狂詩曲・3
アッテンボローはブドウ糖とアルカリイオン水、塩、カルシウム剤などですごすと 体がずいぶん楽になった。 地球教本部潜入10日のあいだに数度微熱を出したり嘔吐をしてポプランを心配 させたけれど、幸い宇宙食などは口にできたため10日まで経つとほぼ通常の 健康なアッテンボローに回復した。 発熱や嘔吐をしたものだからポプランはアッテンボローを「本当に病人の妻」として 彼女を大事に扱った。 「風邪ひとつ引いたことないお前が熱を出したり吐き気を催したり。いったいなんだって 言うんだろうな。さあ横になって。・・・・・・本当ならさっさとここを出て行きたいところだ。」 アッテンボローの耳元でポプランはささやいた。 「大丈夫だよ。もう熱も下がったし下痢も嘔吐もなくなった。やっぱり冷え込みの せいかもね。湿度や・・・・・・まあいろいろじゃないかな。もう体を動かせるよ。 ぜんぜん元気。」 とアッテンボローが言ってももちろんポプランは起き上がるのを許可しない。 「明日調子がよかったら礼拝だけは赦そう。でもお前病人なんだから寝てるんだ。添い寝が できないのは至極残念だが・・・・・・ちゃんとそばにいるからな。」と大げさにしっかり 彼女の手を握って離さない。 これからご臨終するわけでもあるまいにとアッテンボローは思うし、せめて食堂の食事 くらいなら取れると思うとアッテンボローが言うと、ここの食堂の飯はそれほどいいもの でもないしとポプランは言う。 「せっかく治りかけてきたんだし。今日一日はまだ宇宙食とイオン水とブドウ糖。」 緑の眸がきらめいてアッテンボローに瀟洒なウィンクをした。 おなかがすいたといいたいところであるが今日一日は仕方がないかと彼女は 観念した。 確かにやっと消化器官の不快さが解消され熱も平熱に戻った。 この地域の寒さのせいだろうとは思うけれど存外自分はやわなんだなと多少自己嫌悪した。 「自分がこんなに弱いとは思わなかったな。」 「まあまあ。無事回復できてよかったぜ。ここの空気やなんかがお前には あわないんだろうな。」 なんかってなんだろうと微笑むポプランを見つめつつアッテンボローは考えた。 ナム・ツォ湖畔で三日滞在したときは特に体の不調はなかった。 カンチェンジュンガに向かう車でも異常ない。 この本部にきてからである。 「・・・・・・ここの食べ物、何かよくないものでも入っているんじゃないかな・・・・・・。」 何の気なしにつぶやいてみた。 まあ確かにお前が作るものとは程遠いメニューだけどさとポプラン。 「俺は・・・・・・別に腹下ししてないぜ。」 確かにそうだ。 朝、昼、晩と三食ポプランはこちらの食堂にお世話になっているが元気 そのものではないか。ほかのみなも元気だという。 この部屋のよき同居人夫妻も老人でありながら貧相な食事で自主的奉仕を 日々精励しておいでだ。 いくらアッテンボローがひ弱でも老人よりひ弱であるはずがない。 「・・・・・・なんで熱なんて出しちゃったんだろう。7歳くらいまではしょっちゅう風邪を こじらせたみたいだったけど軍に入ってからは寝込んだことなどない。」 ここでオイタをしないためじゃないかなとポプランは微笑んで言う。 「お前元気だとふらふら進入禁止区域に入ってあっさり俺たちみんな捕まり そうだもんな。」 そんなにどじじゃないと唇をとがらせたアッテンボロー。 ちゅっとポプランの唇が重ねられた。 「たまにはゆっくりしろよ。お前はどちらかというと活発な女だしちょっと微熱気味の お前もとってもかわいかったぜ。微熱なんて絶対イイコトシタラすぐ治るのにな。 ・・・・・・ここじゃなあ。できなくはないけど・・・・・・。」 いや、できなくていいんですとアッテンボローはポプランの言葉をさえぎった。 みな元気。 けれどアッテンボローは地球教本部に来て夕食を食べ何か違和感を感じたのだ。 三日だけ食べた食事だったけれどどれも食べたあと軽い頭痛がした。 レトルトの質の悪いものを食べると彼女はそうなることがあったので大して 気に留めなかった。 アッテンボローの実家の母に言わせれば味覚が鋭いそうである。 アレルギーは持っていないけれど何かの化学調味料に反応するのかなと その手のレトルトは食べないようにしていた。といって自然食品派でもなく 大体のものは別に普通の人のように食することができる。 だが地球教本部の食事を取らなくなってから回復しているのだし何か関係が あるのではと彼女は思いたいけれどポプランも老夫婦も元気そのものである。 ・・・・・・たまたま下痢と嘔吐、微熱を起こしたらしい。 よりによって肝心なときにとすっかりお世話になっている簡素なベッドに横になって 納得いきかねる思考をめぐらせていた。 今日で潜入して10日たつ。 「何かわかったのかな。」 アッテンボローはポプランにだけ聞こえるような小さな声で聞いた。 