宇宙は一つの、劇場。・4


彼のベッドの隣にベッドと執務をする机がある。



フレデリカ・グリーンヒル・ヤンは習慣となった書類作成と署名を一通りすませ・・・・・・その間でも夫に声を

かけるのを忘れない・・・・・・職務を終えた彼女は体を休める準備をしていた。

起床後にベッドメイクをしているのでいつでもきちんと彼女が眠るベッドは清潔に保たれている。



新年のパーティが今夜終わったばかり。










ヤン艦隊の幕僚であるエドウィン・フィッシャー中将、フョードル・パトリチェフ少将そして薔薇の騎士連隊長

代理であるライナー・ブルームハルト中佐の死を悼む意見もあったが、眠れる司令官ヤン・ウェンリー元帥

ならば祝えるときに祝いはしようと言うような気がしてフレデリカは新年のパーティの準備を進めるようにキャ

ゼルヌ中将に年末から依頼をしていた。アレックス・キャゼルヌは小指一本でその程度の準備は万端に整

える能力がある。もっともオリビエ・ポプラン中佐などはすぐに拿捕(だほ)されてその仕事を手伝わされて

いた。



当然、彼の麗しの妻・ダスティ・アッテンボロー・ポプラン中将もおまけについてくる。

また今回のパーティ開始後姿を現さなかったのを見ると・・・・・・。

フレデリカは少し、笑った。









まだ彼女がヤン・ウェンリーの副官であったころ。幼いユリアン・ミンツ少年とイゼルローン要塞で新年の

パーティの準備をした思い出がよみがえる。100フロアをオープンにして花火を用意した。イゼルローン要

塞の軍人及び民間人の成人に一人に一本のシャンパンを用意するのも大尉だったフレデリカと、軍属で

あったユリアンが手回しをしたものだ。まだそのころ要塞事務監を約束されていたキャゼルヌは要塞に赴

任していなかったからだ。



パーティでは夫・・・・・・その当時は上官であった彼が二秒のスピーチをして開会の辞とした。



始まってしまうとフレデリカは急いで三人分の食糧の確保に努めた。

きっとこんな大騒ぎのパーティの中でヤン家の二人は食事にありつけないと思った。今のユリアンならとも

かくまだあのころ14歳の彼は背が低くて小さかった。これだけのひとである。大人に紛れて店で食べ物を

買うことはできないであろうとフレデリカは思って綺麗な淡いピンクのシフォン・ドレスを着ていたのだがケー

キとローストチキンを買って、幾人もの酔漢から身を守りながらやはり放浪していた少年と敬愛する上官で

あったヤン・ウェンリーを見つけ手渡すことができた。

買ったときは包装されていたケーキもローストチキンもあまりの人混みで袋が破れて。



渡すのも恥ずかしいが飢えているヤン・ウェンリーはもっとかわいそうで。



どんなに着飾っても。

といってもフレデリカは副官時代、ヤンの前でドレスアップしたのは二回だけ。父ドワイト・グリーンヒルとユリ

アン少年とヤンと三人で食事会をしたときと新年のパーティの二回。

しかしどれだけ綺麗に着飾ったつもりでも上官から綺麗だねとお世辞を言われたことはない。

フレデリカは自分に女性としての魅力が欠けているのかとばかり思っていたのだが結婚してはじめて

「君のことが本当に綺麗だと言えたらいいなと思っていたけれど上官と副官でセクシャル・ハラスメントに

なってしまうのではないかと思って言えなかった。」とヤン・ウェンリーはまじめな顔でフレデリカに言った。



結婚してから。

いや、シンデレラ・リバティにプロポーズを受けてからはヤンは二人だけのときは遠慮することなく愛の言

葉や美しき伴侶への賛嘆を怠ることはなかった。その言葉はとても洗練されているとは言えない。だがフ

レデリカにはそれで十分だった。彼はフレデリカの前では何も取り繕うことはなかった。のびのびと昼寝を

愉しんだり本を読んだり・・・・・・妻に甘えたりした。

監視付きの新婚時代だった。けれど夫は悪戯をする子供のような笑みを浮かべて言う。

「ミスター・レンネンに見せつけてやろう。」とたまにキャゼルヌ家から帰る道を手をつないで夜空を見なが

ら歩いた。








今もまだ彼のてのひらはあたたかい。

何度か。

何度か泣こうかと思った。

生きている。

だけれどいつになればまたあの笑顔を見ることができるのだろうと悲嘆に暮れて崩れ落ちそうになる自

分を自分で支え続けた。

夢を殺してはいけない。

