M(マリア)・3



執務室にリンツが戻ってきてリストアップされた人物の身柄をすべて拘束したと告げたのは0350時。



「テトラサイオキシン麻薬患者は現在15名病院へ搬送しました。19名は新規の購入希望者で

売人も逮捕しました。・・・・・・計16名の治療に必要なテトラの押収に成功です。」



成功したって。

ヤンも椅子から立ち上がりみな安堵の表情を浮かべつつある。



「ええ。バイヤーの3人が処分しきれず持っていたテトラが多かったので、今回不幸中の幸い、現在

軍部病院で16名に関しては投薬治療中です。」リンツはそう報告をした。



なんにせよ・・・・・・。

「完全に根絶とはいかぬまでも現在わかっている中毒患者の治療ができれば万歳だな。「すべての

テトラサイオキシン麻薬取引行為および売買を本格的に調査。徹底的な捜索開始。」・・・・・・これを

軍部、民間あらゆるメディアを使って放送することだ。売人も動きにくくなる。キャゼルヌ、朝から

今日は一日このことを大々的に取り上げるように放送局、メディア、マスコミに広報するように。」

事務監は頷いた。部屋をいったん出て手配をすると部屋に戻ってきた。



テトラサイオキシンの売買に関しては摘発にいたっていることをしれば、売るほうも買うほうも自重

するであろうとヤンは思った。

「それにしてもさばけなかったってのはどうなんでしょうな。おい。小僧。テトラはどれくらいの認知

度があり欲しがられるものなんだ。」とシェーンコップはポプランに聞いた。



「トランスが目的でしょうね。幻覚作用、多幸感。性欲増進とかね。一般の麻薬と同じですが決定的な

違いは禁断症状が出ないとよく誤解されてます。普通の麻薬は禁断症状に不快な痛みや幻覚が出る

のがテトラでは記憶障害とわずかな言語機能の崩壊だけで当人は快楽のまま呼吸停止、もしくは心停止

です。最後の突然死を知らないで買う人間は多いかもです。テトラの認知度はまだまだ低い

です。でも夜の仕事をしている人間、ネットワークに詳しいやつは聞いたことはあるでしょね。軍関係の

やつもね。テトラとしらずに買ってる、もしくはもらったケースもあるかもですね。悪い男が買って女に

与えるってパターンですよ。」



ふむとシェーンコップは空になった珈琲カップを拳銃のようにくるくる回している。

「買う人間もよくわからないでかっている場合が多いのか・・・・・・。そらそうだろうな。」

「今回少女の中毒患者が多かったのも女が買ったというよりは相手の男が渡したケースが多い

ような気もするな。でもな。何でさばききれなかったんだろ。テトラなら買うやついたと思っていたのは

おれがマニアだからか。」ポプランも考えた。



「・・・・・・臨床実験というケースもあるんじゃないかな。」と、ヤンは椅子に座りなおしテーブルに

足を投げ出した。



「考えていたんだがね。たとえば軍の機密事項であるはずのトリサイオキシンが民間に漏れることは

まだないと思う。・・・・・・テトラサイオキシンを生成するとしたら一般に出回っているモノサイオキシンを

使うほうが失敗しても入手の点もトリサイオキシンよりもずっと楽だ。やり直しがきくし廃棄も都合が

いい。モノサイオキシンからつくってるんだろうなと・・・・・・。」



テトラは・・・・・・。とヤンは引き続いていう。



「不安定な薬品なのかもしれない。結局麻薬だから臨床も何ももないけれど・・・・・・フェザーンの

誰かがつくっているとしたら。今回はテストケースとしてばら撒かれたのじゃないかな。組織の

資金源にしては今回の売り方はずさんだ。・・・・・・やれやれフェザーンとは海千山千の星だ。

誰かフェザーンにやりたいな。頭がよくて、自分の危険くらいは守れる人間をフェザーンに一人

送りたい・・・・・・。」



ヤンは普段からフェザーンの動向を気にかけているので最後のほうはついそんな言葉が出た。

