ハミングの続きを

ホテル・エリダラーダで眠る二人。先に目が覚めたのはアッテンボロー。
夜を込めて愛し続けた美しいひとが眠っている。泣きぼくろがわいいらしい。昔のようについつついてみたくなる。そっと指で彼女の頬にかかる黒髪に触れてみて・・・・・・。

「寝顔見てたでしょ。」
うつぶせになって枕に顔を押しつけて眠っていた美しいひとがこちらを見て微笑む。彼女は色白ではなくむしろ小麦色の肌をしている。内勤ばかりの自分よりいい色をしているとアッテンボローは思う。綺麗な彼女の背中に唇を落とした。

「なあ、エマ。おれで良かったの。」
「良かった・・・・・・・。」
ばかげたことをまじめに聞くアッテンボローに彼女は微笑んだ。小さな指を彼の指に絡めて彼の指にキスをする。二人の首にはそろいの金のチェーン。小麦色のエマにはよく似合っている。

愛してるわ、ダスティ。
黒目がちの彼女の眸は嘘を言わない。呟いた唇にキス。

「とろけちゃうかと思った。・・・・・・・あなたは違うの?ダスティ。」
「多分同じ気持ちだよ。エマ。・・・・・・正直言えば、スキンをちゃんと買ってきておいて良かった。こうなるとは思っていなかったし・・・・・・こうなってくれればいいなとは思っていたけど。男は助平だよな。」
あら。
「私だって買ってきたわよ。女だって好きな男がいれば助平にもなるわ。ちょっと気恥ずかしいけどピルを飲むのはいやなの。こういう避妊具のたぐいがさほど進歩していないのはなんだか皮肉な話よね。人類は地球から飛び出して800年たつのによ。」
アッテンボローは吹き出した。
「君は有名人なんだからそういうショッピングは男に任せた方がいいよ。」
じゃあ。

エマはアッテンボローの両方の頬を手で包んだ。そしてまっすぐ見つめて呟く。
「今度からはあなたがそうしてくれる?」
アッテンボローはああ、と頷いた。「君さえ望むなら。」

もう一度。
「もう一度恋人になってくれる?ダスティ・アッテンボロー。もう私を置いていったりしない?あなたときどき鈍感だから私の気持ちわからないときがあるでしょ。私あなたが好きなのよ。」
セックスが?
茶化してしまった。
そんな悪いくせもエマはアッテンボローの鼻にキスをして「セックスも含めて。あなたという男が好きなの。」と唇を尖らせた。ダスティは私を殴ったりしないし・・・・・・エマはトーンを落として呟いた。
「女を殴るなんて最低だ。」
「ダスティは私のこと大事にしてくれるってわかる。私のこと好きでしょ。セックスだけじゃなくて女として。錯覚なのかしら。」シーツの波がさざめく。
錯覚じゃないよ。
アッテンボローは彼女に接吻けをした。唇を離して。

「君が大事・・・・・・できれば二度と失いたくない。」愛しい髪を撫でる。この黒い髪が自分はとても好きなのだとアッテンボローは自覚した。エマの発する生命そのもの。呼吸も熱も何もかも愛しいのだと改めて深く感じた。他の男にとられた程度でイゼルローンに連れて行かなかった自分が馬鹿だったと思う。

でもエマの仕事は応援したかったし今でも応援している。

それにイゼルローンに連れて行ってたならばあの熾烈な戦いで彼女を護り切れただろうかとも思う。「バーミリオン会戦」前には民間人を切り離して自分たちは「ランテマリオ」に向かっていただろう。あのあと自分はハイネセンへ還ってきてはいる。けれどエマにはなんの連絡も取らなかった。きっと恋人とうまくやっているのではないかと思ったし立体テレビ(ソリビジョン)を見る間もなく宇宙へ還ったのだから。

