なんだかいつまでも好きだ |
ホテル・エリダラーダのラウンジのスツールには5年前別れたまま美しいエマがいた・・・・・・。 いや。 年齢を重ねているはずで少女時代の面影は遠く代わりにどきりとするような色香が漂う。肌を重ねて抱き合ったころのエマにも見えるし知らない女性にも見える。 ハイネセンへ還ったとき。 立体テレビ(ソリビジョン)をつけたとき彼女を見た。グレイのスーツを・・・・・・多分値段のするものだろうしセンスもよかった。それを着こなしてあろう事か「八月政府」の拠点「ホテル・ユーフォニア」の前でキャスターを務めていた。忘れもしないエマ。忘れようと努力したエマ。5年前よりさらに洗練されて本当に隣の家に住んでいた少女だったのかと疑う。でもあの気の強そうな声は変わらない。実際気の強さも変わらないのだろう。 アッテンボローは小さなため息を一つついて苦笑した。なぜ自分はこんなにもこの女に振り回されるのであろうかと。 初めてのキス。 初めての夜。 何度も愛し合っただけの女。 結婚すると思っていた。 エマは仕事がすきでそれは続ければいいと思っていたし彼女の短気さにはなれている。作る料理はうまくないけどそんなことはアッテンボローはどうでも良かった。気が強いくせに何かあるといつも自分の元に飛び込んでくるエマと当然結婚するものだと26歳の時思っていた。でも彼女はキャリアと他の男を選んだ。だからもう忘れるべきだと思っていた。 なぜ誘いに乗ってきたんだろうと思わないでもないが・・・・・・アッテンボローは彼女に逆らえないでいる。それは束縛でもないし呪縛でもない。彼の意志である。靴をならしてラウンジに入った。 「エマ。」 「1900時。時間ぴったりね。ダスティ。」 隣に腰をかけダブルのウィスキーを頼んだ。 結婚式はどうだったとショート・カクテルを飲みながら女優と思うほどの美しい笑顔でアッテンボローに問いかける。 「良かったよ。ガーデン・ウェディングで。気心しれた仲間ばかりだったし愉しかった。それに・・・・・・まあ親友が結婚するのは悪いものじゃない。あの二人ならうまくやっていけそうだし前途洋々だ。」 彼女は黒い服を本来好む。そしてそれはたいていシンプルなデザイン。小柄な体に似ずグラマラスでそれでいて知性を感じさせる表情をする。 「そう。それは素敵ね。・・・・・・呼び出しておいてなんだけどダスティは恋人はいないの?あれだけ出世したんだから恋人の二人や三人はできたでしょう。」 「・・・・・・呼び出されてなんだけど恋人の席は今も空席さ。僚友に言わせればおれは甲斐性がないんだと。事実女性一人口説くのも得意ではないし恋愛経験も乏しいからね。」 君とは違う、と口に出そうになった。君ほど他の異性を知らないよなんて失礼な言葉だ。アッテンボローには言えない。女性の品位をおとしめるような発言はしないことにしている。 「念願のアンカーだね。テレビ写りも良かった。」 「見たの?」 「テレビをつけて君が出ない日を探す方が難しいよ。」 あなただって。「時のひとじゃない。「八月政府」において重要なポストにいるし。でもあなたの性格からいえばそれほど長く腰を据える気はなさそうね。」 そんなこと、わかるのとアッテンボローは囁いた。 「ダスティは多少穢いこともするけど心は綺麗なひとよ。与党なんて立場には耐えられないひとだわ。私はそう思ってる。」 思うのは勝手だがノーコメントだよとアッテンボローはいった。「君はなんでもテレビでしゃべるひとだからね。そうそうこちらの手の内は見せる気はないよ。」 ふふっと彼女は笑った。 「政治家の先生は皆そういうわ。今夜は久しぶりにあなたに会いたくなったの。昔の恋人として。