本当は僕のためだから・4



寧日、安寧のイゼルローン要塞。



秋の入り口のころにハイネセンから超高光通信(FTL)で、ある一つの人事令が発令された・・・・・・。



ヤンは幾度も、フレデリカが数えた数では60回彼女の前を往復している。

しかも時折大きなため息を漏らす。ベレー帽をもみくちゃにしてみても始まらない。

ベレーを締め上げる。・・・・・・本国の誰ぞの首を思い浮かべての行動にも思える。

悪態をつくのであるがフレデリカ・グリーンヒル大尉の心配そうな表情を見てそれも途中でやめる。

仕方なくヤン・ウェンリーは副官殿に人事の発令をするので当人を呼ぶように頼んだ。



ユリアン・ミンツ准尉を少尉に昇進。10月15日までにフェザーン駐在弁務官事務所付き武官として

赴任せよという辞令。



ユリアンはもう16歳の少年になっていた。

ヤンはその成長を本当に心の支えにしていたのである。分別もあり頭もよいできのよい子で

保護者として大事に育ててきたつもりだった。



けれどこの辞令に関しては少年は大人ではなかった。こんな人事は断ってくださいと少年は

被保護者に言う。保護者は困ってお前は軍人なんだからとなだめると、じゃあ軍属に戻りますと

少年は言う。彼は確かに聡明で年齢よりも成熟した部分が大いにあったけれど、

ユリアン・ミンツはヤン・ウェンリーのことになると「普通の子供」に戻るときがある。

保護者はすっかり被保護者の大人振りを買いかぶっていた。



ユリアンのことをヤンが大事に思っている以上に、少年は保護者を尊敬しあこがれ

いつも必要とされていたいと思っていた。しかしこの人事で少年は今後始まるであろう

ローエングラム公との会戦には参加できずフェザーンという未知の領域に出向くことになる。

これではつまはじきだと少年は思っている。



少年はヤンの側にいることで自分の存在意義を認めている傾向が大きくその点の考慮が

保護者には少しかけていた。



本部の命令ではなくヤン司令官の命令でならいきますと慇懃無礼に亜麻色の髪の少年は

ぎこちなく言うと執務室を足早に出て行った。

ヤンから必要のない人間と思われたのではないかと誤解をしているのだとフレデリカは

上官に言った。フレデリカは少年の気持ちがよくわかった。

人事とはそういうものではないと司令官閣下はしどろもどろとなにやら呟いたが、席を立って

少年と話し合いをしてくると出て行った。

副官殿は残って司令官閣下が残した仕事を能率よく片付けていった。

きっと話し合いはうまくいくわと内心で信じて。



ユリアンは話せばよくわかる子だ。



ヤンは公園のベンチでうつむき座っている少年を見つけて声をかけた。ユリアンもさっきは

子供じみたことをいったと思っているのか素直に話に応じた。

缶ビールを片手にヤンは少年に語りかけた。

ヤンとしては以前から誰かをフェザーンやよこしたかった。それがまさか自分の大事な養子とは

思わなくてついぞ戸惑ったが。



「・・・・・・本当は私のためにフェザーンへ行ってほしいんだ。」



実のところ少年はイゼルローン要塞こそ今後の本舞台だと思っていたが、ヤンは全然違うことを

口にした。ローエングラム公のこのところの動きをみれば、じつはキーポイントはフェザーンなのかも

しれないと思っていることを少年に語った。少年はヤンが話す言葉を聞きながら、



ローエングラム公とフェザーンが結びついているのですかと小さな声で驚きつつ口にした。

正解と彼の保護者はやはり優秀な子だと改めて、少年の存在の大きさを感じた。



お前が必要じゃないなんてことはないに決まっているよ。ユリアン。お前と会話を交わすことで

どれだけ私は精神的に活性され、安らぐか。私だって軍人じゃなければお前を手元におきたい。

ずっと・・・・・・それはお前が結婚でもすれば無理だけれど、お前と生活し職場で会話をする

・・・・・・それはとても大事なことなんだ・・・・・・・。

などとヤンは思いつつ。



フェザーンがローエングラム公と手を組むメリットがじつはヤンにはわからないままでいた。

自由惑星同盟と銀河帝国。この二つが勢力争いをしている。フェザーンとしてはその二大勢力が

拮抗している場合は長く戦争をさせて二つの勢力の国益をそぐに有益がある。

しかし今日の状況では銀河帝国の勢力のほうが大きいとなれば、ファザーンは自由惑星同盟を

