寧日、安寧のイゼルローン要塞・・・・・・。
インターミッション。
「閣下、実は後で私的なことでお話があるのですがお時間戴けませんでしょうか。」
食堂では黒髪のイゼルローン要塞司令官と、美しき女性分艦隊司令官が珍しく同じ時間に
昼食をとっている。
いつも女性提督の前には可憐なグリーンヒル大尉がいるのだが彼女の姿はない。
黒髪の青年はやや無愛想な顔をした。
彼はこの後輩の女性提督にはあまり遠慮しない。
あからさまに表情を硬くしたが、それにひるむ女性提督ではない。
「なんだい。私的な話なら今でもできるだろう。それともここではいけない話かな。」
ヤン・ウェンリーはスープをすすりパンをちぎって食べている。
あまり食欲がない。
士官食堂の食事は彼の被保護者のつくる料理ほど、格別おいしいものではない。
ヤンは好き嫌いこそないがそれほど食事に頓着をしない。
だからユリアン少年は日々料理の腕を上げることを、自分の責務と決めて励んでいる。
アッテンボローのほうがしっかりランチを取る。
食べることは軍人の基本だと彼女は思っているしおおむねそれは間違いではない。
だから女性でありながら長時間の艦隊指揮もとれるし、長期にわたる作戦でも
彼女は体を壊さない。
「おおかた産まれたときから頑丈なんだろう。」
アレックス・キャゼルヌ少将などは言ってくれるが、一応アッテンボローは健康管理に
とても留意している。
彼女の上官のようにきちんと朝になれば起こしてくれる、ユリアンのようないい子もいない。
むしろ起こしてあげないといけない恋人を抱えてしまった。
彼女は自分でマダム・キャゼルヌにほぼ近い料理をこしらえることもできるが今現在は、
来る哨戒と、演習にむけて執務室で仕事をする時間が多く、もっか自家製料理は封印中であった。
「ここはあまり感心しませんね。お時間がないのですか。」
翡翠色の眸をきらめかせてアッテンボローはチキングリルにナイフを入れている。
黒髪の司令官の眸をまじまじ見つめるとこの御仁は目をそらすので、心得てじっくり観察はしない。
ヤンは、昼食をつついて空間を見つめていた。
「うん。まぁ、そんなところだ・・・。忙しいよ。ちょっと疲れたな。」
ヤンが忙しいのではない。疲れているのは事実であろう。
けれど仕事を欲しているのは・・・・・・・。
彼の副官殿。
フレデリカ・グリーンヒル大尉。
実際多くの仕事をヤンも与えてはいない。
しかし救国軍事会議のクーデターは艦隊の疲弊はなかったものの、ヤン司令官にとっても
フレデリカ・グリーンヒルにとっても精神的な疲労感は否めない。
クーデターの議長を務めたドワイト・グリーンヒル大将の存在はフレデリカをおおいに
動揺させ、結果として実の父を討伐に当たる道を彼女は選んだ。
ヤンは当然、作戦統合本部長代行のドーソン大将の命令でもあったので、クーデター鎮圧
にのりだした。
武器を持たぬ市民の口を軍部クーデター派は、暴力でふさいだのだ。
ヤンはことの成り行きを大きくラインを引き、そこそこ読んでいた。
ラインハルト・フォン・ローエングラム侯のシナリオの骨格は察することもできたし、
クーデターを壊滅、討伐できない理由はなかった。
そうすれば誰がどう動くか。
いくら彼が想定をしていてもとめることができないことはたくさんある。
グリーンヒル大将は眉間を打ち抜かれてなくなっている。
これは検死でも明らかで、謀殺されたか仲間割れをしたかいずれであろうと
今のところは報告待ちである。
そして大事な友人をヤンの、軍部による「スタジアムの虐殺」で失った。
愉快な仕事などないのであるが、少なくともフレデリカの負った傷は浅いものではない。
仕事に集中していると雑事に煩わされることがないので、と23歳の副官が微笑んでいう。
まだ固い笑み。
すっかり彼女があの朗らかな春の穏やかな陽光のような微笑を取り戻すには
時というものが必要であったのだろう。
10月終わりにイゼルローン要塞に帰還した全艦隊であったが、11月初旬の現在、
大尉は過去を振り返る時間をつぶすように彼女の能力が許す限り、権限が許す限りの
仕事に没頭する。
彼女は父親を愛していた。
その悲しみを違うエネルギーに昇華させようと、彼女なりに過去との「決別」をはかろうとしている。
そんな彼女をヤンには、どうにもできない。
父親をあのような形で失うことは幸せではない。
けれどヤンには何もできない。
