強き者よ、汝の名は女。・4
72時間の喪に服した後、ヤン不正規軍ではささやかに「華燭の典」が執り行われようとしていた。 本来祭りを嫌ったことはない連中揃いであったからイワン・コーネフ中佐とその婚約者の結婚式を 参加するものしないもの、誰もが祝福していた。 美人がひとのものになる祭典が嫌いな「薔薇の騎士連隊」は当然のごとく欠席を決め込んだが 上等な酒を祝儀に贈ったことはいうまでもない。 ダスティ・アッテンボロー・ポプラン提督は式の司会をするべく式次第を復唱し参列者の様子を ホールの前方で眺めていた。 本来人前式の立会人代表になるはずだったヤン・ウェンリーは、新妻フレデリカとにこやかに 談笑している模様。礼服姿のヤンのスカーフの乱れを逐一嬉しそうに直すフレデリカ。 ・・・・・・なかなか甘い光景だよなとアッテンボローは顔には出さず心でほくそ笑んだ。 仲がよいことはよきことだ。 夫婦善哉。 よきかな、よきかな。 「美人の司会殿。なにやら楽しそうなご様子ですなあ。」 亭主のオリビエ・ポプラン中佐がひらりと立ち姿まで美しい彼の愛妻であるアッテンボローの そばに近づいた。 「相変わらずいい香りがする。小生の奥方は。」 と誰が見ていようがいなかろうがかまわずに彼女の唇に羽のように軽くキスを落とした。 不意にキスされるのはもうなれているのについアッテンボローは真っ赤になって眸をまん丸に して恥じる。 「・・・・・・さっきキスしたばかりだろ。バカ。」 きらきら孔雀石の色の眸を輝かせてアッテンボローにくっついてくるポプランに彼女は一応 抗議をしてみた。 無駄に終わると思うが。 だって。 「だってダーリンがあまりにかわいいから。いやかわいいというありきたりな言葉では説明できない。 禁欲的(ストイック)で白い礼服を身につけている姿が「アンネマリー!」の白薔薇のようで・・・・・・ 唇がつややかで・・・・・・ついつい誘われちゃうんだよな。俺って誘惑に弱いから。お前には無抵抗で お手上げ・・・・・・。」 と無駄どころか逆効果で女性提督はまた甘い接吻けを賜った。 こら。 「こら。お前さんの盟友の結婚式の前に不謹慎だ。」 アッテンボローはグロスを気にしてポプランを軽くにらんでみたものの。 「宇宙一仲むつまじい夫婦が司会と立会人代表を務める式なんだ。縁起がいいじゃん。ね。」 ねじゃないとにこにこ微笑むポプランの鼻をアッテンボローは軽くつまんだ。 そんな二人の背後にはいつのまにやらアレックス・キャゼルヌ要塞事務監殿が軽く咳払いを して、 「困ったものだ。」と呟いた。 そのせりふは。 「あそこにおわす参謀長閣下の専売特許だと思っていました。」 アッテンボローは渋面で二人をにらんでいる士官学校時代からの知己であるキャゼルヌに やんわりと微笑んで軽口をたたいた。場が和むかと配慮したのである。 くだんの参謀長閣下は参列者の席でエドウィン・フィッシャーとフョードル・パトリチェフらと 開会を静かに待っている。 しかめ面のままでキャゼルヌはポプランの首根っこを押さえていう。 「お前さんたちのお目付役はあくまでも俺なんだとムライ中将に仰せつかってるんだ。 うっかり媒酌人などを務めたせいでな。台風の目のようなお前たち夫婦の面倒を見るのは 骨が折れる。今日はとにかく真剣に、厳粛かつ荘厳な軍人らしい式典にしてくれ。」 厳粛だとか、荘厳だとかっていうのは。 「なんだかうちの艦隊には不似合いな無粋さだなあ。そもそも軍人らしくって現在の 小生たちははみだし集団にすぎないじゃないですか。政府からなにがしかの給金を もらっているわけでなし。もっともエル・ファシル独立政権だとかフェザーン商人から 金銭を頂戴するってのもぞっとしますね。」 などとポプランがいうものなら。 「ばか。コーネフが結婚する相手はメルカッツ提督麾下のれっきとした女性士官だ。 表にはおでにならないが、間違ってもメルカッツ提督の威信をおとしめる式典になど するなよ。ヤンからはそう釘を刺されているんだ。」 いろいろと注文が多いんですねえとアッテンボローは呟いた。 「まさかまたエル・ファシル独立政権からつつかれてるんですか。」 翡翠色の眸を怜悧にきらめかせてアッテンボローはキャゼルヌに問うた。 何かと干渉を強いてくる政府のお歴々には女性提督も多少辟易していた。