ゆっくり帰ろう

携帯に電話をいれたら彼女は・・・・・・エマはまだ仕事が終わらないと謝った。



謝ることなどない。
アッテンボローは電話口で優しく告げると「美しい恋人」は先に部屋で適当にしてくれという。

「自由にしてくれていいわ。ダスティ。お腹が空いたら・・・・・・。」
「自由にするよ。勝手はしっている。エマ。・・・・・・昔みたいに過ごしていていいのかな。」
もちろんよ。ダスティ・アッテンボロー。

彼女の声はハスキーで耳障りがいい。
電話越しに愛してるとエマはいった。
愛してるよとアッテンボローもいった。
ゆっくり帰っておいで。エマ・アーリーバード。



彼女が仕事中だから通話は短くして、アッテンボローはエマがくれた住所のメモをたよりに地上車(ランド・カー)を走らせた。アドレスどおりエマのすむアパートメントを見つけた。部屋は最上階にあってキーカードをさせば彼女の部屋にはいれた。引っ越しをしたから部屋はかわったがエマの持つ「空気」が感じられた。

サイドボードや窓辺、あちこちに二人で撮った写真があって・・・・・・アッテボローはうれしい気持ちと申し訳ない気持ちになった。彼女が今朝帰って写真を飾ったわけではない。うっすらとわずかにほこりを被っているそれらはずっとこの部屋にあったことを意味している。

昔からエマは家事が得意でもなければこまめな女性でもない。

アッテンボローの方が軍にいた習いで整理整頓が得意だし清掃もきちんとする。士官学生時代に基本的な身の回りの整頓をみっちり仕込まれる。仕込まれているはずでもヤン・ウェンリーという人物のようにいつまでも習得できない人間もまれにいるが基本国防軍士官学校に籍をおいたものは物理的に身辺は身奇麗である。

誤解のないように追記すれば彼女がだらしない女性というのではない。

インテリアの趣味はモダンでシックそしてシンプルな調度しかない。部屋には落ち着いた大人の女性らしい雰囲気とある程度の秩序がある。わずかに雑然とした感じがかえって居心地のよさを与える。あまりにきちんと片付いた部屋だとアッテンボローも落ち着かない。

やはり台所(キッチン)は使った形跡がない。エマは料理が苦手だから一人だとなにか作るのも面倒のようだ。そんなところも変わらない・・・・・・。



ほんのわずかなほこりをハンカチで拭う。
いつも一緒にいるのが当たり前だった。
いつも彼女の隣に自分はいた。

ジュニア・スクール時代彼女はフライング・ボールのチアリーダだった。アッテンボローはそんなゲームに興じる事なくジャーナリストになることを目指していた一人の優等生・・・・・・準優等生。教師とすぐに喧嘩沙汰を起こすから、いくらずば抜けて成績がよくても準優等生にとどまる。けれど真面目に勉強ばかりしていた少年でもない。仲間と与太話に熱中したり酒を覚えたりとごく普通のスクールボーイだった。でもジュニア・スクールの女王ともいえるチアリーダのエマがボーイフレンドに選んだのは「そんなアッテンボロー」だった。

「そばかすさん」

と時々彼をからかうエマの笑顔。
アッテンボローは忘れられない。

そばかすを気にとめてなかったからアッテンボローはからかわれても平気だった。エマの艶やかな唇の動きを見て、ああイカシタ女の子だとガールフレンドを心のなかで称賛した。家が隣で小さな頃から同じ歳だということもあって仲がよかった。

彼女は「そばかすさん」とアッテンボローに甘えきって輝く笑みを向けていた。アッテンボローの肩にエマはよく頭をもたげて彼にもたれかかってきた。その快い重みやあたたかさをアッテンボローは大事だと成長するごとに感じた。絡める指もステディを表すリングも、二人揃いの金のネックレスもごく自然で当たり前で・・・・・・まさか別れる日が来るなんて思わないまま若い頃二人、キスしていた・・・・・・。