ヤンは、必ず帰ってくる------。

唇をかみしめてフレデリカは毎日今日まで過ごしてきた。

震える声で夫に愛を語った。涙をこらえて言葉をつまらせ、夫に話しかけてきた。



毎日の出来事を話して思ったことを彼の耳元で囁いた。






帰ってくることのない返事に幾度も光が見えなくなった。



絶望しそうになると必ず女医がフレデリカを支えた。

アッテンボローやポプラン、コーネフ夫妻、ユリアンやカリン。キャゼルヌ一家。メルカッツとシュナイダー。

シェーンコップまで。



誰もがふらりとここに・・・・・・ヤン・ウェンリーの眠れる部屋にやってきては懐かしい話や愉快な話をした。



アッテンボローとポプランが来れば女性提督の方は学生時代の思い出話をしてポプランは決って惚気を

言う。

コーネフは父親になる気持ちを朴訥な様子で話しテレサはいつも隣にいた。

ユリアンはときどき言葉につまってしまうときもあったがやっぱり未来なんとかロ王朝と講和がかなわないか

ヤンが今起きているかのように教えを請うた。

カリンはヤンと数回しか話していないから主にフレデリカにいろいろと差し入れを持ってきては「男って・・・・

・・」と少女なりの男性論を彼女に語った。

キャゼルヌはときおり嗚咽をこらえようと話がとぎれる。そうするとマダム・キャゼルヌが「あなた。いい年を

して。娘たちに笑われますよ。」とこのときばかりは夫に優しくなり微笑んでハンカチを渡した。いつも夫人は

綺麗な花を見舞いに持ってきた。

メルカッツはユリアンの成長や戦局を短く述べる。

シェーンコップは女医をからかいに来るついでに・・・・・・「まあ、何はともあれ早く起きてください。今度は

死ぬまで働いてもらいますよ。」と眠るヤンに一言言って帰る。



こうやってフレデリカは宇宙歴801年1月1日を迎えたのである。

夫の前で悲嘆に暮れた涙を流したことはない。

ヤン・ウェンリーは眠っている。

けれど彼の意識は存在するのだ。






女医はパーティででた急性アルコール中毒患者や喧嘩で怪我をするものの対応に忙しく昼も夜もない。

さらにテレサ・ビッターハウゼン・コーネフの陣痛がようやく始まった。年内に生まれると思われていたの

だが1月1日の2235時から分娩室に運ばれている。女医がいつ休んでいるのか近くにいてもフレデリカは

掌握できなかった。











床ずれを起こさないように夫に寝返りをさせる。

これもいつもの習慣。

「ウェンリー。今日はあなたがいないから私がスピーチをしたのよ。」

フレデリカも夫に習っているのかスピーチが短い。

「八月の新政府」樹立の際も多くを語ってはいない。

自分もヤン家の人間だわとフレデリカはヤンの指にキスをした。






ヘイゼルの眸が大きく見開いた。

動いた。










今、夫の指が動いた・・・・・・。

自分が震えているのかとフレデリカは疑って「ウェンリー、聞こえてる?聞こえているならまた指を動か

して。」と早くなる鼓動を押さえながらできるだけ穏やかにヤンの耳元で囁いた。その彼女の耳に触れる

彼の指・・・・・・。必死に妻の柔らかい肌に触れようと指が動いていた・・・・・・。



何に感謝すればいいのかわからない。

自分で呼吸することしかできない夫が・・・・・・フレデリカのヤン・ウェンリーが自分の意志で右の指を赤子

のように動かしている。漆黒の宇宙にある光り輝く星をつかもうと手を伸ばす乳飲み子のように右の親指と

人差し指を動かしてフレデリカの耳朶をつかもうとしている。









何に感謝すればいいのかわからない。

はじめてフレデリカはまだ眠ったままの夫の前で泣いた。

声をあげて泣いた。

やっと彼は還ってきた。

まだ笑顔を見ることはできない。

声を聞くこともかなわない。



それでもやっと一筋の光がフレデリカには見えた。

確実に、見えた。



日付が変わった未明にフラウ・コーネフの第一子女子を取り上げたあと女医は泣いているフレデリカと右

半身をわずかに動かしているヤン・ウェンリーに気付いた。ミキは軍医とユリアンを集中治療室に呼び出し

て患者の今後の治療方針を話し合った。



キャゼルヌ、アッテンボロー、シェーンコップ、ポプラン、メルカッツだけにこの吉兆は知らせられた。

小さな女医は肩をたたかれて振り向く。









