今も嫌いではない

宇宙歴801年8月2日。






一時は新昏睡にまで陥ったヤン・ウェンリーは奇跡的な回復を見て、皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラム崩御後この時期バーラト星域において「暫定共和政府・主席」にあくまで一時的に就いた。奇しくも8月の発足であったため「八月政府」と人々からは呼び親しまれる。車椅子での政務であったが主席秘書官に彼の長年の知己にあたるダスティ・アッテンボロー、主席次席補佐官には被保護者であるユリアン・ミンツがそれぞれ就任した。ヤン自身はあくまでも「一時的・暫定」にこだわったが彼が主席を引退するのはまだ先のことになる。

ユリアン・ミンツとカーテローゼ・フォン・クロイツェル並びにワルター・フォン・シェーンコップとミキ・ムライ・マクレインがそれぞれ式を挙げ入籍をした。前者の結婚には花嫁の父親であるシェーンコップが大いに意地悪く妨害を試みるものと思ったが自分の遺伝子を持っただけの娘よりも12年に及ぶ恋慕の末得た「運命の女」との蜜月に忙しい。女医はそもそも亭主より忙しい。後者は籍だけ入れて挙式はまだである。ユリアンとカリンは早々に挙式をせねばならない理由があった。
カリンが妊娠していたのである。

案外手が早かったんだなあとここにはいないオリビエ・ポプランの代わりにダスティ・アッテンボローがさして品性もなく述べた。ポプランはフェザーンに残ったらしい。もっともフェザーンにもいつまでいることやらわからない。ヤンが新昏睡に陥ったときポプランは自室にこもって酒浸りの生活をしばらく過ごした。その怒れる蛇のごとくとぐろを巻いた洒脱と陽気が主成分なはずのハートの撃墜王に檄を飛ばしたアッテンボローは思う。

あの男には一つの時代と決別するには一度なれ合った仲間と離れないといけないのだろうと。存外センチメンタリストだといいたくもなるがわからぬ訳でもない。

夜毎に美女と恋を愉しみ胸の空洞を満たそうとしていたあの男。

男という生き物は本来はそうなのかもしれないと自称・他称「独身主義者」であるアッテンボローは考えた。特別ポプランやシェーンコップはお盛んだったが心の拠として女性の肌は心地のよいものなのかもしれない。などと他人のことは分析できるがイゼルローン要塞に赴任してからは女友達といえる人間も女医くらいしかいないアッテンボローにはあまりとやかく言えた問題ではなさそうだ。

女医にはわずかなシンパシーを一時感じたものの・・・・・・シェーンコップとの縁が深かったのであろう。「ブリュンヒルトの死闘」で心肺停止した彼を蘇生させてあのワルター・フォン・シェーンコップに「おれと結婚してみる気はないか。ミキ・M・マクレイン。」と言わせたらしい。

こうなると夫婦仲を邪魔するほどアッテンボローも野暮じゃない。女医へのシンパシーはそう大きなものではなかったのでこの鉄灰色の髪をした同じ色の眸を持つ青年提督であった男は大きな痛手はなかった。

晴れた9月吉日にユリアンとカリンは花嫁のおなかが目立たぬうちに青空の下ガーデンパーティ様式で式を挙げた。その席でのことである。

「お祭りが好きなアッテンボロー主席秘書官ともあろうかたが一人でお酒を飲んでいるなんて興がありませんよ。」とシェーンコップ夫人となった女医がグラスを持って亭主とともに現れた。バストあたりまですとんと落ちる黒髪を今日だけは綺麗にカールさせて普段より華やかな美しさを見せていた。
「恋人の一人も連れないで政府高官という肩書きが泣くぞ。アッテンボロー。」

口が悪いのはヤン艦隊からの習わしらしい。

シェーンコップもパールホワイトのドレスシャツにシックなブラックのスーツを着て確かに二人は・・・・・・似合いとも言えなくもない。

「中将と呼ばれる時代から女性同伴して公の場に出たことはない。今に始まったことじゃないよ。お二人さん。どうだ。美人の奥方を迎えた不良中年の所感は。」
「悪くないな。結婚するやつは馬鹿だ。でも結婚しないものはもっと馬鹿だ。一度は体験するのはいいものかもしれんぞ。アッテンボローの青二才。こういう席には一人くらい女性をエスコートして出るようにしないと男としていささかふがいないぞ。32にもなって恋人が一人もおらんような人生は儚いものだ。」

自分もついこの間までは独身を通してきたくせにとアッテンボローは毒づいた。






アッテンボローは伝家の宝刀を抜いた。
「お前さんたちはおれに恋人がいないと思いこんでいるがおれはいないといったことはない。独身主義を愛しているとはいったがな。」
みな点在して歓談していたくせにこの一言でアッテンボローの回りを旧知の仲間たちがかこんだ。新郎新婦まで興味津々のご様子である。口火を切ったのはやはりアレックス・キャゼルヌ行政府事務局部長。

