黒い森の砦




オスカー・フォン・ロイエンタールとウォルフガング・ミッターマイヤーの、のちに“帝国の双璧”と並び

称せられる二人が行動を共にすることは、お互いの交遊関係から言っても過少ではなかった。寧ろ、

行動を共にすること過多であると言うべきだろう。



ガイエスブルグ要塞の陥落により、リップシュタット戦役が終結したかに見えたその夜も、ロイエンタールと

ミッターマイヤーは行動を共にしていた。と言っても、制圧した要塞内でのことであって、首都星に居る

ときのように痛快極まりない楽しみ方をしていたわけではなかった。それでも、細やかな祝杯を二人きりで

あげようと、補給担当者からロイエンタールが巧みに巻き上げた上物のワイン――四一〇年ものの白とは

流石に行かなかったが――を持って、二人はミッターマイヤーに割り当てられた部屋へ向かう途中

だった。



静まりかえった回廊を歩く度に、しじまに吸い込まれるその響く音がとても大きく聞こえる。何となく話す

べきことも見付からずに、ロイエンタールの傍らを歩いていたミッターマイヤーは、回廊を照らす照明の

届かぬ暗がりに、人影があるのを見咎めた。視力の良いミッターマイヤーでこそ気付いたかに思われたが、

傍らのロイエンタールを見上げると、どうやら親友もその影に気付いたようであった。

その人影には見覚えがあった。照明も届かぬ暗闇に潜むように立っていたとはいえ、その長身は隠すべくも

なかったのである。

「キルヒアイスだな」

ミッターマイヤーが傍らのロイエンタールにしか聞こえぬ程度に囁くと、ロイエンタールも頷いた。

昨晩、ちょうどジークフリード・キルヒアイスとローエングラム侯爵との間に生じた確執について話した

こともあり、その亡羊としたキルヒアイス佇まいには同情を生むものがミッターマイヤーにはあった。

然し、昨晩話し合ったように、ここでミッターマイヤーやロイエンタールがしゃしゃり出ると、余計に

両者の関係を拗らせる危険性があったので、心苦しいがミッターマイヤーには掛ける言葉が

なかった。他人の感情には興味のないロイエンタールとて、それは同じであろうと目配せで立ち去る

ことを提案したミッターマイヤーは、ロイエンタールがこちらを見ていないことに気付いた。

「ロイエンタール」

二人の向かうべき場所ではなく、キルヒアイスのほうへ歩き出したロイエンタールに、ミッターマイヤーは

少々の驚きを持った。傷心――と呼ぶのが相応しいのかミッターマイヤーにはわからなかった

――のキルヒアイスを慰めようなどという仏心をロイエンタールが出すわけもなく、そうだからと言って、

からかったり混ぜ返したりする友人でもない。いったい何をするつもりなのだと心の中で問いかけながら、

ミッターマイヤーは慌てて身を翻しロイエンタールの後を追った。



かえって不味いことにはならないか……と囁きかけるミッターマイヤーを無視して、ロイエンタールは

つかつかとキルヒアイスの側に寄った。極近くに至るまで、ロイエンタールとミッターマイヤーの存在に

気付かなかった赤毛の驍将は、その痛心の度合いが酷いことをその顔色で示していた。

暗がりのせいではない。青褪めたようなその顔色に、一瞬ミッターマイヤーが言葉を失っていると、

その間にロイエンタールが赤毛の青年の肩に手を乗せた。

「これは……お揃いで」

力のない声音に今にも消え入りそうな笑みを浮かべて、キルヒアイスはロイエンタールを見、そして

ミッターマイヤーを見た。

「――大丈夫か?」

ロイエンタールの掛けた言葉に驚いたのはキルヒアイスよりは寧ろミッターマイヤーだった。

情の細やかな、何事にもよく気の回る赤毛の青年は、このときロイエンタールの奇行に気付く余裕が

なかったから。ロイエンタールが情の厚い、誰にでも優しい人物であったら、ミッターマイヤーはこれほど

驚かなかっただろう。否、親友が誰よりも繊細な感情と心を持ち合わせていることをミッターマイヤーは

知っていたが、それを表に出す友人でもないことを同時に知っていた。それだけに誤解されやすい

ロイエンタールに、要らぬ苦労をかけられたことが一度や二度ではないミッターマイヤーである。

ロイエンタールがキルヒアイスを気遣っている!