それはいたし方がないことで、アッテンボローだって彼女に何か貢献できることがあるわけでもない。
ただ「友人」としては大いにフレデリカを心配している。
アッテンボローは声があまり大きくならぬように、そして回りに人がいないことを
さりげなく確認した。
「では、簡潔にいいましょう。」
アッテンボローは、向かいの席のヤンに、はっきりいった。
「結婚してください。」
彼女の言葉は明確であったが、ヤンには意味がわからなかった。
言語は明確だがつじつまが合わないわけである。
「誰と、誰が抜けると全くわからない話だね。アッテンボロー。」
「これでも気を使っているんです。はっきり申しましょう。閣下とグリーンヒル大尉です。」
はじまったなとヤンは思った。
「お前までそんなことをいうんだな・・・・・・。どうもこうも・・・・・・デリカシーがない
進言だね。」
アッテンボローは顔をしかめた。
「ほう。お前までというと、私以外の人間からも進言を受けていながら閣下は行動を越してらっしゃらないと。
おおかた、キャゼルヌ少将あたりでしょうが私も無粋を承知で申し上げているんです。」
彼女は呆れて、士官学校時代からの先輩を見る。
このひとは、頼りになる。
性格も安定したものをもっているし、軍人としては指揮能力、戦略の巧みなること類を見ない。
そして自分が人を殺している自覚も、ある。
自分を英雄だと思い込んだりせず、「大量殺戮者」である自覚に苛まれていることも
人間としていくらか、救われる。
彼女は、ヤン・ウェンりーの物の考え方が好きだ。
しかしながら、アッテンボローは恋愛でこらえてじっと待つ性分ではないから、
ヤンをときおり異性として見ることはあっても、恋慕の対象にしたことがない。
『先輩ってときどきごねるんだよな。自然の流れに乗るとかそういうのはお嫌いで
ご自分が決めたルートをできれば歩みたいと思っているところが、恋愛では顕著だな。』
ヤン・ウェンリーの後輩である彼女は、自分の食事をさっさと済ませた。
勤務時間を終えて、イゼルローンのカウンター・バーに黒髪の青年と
鉄灰色の髪をした女性が、一見肩を並べグラスを合わせている。
「お前さんの恋人はよくこんな時間に「彼の提督」送りだしたものだね。」
チャコールグレーのジャケットをきた青年が隣の美人に声をかけた。
隣の美人も私服にこだわらないところがあり男物のユーズドのあせた
ジャケットにローライズのボトム姿。
「後で迎えにきます。まめな男なのでおおいに助かってます。おかげさまで
この12月にはなんと交際一年を迎えるんですよ。あの坊やとこの私がね。」
「そりゃ仲のよろしいことで。何よりだね」
ヤンは肩をすくめた。
店内は人が少なく・・・・・・これが店を決めた大きな理由のひとつ。
いまどきジュークボックスがおいてあり、座席は12というところ。
2人以外は無口な・・・・・・本当に何も話さないバーテンがいるだけ。
コインを入れてアッテンボローは何の曲にします?とヤンにたずねると
「できるだけうるさいやつ。騒がしいのを頼むよ。」
と答えた。
会話をあまり聞かれたくない。たとえ無口なバーテンでも。
暗い間接照明と古い調度。割と悪くない店だと彼女は思うが、明るく酒が飲める
店でもないしあまり人がいないのかなと適当な曲を選んだ。
それでも2人はカウンターの隅に腰を下ろした。
ウィスキーを一杯ずつ。
ヤンは、ぽつりともらした。
「いろいろなことが起こった。これからも起こるかも知れないな。」
彼女は隣の黒髪の先輩を見た。その横顔。静かな湖のようだ。
アッテンボローは思う。
今回、彼も思い人を失っている。
スタジアムの虐殺で、彼女は撲殺された。遺体はとても棺を開けれる状態ではなく
平和活動をしているグループの人間が炎のなか彼女の遺骸を抱きかかえ、遺族に
引き渡すのがやっとだったと聞く。
証言ではクーデター派のクリスチアン大佐という男が民間人を銃で殴ったのが
きっかけでジェシカ・エドワーズ議員は抗議を申し立てた。そのあと彼女も
あっという間に殴られ倒された。それをしおに軍部の弾圧を赦せないと思う民衆が
大佐や兵士に殴りかかり、大規模な「虐殺」にいたったという。
何も武器を持たない女性が、平和を訴えて軍人によって殺されたのだ。
多くの民間人も。
アッテンボローはジェシカ・エドワーズとヤンの微妙な関係をなんとはなく見通せた。
彼女はジャン・ロベール・ラップを選んだが、アッテンボローはわかる。
ジェシカは、もし一度でもヤンから告白をされていたら彼を選んだだろう。