「説明しろ。アッテンボロー。そしていい加減身を固めろ。ポプランのような風来坊ではいかん。コーネフのようにさっさと結婚しろ。媒酌人は任せるんだ。」
身を固めるのはともかく。
「私も初耳だなあ。そんないい人がいたのに紹介もしてくれないのかい。アッテンボロー。水くさい。いつ、どこでその人と知り合ったんだ。それくらいは聞かせてくれてもいいだろう。」
などとヤンも言った。オルタンス・キャゼルヌとフレデリカ・G・ヤンが顔を見合わせて笑った。ユリアンとカリンも互いの顔を見合わせてアッテンボローの次の言葉を待っている。



予想外に人が集まっているので口ごもってしまう。ラオ、リンツ、コーネフ夫妻そしてキャゼルヌ家の令嬢(レディ)二人。
今夜会うんです。久しぶりに。



久しぶりって。
「ちょっと待て。お前さんは彼女のことを言っているのか。アッテンボロー。」
キャゼルヌは思い当たった。
ええ。エマですよとアッテンボローはシャンパンを口にしていう。
エマ?
ヤンは首をかしげる。
ヤン・ウェンリーは仕方がない。
エル・ファシルで出会った14歳だった自分の妻の記憶すら曖昧なのだから。



「お前、エマ・アーリーバードには振られたはずじゃなかったのか。」キャゼルヌが声をあげるとオルタンスは良人に的確に肘を入れた。不吉なことをいう亭主だと彼女は思っているに違いない。
「それが振られていないらしいです。」
アッテンボロー当人もらしいと憶測でものをいう。
お互い嫌いではないですしね。今でも。
アッテンボローは特別照れた様子も見せないでやはり今日はいい酒だなと呟いた。
「アーリーバードって・・・・・・あのアンカーか?民放の、アンカーウーマン、エマ・アーリーバードのことか。」
シェーンコップは思いだしたようにいった。
女性のこととなるとよくものを知っている御仁である。別段それに目くじらを立てる奥方でもないから平和なのだが。
まあなとアッテンボローは返事した。








エマ・アーリーバード。
ダスティ・アッテンボローと同じ歳の幼なじみ。
バーラト星域最大手民間放送局のアンカー・ウーマンを務めているらしい。
5年前はまだそれほど有名な女性ではなかった。
だからこそ彼女は自分のキャリアにこだわったんだろう。

ともに育ちファーストキスの相手でもあるし初めての女性でもある。
話はあったし相性もあったと思う。
彼女。
恋人だと思っていたしそれはアッテンボロー一人ではないと思っていた。
彼女。
5年前イゼルローン要塞に赴任するときに一緒に来るかと聞けばいかないといったエマ。
「ダスティ、私もっと仕事がしたいの。」



それきり会わなかった。
昨日の夜彼女から電話があった。
「ダスティ、帰ってきたのね。仕事抜きでいつなら会える?」
「ハイ。エマ。・・・・・・君の方が忙しいだろう。今やときめくアンカーじゃないか。恋人は元気?」
電話口で幼なじみは笑った。
「別れたわ。とっくに。ダスティの方がずっといいわ。多分ね。それを今後確認しない?」
エマは美しい。
幼いころからかわいい子だった。
まっすぐの黒髪が印象的で肩までしか伸ばさない。切れ長の黒い眸。アイラインを入れなくてもくっきりとした眸。ナチュラルなメイクで十分美しい・・・・・・自分の美しさを十分知っているエマ。
「相変わらずだね。エマ。」
ネクタイをゆるめてアッテンボローはフラットの寝室で彼女と電話で話をした。
クールで知的な美人のエマ。
「そうね。あまり変わらないわ。それほど成熟もしていなければ成長もしてないエマよ。もう私に懲りた?ダスティ・アッテンボロー。」
軽率で馬鹿なままのエマよ。
「正直なところも変わらないね。明日は親友の結婚式なんだ。それが終わってからなら時間は空けられるよ。・・・・・・君を嫌ったことなんてないんだよ。おれはね。」

私もよと彼女はいわなかった。
「ホテル・エリダラーダのラウンジで会わない?嫌ならいやっていって。諦めてあげるから。」
1900時にいくよとアッテンボローはいった。
「ありがとう。ダスティ。あなたに会いたい。」
今度はアッテンボローがわずかに黙った。
おれはずっと会いたかった・・・・・・。



そんな会話のやりとりを思い出してだから二次会には参加できないんだとユリアンにいった。
「義理を欠いて申し訳ない。」
アッテンボローは若くりりしい新郎にいった。
「デートなら仕方ありません。」
デート。

今でも嫌いではない。
一度として嫌いだと思ったことなんてない。
振られたのは自分だとアッテンボローは思っていたから。彼女の別れた恋人より自分がよい男に映るかどうかわからない。取り繕うつもりもない。あまりにお互い知りすぎた。
エマの腰の三つのほくろも冷たい顔立ちも怒ると手がつけられない位のヒステリーを起こすところも・・・・・・そのあと背中に抱きついてくるかわいいくせも。

嫌う理由なんかなかった。
1900時までに礼服を着替えて少し砕けたスーツに着替えるとしよう。彼女が好きだといっていた香水はもうない。シャワーを浴びて縺れた髪を何とかして。



ホテル・エリダラーダのラウンジのスツールには5年前別れたまま美しいエマがいた・・・・・・。

My beautiful lover