もちろん 一番困っていたのはヤン・ウェンリーであったけれども。 「まあ、もとからドクター・ロムスキーはメルカッツ提督に大きな信頼を寄せている 訳ではないから仕方がない。うちの司令官閣下はメルカッツ提督に任せられる仕事は 全部任せたいくらい信頼を寄せているが、そんなヤンのこともドクター・ロムスキーは どうもお気に召さないようだ。」 もともと敵将であったウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツという男が亡命してきた折 戦力が増えると小躍りして喜んで迎えたヤンは、かなり奇特な人種である。 「ヤン元帥には国境は関係ないですからね。」 ヤン・ウェンリーのおおいによい長所はナショナリズムに固執しない性質であると普段から 女性提督は思っている。 「キャゼルヌ中将のおっしゃる意味は十分私は理解しているつもりです。文句のつけようの ない司会を勤め上げて見せましょう。」 と恭しくアッテンボローはキャゼルヌに請け負った。 「・・・・・・お前さんのことはそれほど心配じゃない。問題はこいつなんだよ。」 と首根っこを押さえたままキャゼルヌはポプランを横目でちらりと見据えた。 「美女の流し目なら大歓迎ですけれど、だんなのそれじゃ風情がないですね。いっこうに そそられません。」 「ばか。」 だからお目付役が必要なんだとアレックス・キャゼルヌはさらにいっそう強く ポプランをにらみつけた。 「コーネフの結婚式だからといってふざけたまねだけはするんじゃないぞ。ポプラン。 おつむの悪いフリをするな。今日はおりこうさんでいてくれよ。」 「小生、ふざけたことなどありませんよ。キャゼルヌのだんな。」 脱力。 まあまあとアッテンボローがいたたまれなくなって慰めた。 「オリビエがなにやら危ないことをやらかしだしたら私がちゃんと善処しますから。 これでも私は妻です。だいじょうぶですよ。」 ダスティ・アッテンボロー・ポプランは女性ながらに安定した性格の持ち主である上、 政治のセンスもまずまずなので、キャゼルヌは実に心許ないけれどこの場はもう観念 して彼女の采配に任せることにした。 やれやれ。 「こういうことは本来ヤンが心配すべきことなんだがなあ。」 愚にもつかないせりふを吐いてキャゼルヌは今回も媒酌人として奔走していたので この二人のばかり手間取るわけにも行かないでいったんその場を辞した。 「そもそもだんなは心配性なんだよなあ。あれじゃとっとと白髪になっちまうぜ。」 などとしれっとポプランがいうのでアッテンボローは苦笑した。 女性提督は自分の夫が肝心なときには頼りになることを一番よく知っていた。 やがて、結婚式が始まる。 アッテンボローたちの時のような豪奢な式はいまの状態では望めない。 けれど花嫁は楚々として白いベールとシンプルではあるが美しい体に沿う純白の ドレスに身を包んで、隣の端正な面持ちをした新郎の腕をとり会場に入場してきた。 ポプランは思った。 美しい花嫁がいれば男はただの付録にすぎないなと自分、ヤン、コーネフと三人の 花婿をいささか哀れに感じ入る。 ポプランの花嫁は・・・・・・文句なしに極上の美貌を誇っていたし、いかによき引き立て役を うまく務めるのかが「亭主の裁量」だなあと感慨深さが胸に去来していた。 いささか的はずれで、いささか場違いな思惑である。 場内では祝福と花嫁姿に拍手とさざめきがわき上がっていた。多くの人数は集まって いないがコーネフもその妻になる花嫁、テレサも華美で装飾の多い挙式はもとより 望んではいなかった。 二人の性質からいって質素であっても心温まる記念の式典を希望していた。 「これよりイワン・コーネフ、テレサ・フォン・ビッターハウゼン両人の結婚式を開会いたします。 開式の言葉と人前式の説明をオリビエ・ポプラン中佐にお願いいたします。」 綺麗に通るアッテンボローの声にみなわずかに緊張した。 オリビエ・ポプランがいたずらをしないか。 コーネフとテレサは静かにポプランの言葉を待った。 会場はしわぶき一つなく、静まりかえった。 「イワン・コーネフ中佐とテレサ・フォン・ビッターハウゼン中尉両人の結婚式を開会いたします。 僭越ながら両人の婚姻立会人代表人といたしまして人前式の簡単な説明と祝いの言葉を のべさせていただきます。」 