けれども、ヤンは自分から身を引いた・・・・・・。
アッテンボローの勘だがそう大きく外れていないと思う。
「先輩にこんなことを言うのはいささかお節介で身の程知らずと思いますが。
少なくともグリーンヒル大尉はあなたを尊敬しています。そして慕っています。
上官としてもだし一人の人間としてあなたを思っています。」
「確かにお節介だね。身のほど知らずとは言わないけれど。」
ヤンは静かにグラスを傾けて琥珀の液体の流れを、目で楽しんでいた。
「グリーンヒル大尉が好きですよ。私は。いまどきあれだけ健気で聡明な女性は珍しい。
大切な友人ですから彼女の恋愛を支持したくなるのも人情です。
勿論彼女は一切、口には出しません。私が勝手にお節介をやいているんです。
だって、先輩はある程度まわりがつめていかないと、いつまでもこのての問題に手をつけないでしょう。
いつも遠慮をしておいでだ。」
「遠慮しているわけじゃないよ。」
「そうでしょうか?シェーンコップやポプランのような男は遠慮しませんが
先輩はおくてだと思いますよ。悪いこととは思わないですが。」
自分も口が随分悪くなったとアッテンボローは思う。
朱に交わったからだな。口の悪い男と付き合っているせいだと棚上げする。
「先輩だって彼女をまったく魅力的ではないとは思わないでしょう。」
「答えることはできないよ。答えられる性質の質問じゃないだろう。」
ヤンはうつむいて髪をいじっている。
ま、この際言いたいことは言わせてもらおうとアッテンボローは思う。
「文句なしの金髪の美人です。ちょっと先輩には若いですけれど彼女は十分、成熟した
大人の女性の分別があります。」
「お前よりはあるね。」
・・・・・・確かにそれはいえているとアッテンボローは思う。
一口、ウィスキーを飲んで。
「続けますよ。」
「どうぞ。」
なんだかイニシアチブは男が持っているかもしれないと思う女性提督。
「性格だって安定しているし柔和で、責任感があり・・・・・・私が23のときは
ろくでもないことばかりしていたので感心しますよ。彼女には。」
「そうだね。でもおまえさんがろくでもないのは、けして23歳のころだけじゃない。
いまでもそうだし、きっとこれからもそうだろうね。悪口じゃないよ。思慮分別のある
お前にはあまり面白みがないからね。」
青年はにっこりと彼女に笑みをむけた。
「私の話じゃないですよ。いまのところ私の身の上は撃墜王殿がうけおうつもり
らしいですから。」
「一年になるのか。そうだな。去年のクリスマスあたりだから。今年のクリスマスは
私を巻き込まないで二人で過ごしなさい。新兵の訓練でポプランもお前の船に
乗せる・・・・・・サービスってわけじゃないんだけれどね。仲良くするんだよ。
悪い男ではなさそうだしね。」
話を元に戻しますよ。
「彼女、料理はだめですがそれ以外の家事で問題ないはずです。幸いにも整頓能力にたけた女性だから。」
ヤンは答えない。
「先輩をいじめてるんじゃないですよ。」
「からかってるわけでもないこともわかってるから飲みに来たんだよ。アッテンボロー。」
これじゃ暖簾に腕押しだと女性提督は考える。
ともかく言うことは言おう。
「あなたを心から愛して大事に思ってくれている彼女の真心・・・・・・。先輩だって彼女が
思いを寄せている人が誰かはご存知でしょう。はたから見ていたってわかります。」
アッテンボローはグラスのウィスキーを飲み干してしまう。
「あの年のころの女性が思っている男から、好きだのひと言でどれだけ活力みなぎるとおもいますか。
仕事三昧なんて不健康です。」
「同情で告白はできないよ。告白する理由ではない。」
「それはそうです。」
「いいたいことはそれだけかい。」
ヤンはいった。
アッテンボローは、そうですと言った。
わかっている。
ヤンはこういう問題を一人で抱えて、本心は見せないようにしているのだ。
ジェシカのときだってそうだった。
そう、彼女。
彼女は、もうこの宇宙のどこにもいないのだ。
自分でさえこれだけ寂寥を覚えるのだから、ヤンは・・・・・・。
「最後にひとつ。不躾へを承知で進言します。
言わないより言ったほうがいいんですよ。お互い、生きている間に。
相手が死んでしまってからじゃ意味がないんです。」
「それは心得ておく。・・・・・・心配をかけるがあまり気をもまなくてもいいよ。
私にも時間がほしいんだ。それはわかるだろう。アッテンボロー。」