「お前には負けた。」

ワルター・フォン・シェーンコップはミキ・M・マクレインを労う(ねぎらう)意味で言った。

まだまだこれからよと女医は小さな体をうーんと伸ばした。







名前。

「シモーネ・コーネフにしたんだって。テレサの母親の名前を付けたそうだ。」

1月2日の夜も更けて。

アッテンボローは風呂上がりシルクのガウンを着てベッドでポプランの腕枕で囁いた。



これは思い出のガウン。

二人が出会って恋をして・・・・・・結ばれて三日目にポプランがうきうきと「色恋のシーンにちょっとしたシルク

は必要だ。」と二人のために買ってきた。白地に赤い刺繍が施されていてかなり値が張るだろうなあと節約

家だったアッテンボローは呆れもし・・・・・・少しときめいた。









かなりときめいた。

そのあと何をとち狂ったのかこのハートの撃墜王は女性提督と黒髪の司令官の仲の良さを疑って焼き餅を

妬いた。アッテンボローは分艦隊を任されて間もなかったし、ポプランとの恋愛は大事にしたいと思っていた

ので恋に不慣れなアッテンボローは恋と仕事の両立の難しさを痛感していた。彼女にしては珍しく仕事を

遅滞させたのである。それでヤンは困ってアッテンボローにさっさと仕事をするようにと無言の抑圧を与

えた。



痛い視線。



それが恋人同士のそれと考え違いを恋の達人であるはずのポプランがしてしまうのだから人生はわから

ない。ともかく昔から・・・・・・そう遠くはない昔からオリビエ・ポプランはダスティ・アッテンボローのことにな

ると夢中になる。



「悪くない名前だな。是非とも母親に似てほしい。父親に似ると女の子なだけに不憫だ。」

アッテンボローの白桃のような頬を撫でながらポプランは言う。

「そういうな。コーネフに似たって美人で才気あふれる女の子になるぞ。もしうちに子供が生まれたらいい

遊び相手になる。女の子だったらお姉さんになるだろうし・・・・・・男の子だったら・・・・・・縁組みがあっても

いいなあ。」



だめ。

そういうが早いかポプランはアッテンボローの唇に唇を重ねた。

眸を閉じて夫の・・・・・・ポプランの唇の感触をアッテンボローは確認する。彼はキスばかりするのでときどき

唇が荒れている。そんなときは昔ポプランが作ってくれたようにアッテンボローはシアバターを使ってリップ

バームを作っては塗ってやる。アッテンボローも唇は敏感なので市販のものでは荒れてしまう。

そんな繊細な彼の唇。

やわらかくて、あたたかい・・・・・・。






陶然としていると。

「・・・・・・お友達はあっても縁組みはなしだ。ダーリン・ダスティ。いかにテレサに似て美形で聡明であっ

てもコーネフという家の血を持った女の子とポプラン家は縁を結んではいけない。」

アッテンボローのかわいい唇に指を当てて真剣な顔をしてポプランは言う。

「お前さんたちはどうしてこうもひねくれてるんだ。コーネフはお前の一番の親友じゃないか。親友の娘を

嫁にもらうなんてなかなかないことだぞ。」



宇宙には。









宇宙には自らの指揮で親友を討伐しなければならなかった定めの男がいるのだとアッテンボローは思う。

オーディンで出会ったことがあるおさまりの悪い蜂蜜に似た色の髪をした青年将校とも言えるウォルフガ

ング・ミッターマイヤーという男。

いまや歴史の舞台からオスカー・フォン・ロイエンタールは消えた。



そして・・・・・・ヤン・ウェンリーは生きている証を妻に見せた。

生命の限りを尽くして。

宇宙は一つの劇場だと言ったのはヤン・ウェンリー。

このイゼルローン要塞に残った「八月の新政府」を立ち上げたみながもっとも望む奇跡(ミラクル)を魔術

師は新年の祝いなのか見せてくれた。

担当医であるミキ・M・マクレイン退役中佐はまだまだ前途遼遠であるという。

けれど。



「希望は捨てる必要はなかったでしょう。私の一生を費やして必ず彼をフレデリカに還してあげるの。」

本当はヤンはみんなと一緒に闘っているのよと女医は言った。

あの小さな体にどれだけの希望や勇気がつまっているのだろう。

アッテンボローは彼女の生命力を尊敬した。






「母親と娘にはなんの罪もない。二人は清らかで無垢で美しい。・・・・・・でも亭主はだめだ。父親がだ

めだ。とにかくだめだ。」