冷蔵庫にライトビアがあって冷凍食品があった。なにか作ろうかとアッテンボローが瓶詰のピクルスをかじっていると携帯がなった。やっと帰れるとエマからだった。
「何か買って帰るわ。ごめんね。ダスティ。」

今日は謝ってばかりのエマ。
ゆっくり帰っておいで。エマ・アーリーバード。

すべての女性が家事に長ける必要もなければすべての女性が食事の世話をしなくていいとアッテンボローは思う。存在自体が愛しく得難いものである以上エマはエマらしくていいのだ。
電話じゃ言えないけど大変なことが起こっていると彼女は言ってあとは帰って話すと電話を切った。ピクルスはエマが付け込んだものだと思う。昔から彼女のピクルスだけは美味い。ビールをいただきながら待っているとエマが帰ってきた。

「ダスティ、ハニー、タブロイドにすっぱ抜かれてるわ。私たち。」
玄関でただいまのキスを交わして抱きしめ合ったままエマは皺くちゃになったタブロイド誌をアッテンボローに見せた。



「おやまあ。」

三流新聞であるが購買者が多いとされるリアル・ワールド・タイムズという名前の新聞のトップにアッテンボローとエマが「ホテル・エリダラーラ」のラウンジで二人酒を飲んでいる写真が大きく取り上げられていて「八月政府官僚とアンカー・ウーマンの密会」といかにも陳腐な見出しが付けられれいる。

「ふむ。見出しの文句に一欠けらの独創性(オリジナリティ)と感性(センス)を感じない。古代から使い古されたキャッチでおもしろくないね。」
アッテンボローは腕のなかにいるエマの黒目がちの眸をみて短く口笛を吹いた。君はどう思う?ミス・エマ・アーリーバード。
彼女は眉をわざと寄せて言った。
「せめて美人アンカー・ウーマンってつけるべきよね。三流新聞なら。美人とつくだけで売り上げは三倍は軽く跳ね上がるのに。」
とアッテンボローを見上げて・・・・・・二人で大笑いした。



テイクアウトのチーズバーガーを二人頬張りエマは言った。

「久しぶりに携帯に父から電話があったわ。」
ほう。あのお父上からとアッテンボローはワインに手を延ばした。

あの石頭のパトリック・アッテンボローの末息子とまだ付き合ってるのかって。

「鼓膜がやぶれるかと思ったわ。かんかんで手が付けられやしない。新聞読んで激怒してた。」
数種類のチーズとクラッカー、ミネストローネとローストビーフと生ハムと野菜スティック、フルーツを並べた簡素な食卓。エマもグラスにワインを注いだ。

「ならうちの親父も黙っちゃいないだろうなあ。軍人嫌いのアーリーバードの小娘にうつつを抜かしてと文句を言われるに決まっている。親父の電話、着信拒否しよう。」
冗談ではなくアッテンボローは父親の電話番号を着信拒否にした。



アッテンボローの父親とエマの父親は旧帝国と同盟くらい仲が悪い。パトリックは軍人嫌いではあるが息子が生まれれば軍人にすると約束して美しい細君と結婚した。エマの父親は平和主義者で戦争反対を公言してはばからない男だったから一人娘のエマには大学へ行かせて軍人にはしなかった。息子を軍人にするような隣人パトリック・アッテンボローをいつどこでも批判した。売られた喧嘩を買わぬほどアッテンボローの父は穏健ではなかったので息子や娘の交際にはいい顔をしないどころか大反対であった。



若い二人は親の反対がかえって刺激となり恋は募るばかり。一時は別れたから両家の親は胸を撫で下ろしたが・・・・・・。



「当人同士は問題ないからいいよな。」
アッテンボローはローストビーフを口に運ぼうとしたエマにキス。
「・・・・・・本当にあなたの迷惑にならない?「八月政府一番のハンサムな独身官僚さん」?」と殊勝なことを「美しい恋人」が言うのでもちろんと彼女を抱き寄せる。

