86・殴り合いの喧嘩 「前から言おうと思っていたのですけれども.。閣下」 ボディガードのオリビエ・ポプランは公用車の車中で隣に座る依頼人 アッテンボローに話しかけた。 運転はオート。 他に聞いているものはいない。 雨が降る街の中を事務所へ帰る途上である。 「却下」 「相変わらず、横暴ですねぇ。民主主義に反しますな」 好きに言ってくれとアッテンボロー。好きに言いましょうと、ポプラン。 やっぱり好きに言うなと、アッテンボロー。 ここは自由の国ですからと撃墜王殿はかまわずに言った。 結局、言いたいことを言わずにおれない男なのだ。ポプランという 人間は。 「あの猿芝居、何小細工してるんですか。折角レディ・マクレインの ハートを射止めておきながら。あんたは馬鹿ですか」 「馬鹿とはなんだよ?」 「じゃぁ、阿呆ですか?」 プライベイトまで口出ししないでくれとアッテンボロー。車は無事に 事務所の地下の駐車場に止められた。 あの狙撃事件以来、警備はもちろん、車に爆発物が仕掛けられて いないかまで念入りにチェックしている。 まだあの狙撃事件の真犯人は洗い出せていない。 探知器を常にポプランが常備してアッテンボローの警護に当たって いる。 2人は車を降りた。 数人の警備隊が2人を囲んで彼らは執務室へと向かう。 「閣下、あなたはどうやらレディ・マクレインに彼女が不利だと思えること を言えば彼女が離れるのを了承するだろうと甘くみて稚拙な芝居を仕掛け たのではありませんか。・・・・・・前から言おうと思ったんですがあなたという ひとは恋愛事情にうとすぎます。とても成人男性の域を出ません。彼女を 遠ざければテロからねらわずにすむと見越したんでしょうが・・・・・・はっきり 言えば呆れた間抜けですよ。事情を知ったら確実に彼女に嫌われますね。 あなた、こういうことが彼女を軽視しているとは思いませんか」 「もっともらしいことを。好き勝手言える奴は言えよ。おれは恋愛音痴で 結構だ。どうせおれのことを稚拙で間抜けで馬鹿野郎だと言いたいん だろう。お前は」ポプランは悪びれずにいう。 「それと、くわえて、阿呆ですね」 2人は秘書のキャゼルヌの部屋を通過してアッテンボローのオフィス に入った。 ここでの警備はポプラン1人になる。 向かいのビルにレディ・イレーネが待機しているという具合である。 リンツが指揮する警備隊も常駐している。 「あのね。あれだけの女性が奇跡的に閣下を慕っているんですよ。そして あなたも同じ気持ちだという。確かにテロのターゲットになっているが、 何もだからといって一方的に彼女をつき放すという了見はいただけない ですね。建設的じゃないし悲壮だし情けないですよ。あなた」 アッテンボローはファイルキャビネットから乱雑に必要な書類を引き抜いて、 ポプランの言葉から退避しようとした。 だが無理そうだ。 「言いたいことはそれだけか」 「まだ山ほどあります。あなたも軍人上がりでしょう。彼女を守るくらいの 気持ちがなかったわけですか。あなたの愛情はその程度ですか。おれは 愛した女をかならず守る主義ですが、その意気地もなかったわけで。閣下。」 アッテンボローもポプランにさっきから言われっぱなしで声が険しく なってきた。 「テロリストの行動も予測できんのに中途半端なポジションに大事な 人をおきたくない。おれは確かに情けない男だし言い訳できない立場 だよ。だが万が一ミキに何かあったらどうするんだ。護れるか護れない かの問題じゃない。おれと付き合っても彼女は今危険なだけだ。 それを回避したかった。それだけだ」 ポプランは指をぱきぱきとならした。 「あんたは口は達者だがはっきり言いましょう。何故、愛しているなら 何がなんでも守り抜こうと思わないわけですか。その気持ちもなく言葉 で彼女を突き放して。あんたは自分が情けないという。確かに目も当て られないほど情けないですよ。結局のところあんたのレディ・マクレイン に向ける愛情はその程度だったってことです。