94・粉雪
「まさか帝国元帥に姉上といわれると思いませんでした・・・・・・」
ミキ・マクレインはとあるバーでダスティ・アッテンボローと酒を酌み交わしていた。
この2人自分たちの縁組よりも頭を悩ませるばかりである。
「母上と呼ばれなかっただけ、よかったですね」
アッテンボローがいうと、ミキは隣で頭を抱えた。
「ごめん」 つい気安さから口に出た。ここの所頼られているという安堵から彼女と少し
恋愛ではない何かが近くなってきていると青年外交官殿は思うのである。
「いえ、いいんです。母上と呼ばれていたら・・・・・・ちょっと悲しいものが。」
今日は冗談も冴えない。
「結婚を許すとか許さないとか。そういうものでもないと思うんです。私は確かにあの子の養親
ですけれど、コーネリアはもう大人だし、素直に祝ってやるべきなんでしょう・・・・・・。ミッターマイヤー
国務尚書の言うとおり吉事ですものね。ヒルデガルド皇后も慶事だと。その通りですわね。」
約束をミッターマイヤーはたがえず帝国摂政皇后ヒルデガルド・フォン・ローエングラムに
ビッテンフェルトとともに参じて婚姻についての指示を願った。
もとより平和主義である皇后は縁組自体を喜んでもよいであろうがなるべくどこからも反対の出ぬ
円満な結婚が望ましいという。
「勿論、なんびとも反対し得ないというのは無理なことでしょう。けれどビッテンフェルト元帥が思う
お嬢さんの保護者であるフラウ・マクレインが難色を示すうちは話はすすめるのは感心しません。
それでは帝国が力技を使ったという声もでましょう。それはいけません。フラウ・マクレインにせよ
聞くところではけしてビッテンフェルト元帥のおひとがらを嫌いになっているわけではないご様子です。
その方がご自分の養女を敵国であった国の元帥にとつがせることに懸念するのはいたし方のない
ことです。きっとこのはなしはまとまりますから焦慮はいけません。」
アレク皇帝を抱きかかえて若き皇后は笑みを絶やさず優しい面持ちでしかし人の気持ちを
軽んじるようなまねはしないようにとビッテンフェルトに釘を刺していた。
「そう心配そうなお顔をなさってはいけませんわ。ビッテンフェルト元帥。あせらなければ
必ず熟する縁組です。戦後ですからね。まだひとびとの傷はありましょう。それを軽んじない
誠実さをもってこの縁組に当たりなさいませ。あちらは必ず理解を示してくださいます。
人心を軽んじなければおのずと結果は得られますわ。」
24歳の摂政皇后は天子を胸にいだいて微笑んだ。
まごうことなき亡き陛下のよき伴侶であったとミッターマイヤーはしみじみと思う。
その皇后の言葉を今日アッテンボローは超光速通信で聞きミキ・マクレインにかたった。
琥珀色の液体を挟んで2人ははたから見れば恋人に見える。 しかし相変わらずあまりこの関係には
進歩はない。
新年のキスただの新年のキス。
あまり期待をしないでおこうと、アッテンボローは思う。
「私が知る以上、ビッテンフェルトは卑怯という言葉からもっとも遠い男です。もっとも
思慮だの猪突だのとは大の仲良しですがね・・・・・・。前にも申したとおりです。デリカシーも
あまりなさそうですね。戦争ばかりやっていた人間ですし。それは私もですけれど。」
アッテンボローは長くなった髪を切らなくてはと思いつつ頭をかいた。これがミキ・マクレインが
関係せぬ話であればここまで自分は骨を折るものかとビッテンフェルトの豪傑でりりしいともいえる
顔を思い浮かべ毒づいた。
「つまり、悪い男ではないということなのでしょう。閣下の言いたいことは。」
大きな眸で見つめられると苦しいほど自分が恋をしているとアッテンボローは自覚する。
そう。自分は間違いなくこの女性に恋をしている。彼の恋愛経験は乏しかったけれど
自分が誰を愛しているかくらいはわかる。彼女が悲しい顔をすれば心が痛い。我ながら
やや幼いことではあるけれど間違いなく彼女を大事に思っている・・・・・・。
「敵同士だったくせに思われるでしょうが、私はあの男は信頼してよい人物だとは思いますよ。
