこのようなことであった。だが自分がその先頭を切る という念慮はない。 彼の気質として誰かに追随するNO.2のポジションを好む。便宜上現在彼は 中心人物に据えられるであろうがヤン自身は自分が先導者になるのは 好まなかった。 ようやく、進路を決めて出発してもいいだろうと結局答えをヤンはのろのろと出し 名称・ヤン不正規軍(ヤン・イレギュラーズ)の漂流が始まった・・・・・・。 ダヤン・ハーンについた早々ヤンはアッテンボロー不在に唖然とした。 「ユリアンにくっついて地球へいっただって。」 司令官の威厳など気にせぬヤンは素っ頓狂な声を上げた。 はい。新婚旅行でポプラン中佐と一緒にと留守番役のラオは上官の代わりに 返答した。ついでに言うとコーネフ中佐もいっしょですとカスパー・リンツ大佐が 報告した。 それのどこが新婚旅行なんだろうとヤンは考える。 しかしいつまでも女性提督を当てにしてはやはりよくないと思い直し同行した兵士 たちには休息をとらせた。半ば放棄されていたようなダヤン・ハーン基地では ヤン・ウェンリーの到着に意気が盛んとなり祝賀会まで催された。 合流したはいいが彼には1万6千もの兵士に応えられるような模範解答はまだ この時点では見いだせてはいない。 ヤンがダヤン・ハーン基地で入手した一番大きな情報は宇宙歴799年8月13日に エル・ファシル星系が独立声明を出したことである。 彼らはただ漂流していたため情報が入ってこなかった。 ダヤン・ハーンではバーラト星域の情報が遅れてではあったが入手できた。 幕僚はいる。兵士も軍備もわずかにある。 けれど政治的な後ろ盾もなければ国家的正当性とはほど遠いただの一群。 これで何をすればいいのかまだ若輩といえる年齢のヤンでもわからない。ようは 5年の準備期間がほしかった。5年で今より大幅によい結果になしえたとは断言 できぬが二ヶ月では分が悪すぎる。準備をする時間もなければ資金もない。 民主共和制のエッセンスをただ宇宙に残しておきたいという願いだけ。 ヤンにとってはたいそれた思想ではなく飲み慣れた水のある故郷を求めていたの かもしれない。 あなた。 「気分が優れないのではないですか。あまり顔色がよくないですわ。」 フレデリカは執務室と個室与えられさらに「思索の時間」を与えられても いっこうに動きを見せぬ夫にやさしく声をかけた。 具合が悪いのは体じゃないんだとヤンは穏やかにいった。 「12年。辛抱して年金をもらうのを楽しみに毎月積立金を払ってきた。 でも結局夢の年金生活は2ヶ月で終了した・・・・・・これもずいぶん私としては やるせないんだけどね。」 やるせないどころかヤン自身は憤激までしていた。表には出さぬようにして いたが年金生活を甘受できなかったことは彼にとっては元が取れないこと この上ない。 シェーンコップやキャゼルヌは。 「エル・ファシルへ行けという。いずれはいくことになるだろうしあいつらが 言うこともわからないでもない。だけど私がエル・ファシルと決定的に手を 組んだ瞬間から自由惑星同盟と完全に袂(たもと)を分かつことになるんだ。 かといって新帝国皇帝ラインハルト一世と手を組むのでもない。 すべての旗に背いて生きるなんてことはあまりに無謀で・・・・・・大それた 決断だ。それをどうして私のような人間が裁断しなければならないのだろうかと 考えるとさらにやるせない。・・・・・・結局またまた私は「魔術師ヤン」の看板に 振り回されて生きることになる。原因があるからこういう結果になるのだろう けど・・・・・・正直なところいささかもてあましている。」 これが君の亭主の本来の姿だよとヤンは少し笑っておどけていった。 フレデリカも困ったようにほほえんだ。 あなたが英雄であればいいなどと。 「私は思いません。私にはあなた以上に大事なものなど宇宙にないのですもの。」 だからあなたがそういう人間らしい姿を見せてくださるのは嬉しいですわと淡い 金褐色の髪をした佳人は困り切ったかおをした夫の頬に手を添えて言う。 「エル・ファシルですべて狂った気がするよ・・・・・・。」 