政治的にフェザーンを見て分析ができる人間。ラインハルト・フォン・ローエングラム公とフェザーンの

関係を洞察できる情報が欲しい。

にしてもローエングラム公はまずイゼルローン要塞を無力化するのは眼に見えている。彼の軍部なら

その力もある。数もある。フェザーン回廊を使うことを考えているのであろう。

フェザーンを丸め込むのか。軍事で支配するのか。

それは時間の問題だろう。フェザーンが利益をうることなしにローエングラム公に手をかすとも思えない。



そのフェザーンの利益はなんだろう。

そしてローエングラム公は現在の幼帝の摂政としていつまでじっとしているのだ。

彼の性分と合わないことだ。宇宙を手に入れようとする覇気を持つ彼ならば銀河帝国くらいすぐに

彼のものにできる。事実上現在彼のものだから、まだ皇帝の座を急いでとろうとしないのか。

こういうことはわかりにくいとヤンは思う。何しろ欲するものが違いすぎるのであるから。



「小官など適任者ですよ。頭もいいし自分の尻拭いはできますからね。」

とポプランはいう。

「いや。少佐はだめ。ちょっと今後いろいろとおつむも役に立ちそうだし・・・・・・それにうちの撃墜王を

情報部員としておくる余裕はない。まして私にはそんな人事権がないしね。それとアッテンボローは

どうするんだ。もしかして連れて行かないでおいていくつもりなのか。そうだとしたらお前、赦さないよ。」

一応ヤンはにらんでみたがそう効果はなかった。



「まさか。婚前旅行にいいかなと。彼女をおいていくわけないでしょ。」

「後半はいいけど前半部分がまるでだめだね。少佐。そういうことは彼女からちゃんとプロポーズで

イエスの返事をもらってからいいなさい。アッテンボローはまだイエスといってないんだろ。」

ポプランは彼女を見るが彼女は「しりません。」という顔をした。冷たいなあとポプランがいうとみな

笑った。



「とにかく。テトラサイオキシンが今後イゼルローンに持ち込まれぬように・・・・・・検閲を厳しくする

しかないね。ちょっと恐い薬だ。同盟の本国にも注意勧告したほうがいいな。」とキャゼルヌ少将に

言った。

「ああ。物騒な代物だ。これ以上被害は出せない。・・・・・・出て欲しくないな。15やそこらの少女が

犠牲になるのはどうも目覚めが悪い。」

娘を二人持つ父親としては当然の感想であった。



ヤンの幕僚たちはいったん0530時に解散してシェーンコップやリンツは持ち場で待機。執務室をあとに

した。ヤンは残ったキャゼルヌとアッテンボロー、ポプランとごく普通の会話を交わしつつ軍部病院で

治療をしている16名の予後経過報告を待った。同時に憲兵隊から新たな死亡者が出ていないか

その知らせも入る予定である。



売人をほぼ身柄確保したわけだから禁断症状が出る人間が出てくるのは多く見ればこの一週間

かな。・・・・・・寝ずの番とは行かないからまずこの三日だけは私とキャゼルヌは聞き耳を立てておこう。

陸戦部隊の捜査はいったん打ち切らせないといけないな・・・・・・・。

ヤンは思う。



・・・・・・他の三人は気楽な会話をしているなとも思った。



「それにしてもアッテンボローは何回ポプランにプロポーズをさせているんだ。一緒に住んでるくせに

結婚する気はないのか。」

キャゼルヌは女性提督に言った。

「え。今ここでなんとも言える話題じゃないですよ。聞かないでください。」

アッテンボローは知らぬフリを決め込んだ。

「ポプランもお前男のくせに1人の女も陥落できないとは。情けない。」今度は少佐に矛先を向ける

キャゼルヌである。

「結婚はしたいですよ。俺の提督の花嫁姿みたいですからね。」

そんなふざけた動機だからいつまでも結婚できんのだと要塞事務監殿は少佐を叱っている。



結婚か・・・・・・とヤンの頭の中でふとよぎった考えがあった。

もしかすればこれは「最後の切り札」としてとっておけるかもしれない・・・・・・。これは後の

