飛翔・1
バーミリオン星系でヤン艦隊はローエングラム公の艦隊と接触した。 ヤンもラインハルトもお互いの能力を危ぶんでなかなか思い切った策を使えぬままバーミリオン会戦は 平凡な始まりを迎えた。4月24日のことである。 正統的な先端を開いたものの混戦状態になり規模が大きくなるばかりでヤンはいらだち、ラインハルトも そうであった。妨害電波が横行して指揮がしにくいことこの上なかった。後に「死闘」とよばれるこの戦いは 多くの流血を欲した。 この戦いが始まればしばらく不眠で戦わなければならない。ダスティ・アッテンボロー・ポプラン提督は 「トリグラフ」において乱戦の中善処していた。 4月29日。 艦載機スパルタニアンがおよそ160機出撃した。帝国ワルキューレの数は約180機。 オリビエ・ポプラン中佐は自分の四個中隊に呼びかけをしつつ次々と敵機を落としていく。しかし 余裕があったのは初めだけで運命の女神「アトロポス」に愛されているはずのポプラン中佐も部下を 次々と失うのを確認すると「不愉快な成分」が彼の心を黒く占領した。 瀟洒で洒脱なポプランも獰猛な猛禽類のように敵艦隊のさなかを超高速で旋回しつつしなやかで 鮮やかな飛翔した。 部下には三機一隊でワルキューレを落とすように日ごろ訓練していたがワルキューレの人間もそういつも その手に乗るわけには行かない。敵はスパルタニアンを艦砲の放火にさらした。 帝国軍ワルキューレ隊長はこのバーミリオンで不敵なオリビエ・ポプランに手痛い仕返しをしてやった。 「このままじゃいつまでたってもコーネフの野郎に勝てやしない。不愉快極まりないぜ。」 まさしく彼の奥底から沸いてでるような憎しみと怒りの感情をにじませた声でポプランは 呟きつつ二機のワルキューレを葬り去った。 その音声を耳にしたのはイワン・コーネフ中佐であった。 「この戦いはやばい。気をつけろよ。ポプラン。」 ・・・・・・コーネフの言葉に無言音声が返ってきた。 それ以降オリビエ・ポプランの声が全く確認できなかった。ごとんという音とともにポプラン機からの 通信が途絶えた。コーネフは不審に思いポプラン機に再三呼びかけをしたが応答がない。 「カンディンスキー大尉。君たちの隊長と通信が取れない。ポプランはどうした。」 沈着冷静なコーネフはいやな予感がした。ポプランの部下であるカンディンスキーに確認を取った。 大口をぽんぽんと叩くはずのポプランの声が聞こえない。 味方スパルタニアンは次々とワルキューレに追い込まれ不利である。閃光があちこちで放たれ 生命の光が散っていく。無情な光であった。 「こちらカンディンスキー。こちらでもポプラン隊長の機体確認ができません。管制官側も ・・・・・・隊長の生体データが読み取れないと・・・・・・。」 スパルタニアンのパイロットは常にヘルメットを通して旗艦の管制室に脳波、心拍数などの バイタルデータを自動的におくっている。操縦者が生きていれば、である。 「暫定的にカンディンスキー大尉、第一飛行隊長を務めよ。中隊の生存者の確認をしておれに 報告しろ。」コーネフは務めて穏やかに言ったがその声には数%の険があった。 数%の不安もあった。 あいつが死ぬものかと心で憤りを感じつつクラブの撃墜王は次々と敵艦載機を追い落としていく。 ここにいたって「トリグラフ」ブリッジでラオ大佐はその報告を耳にして言葉を失った。 アッテンボローは不眠で指揮をとり続け艦隊の建て直しと攻撃を繰り返し敵艦隊とあくなき戦いを 繰り返していた。「たまらん陣形を組んできやがって。パイの皮だよ。これじゃ。」と呟いた 女性提督は声を落としてなにやら通信を交わしている分艦隊主席参謀に気がついた。 「何してる。ラオ。」アッテンボローはさすがにラオの不審な言動に眉根をひそめた。 声をかけられた大佐は現在の事態を速やかに上官に報告しなければならない。 「艦載機第一飛行隊長の機体確認ができないと管制室から報告があがっています。ポプラン中佐の 通信が途絶えてすでに30分経過。生体データも同時刻に・・・・・・確認不能となり現在行方不明です。」 アッテンボローはつかんでいたベレーを取り落とした。 音もなく。 落ちたベレーを拾い上げかぶりなおした。「・・・・・・陣形を立て直しつつ後退。向こうに乗せられるな。」 ラオの言葉にアッテンボロー提督が返した言葉は艦隊への指令であった。 「閣下、現在中佐の機体確認作業に当たらせています。