もっとも今の時間同室の老夫婦は勤労奉仕に出ている。 しかしカメラがあれば盗聴器だってあるやも知れないから彼女は慎重だった。 手を握っているポプランはいいやと首を振った。 「ユリアンも慎重に動いているけどなかなかな。あちらこちらに進入禁止の札と 見張りがいる。岩盤が緩んで危ないから立ち入りさせないのだとごもっともな 答えが返ってくるがエレベーターにまで監視が乗ってるんだから何かはある だろうな。」 ポプランも小声でささやいた。 焦って進入でもすればどういうリアクションが出てくるか。 「オリビエはここ、地図を見なくても自由に行き来できる?」 「お。馬鹿にしちゃいけない。おれは撃墜王殿だぞ。体にここの見取り図は 覚えこませた。いつでも逃げられるぜ。」 ただ。 「なかなかユリアンやコーネフらに会えない。行き違いなんだろうけどな。」 逃げるにしても二人で逃げるのは簡単であるが残りの4人とコンタクトを とるのが大変らしい。 ポプランはアッテンボローの額に手を当てた。「もう大丈夫だな。」 そういうとにこっと微笑んだ。ともかくあさと夕方の礼拝にはポプランはしぶしぶ出ている。 なにせ「不治の病の美しい愛妻」のためである。 「とにかく数日のうちにユリアンかコーネフとコンタクトを取るようにする。いつまでここに いるのかってのもユリアンが納得いくまでだろうし。それに付き合ってやりたいが かわいいワイフの体の具合も気になる。」 寝込んでいるふりをしているけど。 「今は元気だよ。」 アッテンボローは美しい笑みを見せた。 うん。いい笑顔だとポプランはまたアッテンボローにキスをした。 夕方になると老夫婦がいったん部屋に帰ってきて礼拝に行くからポプランを誘う。 ポプランは愛想良く随行していく。もちろん心中礼拝など退屈この上ない。 アッテンボローは「不治の病の美しい人妻」として三人を部屋から見送る役目をして さて今後は本当に仮病の生活がしばらく続くのかと小さくあくびをした。 7月26日。 食堂でポプランは夜・・・・・・地下生活で夜も昼もないけれどユリアン・ミンツと 出会えた。まずい豆のスープをすすっていると向かい側の座席にユリアンが トレイを置いて席に着いた。混雑する時間帯を避けたせいもあってやっと近くに座り 話ができた。 「奥様の具合はいかがですか。」あたりに人が少なかったのだがそれでも青年は ささやくようにポプランにたずねた。 「元気になったぜ。よほどここの飯に口が合わぬらしい。まああわせてもらっては 今後の結婚生活で困るな。早くワイフの作る飯が食いたい気持ちではある。 ・・・・・・で、そっちはどうなんだ。」 亜麻色の髪の青年は首を振った。 「多分われわれが侵入できないもっと地下下層部に資料室やデータバンクが あるのでしょう。少なくとも僕らが自由に動ける範疇には存在しないことだけ 確かな様子ですから・・・・・・今後見つけようと思います。」 意気は買うけどさ。 「無茶はするなよ。お前さんはおりこうだから大丈夫だと思っている。」 ありがとうございますとユリアンは答えた。 第一、今まで言わなかったけれど。 「ここにお前さんが満足するような結果があるかはわからないんだ。 希望をくじく言い方にはなるが過度の期待はするなよ。」 ポプランがいつもと違って慎重論を唱えた。 「中佐ってやっぱり読みが深いお方ですね。心しておきます。」 ユリアンは普段はアッテンボローにくっついて離れないポプランばかり見ているから つい失念するが、彼から幾度も死線を超えてきた男の厳しい表情が見て取れた。 その後さらにポプランの緑の眸が厳しいものになった。口は堅く閉じられているが 鋭い閃光のような眸のきらめきに青年は背後に何かあると察知して 振り返ろうとしたがそれより早く男の大きく苦痛に満ちた悲鳴が聞こえた。 二人が見た光景は一人の巡礼の男が人影まばらな食堂で驚くべき力で テーブルを抱え上げ振り回し投げつけている姿であり、それを見て逃げ惑う 信者たちの姿であった。 狂ったように・・・・・・まさに狂ったように男はまたも食堂のテーブルを天井近くまで 持ち上げては投げる。その下敷きになる信者もいてとても「巡礼地での出来事」には 思えない。 逃げ惑う老人信者たちを大声で脅して男は追いかけたがここにきて地球教の 聖職者たちが高電圧銃をもって数人現れた。 銃からは弾やビームの代わりに重い電極を目標にぶつけて強力な電圧をかける ものだ。殺傷能力はないにしてもえらく物騒なものが登場してユリアンは そこにも驚いた。 畜生。 とポプランが小声で叫んだのだけは聞こえたがユリアンはすぐに腕をぐいと 引っ張られ食堂を急ぎ足で出た。 目立つ行動はまずくないですかと青年は言うが今はそれどころじゃないと ポプランは言った。 