ドクター」
さらにミキはため息。
「閣下。この平和はいつまで続くのでしょう・・・・・・。」
彼女の大きな黒い眸が尋ねる。
彼女も彼も生まれたときには戦争は始まっていた。そして多くの知己を亡くし愛するひとを失って今
争う時期を過ぎた。和平が結ばれて、戦争は終わった。
しかし人類史上戦争がなかった時代はほんの数十年。一度戦端が開かれればミキ・マクレインは
またしても彼女の愛する人間と、引き離されてしまう。
「ドクター・・・・・・平和とは意思だと思うんです」
「意思?」
ええ、とアッテンボローは言う。
「ひとりひとりが今このように友人や知人と過ごすこの時間を人生最大の幸せと常に意識して
争いを廃していく意思、この生活を守り維持してゆこうとする意思が平和という状態を産むのだと
私は考えます」
仄暗い灯に浮かぶアッテンボローの横顔をミキはじっと見つめた。
「逆に人々がこの幸せを当たり前のものつまらぬものと軽視して政治をないがしろにしたり、悪を監視もせず
はびこらせる流れが戦争へと向かうのだとも。意思によって平和が保たれ惰性によって戦争が生まれる。
青臭い論理だと思いはしますが・・・・・・私はそう思うときがあります。その平和の土壌を作るために私は
戦ったつもりですしこれからも武器なき戦いを繰り返すでしょう。・・・・・・何の回答にもなりえませんね。」
「閣下・・・・・・」
ミキは思う。そういう高邁な理想の実現に人生を費やす彼を、青いとわかりつつも愛していると。
少年のような理論であるけれど彼のいうことはある意味正解で、そのために外交と交渉を繰り返す
彼を本当は全面的に支えられるものであれば支えたいとも思った。・・・・・・それはまだ彼女は
約束できないし必要とされているとも思っていない。それでもこのひとを支える立場になれたら
自分の人生はよりいっそう豊かなものになると確信した。
「私は、こういう仕事をしていますから率先して平和の維持に勤めます。私に言えること。あなたに
約束できるのはこれだけです」
アッテンボローは言ったあとに、照れた。ミキは最後の酒を口にしてアッテンボローに言った。
「決めました。私、あの2人を祝福しようと思いますわ。閣下」
え、とアッテンボローは驚いた。けれどミキのすがすがしい微笑を見ると安堵した。
そして
「そして私閣下のそのお考えとても好きです。誰が青臭いと言っても、私は閣下を支持します」
彼女はそういった。
その顔は最近見ない晴れやかなものでアッテンボローは言葉もうれしかったがミキの優しい微笑を
見て、ほっとした気持ちになる。いとおしいと思う女性が心苦しいのはやはりよいものではない。
彼女は笑顔が似合う。
いつも笑顔で過ごせというのではなく、彼女の笑顔が見れるのならやはり自分はもっと
今の仕事をやり抜いてそして引退をしようと考えていた。
元軍人がいつまでも暫定政府にいるのをよしと思わぬ人の心を思うといつでも仕事をやめれる
けれどまだまだ彼は責任が残っている。
帝国との「平和」の架け橋を堅固にすべくまた明日から働こうと元気が出た。
遅くならないうちにあなたを家まで送りましょうとアッテンボローは言い、ミキははいと返事をした。
外に出ると粉雪。首にマフラーを巻いて雪のなかを立っているミキにアッテンボローは自分のコートを
着せた。彼女は遠慮したのだが寒そうだからと彼はきかない。彼女は自分の首にしていたマフラーを
彼の首にかけていった。
「身体が冷えてしまわないうちに私の家でアイリッシュ珈琲でもいかがですか。
またキャゼルヌ先輩にチェスで負けました。教えてくださいますか。・・・・・・それにもっと
閣下の青臭い話が聞きたいんです。」
ミキの誘いにアッテンボローは頷いた。
粉雪の中を2人肩を並べて歩く。
この2人。
2人なりに距離は縮まってきているのかも知れない。
by りょう
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