やれやれ。

むきになって言うポプランにアッテンボローは苦笑して見せた。

こういうときはポプランに逆らっても無駄だ。丸二年半妻をしていればわかる。こちらが相手にあわせてむき

になればアッテンボローのかわいい男はむくれてしまう。多少ごねたところでかわいいに代わりはないが

彼女はポプランが夏の緑の森を思わせる優しい眸を向けてくれる方がすきだ。生まれてきたばかりのフロイ

ライン・コーネフと生まれてもいない我が子のえにしを今からどうこう言ったところで仕方がない。



ヤン・ウェンリーがフレデリカの声に反応して動かせる限り体を動かしたこと。

新しい生命が無事に生まれてきたことの歓びを愛する男とともに味わいたい・・・・・・。






ねえ。

「嬉しいね。」

アッテンボローの一言でポプランは彼女が何を言わんとしているのかわかった。

ああ。



「紛れもなくこれは吉事だ。奇跡でもある。幸福の部類のな。・・・・・・よかったな。ダスティ。」

ポプランはアッテンボローが常に張りつめた思いでヤン・ウェンリーを見つめていたことを知っている。その妻

フレデリカの苦悩や悲しみもユリアンの苦痛もアッテンボローは知っている。色恋を抜きにすればダスティ・

アッテンボロー・ポプランという女はひとの痛みや悲しみを想像できる感受性の豊かな女だ。いつも彼女が

ヤン夫人やユリアンを庇い、護り、支えてきたのは奥底(おうてい)から来る寂寥感や喪失感が手に取るよう

にアッテンボローにはわかったから。



そして・・・・・・ポプランは確信していた。

アッテンボローはフレデリカやユリアンが幸せになることを何より望んでいる。

ポプランはその心のまっすぐさを愛したし今でも・・・・・・未来永劫愛していると言える。









汚泥を突き抜けて咲く蓮(はちす)のように清廉な魂。

そんなアッテンボローを・・・・・・そのままのアッテンボローをポプランは得難きものだと思い慈しみ、愛して

いる。



ねえ。

「知ってた?新年のパーティでユリアンとカリン、ファーストネイムで呼び合ってたらしいよ。」

何も彼女を傷つけないし何も彼女を穢すことはできない。

純粋なやさしさが彼女の笑みから心に伝わる。



「ああ、そうだな。たいした努力もしないで綺麗な女の子が飛び込んでくるのはヤン・ウェンリーだけのお家

芸だと思っていた。ユリアンもそうだったんだな。俺たちが甘い時間を過ごしている間に・・・・・・いてて。

鼻をひねるな。蛇口じゃないんだぞ。奥さん。」



こんな宇宙の果てでさえも。

「新しい風が吹き抜けていくんだね・・・・・・。」

アッテンボローの頬をなぞっていたポプランの少し骨張った指を白い指が絡める。あたたかい体温に触れて

彼女は満足そうにポプランにすべてをゆだねる。それはあどけなくて無防備で。



彼女のすべてを愛する男に安心して任せた女の甘えだった。

ポプランはそんなアッテンボローの手をしっかりと握りしめ体を引き寄せて抱きしめた。









何も心配することはない。

お前のすべてはこのおれが護るから。

お前を一人にはしないから。



言葉に出さない、ポプランの誓い。

言葉に出さない、ポプランの覚悟。



アッテンボローは知らない・・・・・・。









銀河帝国を二分するかと思われた「00二兵乱」とも言われるロイエンタール謀反劇も幕を閉じ、銀河帝国

ではヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢が皇帝ラインハルトI世の子を身ごもり皇帝に望まれて

皇妃として迎えられる。

宇宙は平和と安寧の時代を求めていると思っていた宇宙歴801年、新帝国歴003年。



宇宙は一つの劇場。

けれど幕はまだ下りることはない。

なぜなら光があるところ必ず影が寄り添うのが世の常。

この物語の幕を引くのはまだ少し後のことになる。



by りょう



すっとび野郎です。

回天篇を終えることができました。

本当は閣下の動きは落日篇に持ってくるつもりでしたがあまりにフレデリカが気の毒で。

この状態の場合体の一部を動かすのは割合早いひとは早いとのことでした。むしろこの

あとの方が苦難の道でもあるのですが閣下が生きている。

これが物語の最大の清涼剤になることを願って。


LadyAdmiral