亡ぼそうとするだろう。銀河帝国と組して。



そこまでヤンが言うと少年は、それではフェザーンが銀河帝国にのっとられる可能性だってあります

という。その通り。

だからヤンもじつはフェザーンの利益がよくわからないままでいた。政治的存続を求めていないだけ

なのか。では何を求めているのであろうかと思案しているのはそこであった。



少年はイデオロギーや宗教ということもありませんかと言葉にした。ややあてずっぽうではあったけれど

ヤンはそういう側面は大いにあるから自分の考えをこれだけ理解しているユリアンならば、かねてより

信頼できる有能な人物をフェザーンに送りたいという思いもかなう。勿論心配はある。



少年はやっとヤンの手伝いができることを理解して今度は爽やかに、フェザーンへ行くことを

告げた。



それに、とヤンはいう。



あらゆる側面から事象を見つめる視点を持つうえで今回のフェザーン行きは少年に

有意義なことでもあると。

ローエングラム公は善政をしいている。この勢力に向かう自分たちは「悪」と評価を受けることも

大いにありうるのだという。

少年は自分の敬愛するヤン・ウェンリーが悪人になるなど信じられぬことであったが、あらゆる

角度からものを見る目を養うことは大事なのだと肝に銘じた。



少年は多分まだ自分より背が低い。自分よりは運動神経に恵まれた子だし大丈夫なのであろうが

護衛をつけないといけない。それに少年の自己防衛能力をシェーンコップ少将にも聞こうと

思っていた。



キャゼルヌ先輩は一つだけいいことをしてくれた。



ヤンは思う。ユリアンを自分に引き合わせてくれたこと。少年はこの黒髪の司令官にとって

欠くことのできぬ人物なのだ。仕事においても私生活においても。15歳の年の差の聡明な

少年を自分のもとからこんなにはやく手放すときがくるとは。



もしもユリアンがフェザーンを見て同盟よりそちらにすみたいというならそうすれば

いいかもしれない。我々が完全な正義ではありえないのだし・・・・・・と日が暮れかけた夕暮れの

日差しを浴びた少年を見て、幾度かまぶしそうに瞬きをした。



グリーンヒル大尉とも相談をして護衛にはルイ・マシュンゴ准尉をつけることにした。

彼は口数こそ少ないし温厚な性質だけれど護衛能力はシェーンコップのお墨付きであった。

ヤンとフレデリカが査問会でハイネセンへ呼ばれたときにフレデリカをかばってよく動いた

好人物でもある。ヤンもそれに異存はない。

「ユリアンは大丈夫かな。銃とか、自分でうまく使えるかな。」



などといった日にはシェーンコップは閣下より上ですといった。その言い方では安心できないと

司令官がごねた。自分程度より上なくらいでは困るのだ。ユリアンに何かあれば彼は困る。

もっと直接的評価を求めれば、シェーンコップ少将は口の端だけをあげて怜悧な笑みを見せた。

十分自分の身を守るほどの腕はあるでしょうと少年が陸戦でも優秀であることを告げた。



ヤンはよかったとも思うしまだまだ心配でもあった。



それにしてもハイネセンの連中は姑息なことをするんだなと作為を感じながらも、

ユリアンには軍部の「トリューニヒト派」をうまくかわすことを期待していた。

あの子は才覚があるからそれ位のことはできるとヤンは信じているし実際、

ユリアンはできる子である。

ビュコック宇宙艦隊司令長官に「親書」を書き、これをフェザーンに行く前に本国に立ち寄る

ユリアンに直接手渡してもらうように用意した。親書の内容は大きく

「ローエングラム公とフェザーンが結託したこと。」

「ローエングラム公はイゼルローン要塞を襲うと見せかけてフェザーン回廊をもってハイネセンへ

大遠征を仕掛けるであろう。」との見解を述べたみた。



ラインハルト・フォン・ローエングラム公の配備した警備網をいとも幼帝を誘拐した者たちは

突破した。ラインハルト・フォン・ローエングラムは無能ではない。そしてその後に「宣戦布告」。

これは作為を感じる。このことはビュコック大将なら理解を示すであろうとヤンは考えた。



ふと恐ろしいことに思いつく。

フェザーンは銀河帝国の「補給基地」になりうる・・・・・・。アムリッツァの愚行など

ローエングラム公の戦略構想にはないのだ。