白檀の香り。
アッテンボローもこの香りが気に入っていた。

「誰に遠慮がいるものか。大人同士の交際なんだしお互い遊びじゃない。・・・・・・よね?エマ。」
彼の肩に頭をもたげてエマは言う。
ええ。当たり前じゃない・・・・・・。
それをきいてアッテンボローは心が満たされる感覚を覚えた。

今の今まで・・・・・・。
「おれは女性遍歴がないと周囲はそれで頭を悩ませたものさ。恋人が出来た。それも飛び切りいい女だ。文句を言われる筋合いはない。」
すっかり体をアッテンボローに委ねたエマは尋ねた。
「本当に誰も好きにならなかったの?ダスティ・ハニー。私と別れていた間に。誰とも寝なかったの?」
私は何人かと付き合ってみたわよと彼女は言う。でもあなたが一番だとわかったのと付け加えた。

・・・・・・。
アッテンボローは考える。
彼女を抱き寄せたままイゼルローンですごした日々のことを。

「一人E式の美人に少し惹かれたときもあったんだけど・・・・・・。」
アッテンボローはエマの額に接吻けをして白状した。

あったんだけど?

黒目がちのきらきら輝く眸に見つめられてアッテンボローはさらに恥ずかしそうに二度目の白状をした。
「彼女はおれじゃなくて僚友と結婚した。似合いの夫婦だよ。なんと12年男は片思いしてたようでね。きっと情にほだされたんだろう。あっさり結婚しちまった。少し悔しいけどね。」と笑った。さすがにエマは笑えない。

好きだった?その美人?
白ワインを口にして彼女は質問した。

そうだなあ。
アッテンボローはエマのグラスを取り上げて言う。
「振られてよかったよ。君とこうしてまた一緒にいられるなら。愛してる。エマ。」とほんのりとパールの入りのベージュのグロスをぬった「美しい恋人」に熱いキスをした。

ねえとエマが接吻けのあと名残惜しそうに離れるアッテンボローの唇を見つめて次の言葉を発声しようとしたとき。
ヴィジフォンがなった。



音声だけにしてあった様子でくだんのアーリーバード氏からであった。
「あの分からず屋の頑固者のアッテンボローの末息子がそこにいるのか。」とパトリック・アッテンボローに負けない怒鳴り声がした。
「ダスティは長男よ。」
「そんなことはどうでもいい!忌まわしいそんな戦争屋なんかと手を切るんだ!エマ!」

戦争屋ですって。
エマは音声だけではなく映像のスイッチを入れて父親に食らいついた。

「150年の戦争のけりを着けてくれたのはダスティ達じゃないの!ハイネセンで安穏と暮らしていた私たちが彼等を軽んじるなんて傲慢もいいところだわ!彼等が帝国と和平を結んだからバーラト星域の自治がみとめられたんじゃない。お父さんは恥じ知らずよ。直接手を汚さなかっただけで戦争に行かなかった人間のほうが立派だというの?戦争に行かないですむ時代ならよかったけれどダスティが軍人になった頃はまだ戦争のただ中だったじゃない。お父さん、ダスティに謝ってよ!でないと一生口を聞く気になんかならないわ!さあ!早く謝って!」

エマの語気は鋭く短気さが顕著であった。アッテンボローは自分はそれほど立派でもなければやはり戦争屋であるに違いはないと思っている。

それでもエマの言葉は嬉しかった。

しかし娘の怒気に圧倒されて言葉を失っている気の毒なアーリーバード氏を見ていると気の毒である。一人娘から糾弾されてしょぼくれない父親はいないものだ。

「いいんです。ミスター・アーリーバードバード。私は戦争屋であるには違いないし戦地で散々ひとを殺してきた男です。否定できませんからその点はお気遣いなく・・・・・・。」
アッテンボローは縺れた鉄灰色の髪をぽりぽりかいて穏やかに言った。