――それを『奇行』と言わずして何といわんや。



「……何でもありません。大丈夫です」

口元に寂しげな笑みが浮かび、そして消えた。キルヒアイスの澄んだ青い瞳は、回廊の照明を遠く

映し出していた。それを見上げていたミッターマイヤーは、ふとこの赤毛の青年の心を覗いたような

気がした。それでも口には出さなかった。元来、ミッターマイヤーは口下手である。愛するエヴァンゼリンに

求婚する際にも醜態を演じた記憶もある。ここぞと言うときに何も上手く言えない。それを知っているから

黙っていた。

「無理はするなよ、何かあるなら力になる」

ロイエンタールが言う。ミッターマイヤーが活力に富んだグレーの瞳を見開いたのは、年下とはいえ

階級上のキルヒアイスに無礼だろう……というようなことをロイエンタールが言ったからではない。

誰に対しても鄭重な態度を崩さないキルヒアイスが、そんなことを気にするわけもないことを知って

いたし、人生経験の多寡はロイエンタールに比べようもないから、ロイエンタールが人生の先輩よろしく

キルヒアイスに言葉をかけること自体に驚いたのではない。

ロイエンタールが他者を気遣っている。そして、『力になる』と確かに言った。驚きと同時に訪れたのは

不思議なことに喜びではなかった。他者に冷淡と称されるロイエンタールの、このような場面に出会って、

本来であればそれを嬉しく思うのが親友の筋である。

然し、このときのミッターマイヤーは、奇妙な感覚に囚われていた。



その感覚は言うなれば、快晴に現れた暗雲のごとく、花に吹く風のごとく、じわじわとだが確実に

ミッターマイヤーを浸食した。

突如不愉快な吐き気を覚えて、ミッターマイヤーは胸を押さえた。この不快感がどこから来るのか、

さっぱりわからない。だが確かなのはロイエンタールがキルヒアイスを気遣っているということが、

何故こうも楽しくないのだろうかということで、ミッターマイヤーは途方に暮れた。

「―――ッ!」

胸のあまりの苦しさに堪らず息を漏らしたミッターマイヤーを不思議そうに眺めたロイエンタールは、

少しの間ミッターマイヤーのことを凝視していたが、すぐにキルヒアイスに視線を戻した。

ローエングラム侯爵は卿を信用しているんだ、だから卿に甘えているに違いない……そんな

ロイエンタールの言葉をミッターマイヤーはどこか遠くで聞いた。それを確認する前に、

ミッターマイヤーはロイエンタールの腕を鷲づかみにして、強く引いた。

「……なんだ?」

ロイエンタールが怪訝な顔をして問う。ミッターマイヤーは自分の暴挙に多少の驚きをもったが、

行動を止めることは出来なかった。

「行こう。キルヒアイス上級大将は、そんなことはちゃんとご存知だ。卿が言う必要はない」

ミッターマイヤーの硬い声音に、ロイエンタールは細い眉を僅かに上げたが、すぐに平生の

無表情に戻ってそれもそうだと頷いた。若しかするとロイエンタールが怒り出すかもしれないと

思っていたミッターマイヤーはロイエンタールが素直に頷いたことにほっと胸を撫で下ろした。

それでも、妙な不快感は拭えなかった。



「いえ、ご心配いただき有難うございます。私も至らぬところが多いですから、ラインハルト様

――ローエングラム侯のご勘気を蒙っても仕方のないことです。今は、反省しております」

ですから、お気遣いは有り難くお受けしますと微笑んだキルヒアイスに、ミッターマイヤーは

素直な笑みを返せなかった。自分自身の感情を制御仕切れなかったミッターマイヤーは、