ますます手詰まりな状況でヤンは一人考えている。周囲はヤンがユリアンをあっさり手放した

ことをからかうが・・・・・・。その次元のことではなく本当に彼はいま自分に残っている手が

あまりに少ないことを痛感した。







つんと肩をつつく人間がいる。これはあいつに決まっている。



「・・・・・・アッテンボロー。そういう子供じみた真似はよしなさい。」

廊下を歩いていたヤンは後輩の女性提督をにらんでみた。・・・・・・あまり効果はない。



「ユリアンなしで先輩大丈夫ですか。いさぎよく送り出すんですね。ユリアンがいないと

私もさみしいなあ。」と彼女は隣に立って3センチほど低い自分の上官を見る。

「お前にはポプランがいるだろ。・・・・・・恐ろしいことを考えついたよ。ますますお前には分艦隊を

任せないといけない。」

ヤンは散々握りつぶしているベレー帽をまたつかみそうになるが、先日ユリアンが綺麗に整えて

くれたことを思い出して、やめた。



「先輩。分艦隊は引き受けますから。せいぜいあの金髪の坊やを戦場に引きずり出してくださいね。

それしかないでしょ。」

勘のいいやつだなとヤンは思う。大体彼女は自分の戦略構想、戦術などかなり近いところを読んで

動いてくれる。個人としては彼女はもうひとの奥方であるし、幸せな結婚生活を送るために家庭に

返したい。けれどここまで何も言わずとも察する智謀は、今手がないときに必要不可欠であった。



「そのためには帝国の諸将と総当りするんだよ。言うのは簡単だけれど実行するには難儀すぎるよ。

いい知恵はないかな。アッテンボロー。」

残念ですが「先輩以上の知恵なぞそうそう出ないですよ。奇策でも講じて諸提督を叩きのめすこと

でしょうね。自分の幕僚がヤン・ウェンリー一人にしてやられたと苦い汁でも飲まされれば

ローエングラム公は出てきますよ。」

女性提督はいうけれどそれが難しいのになとヤンは思っている。



「さっき、恐ろしいことを考え付いたっておっしゃったでしょう。一人で考えないでいっておいて

ください。」と彼女は上官に言う。

「やっと少しは知恵を貸してくれる気になったのかい。」と浮かれた上官に女性提督はにべもなく。



「先にしっておいたほうが突然恐ろしいことに巻き込まれるよりいいじゃないですか。そなえあればってやつ

ですよ。古い格言でしょ。」

と綺麗なウィンクをされた。猫背が余計に猫背になるヤン・ウェンリーであった。



こういう話は廊下で歩きながらのほうがいいのでヤンは隣の女性提督に言う。

「アムリッツァで私たちはどうして破れたんだったけね。」

「補給をやられたからですね。フォークとか言う無謀な男に踊らされたせいです。」

ローエングラム公は、この要塞を狙っていると思うかいといわれ、アッテンボローはふと考える。



「やっぱりフェザーンを進攻するんでしょうかね。あれだけ手ごまがあればこの要塞に

一個艦隊を配備すればいいでしょ。先輩だって艦隊数があればそういう大きな大遠征を

するはずです。いまどきイゼルローンを押えたところであの坊やには関係なしって

思ってるんじゃないのですか。」



ああ。ユリアンといいアッテンボローといい。婦女子に頼らざるを得ない自分の処遇に

ため息をつく。「お前、よくわかってるね。じゃあローエングラム公はこの回廊を使わないと

いうことも理解しているだろうね。」

そういわれて、ええまあとアッテンボローは答える。「だってもう一つしか道はないですからね。」

じゃあねこれは考えたかい。



「ファザーンがローエングラム公を勝たそうとしているとすれば、フェザーンという星自体が

補給基地になるってこと・・・・・・。」

黒髪の司令官に言われて女性提督はあ、とちいさな声を出した。




「・・・・・・すみません。そこまでは。これじゃ先輩が恐いというのも合点が行きます。

うまいことしますね。あちらさんは。」女性提督も自分のベレーをかぶりなおす。



「本来の戦術から考えていけば補給の確保さえ念頭にあれば考えもつくんだろうけれどね。

戦いの天才だな・・・・・・。あの金髪の青年は。政治的にも誰か才能があるものを登用しているか

彼自身が裁量があるのだろう。戦いにおいては彼自身の天賦の才だ。・・・・・・それに引き換え

わが国の人材の乏しきこと。お前が男だったら分艦隊をずっと預けられるけれどそうも