オリビエ・ポプランはいたずらをしなかった。 普段はのらりくらりとアッテンボローの尻を追いかけるのが生き甲斐の男であっても、曲がりなりに もとは同盟軍中佐である。 もの怖じることもなくすらすらと人前式の概略を短く明快に所作も言動も乱れなくポプランは 言ってのけた。 ああ、安心だと会場内のみなが得心した頃合いにオリビエ・ポプランはそれまでの柔和な表情を ただして厳粛な面持ちで僚友のイワン・コーネフを見ていった。 「おい。コーネフ。お前さんは誓えるのか。妻を愛している。妻がいなければコンマ01秒も 生きていけない。妻と出会うまでの時間すらとりかえして妻と恋したい。何度生まれ変わっても 妻以外の女はいらない。妻を全力で守り抜く・・・・・・このすべてをこの善良なる人々を目の前に して誓えぬくらいなら、結婚などやめてしまえ。誓えるんだろうな。」 とうとう爆弾は破裂した。 けれども。 不思議とポプランの言葉は素直に皆の心にすうっと入り込んだ模様で誰もが新郎のコーネフが なんというのか次の言葉を待ってしまった。アッテンボローは式次第がめちゃくちゃになったにも かかわらず、かわいい夫の言葉を心の中で反芻した。 「もちろん、誓う。彼女以外の女性はいらない。」 まったくもって式次第からかけ離れた立会人代表の言葉であったけれどイワン・コーネフも その程度で心が動くたまでもない。 まず一人、会場内から手をたたいて祝福する声が上がった。 ヤンである。 隣でフレデリカも微笑み白魚のような美しい手をたたいている。 メルカッツも穏和な笑みを見せ手を打ち、小さな会場に集まった来賓の大きな祝福の拍手 喝采が高まった。 結果。 やはりヤン・イレギュラーズは祭りが好き。 うれしいハプニングも、好き。 ひととひとの、やさしいつながりが好き・・・・・・。 アッテンボローは特に何もなかったかのように「では、誓いのことばを。イワン・コーネフ中佐、 テレサ・フォン・ビッターハウゼン中尉二人から参列者へ結婚の誓いの言葉を・・・・・・。」と 見事軌道修正をして式次第の通り事を運んだ。 以後二人の結婚式は滞りなく行われ、披露の宴に無事切り替わった。 「65点。」 「ええ。なかなかいい立会人挨拶だったでしょう。過小評価だなあ。だんな。」 披露宴でアレックス・キャゼルヌはポプランとアッテンボローと三人で祝いの酒を酌み交わして いた。 「今回アッテンボローは105点をやる。その代わりその亭主には65点で十分だ。ちっとも 俺が言ったような「厳粛かつ荘厳な軍人らしい式典」とはいえない。だが。」 あちこちから花嫁花婿におめでとうとシャンパンで乾杯していくひとびとや、当人たち、 ヤンやメルカッツの様子を見てキャゼルヌは言った。 「個人的には悪くはないスピーチだった。だから及第点の65点。」 ポプランはきびしいなあ、だんなはと不敵に微笑んで上等なシャンパンを口にした。 キャゼルヌがいなくなってにぎやかな会場で二人になるとアッテンボローはふふとかわいらしい 笑みをこぼした。 なあ。オリビエ。 「妻を愛している。妻がいなければコンマ01秒も生きていけない。妻と出会うまでの時間すら とりかえして妻と恋したい。何度生まれ変わっても妻以外の女はいらない。妻を全力で守り抜く ・・・・・・これってお前自身の気持ちなんじゃないのか。」 蒼い宙(そら)いろと翡翠色の混ざるひとみがいたずらっぽく微笑んだ。ポプランの顔をじっと のぞき込んで。 「もちろん。」 そういうとポプランは女性提督の唇にキス一つ。甘く、やさしいキス。 女性提督の腰を引き寄せて耳元でささやく。 そう。 周囲の視線などお構いなし。他人の結婚式であろうとお構いなし。 「もっとはやくお前と出会いたかった。少女時代の生意気盛りのお前に恋したかったし、跳ねっ返りの 士官候補生時代のお前とも出会いたかった。本当に出会っていなかった時間を巻き戻してお前に 出会いたかった。恋して大事にして・・・・・。離さない。何度生まれ変わっても、やっぱり俺はお前と 生きていたいな。・・・・・・おいおいくすくす笑ってるけど、こっちは本心を告白してるんだぞ。奥さん。」 耳元でささやかれるとくすぐったくてアッテンボローはついつい笑ってしまうのだけれど。 