ヤン・ウェンリーの切り札となるキーワードであった。ラインハルト・フォン・ローエングラム公に

唯一自分が勝つときはあるならそこにかけるしかない・・・・・・。もっともそこまでたどり着かせる

手立てを考えないといけなかったのである。そしてよしんば手立てできても、かなり厳しい戦いで

あるには変わりはない。



病院から軍医部長が出頭したのは0600時。

「16名は現在禁断症状の治療において順調に回復しています。退院までにはまだ数ヶ月をみますが

テトラサイオキシンでの死亡は免れるでしょう。」

その30分後に憲兵隊長から「現時点で異常死体はなく、薬物中毒者死亡者もなし。」との知らせが

はいった。



ヤンとキャゼルヌは執務室で待機をするがアッテンボローとポプランはいったん解放され自宅で3時間

自宅待機後通常軍務に戻ることとなった。







1200時。士官食堂にて。



「お体大丈夫ですの。アッテンボロー提督。」



フレデリカ・グリーンヒル大尉は自分の上官たちが今回の事件で睡眠も取らず、夜間そして現在に

おいても勤務を続けていることを心配していた。



「一日寝ないのは大丈夫だよ。三日は持つと思う。だが少し長期戦になるな。ま、これ以上はここでは

いえないけどね。」

会戦が始まれば過去艦長、砲撃手をした経験上睡眠事情が悪くなるのには女性提督はなれていたし

体も頑健であった。



「私だけのうのうと休んで申し訳ないことですわ。」とフレデリカはいう。

「いや。司令官は適当に眠るから大丈夫だろう。気にしなくていいよ。副官は上官が寝るとき

起きてくれてると楽でいいと思う。私も副官がいればなあ。任せて昼寝でもするんだが。

・・・・・・ともかく副官か司令官かどちらかが交代で仕事をすればすむことさ。」

と女性提督は笑った。



「報道で大騒ぎになっていますわね。制圧できれば問題ないのですが。閣下がおっしゃってました

けれどポプラン少佐のマジックがすごかったとか。私も拝見したかったです。」

「うん。確かに私も知らなかったからね。ちょっと目の前で見るとびっくりした。・・・・・・一年半

一緒に暮らしてもわからぬことは多いよ。・・・・・・いろいろと考えることがあるな。」

シーフードのグラタンをつつきながらアッテンボローは呟くようにいった。



「・・・・・・何をそんなに考えてしまいますの。」

フレデリカはアッテンボローが考えることは「事件」ではなく「少佐について」であると察知した。

「・・・・・・うん。時々は考えていた。でも深く考えようとしなかったなということだ。彼との生活のことを。

漫然と同棲をしてきた。それはそれで意義はあったし意味もあったと思う。・・・・・・つまりね。」

と彼女がフレデリカに言いかけたときにくだんの少佐がトレイを持って女性提督の隣に座った。



「あれ。おれの提督、今日の昼飯少ないな。食欲がないのかな。寝てないからせめて食べないと

弱っちまうぜ。プロテインドリンクでももらってこようか。」



シーフードグラタンにコンソメスープ、レバーのムース、さらにラザニアと温野菜のサラダにプレーン

オムレツを少佐はいただくようである。



「いや。別にいいよ。私もたまには食が落ちる日もあるんだ。寝てないからじゃないな。3徹は軽く

こなせるし。・・・・・・フレデリカが少佐の魔法が見たかったっていってたよ。」

アッテンボローはさりげない様子を取り戻しているが、きっと何かを相談しようとしていたのではないかと

フレデリカは考えていた。



けれど少佐が入ってきて会話が中断された。

少佐に関して何か思案があったであろうと彼女は考えるけれど、今は何もそれに関しては

話ができる様子ではない。



「おれの魔法?」

「うん。あえて言わないけどさ。あれ犯罪だから。」アッテンボローはふっと笑った。その様子を見ると