行方不明なだけで、ポプラン中佐の機体に なにかあっただけで生きているはずです。」 ラオの言葉にアッテンボローは「当然だ。」と一言言った。 あいつが死ぬものかよと彼女はいつもと変わらぬ面持ちで、怜悧な横顔を見せていう。眸を宙にむけ あごを引き「こちらは陣形を崩すな。よし。突出。むやみに撃つのではなくタイミングを計って撃つ。 あちらが突出した時点で遠慮なく主砲発射だ。」 と指揮をとり続けた。ラオ大佐は自分の上官を心強くも思い、大丈夫かと心配した。彼は言葉を あえて「行方不明」と伏せたが宇宙でのそれは「死」を意味する。ほぼ90%の確立で。 そんなことは聡明なアッテンボローはわかっているはずである。なのに彼女は表情を変えず 彼女の仕事をこなすことをやめない。 司令官としては見事であるけれど心中を慮るとやり切れぬものをラオは感じていた。 ヤン・ウェンリーから艦載機の収容発令がでた。 「第一飛行隊生存者を収容。隊長代理カンディンスキー大尉に通達してくれ。ポプランの機体の 確認を急げ。確認後収容しろ。」 アッテンボローは穏やかに主席参謀長に告げた・・・・・・。 彼女の中でポプランの声がさっきから聞こえている。それは彼女の回想であり、過去の声でしかなかった。 「美人の未亡人には男が食いついてくる。・・・・・・お前をそんな目に合わせる気はない。」 ・・・・・・あの男が死ぬわけがない。 おそらく本当に行方が知れぬのであろう。絶対そうだ。あんな不埒な男がこんな簡単に死ぬわけがない。 天国であれ、地獄であれあの男が似合う場所ではない。 生命の塊のような煌めく緑の眸。あれが失われるなど彼女には信じたくない。 宇宙空間での行方不明はほぼ死を意味する。そんなことは彼女とてわかりきっている。 だがやはりアッテンボローの心のどこかで可能性を信じていた。ポプランが生きている可能性。 ラオ大佐は管制室とのやり取りを繰り返している。女性提督の表面は怜悧でいつもと変わらぬ 姿であったけれど心の中は・・・・・・ どこで泣けばよいのかわからないでいたのである。 ポプランの腕の中以外で彼女が涙していい場所を彼女は知らない。アッテンボローが感情をむき出しに してもよいと思える人間はオリビエ・ポプランひとりになっていたのである・・・・・・。涙を見せていいのは 彼女の夫だけでありアッテンボローはなく場所を見つけられないために、ただ目の前の仕事を秩序を もって片付けているだけであった。気丈さではない。 失ったと認めたくない心のやり場を見つけられないでいるだけであった。 「まだ見つからないのか・・・・・・。」通信途絶して1時間経過。ラオはアッテンボローに聞こえぬよういった つもりだった。しかし彼女の耳にはきちんと聞こえていた。 ちらりと翡翠色なのか青い色なのかわかりかねる上官の不思議な瞳の色にラオは沈黙した。 「ヒューベリオン」では帰還したイワン・コーネフが飛行服のまま士官食堂でウィスキーを一口かみ締める ようにのんだ。 第一飛行隊は隊長代理が4個中隊・・・・・・数は激減したがまとめ上げて「トリグラフ」に帰ったと聞く。 コーネフの部下も多く死んだ。まさかあの男まで・・・・・・通信途絶。ありえないがこれが現実なのかと 500ミリのウィスキーの小瓶を握り締めた・・・・・・。 「トリグラフ」の女性提督はどうしているであろうか。馬鹿な男といえどポプランはアッテンボローの 大事な人間であったには変わりない。2年半もの間自分以上にポプランと関わり寝食をともにしてきた 恋人、そして、夫。 この寂寥感と喪失感はアルコールではいかんともしがたかった。 ラインハルトの陣形の巧妙さで次から次に薄い敵陣が目前に広がる。これでは無駄に砲撃もできない。 ダスティ・アッテンボロー・ポプラン提督はモニタのデータを読み取りながら「後退と突出」を加減して 機会到来時に「攻撃。」と声をあげた。 心に去来するものがあまりに大きすぎて押しつぶされそうな気持ちをこらえる。いま自分が潰れれば 分艦隊すべて帝国に放火を浴びせられてしまう。 彼女の宇宙からオリビエ・ポプランが消えることはありえない。爆撃されたという言葉を聞くまで アッテンボローは彼の生存を確信した。それは確信というより切なる希望でしかなかったがこの時点で 女性提督が泣き崩れたり指揮系統が崩れてしまえばヤン艦隊も殲滅される。 職業軍人としての彼女の矜持だけが「冷静さ」「沈着」を維持している。 