「できるわ。私もあなたともう離れたくない。・・・・・・・でも朝って無情ね。かえらなくちゃ。あんなドレスで仕事できないもの。」黒いシルクジョーゼットのタイトなドレス。
「宇宙一セクシーなアンカー・ウーマンになるね。あんまり他の男にみられたくないな。恋人の意見として言わせてもらえば。」
「あれはデートのときのためのものよ。・・・・・・少しでも綺麗な私を見せたかったの。ダスティに。」
わかってるとアッテンボローは彼女の唇にキスをした。
「おれもあんなカジュアルな格好で仕事場に行けない。シャワーを浴びるか・・・・・・。一緒に。」
ええとエマは嬉しそうに微笑んだ。
「一緒にバスタブにつかりましょう。バスボムで泡をたっぷりにしてね。」
「それはよろしくない。それじゃあ朝日のなかで君の裸がよくみれない。」
アッテンボローは正直に具申した。
これからいくらでもみるチャンスはあるわとエマはもつれた鉄灰色の髪に指を入れてごねる「恋人」にキスをした。彼女の泣きぼくろ。事実彼女は泣き虫で。けれど強がりも宇宙一。アッテンボローはそんな彼女も愛してる。

二人ジャグジーの泡とバスボムの泡で子供のように遊びながらときどき熱を帯びた接吻をして・・・・・・非情な朝を恨めしく思いつつホテルを出て帰路についた。部屋を出る前にエマはアッテンボローに住所のアドレスと自宅のキーを渡した。
「次、いつ逢える?エマ。」
受け取った電子キーを大事にジャケットのポケットにアッテンボローは入れた。
「いつでも。いつでもあいたい。」
「じゃあ、今夜いってもいいかい。」
「もちろん。でも料理は相変わらずまずいわよ。」
二人は笑った。「君の武器は強力なまずさのチリペッパーだね。それも宇宙で一番だと思う。君の家にいく前に電話する。おれの鍵も仕事のあいまに合い鍵作っておくから今夜渡すよ。食べ物はテイクアウトのものでいい。住所は・・・・・・。」
知ってるわとエマは笑う。
「あなたの携帯電話の番号だって知ってるんだから。住所くらいコネクションでわかってる。あなただって有名人なのよ。自覚なさい。ダスティ・アッテンボロー。」
彼のそばかすを指でなぞって。



もう離さないでね。



あのとき・・・・・・。「あのときそんなつまらない男よりおれを選んで文句を言わずついてこいっていってくれること、期待してたわ。あなたのせいにするつもりはないけど強引に連れて行ってほしかったの。迷わずあなたについて行ったわ。あなたと同じものを見てあなたと同じことを感じていきたかった・・・・・・。本当よ。もう離さないでね。」
エマの眸は嘘をつかない。
アッテンボローは彼女を抱きすくめて約束した。わかったよ、エマ。「愛してる。・・・・・・何度もいうけど多分今までで一番君が愛しい。」
抱擁しあってキスをした。今日の彼女のヒールは10センチ。かがみ込まなくてもキスできた。

朝は無情だな。
アッテンボローは名残惜しそうにエマの体を離した。
「本当ね。朝は無情。でも今夜来てね。待ってるから。」
仕事がんばってね。主席秘書官。
綺麗な微笑みで彼女はアッテンボローを送り出してくれた・・・・・・。














ありゃ朝帰りだとシェーンコップは心の中で呟いた。

女の香水はあるブランドのもの。アッテンボローの側に行くとわずかに香るサンダルウッド(白檀)の香り。こまめなポプランでもいれば調香師のようにどのブランドのなんという香水か言い当てられるであろう。もっともキャゼルヌやヤンには香りすらわからないと思う。かすかな残り香。悪い女ではなさそうだとシェーンコップは一人、ほくそ笑む。これ見よがしに香りを残す女もかわいいと言えなくもないがそれではアッテンボローの手にはおえんだろうと思う。だから「八月政府」の愛すべきお節介たちのうちでワルター・フォン・シェーンコップから見たアッテンボローの「恋人」の評価は悪くはなかった。