実に陳腐な愛情ですね。 いい大人が10代の子供じゃあるまいしそれにつきあわされた彼女の 心はきっとずたずたですよ。最低な男ってのはあんたみたいな男のこと をいうんです。あんたはもう少しましな男だと思っていたがわからんものです」 これにはアッテンボローは怒った。 ポプランの襟首をつかみ上げて殴りかからんばかりだった。 「喧嘩なら受けて立とうじゃありませんか。おれに敵うと思っているのが 度し難いですがね。空戦隊っていうのはエリート中のエリートですよ。」 「言わせておけば」 「彼女もあなたも大人でしょう。尊厳ある個人でしょう。独立した個性でしょう? 何故話しあわなかったんですか。あんた1人、勝手に決めて彼女の思いも 無視して随分立派な民主共和制国家の外交官閣下であることです」 アッテンボローの上気した頭ではとてもポプランにパンチを喰らわせる ことはできなかった。 拳が空を切った。 撃墜王殿はするりと身をかわした。 「会話もないんじゃ恋愛だってすぐにさめますよね。彼女のためには別れて たしかに正解だったのかも知れません。あんたみたいな卑劣漢に愛だの恋 だの語ってほしくはないですな。恋愛の達人といたしましては。」 「言わせておけば!ポプラン、てめぇ、この野郎」 「レディ・マクレインはこんな我儘で甘ったれたよわっちい男に振り回されて散々 ですよね。同じ男としてみるに耐えない。あんたのやり方は実にフェアじゃない。 本当は彼女が好きなんでしょ。本気で惚れてるんでしょ。だったら」 撃墜王殿は軽いフットワークでアッテンボローの左に周りこみ軽くジャブ するつもりだった。いくら官僚組とは言えどもアッテンボローは喧嘩が弱い ほうではなかった。それにまだ一応怪我人だしこれくらいはよけれるだろうと 軽ーく、一発。 「だったら命をかけて愛し抜きゃいいでしょうが。しのごの言わずに1人の男 として1人の女を。」 ぱきっ。 アッテンボローのほほに一発、パンチがとんだ。 彼がよけなかったのだ。 彼は途中で気がついたのだ。 この僚友が自分の悔やんでいる心の中のおりを発散させようと 喧嘩を吹っかけていることを。そして独立した、尊厳ある人間同士の 対話の必要性を教えてくれていることを。 だから気がついたらよけることもなく殴られてしまった。 ミキ・マクレインは馬鹿な女じゃないし彼女の心も聞くべきでそれが、 それこそが本当のパートナーシップであり・・・・・・自分はそれを彼女を 守ろうとしたがゆえに封じてしまった。 しかしそれが彼女の望んでいたことだろうか。 はじめに告白をしてくれたのも彼女。 別れを許して自由にしてくれたのも彼女。 アッテンボローは自分がいかに彼女に甘えすぎていたかを思い知ら されていた。 そしてそれを気づかせてくれたポプランの拳をよけるつもりはなくなっ ていた。 「・・・・・・あのね。流れとしてはよけてくれないと、こまるんすけれど」 警護している人間がクライアントを殴っては仕方がない。 ポプランは呟いた。 「少しは目が覚めましたか。問題は今後の対処が難しいですよ。 どう彼女に謝るのか。よりを戻せるかは疑問です。なにせあなたは あのひとの賢明さを見損なった行為をしているんですから。まぁ 謝り倒して許しを乞うのも男としてひとつの経験になりますけれどね。 せいぜいがんばってください」 などという撃墜王を横目で見て、アッテンボローは言った。 「・・・・・・うるさい。本当に彼女が好きなら恥も外聞も捨ててどこまでも 食らいつけと言いたいんだろう。一生かかってでも口説きおとせって ことを言いたいんじゃないか。」 まぁ、そんなとこですよ。 ハートの撃墜王殿は笑った。夏の太陽を思わせる明るい笑顔。 アッテンボローは口ではポプランに不平を鳴らしているが心の奥で 感謝していた・・・・・・。 雨は上がった。 アッテンボローは、昔のことわざを思い出した。 弱気で美女を獲得できた試しはない。 by りょう ■小説目次■ |