「・・・・・・そうでした。すみません。」
いいんだよ、とまだ残るグラスの液体が揺れ動くさまを黒髪の青年は見つめて
言葉を失った。
「やっぱりデリカシーがなくてすみませんでした。もうこの件のことで私は言いませんから。」
アッテンボローは青年のほうを見ていった。
「うん。・・・・・・お前さんのナイトがご登場だよ。」
「ええ。私は自分の恋愛沙汰で忙しいんでした。忘れてました。私の分、置いていきます。」
テーブルにコインを置くとそれを男は女のほうにそっと戻した。
「いいよ。いきなさい。お前さんやキャゼルヌは得がたい友人だと思っているよ。
ここで少し飲んでいくからいきなさい。ありがとう。アッテンボロー。」
彼女は頭を下げると店の前で中の様子を面白そうに眺めている恋人のもとに行った。
「結局、こういうことは当人同士の事情だぜ。おれの提督。ヤン・ウェンリーに
いたずらされてないか。」
「されないよ。」
情事の幕間に彼女は恋人から腕の中で言われた。
「私もわかってるんだ。ただね・・・・・・。」
シーツをたぐった。
寒いのかと心配し、男は女を抱き寄せる。
「先輩も、グリーンヒル大尉も今回のことで傷ついてる。
公人じゃない、友人としてちょっと・・・・・・できることはしておきたかったんだ。
失ってしまってからでは悔やむだろう。」
気持ちはわかるけどね。
男は女の唇にキスした。
「間に合わなかったんだ。先輩はジェシカ・エドワーズに。グリーンヒル大尉まで間に
合わなくなったら、困る・・・・・・。」
愛撫の嵐の中の彼女の言葉。
「私はお前になんとか間に合った・・・・・・そうだよな。」
『これからも起こるかも知れないな。』
そういったヤンの寂しげな横顔が浮かんだ。ヤンが腹をくくるなら自分も
何かを決めなければいけないときが来るのだと彼女は悟る。
当然戦時下で自分が相似形でヤン・ウェンリーの元にいる以上は
覚悟はしている。
直面する日は必ず、来るのだ。
それが何かは勿論まだわからない。
「こら。抱かれてるときに他の男のこと考えるな。行儀が悪いぞ。」
恋人はやさしく彼女に文句を言った。
なぜ、わかるのだろう。それをたずねると恋人はいとも簡単だといわんばかりに言う。
「おれは、お前しか見ていないからな。よくわかるんだよ」
オリビエ。
前も見ないといけないぞ。転んでしまうし、足下も見ないと・・・・・・。
だからお前は地上だとすぐ道を間違える。星空にいるときはすべての道が
はっきりと見渡せるのに・・・・・・。
といいかけたがやめた。
彼女は自分の恋人を信じていた。
バカとつい言ってしまうしバカなところも過分にある。
でもこの男は悔いを残すような生き方をする男ではない。
自分の決めた人生を堂々と生きていくだろう。
そんな正直さや無邪気さがいとしい。そして憧れもする。
出会ったから、別れも来るかもしれない。それは生きて別れるとは限らない。
生きて別れるとしても、アッテンボローはこの男と同じ道を歩けるのか
わからなかった。
政治的に利用されているヤン・ウェンリーを放置できない。
士官学校で偶然のように出会ったときからあの黒髪の青年とは
長い友誼になるであろうと思ってきた。
彼女の仰ぐ旗はヤン・ウェンリーであり、これからもそうである。
こんなこと普通の男が理解できるわけはない。
だが、彼女はヤン・ウェンリーを個人として深く尊敬して彼とともに生きて生きたいと
願っていた。
恋慕や愛情ではなく、彼の考えることや、考え方が彼女には非常に尊く思える。
それがシンパと呼ばれるゆえんだ。
男だとか、女だとかの関係ではなくて彼女は彼と、どこか心が近いのだ。
だが、隣で彼女を包み込んでいる男には普通に恋に落ちた。
去年の今頃にこの男と出会って、「軍人」としてではなく「女」として
純粋に男を愛した。彼女の今ではおおきなよりどころでもあるには違いない。
けれど仰ぐ旗まで一緒かはわからない。
いつまでいっしょに生きていけるのかはわからないが、せいぜい行くところまで
行ってみようと思っている。いつか、別れがくる日まで。
「あ、こいつぅ、今、おれのことで頭いっぱいだろう?」
「うん。頭いっぱい。よく一年もったよな。」
「努力と忍耐の賜物。おれの。」
「いってろ。」
インターミッション。
激動の時代の到来。
by りょう
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