ありゃ朝帰りだとキャゼルヌは主席執務室でヤンに向かって言い切った。

「浮かれた様子はないが沈んだ様子もない。多分そこそこうまくいったんだろう。それ自体はわるいことじゃない。あのアッテンボローが女性と情事。今まで女っ気がなかったんだから生理的な事情を考えればさぞかし不便だったと思うしな。」
そんなひどい言い方しなくてもとヤンは苦笑した。
「朝帰りだろうがいいじゃないですか。子供じゃないんだし時間通りに登庁しているんだから外野が口出しをする必要はないでしょう。」
一度はアッテンボローを振った女だぞ。
キャゼルヌは眉をしかめている。
「一度振った男に戻ってくる女性の心理がよくわからん。おれは無粋な男だといわれるからそういう気持ちはさっぱりわからん。」
誰が無粋だというんですかとヤンが聞けば。「我が家の女主人だ。」と腕を組んで憮然としていった。
ともかく。
諸手をあげて喜ぶにはまだ早いなあとキャゼルヌはいい、ヤンはそういうものでしょうかねえと事務局部長が作った書類に署名する。軍務時代と余り変わらない日常の業務のようだ。

「でも、帰ってくることをアッテンボローは赦した。それで十分良い答えになっていると思いますがまだお気に召しませんか。事務局部長。」
アッテンボローは女性にだらしない男じゃないですし。
「待てば海路の日和ありでよい知らせがあるかもしれないですよ。」
車椅子の国家主席は書類の束をまだ不満げなキャゼルヌに返した。
「ご不満だらけの顔ですね。キャゼルヌ先輩。アッテンボローはもう32ですよ。大人の男です。11月には33になるんです。信頼できませんか。」と笑っていった。
いや。
「お前さんがここまで回復したのは嬉しいが悪筆だけはいかんしがたいものだなあと思って。昔から字がまずかったんだ。今更どうもしようがないな。」
と国家主席に対する言葉とは思えぬ毒舌を残して行政府事務局部長は主席執務室をあとにした。



さすがの女医でもヤン・ウェンリーの悪筆までは治療できなかった。
それでも彼が生きているだけで多くのものが希望を抱くことができる。



アッテンボローはいつになく仕事をさっさと切り上げて定時になると上司であるヤンに何か急ぐ仕事はあるかと尋ねに来た。
「恋人とのデートかい。アッテンボロー。仕事はなにも逃げやしないよ。いっといで。」
ヤンは後輩をからかった。
「デートですから否定はしませんよ。平和でいいでしょ。」
アッテンボローは縺れた髪に指を入れた。
「うん。堅実でいいね。仲良くやりなさい。私はそこまでしかいわないよ。」
キャゼルヌあたりは何か言うかもしれないけどとヤンは付け足した。
「あの人は「結婚させたい病」でしょ。うーん。結婚ばかりがすべてなんですかねえ。主席閣下殿はどう思われます?」アッテンボローはヤンに質問した。
「お前さんはどうして結婚しないんだい。アッテンボロー。」
そりゃ決まってます。

「結婚したい女性が今までいなかったからですよ。この年になると簡単に結婚する訳にいかないものでしょ。勢いとかないとねえ・・・・・・。先輩だって夫人に求婚したのは「バーミリオン会戦」でどうなるかわからなかったからでしょ。」
うん。
確かに勢いは大事だねえとヤンも同意した。勢いがなければ求婚とはしにくいものだと彼も経験済みだ。わからないではないが。
「でも、そのお嬢さんはお前さんと結婚する気はないのかな。」
アッテンボローはふむと考えて笑った。
「昨日再会したばかりですよ。やっと恋人に昇格されたからってじゃあ亭主にって訳にもいかないんじゃないですか。普通は。」
うーんとヤンも考えた。
彼とて結婚は一度しかしたことがないし会ったことがない女性の心などわからない。
まあいいや。
「私はお前さん次第だと思うけどね。お疲れさん。今夜は素敵な夜を。」
からかいの成分がたっぷりのヤンの言葉にアッテンボローはきっぱりと言い切った。



「昨日も素敵な夜でした。では閣下、失礼します。」
残されたヤンは「あれじゃハミングでもしそうなくらいおめでたいんだな。」とつぶやき自分も帰宅の準備をした。ヴィジフォンをすればフレデリカが迎えに来てくれる。事実、彼にとっては会ったことがないアンカー・ウーマンでかわいい後輩の恋人より愛しい妻がいるのである。

せいぜい恋を愉しんでおくれと国家主席殿は思った。

My beautiful lover