集団トイレにユリアンをつれてはいると今食べた食事を全部吐き出せと 厳しい口調で撃墜王殿はいった。青年は毒でも入っていたのかと聞くと ポプランはそのまた従兄弟ってとこだなという。 「mono psyoxin・・・・・・サイオキシン麻薬だ。さっきの男が暴れたのはサイオキシンの 拒絶反応だ。個室で吐け。急げよ。」 ポプランは指をのどに入れて嘔吐をしつつアッテンボローの体調の悪さもサイオキシンの 拒絶反応のひとつであったかと悔やまれた。 幸い以前イゼルローンで死者も出たテトラサイオキシンとは違うことは皮肉にも アッテンボローが食事を絶ってから回復したことを考えれば判明している。 この地球教本部の食事、いや飲料水までmono psyoxinが混入されていたとは。 吐しゃ物が胃液だけになるとコックをひねって流した。 個室を出て口をゆすいでいるユリアンに水も飲み込むなという。 水にも混入されている可能性は大きい。 ユリアンはテトラサイオキシンのことは知らない。 あれはごく一部のヤンの幕僚の間だけで解決をした事件だった。 「地球教の信者の従順さはmono psyoxinのせいなんですね・・・・・・。アッテンボロー提督 のご不調は拒否反応ではないのでしょうか。」 ああ。「あいつの体はよくできてるよ。あとの3人にも伝えんとまずいな。 その手配は俺がする。」 ポプランは口元を乱暴にぬぐった。 「まず禁断症状が出れば食欲はなくなる。明日は絶食しておけ。毒素を抜くには この場合は何も食わないのがいいだろう。多分熱が出る。風邪に似た症状が出る。 ・・・・・・ここでのリアクションで新たな展開を迎えるだろうな。お若いの。」 久々にユリアンは空戦の師匠を賛嘆のまなざしで見つめた。 「・・・・・・中佐って何でもご存知なんですね。尊敬します。」 ま。それはそれとしてだ。とポプランはユリアンに小声でささやいた。 「禁断症状ってのが出てもし同室のやつらが医務室へ行けといったら素直にいくべきかもな。 といって素直に医者に従ってたらより濃密なmono psyoxinを頂戴するだろうから・・・・・・ とにかく明日、あさってあたり・・・・・・。」 アクションを起こすぞとポプランはいった。 青年はええとうなずいた。 ポプランはユリアンの肩をたたいた。 「エックスデーは明日ってところだろうさ。頼むぜ。ユリアン。」 といつもの洒脱なオリビエ・ポプランに戻っていた。 「本当俺のワイフの体はうまくできているぜ。異物が混入したらすぐに だしちまうんだもんな。くそ。愛する妻にこんな忌まわしいものを食わせやがって。 それだけでも俺は赦さん。」 そういうとポプランはまたユリアンと別行動に戻った。 この遅い時間にコーネフたちが食堂に現れるということはなさそうだからこの際 やむをえない。病気の妻の栄養剤をもらうふりをしてポプランはボリス・コーネフと イワン・コーネフ二人に小声でmono psyoxin混入についてすばやく伝えた。 ことが麻薬なだけに人目につくのはやむをえない。マシュンゴの部屋にもポプランは 足をのばしてユリアンに話した概略を伝えた。 ポプランはすでに地球教の聖職者から「病の妻のために巡礼に来た信仰のあつい男」と 認識されていたせいもあって、格別怪しまれることなく仲間に危急を知らせることができた。 部屋に帰ると老夫婦はもう就寝しておりアッテンボローは退屈そうにベッドの中に いた。ポプランはmono psyoxinのことを彼女の耳元で小声で話して。 「多分明日かあさってに俺にも禁断症状が出るだろう。だが心配するな。 やっぱりお前の言うとおりここの飯がまずかった。」 アッテンボローは禁断症状って言うとどうなるのか聞いてきたがポプランが思うに 重い風邪程度の症状だろうから普段と変わりなく生活をするという。 「毒素を抜くにはこれが早い。今俺の場合は栄養素をとってもかえってよくない。 二日ほど絶食すればクリーンになるのがmono psyoxinの救いだな。」 心配するなといってもとアッテンボローは思うけれどポプランはいう。 明日、あさってあたりアクションを起こす。 「だからそれまでの間はおとなしく鳴りを潜めておくさ。大丈夫だ。俺は頭脳明晰で 新陳代謝が活発な男だからな。回復は早い。」 しかし。 新婚旅行でmono psyoxinとご対面とは。 「お前が望んだこととはいえとんでもない代物を食わせちまった。ふがいないぜ。」 そんな風にいうポプランがいとしくてついアッテンボローは彼の頭を抱き寄せて 接吻を・・・・・・。 「サイオキシンがうつっちまうぞ。キスしたら。せっかくお前は解毒できたのに。」 まじめな顔でポプランはいったが。 「大丈夫。私は免疫があるから。」とアッテンボローは彼の唇に唇を重ねた。 by りょう 二日ほど勘違いでした。すみません。ああ。人生に勘違いあり。 |