・・・・・・厚かましい女だと思っているでしょ。」 ピンクの揺らめくカクテルグラスの液体。暗い室内。流れるのは静かなジャズピアノ。 「厚かましい女に逆らえない哀れな男だと知ってて君はおれにコンタクトをとってきたんだろう。」 あなたのこと、思ってたわよ。 私が馬鹿だったって。 「毎日思ってたわ。なぜあのときあなた以外の男がよく見えたのか情けないと思うわ。あなたほど優しいひとはいないのにね。あなたに甘えてばかりでごめんなさい。そしてありがとう。もう逢えないかと思っていたから。来てくれて嬉しい。」 そうだな。もう逢えないかと思った。 「おれももう逢えないかと思った。正直、生き残れるか最後までわからん場面があったのも事実だし。君があのときおれについてこなくて良かったと思う。君はいつだって賢いよ。」 ひどいこといわないで。そういったエマの表情はとても淋しいものだった。 首にはゴールドの華奢なネックレスを着けている。昔自分が買ったものでそろいのものを自分は後生大事に持っていた。肌身離さず・・・・・・身につけている。今日のドレスにはそのネックレスは似合わないよとアッテンボローは思った。 「あの男はひどいのよ。私を殴るんだから。三ヶ月で別れたの。上司だったけど社長に全部暴露してやったわ。結婚しようといっておいて他の女の子と寝てたんだから。男を見る目がなかったのね。あのころ。あなたについて行けば良かった。でも昔の話よね。」 「殴った?エマを?あの男が?それは赦せないな。」 そうよ。見えないところを殴るのよとうんざりしたように彼女はいった。 「今アンカーにいるけど影では5人の上役と寝たんだろうっていわれてる。寝たのは一人だけど・・・・・・セックスはへただし早いし年寄りだし最悪だった。・・・・・・仕事のために寝る女なんて穢いって思うでしょう。ダスティ・アッテンボロー。」 そっちより。 「あとで早かったとかいわれると傷つくかもな。おれだったら。」 アッテンボローは無鉄砲な昔の恋人におどけて笑った。 「あなたとはあってたと思う。私はね。気持ちよかったもの。痛かったのは初めてのときだけだったし。私は好きだったわ。」ショートの次にロング・カクテルで彼女は酒に飲まれないように注意していた。 過去形なんだね。 二杯目のウィスキーを飲み干してスコッチでも頼もうかと思っていた。 今のあなたを知らないもの。 「今のあなたを知りたいと思ってる。それっていけないことかしら。」彼女はホテルのルームキーをアッテンボローにそっと握らせた。 けれど、眸は真剣でまっすぐアッテンボローを見つめていた。 「・・・・・・わかった。」アッテンボローは観念してラウンジの精算をした。スコッチなら部屋にもあるだろう。気まぐれで体を任せる彼女じゃない。もう一度何かを築き上げるためにテストをするのだ。昔の恋人で終わるか、現在の恋人に変化を遂げるか。 部屋からは復興していく街並みの灯りが見えた。ジャケットを脱いでネクタイをゆるめてダブルのベッドに座った。ベッドサイドテーブルに携帯を置いて。多分今日は緊急の連絡は入ってこないと思うけれど念のためだ。他の連中にしたってユリアンとカリンの結婚式の二次会で騒いでいるに決まっている。立ち上がってカウンターのスコッチを出しているとドアのチャイムが鳴った。グラスに自分の分量を入れて。ゆっくりドアを開けた。 「いじわるね。」 エマはわかっている。 ドアをすぐに開けなかったことに唇を尖らせていた。 「いじわるしてるんじゃないよ。これでも照れがあるんだ。」とアッテンボローは彼女を部屋に・・・・・・といってもここをとったのは彼女だが・・・・・・エマを部屋に入れた。 ドアを閉めるとアッテンボローはエマを抱きしめた。