キルヒアイスの長身が闇に溶けるのを見送った後、そのやり場のない感情をロイエンタールに

向けた。

「……いったい卿は何をするつもりだったのだ? ローエングラム侯とキルヒアイスの間に割って

入ったところで余計拗れるだけだと――ぼやが大火になると言ったのは卿ではなかったか」

「それを言ったのは卿だ」

並んで歩きながらロイエンタールが口元に苦笑を浮かべた。記憶力の良いミッターマイヤーが、

混乱したことを言うのも珍しい。しかもどうやらその混乱の原因となったのが自分らしい。

「――だ、だいたい、卿があのようなことを言う必要がどこにあったというのだ」

少々上擦った声でミッターマイヤーが呟くように言った。歯切れが悪いのもいつも闊達な親友らしくない。

ロイエンタールは自身の奇行を棚に上げて、ミッターマイヤーを冷静に分析した。

「何をむきになっているのだ、卿は」

ロイエンタールの色彩の異なる青と黒の瞳に見抜かれて、ミッターマイヤーは身体の芯が僅かに

ずれたのを感じた。むきにだって? 俺は何をむきになているんだ。ミッターマイヤーは良く動くグレーの瞳を

ロイエンタールに向ける。自分自身の行動を理解できていない様子の親友に、ロイエンタールは内心興味を

そそられたが巧みにそれを押し隠した。



***



「――まあ、飲め」

グラスにたっぷりワインを注いで、ロイエンタールはミッターマイヤーに手渡した。それを黙って

受け取ったミッターマイヤーは下を向いたままロイエンタールと目を合わせようとしない。

親友の混乱が手に取るように分って、ロイエンタールには愉快であった。日頃からこの鈍感な

親友にはやきもきさせられっぱなしであったから、少しだけ仇討をした気分である。尤も、

江戸の仇を長崎で討つがごときその復讐劇はすぐに欲望という名の新手に取って代わられたのだけれど。

「なあ、ミッターマイヤー……。キルヒアイスはあれでまだ若い。年長者たる俺たちが支えてやって

しかるべきとは思わんか?」

「それは、そうなのだが――」

グラスの中身を一息で呷って、ミッターマイヤーはまたうつむく。笑い出したいのを必死で堪えながら、

ロイエンタールは更に畳み掛ける。

「卿らしくもない、卿はキルヒアイスが嫌いか?」

「まさか! あの男は……良い男だ」

論理も理屈も成立っていないミッターマイヤーの言葉に、確信を得たロイエンタールである。

そのある種の喜びとも言えるべきものを顔に出さぬよう気を配りながら、そっとミッターマイヤーの

傍らに寄る。

「では、嫉妬か?」

「―――え?」

言われた言葉に極度の動揺を覚えて、ミッターマイヤーはロイエンタールの金銀妖瞳を見詰める。

その瞳の奥に、何と称して良いのか見当もつかぬ炎の色を見付けて思わず後ずさった。

「卿は妬いているのだろう?」

覗き込むように降って来るロイエンタールの視線を避けて、ミッターマイヤーは首を何度も横に振った。

否定したかった。だが、ロイエンタールの言葉に動揺したときに本当はもう気付いていたのだけれど。

「違う……」

首を振るだけでは足りなくて、ミッターマイヤーは言葉でも否定してみた。それでも、その声に力はなく、

説得力というものが著しく欠けていた。

「どう違う? 違わないだろう。それを、証明してやろうか」

言って、ロイエンタールはミッターマイヤーの引き締まった頬に触れた。こんな触れ合いは珍しいことでも

なかったのだが、このときのミッターマイヤーには致命傷もいいところだった。

充血したグレーの瞳が抵抗の色を見せる間もなく、ロイエンタールはミッターマイヤーの歯列を割って