本当はアッテンボローとて同じ気持ちだった。 何度生まれ変わっても・・・・・・・生まれ変わりというものがあればの話しだがこの男を愛する だろうし甘えたり、すねたりしながら・・・・・・・それをあの手この手を使ってなだめようとする ポプランを愛しく思いつつ・・・・・・無茶で無節操で無鉄砲なこの男に腕を引かれながら生きて いたい・・・・・・。 イゼルローン一の賢者であり影の強者であるマダム・キャゼルヌからアッテンボローが結婚するとき 賜った言葉。 「ダスティさん。世の亭主というものは、ときどき馬鹿なことを言ったりしでかしたりするけれど、 黙ってついていくとまずまず機嫌よくことが進むものですよ。」 いまもその言葉に間違いはないとアッテンボローは確信している。 ポプランの生きている限りそばにいられる限り、彼をかけがえのないものとして慈しみたいと アッテンボローも夫同様、思っていた。 「mee to」 そう小さな声でポプランにささやくとグラスをかちんとあわせてシャンパンを一口。 そして。 人が見ていようが、見ていなかろうが。 アッテンボローはポプランの唇にキス一つ。 耳まで真っ赤な女性提督はすっかりハートの撃墜王殿の色に交わってしまっていた。 朱に交われば、何とやら。 「あのお二人を蜜月と呼ばずしてどなたを蜜月と呼べましょうか。」 ユリアン・ミンツ中尉はキャゼルヌと祝杯を挙げてヤン夫妻の邪魔をしないようにつとめていた。 「結婚して数年もたつのにいまだに新婚気分が抜けきらない。落ち着きのない奴らだ。 ・・・・・・・ま、仲が悪いよりは遙かにすばらしいことだがな。」 と、口汚い媒酌人殿は素直で聡明な青年に本音を呟いた。 キャゼルヌはヤン夫妻を見つつユリアンに言った。 「あの凶報ですっかりヤンがしょげてしまいどうしたものやらと思いもしたが、もうずいぶんと 元気を回復した様子だし。今後を考えればまずよかったといえる。」 「今後のことですか?」 ユリアンは小首をかしげるというような少年らしい癖がようやく抜けて、まじめな面持ちで 要塞事務監のわずかにまじめな横顔を見つめた。 「祝いの席でこんな話しは野暮も承知だがお前さんだから言っておこう。ビュコック元帥が おられぬ自由惑星同盟・・・・・・いや同盟軍の最後のエッセンスはいますべてヤンが掌握している。 皇帝ラインハルト一世はいたくうちの司令官殿を気に入っておいでのご様子だから・・・・・・。」 後は言わなくてもわかるだろうとキャゼルヌは言葉を継がなかった。 全面対決・・・・・・。 いや、そんな大仰なことをいえるほどヤン艦隊に軍備はない。 青年は確かにヤンの存在自体がこのすべてをになっていることに改めて気づかされる。 みなが祝い、幸せを願い自由に生きるこの生活の土台はすべてヤン・ウェンリーが護っていると 言っても過言ではなかろう。 ユリアンはつくづくもっともっと、ヤンの力になりたいと願う。 そんな真摯な表情を見てマダム・キャゼルヌとアッテンボロー、ポプランがユリアンの周りを囲んだ。 「いつでもどこでも苦労性なつらをしてるなあ。ユリアン。」とポプラン。 「いつでもどこでも仲がよろしいことですね。ポプラン中佐。」 あたりまえだ。 「自分の女房を亭主が大事にして何が悪い。」 と、ポプランはえらそうにユリアンに言い切った。 えらそうに言うなとキャゼルヌは言う。 しかしまあ、とキャゼルヌは居並ぶ面々を見渡して「まさに結婚ラッシュだな。最前線で本当に 酔狂なことだ。」と苦笑した。 次はベビーラッシュかなと言おうとしたが隣にいるオルタンスは、もうすでに次に夫が言う言葉を 予測していてよけいなことを言えば、またひじ鉄を食らわすつもりでいる。 それがわかる。 何せ長く夫婦をしているのだから。 赤んぼうのことは授かり物であるし他人があれこれ言うものではないとさすがのキャゼルヌも 口をつぐんだので、オルタンスはにっこり微笑んだ。 強き者よ、汝の名は女。 さまざまな男女が様々な結婚をし、様々な恋をして・・・・・・。 今日ばかりは寧日、安寧のイゼルローン要塞であった。 by りょう 久々の更新です。 後日訂正を入れるかもですが・・・・・・一応終了と言うことで。 どうもポプランやキャゼルヌが出てくるとうちの娘はあんまり話しをしないので困ります。 |