死んだというのならかってに死ね。私をおいて死ぬならいけ。未亡人として華々しくしたたかに生き抜いて やろうじゃないか。死んだ姿を目にするまでは私は認めない。お前が死んだと涙してほしいなら 幽霊にでもなってでてきてみろ。美しい未亡人とやらになってふてぶてしく生き抜いてやるよ。 アッテンボローはそうすべてはらをくくり、艦隊への指揮を乱すことはなかった。理不尽すぎる、無謀な 願いであったけれど今の彼女を支えるのはそこしかなかった。 一艦載機乗りの死亡、行方不明は今回の会戦では混戦状態なので総旗艦「ヒューベリオン」には 伝えられなかった。しかし「ヒューベリオン」にはコーネフの部下たちが乗船していた。その話は薔薇の 騎士連隊に伝えられそれはすぐ戦闘指揮官ワルター・フォン・シェーンコップ中将の耳に入った。 「一時間も通信がない。生存データが取れないというのか。」 彼は眉を上げ考え込んだ。 「アッテンボローはどうしてるんだ。」一時間行方が知れない艦載機ではシェーンコップも生存の 可能性を大きく疑わざるを得ない。まだわずかに残っている希望は艦載機の通信システムの故障。 しかしこれはめったにあるものではない。シェーンコップは女性提督の様子が気になった。 アッテンボローに乱れが出ればヤン艦隊に支障が出る。 それだけではない。やはり僚友としても気がかりであった。 「トリグラフで指揮をとってらっしゃるそうですが・・・・・・。詳細は知れません。パイロットの話ですから ブリッジのことまでは。」とリンツ大佐が沈痛な面持ちで呟いた。それはそうだとシェーンコップは 了解してヤンに耳打ちした。眠さとも戦っていた司令官ははっと我に帰った。 「・・・・・・。」 言葉が出なかった。見たところアッテンボローが指揮系統を握る分艦隊には何の乱れも なく再三のしつこいラインハルトの防御陣を的確にさばいていた。 「彼女は・・・・・・。知っているんだろうね。」 「と思われますな。空戦隊の状況はラオ大佐もつかんでいるはずです。」 シェーンコップはフレデリカ・グリーンヒルに聞こえぬようにヤンにだけささやいた。 黒髪の司令官はその髪をくしゃくしゃとかき乱して。「アッテンボローにつないでくれ。」と副官であり ヤンの婚約者となったフレデリカに頼んだ。彼女は事情を知らないので作戦の補足か何か だと思って回線を「トリグラフ」ブリッジとつないだ。 敬礼をしたアッテンボローが写る。 「ポプランの艦載機が行方が知れなくなって一時間だそうだが事実かい。」ヤンは困っているけれどここで しどもどする人間ではない。事実の確認をするまでは決定を出さないようにしている。 「はい。正確には一時間と24分です。」女性提督は常日頃と変わらぬ面持ちで返事をした。 「大丈夫なのか。まだこの会戦は続くよ。指揮をとれるか。アッテンボロー。いまのところそつなくやって くれているが。」 ヤンは分艦隊司令官の本領を知っている。アッテンボローも最後まで希望を捨てない人間で打たれづよい。 だからこそ彼女に大きな艦隊を任せている。 彼女の本領は戦場においていかなる事態であっても自分を失わないところである。 「当人がゴーストにでもなってでてくるまでは私は大丈夫ですよ。このままやらせてください。 私は、弱くない人間です。大丈夫です。」 ヤンは苦笑した。アッテンボローが大丈夫というからには大丈夫なのだ。 「このまま攻撃をしてほしいが・・・・・・第九の陣を突破して思う。作戦を考える。お前さんには伝令 シャトルでこちらに来てもらうことになると思う。もう少し私の中で作戦を練る。その間任せたからね。」 ヤンはかわいい後輩に元気を出せとか希望を持つんだよといわない。 ダスティ・アッテンボロー・ポプランは現在元気であるし希望も捨てていない。それくらいはヤンはわかる。 回線を切って隣のフレデリカを見つめた。 「・・・・・・中佐が。」彼女はアッテンボローとポプランにかわいがられていた。 それをしっているヤンはつい彼女を見た。フレデリカはヘイゼルの眸に影を落としたが「アッテンボロー提督は 立派ですわ。あのかたなら大丈夫です。」とヤンに同意を求めるような発言をした。 ヤンもそう信じている。 「少佐、作戦を考えるから宙域のデータをこちらに転送してくれ。これではこちらの消耗がはなはだしい。 手を打たないとね。」 黒髪の司令官は副官に頼んで転送されるデータをみつめある作戦を考案する・・・・・・。 by りょう |