ただ。
「お嬢さんとのことはいつだって真剣に思っています。どれだけ反対されても私の気持ちは変わらないのです。お嬢さんと真剣に交際をしています。そこはご理解ください。」
といいながらそう簡単に理解する娘の父親などこの世には少ないよなと思った。

エマは父親とアッテンボローを交互にみて「・・・・・・お父さん、そういうことだから娘の恋路を邪魔しないで。親同士が反りが合わないからって子供にまで押し付けないでほしいわ。私ももう大人なんだから誰と付き合おうがお父さんが口を出す少女時代はとっくに終えたのよ。私、ダスティと別れないから!」
言い切るとエマは一方的に回線を切った。
ダスティは気が短いなあと苦笑する。

「親父さん、しょげるよ。娘の一言は結構堪えるんだ。明日でも一言謝ったほうがいい。」
三人の姉を持つアッテンボローには男親の切なさがほんの少しわかる。
「ダスティ、あんなひどいことを父は言うのよ。謝るなんて・・・・・・。」
エマは憤った口調でアッテンボローに噛み付きかけたがふと彼の穏やかな・・・・・・普段はふざけた色を見せる癖に時折見せる穏やかな双眸をみて少し落ち着いた。



「・・・・・・だって腹が立つんですもの。あんな非常識なこと言う父親なんて。」
「戦争を賛美する人間に比べりゃよほどまともだよ。親父さんは。エマのことが可愛いんだって。明日、一言言葉がきつくなったって言ってやんなよ。・・・・・・おれもお節介だね。ごめん。エマ。」

ううんとエマは首を振った。
ダスティ、大人なのねと。

「あなたって普段は悪戯っ子みたいなのに肝心なときには大人だわ。・・・・・・わかった。明日一言謝っておく。」

アッテンボローはエマを抱きしめた。
君は短気で怒りっぽいけどとっても素直で可愛いひとだ。
と彼女の髪にキスをした。柔らかく香る白檀の香り。
彼女はしなやかな黒い猫のようにアッテンボローにおとなしく抱かれて呟いた。



あなたにもう一度出会えて本当によかった・・・・・・。
それは心からの彼女の思い。
アッテンボローにもわかる。









スタジアムの虐殺を取材したとき・・・・・・。

「ダスティのいるイゼルローン駐留艦隊は同じ軍でも正しいと私は思った。確かに戦争に行かなかった私たちは平和主義なのかもしれない。けれど実際に難しい局面をあなたたちがくぐり抜けてきた。そんなあなたを馬鹿にする父なんて赦せないわ。」

エマ。
それだけわかってくれているならそれでいいよ。

時々子供のようにかっとなるエマ。でもそれは彼女の正義感の強さにある。アッテンボローは普段はクールな彼女だが本当は純粋過ぎて少女時代と変わらない彼女が大好きだった。もちろん今現在も大好きだ。

「おれも偉そうには言えないけれど親子でおれのことで揉めなくていいよ。いずれはおれがきちんと親父さんに挨拶するから。・・・・・・口論になったらそれはその時で・・・・・・エマは実の娘なんだし悪役はおれのほうがきっと似合うよ。」
そういって彼女の頬にキス。

そう。

いずれ挨拶にいかねばならないだろう。
エマはそのとき自分を受け入れてくれるだろうか。



アッテンボローは自分はどうかしていると思った。まだ再会して二日目なのにそんな未来のことなど考えて。エマは家庭に縛る必要はないし自分とてこの先結婚などという予定はまだ未定である。こうして二人一緒にいれればそれで十分。それで幸せだと思う。周りが次々と結婚するからといって自分までその流れに便乗するのが得策だとはたして言い切れるのかアッテンボローにはわからない。まだ再会して二日目。







焦ることはなにもないとアッテンボローは思う。ゆっくりでいいんだ。
やっとまた出会えて・・・・・・唇を重ね合って・・・・・・こんな日の積み重ねを経たとき二人はどうなるのだろうか。それはまだ先のことに思えたし先のことでもいいとアッテンボローは彼女の肌の温もりを感じながら考えていた・・・・・・。

My beautiful lover