彼女はアッテンボローの胸に満足そうに顔を埋めて「ダスティの香りがする。」と笑った。 いつもの香水はなくなったんだとアッテンボローは彼女の頭頂部に唇を当てた。エマの香り。彼女は白檀の香りがすきだった。もちろんアッテンボローには白檀などというものはわからない。けれどその香りはかすかで彼女にぴったりのような気がした。あくまで香水は彼女の小道具で引き立てる役目をするだけ。 それでも懐かしくて眸を閉じた。 「うまく言えないけどダスティからいいにおいがするの。いつも。香水だと思っていたけどそうじゃなかったんだわ・・・・・・。」黒くて腰のある艶やかな髪に指を入れて撫でる。黒目がちなエマの眸がアッテンボローをじいっと見つめている。アッテンボローも吸い込まれるように彼女の眸を見つめた。グロスを塗った唇に見とれる。 エマは綺麗だ。 改めて確認した。 改めて・・・・・・恋をした。 唇を重ねて・・・・・・。 「伊達や酔狂でこんなことしてるって思ってるでしょ。ダスティ。」 その言葉をキスで封じた。 伊達や酔狂でもいい。 彼女がここにいるのなら。自分のうでのなかにいるのなら。「思ってない。」知ってるだろ。エマ。 おれは愛情がないセックスができないんだ。 知ってるわとキスのあいま静かにエマが言った。 「知ってるわ。・・・・・・来て。」 彼女の腕がアッテンボローの首に絡まる。熱い接吻けのなか互いの衣服をもどかしく剥いで抱き合った。エマは美しかった・・・・・・。 はあ、とヤンはキャゼルヌの打ち明け話を聞いた。 「そういう状態のことを世間では男が振られたといいますね。」 そうだとキャゼルヌは頷いた。「アッテンボローは結婚するつもりだったようだが彼女はイゼルローン要塞に赴任するときついてこなかった。しかもキャリアがある男と恋人になったといってたんだぞ。幼なじみで気心しれているとはいえちょっとアッテンボローには難しいお嬢さんだと思うんだがなあ。あいつはどうもこういうことにかけてはシャープさがない。アンカー・ウーマンとして仕事に夢中の彼女とよりなど戻しても不毛だとおもわんでもないなあ。このままじゃあいつは一生独身だ。」 そこにシェーンコップが口を挟んだ。 「独身では何か都合が悪いかな。妻帯していれば納税がなくなるか。行政府事務局部長。」 ん。 「じゃあお前さんは税金をチャラにしたらミキと別れるのか。」キャゼルヌは女同士で歓談している女医を親指でさしていう。 まさか。 「冗談はよせ。あれはおれの女だ。150歳まで添い遂げる契約をした。地獄に行っても前の亭主に渡す義理はない。だがアッテンボローがアンカー・ウーマンと情事だけのつきあいをしたところで大きな問題はなかろう。結婚をしないと行政府事務局部長の都合が悪くなるとでも?」 そうとはいわんがなとキャゼルヌは不満げにいう。 シェーンコップが籍を入れた。 コーネフは結婚して一女をもうけている。 リンツも来月には結婚する。 「アッテンボローにもあいつに似合う女性と結婚して平穏な生活を送ってほしいと思うだけだ。」 ヤンは思う。 キャゼルヌの「結婚させたい病」は治らない。ヤンもその洗礼を受けて今フレデリカという最高の伴侶を得た。それ自体はとても幸運だったと思っているがその方程式が万人に当てはまるものかわからない。明日アッテンボローが登庁してくれば何らかの方向性は見えるだろうしそれからでもいいのではないかとヤンは思う。いくら後輩だといったって。 アッテンボローだって一人の一人前の男だ。 その一人前の男は思い焦がれた女と何度も熱い肌を重ね夜を過ごしていた・・・・・・。思い焦がれた美しい彼の恋人。いつまでも彼は彼女を愛していた。 |