熱い舌を強く吸った。しっかり頤を押さえて動きを封じていたから、咥内を探るのは容易かった。

慌てて逃げようとする舌に強引に絡んで押し留めると、その動きそのままに、ロイエンタールは

ミッターマイヤーの襟を寛げにかかった。すっかり肌蹴る頃には解けきった身体がロイエンタールを

欲していた。

男らしい、それでいて滑らかな肌に指を這わせて、ゆっくりと愛撫を施すと、上がった息の下で

ミッターマイヤーが何度も首を振っていることに気付いた。

「まだ、認めたくないのか?」

少々呆れて問うと、ミッターマイヤーは小さく肯定した。その強情さが愛おしくもあり、また憎らしくもあって、

ロイエンタールはやや乱暴にミッターマイヤーを扱った。下半身に触れ、強引に揉みしだく。直ぐに熱を

持って震えるそこへの刺激をやめずに、後孔に指を伸ばす。ぴくりとミッターマイヤーが身を捩るのを

感じながらもロイエンタールは構わずに指を埋没させた。

「―――!」

息が漏れ出て、窄まりがきゅっと締まった。ロイエンタールの指を捕らえて離さないそこはまるで

ミッターマイヤーではないかのように微かな蠢きを持っている。

「……いい、か? いいのだろう?」

固くしこった場所を刺激しながら、耳朶に熱く囁くと、潤んだグレーの瞳が何度も瞬いた。

蜂蜜色の睫毛に溜まった雫が真珠の玉のように弾けて落ちた。それは悲しみでも哀しみでもなく、

明らかな悦びであったことがロイエンタールにはよくわかった。

それをじっくり観賞したロイエンタールが、膝の上にミッターマイヤーを抱き上げたときには、

すでに抵抗らしい抵抗は受けずに済んだ。解け切った入口にゆっくりと挿入すると、小さな声が

上がった。判別の難しい言葉が漏れ、ロイエンタールの耳に届いた。何を言っているのかは

分らなかったが、何が言いたいのかはよくわかった。そんな言葉だった。

すっかりロイエンタール自身を飲み込んだミッターマイヤーが荒い息を吐きながら、ロイエンタールの

背にしがみ付く。その力の強さに密やかな笑みを浮かべて、ロイエンタールは思う。

ジークフリード・キルヒアイスはこれから重要な位置を占めるかも知れないと。ミッターマイヤーの

焼餅は有り難いから、これからもキルヒアイスに気をかけるとして、拗れそうなローエングラム侯爵

との関係をどうするか。あの冷徹なオーベルシュタインがどう出るか。それによって、ロイエンタールの

行動も変わってくるのだ。

ミッターマイヤーはどうするだろうか、恐らくロイエンタールに味方してくれるだろうから、それは

考えなくてよいか。それとも……。



ロイエンタールの思考に、ジークフリード・キルヒアイスの死はなかった。




「紅青堂」さま10万打記念リクエストで、私がリクエストしたシチュエーションを涼本和華さまが

書きあげてくださいました!!

いつも嫉妬をするのがロイなのでミッタに嫉妬させて最後はロイに襲ってもらおうとのうふふな私の

リクエストでした。涼本様の見事としか言いようのない筆でなんていうのでしょうね。文学の薫り高い

エロと萌えがすばらしいです。文章が洗練されているのですごくきりりとした読み味。

リクエストってすばらしいなあと感謝します。

嫉妬は恋のスパイスですね。ロイは達人だからそれを戦術的に使おうと狙っているところが、

ロイらしいです!!好感度が8割ほどあがったロイエンタールです。



涼本様、本当にありがとうございます。

(この作品は「紅青堂」さま裏ページにあります。)  りょう

素敵な「紅青堂」さまへはバナーからどうぞ・・・。