行かないし。ちょっと、困っている。」

同情を引いてるわけじゃないよとヤンはいい、わかってますよとアッテンボローは言う。



「・・・・・・もっと恐い話をしましょうか先輩。」と女性提督は人差し指を自分の額に当てた。

もう恐い話はいいよ。眠れなくなるからと司令官閣下は言う。



「考えてたんですけど・・・・・・うちの軍にも派閥があるじゃないですか。トリューニヒト派としては

本部中央でないイゼルローンにいる先輩がコントロールできないことが歯がゆくてメルカッツ提督を

取り上げようとしたり、今度はユリアンを先輩から取り去ろうとしているのではないでしょうかね。

いずれうちの幕僚を・・・・・・とか言ってくる予感もないではないですね。やや陰謀めいてますけど。」



言われたヤンは一気に血の気が引いた。

「司令官閣下。ひとのワイフといちゃいちゃ話さないでください。」とその重い空気を払拭するかのように

オリビエ・ポプラン少佐が現れた。



「いくらなんでもそこまでひどいことをするだろうか・・・・・・。」といいながらヤンは全く否定

できないでいる。少佐は話を知らないから不思議そうな顔をしているが、女性提督に腕を

とられて彼女に恒例のキスをした。

「つまりね。私はこの男と結婚して正解だったわけですよ。もう中央の連中も私をそっちに

引っ張れないでしょ。彼と離れるくらいなら私、分艦隊司令官なんてやめますからねって

言います。結婚しているので家庭に入るって言えますもん。ね。やっぱり正解だったんだ。」



とますます話がわからぬ少佐の腕につかまって彼女は微笑んだ。



「・・・・・・それを見越した結婚じゃないだろうね。アッテンボロー。」とヤンは軽いめまいを覚えつつ聞く。

そんなわけないでしょと女性提督は言う。

「私は私と彼のために結婚しただけです。ただ運がよかったのは否めないですね。先輩。

あー。なんかすっきりしたな。子供ができるまではがんがん仕事しよ。ちゃんと閣下の力に

なるように善処しますからね。」



あの、と珍しく少佐が遠慮がちにヤンとアッテンボローの両方に言う。

「小生たちの結婚に何か問題でもおありでしたっけ。」



ないよと不機嫌そうにヤンはベレーをぎゅうっと握り締めた。

「少佐。私より君の明晰なる奥さんに聞くほうがいいよ。・・・・・・これでは前も後ろも味方が

いないじゃないか・・・・・・。」と違う通路の交差点でヤンは二人と別れた。



なあ。

「うちの司令官殿、あれで大丈夫なのか。ユリアンのことで落ち込んでいるわけ。」

ポプラン少佐は勤務中であったが女性提督の肩を抱き、彼女の眸を見つめて

尋ねた。

「大丈夫だよ。あれでなかなか打たれづよい人だから。トップリーダーの資質って何か知っているかい。

オリビエ。」とにこやかな顔で撃墜王殿の顔を覗き込む女性提督。

「・・・・・・打たれづよさだろうな。」

うん。大正解といって彼の頬にキスをした。



彼女は夫の手を握って「詳しい話はまた今度ね。」とにっこりと微笑んで言う。

「ともかく俺たちの結婚は問題ないわけだな。」とポプランはつないだその手に唇を落とした。



「うん。問題なんて何にもないの。」とダスティ・アッテンボロー・ポプラン夫人は

えもいわれぬ魅惑的な笑みを浮かべてまだ話が読めぬ夫の顔を見ていう。



アッテンボローは彼女なりにさまざま思いをはせていた。自分のために「トリグラフ」に

夫の6個中隊を配備することが果たしてよかったか悩んだこともあった。

けれどやっぱりこれで万事よかったのだと彼女は思う。思い切って、自分と彼のために

結婚に踏み切ったのは「大成功」だったようだ。



彼女の面持ちがすっきりした様子を見て取ったポプランは、それなら何にも問題ないなと

思いあえて深くその先を聞くことはなかった。彼女がいずれはなすというのであれば

今この場所で聞くよりもそのときのほうがいい。ともかく彼女が笑顔でいられれば。



それで少佐はいいのであった。



宇宙歴798年の夏の終わり・・・・・・秋の始まり。メルカッツ上級大将も自由惑星同盟を本拠地

とした「正当政府」の軍務尚書となる意を決め準備に取り掛かり始めたころである。


fin


 お題配布様




おちなかったねー。

ま、いつものことだもんね。軍事と政治がらみの話だから甘くならないです。



LadyAdmiral