7歳も年下の妻に甘えきってヤンはその小さな手の温かさに安堵する。 いずれは決断せねばならないことではあったが。 どうしても一人で抱え込むには重い選択であった。それがフレデリカには よくわかるので夫の愚痴も母親のように聞けるのである。 エル・ファシルと我々が結託するとね。 「皇帝ラインハルトが同盟政府に我々を討伐させるかもしれないしそれ以前に あの皇帝が今の自由惑星同盟を放置するとは思えない。」 より完全な支配を試みるであろう。 その強大なる武力で。 自分自身が矛盾の固まりであることくらいはよくわかっているとヤンは呟く。 「野心があるのならバーミリオン会戦でローエングラム公を攻撃していれば 仲間を放浪させることもなかったかもしれない。民主政治の軍人であろうと 決めた上で停戦を飲んだくせに同盟政府のために軍人として死を選ば なかった。・・・・・・まだ死にたくないからね。正直なところ。」 せっかく君と結婚できたしとヤンは頭をかきフレデリカはほほえんだ。 「ええ。私より先には死なせはしませんよ。ウェンリー。」 あなたは私を看取って安らかに眠るように逝ってくださいねと新妻は まじめな面持ちで言う。 その言葉に新婚夫妻らしく二人は顔を見合わせて笑った。 「世の中は私に完璧を求めるけれどそんなこと私にはとうてい無理だって 君ならわかるよね。フレデリカ。」 ふんぞり返って言うヤンにええと優しく彼女は同意した。 けれど。 こういう可能性もある。 「皇帝ラインハルト一世は何故か私と一戦を交えるのがお好みだ。自慢で 言う訳じゃないけれど・・・・・・。帝国が同盟に大遠征を仕掛けてきたら 同盟政府はもう一度私を登用したがらないかなと・・・・・・思うこともある。」 全くゼロの確率じゃない話だろうと受動的能力に優れた自分の妻に 語りかけた。 その話がきたら・・・・・・。 「あなたはどうなさいますの。」 そうだねえ。 「数々の特典をつけて迎えられたとしても私は現に殺されかけた。国家の 安穏のために一個人が英雄として死ぬことを重んじるのが今の国家元首の お考えだし。同盟は嫌いじゃないけれど・・・・・・同盟が私を嫌っているというのが 私の感触かな。」 今の段階でキャゼルヌやシェーンコップが言うようにのこのことエル・ファシル 独立政権に参画するわけにはいかない・・・・・・とヤンは思っていた。 エル・ファシルに与(くみ)すれば帰路は閉ざされ進路とて有望ではない。 皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムとの死闘がまっている・・・・・・。 まだ皇帝の動きを見たいとヤンは思っていたしユリアンを心待ちにも していた。そしてやはり気鬱に思うのはジョアン・レベロ議長が自分の 同盟不滞在をうまく帝国に隠し通してくれるかどうか。これも彼の心配の 種。 女性提督あたりがいると事実楽だなとヤンは思った。 彼女のゲリラ的な戦略のセンスはなかなかのものであったからである。 けれど玉に瑕なのはやはり学生気分がまだまだ抜けない女性提督。 もしこの場にいたとすればイゼルローン要塞再奪取を嬉々として訴える であろう。 「フレデリカ。今少しの間シェーンコップがここにこないようにミキに おもりをしてもらってくれ。騒音なしでもう少しゆっくり考えたい・・・・・・。 あいつはすぐに私をあおるからなあ。頼りになる男であるには違いない のだけれど。」 ドクターにそんな都合のいい係をしてもらって大丈夫かとフレデリカは 気を使ったけれど頼まれた女医は。 元帥の事情は斟酌できる故に。 「あの大きな子供のおもりは一任されておきましょう。」 と請け負ってくれた。フレデリカは一度遙か昔にエル・ファシルでこの 女医と出会っている。 昔から頼りになる女性だとは思っていた。 あの女性遍歴の達人ともいえるワルター・フォン・シェーンコップを自由自在に 黙らせる能力が小うるさい参謀殿の娘の女医には大いにあったのである。 by りょう なにがかきたいねんといえば原作の流れを追ってみました。 |