二人の間に何かの行き違いが生じているのではないらしいと、明敏なる副官殿は考えていた。

「ああ。あれな。いいじゃん。あれはかくし芸っていうの。」ポプランはさっきまでの空気がわからないから

いつもどおり陽気で快活だ。

二人の間の行き違いや感情の摩擦もないように見受けられるから、先ほどアッテンボローが言いかけた

ことは悪い方向の話ではなさそうに思う。ただ、何を考えているのかは気がかりだがかといって今の

事件がひと段落を見ないうちはアッテンボローとシフトが合わない。



アッテンボローはいう。

「大尉。そんなに心配しなくていいよ。えっと心配するようなことを私は考えているんじゃないんだ。

この事件が少し落ち着けばちょっとはましな回答ができるかもしれないけれど。大丈夫。多分

悪い話にはならないと思うんだけど。うん。たぶんね。」

さっきの話って何ですかと少佐が冗談めいた口調でくちばしを挟んだ。



「これでもいろいろと考えることがあるんだ。少佐には勤務が終わったら言うから。」

「今休憩中じゃないですか。」と駄々をこねるフリをする男にアッテンボローはうるさい、今は昼食の時間で

勤務の休憩時間に過ぎないんだと言った。



どうも女性提督は何かを決めようとしている模様である。

何を決めるのかは周りにはまだわからないのであるがさっきよりは幾分いつもの表情に戻った

気がする。「ええ。よいお知らせをお待ちしますわ。」

とフレデリカは答えた。



ランチを終えて自分の執務室に帰ったアッテンボローは自分の端末でチョコチョコと何かを調べ始めた。

彼女も今の時期、艦隊関連の仕事はなく分艦隊の維持と管理を任されてはいるが、急ぐ大きな仕事という

質のものはない。プライベイトなことであったけれど一応いろいろと彼女も調べたいことがあった。

多分食事中にグリーンヒル大尉に聞けばすぐにわかるような事例だったと思うが、それは少佐が介入

してきたので会話を途中でやめたのだ。別に彼に隠す気はないから帰宅したら相談をするつもりで

今彼女なりに調べることがあったので端末を操作していた。



一通り彼女は納得すると仕事に頭のスイッチを切り替えた。

テトラの犠牲者が出なければよいなと思いながら分艦隊関連書類に目を通していた。



1700時前にヤンの執務室に顔を出したアッテンボローは今日は何か動きがありましたかと

尋ねた。適度に昼寝をした様子がありありとわかる司令官は「いや。まだ潜伏している中毒患者が

いるかそのあたりは憲兵が捜査中だよ。」という。

大きな動きがないことをいったん確認して何かあればよんでくださいねと上官に言って

自分の部屋へ帰った。



・・・・・・。まだ恋人はかえってなかった様子だったので彼女は夕食の準備を始めた。

少し落ち着かなくてはいけないなと思いつつ料理をつくっていく。彼女以外はいつもの光景。

「ただいま。ハニー。」とポプランはキッチンで支度をしているアッテンボローに帰宅してすぐ

頬にキスをした。



・・・・・・。

こういう場合はどう切り出すのが一番いいだろうと思うけれど少なくとも男は機嫌が良くも悪くもない。

鍋の火だけはいったん止めて。



「ね。オリビエ。ちょっとリビングにいこ。・・・・・・話があるから。」

アッテンボローは抱き寄せようとする恋人に言った。

「キッチンじゃだめなんだ。」とポプランは不思議な顔をしている。



いや、だめでもないかとアッテンボローは思う。まあいいや。とにかくいうだけいってみようと。



「おねだりしたいことがある。」と真っ直ぐ男の顔を見て女性提督は切り出した。

「・・・・・・なんざんしょ。金かな、イイコトカナ。」



えっとね・・・・・・。

「もう一回プロポーズしてくれたらありがたいんだけれど・・・・・・。」



by りょう




話をぐぐっと変える方向で娘小説は続きます。ラストは同じですが経過が変わります。

ふふふ。



LadyAdmiral