70・チェス
「チェック(王手)」
「あれ?」
「あれ、じゃない。間抜けな声を出すな。なんだ相変わらず下手な手を打ってくる。 ・・・・・・誰かさんを
思い出す」
「先輩、私はヤンより三次元 チェスの勝率は高かったんですよ」
「おれはヤンのことを言ったつもりはない」
「ほかに誰か下手な人、いましたっけ」
「・・・まぁ、いないな」
新年明けてキャゼルヌ宅に呼ばれた女医ミキ・マクレインは夫人の手製のディナーをいただき
令嬢シャルロットが作ったデザートをご馳走されて今、その家の主とブランディを飲みながら
三次元チェスをさしていた。
「アッテンボローが教えている割に上達しないんだな。お前は苦手なものはいつまでも苦手。
変わらんやつだ。」
「・・・・・・先輩だって苦手なものあるでしょ。奥さんとかお嬢さんとか。」ミキも応酬した。
「で、単刀直入に言うがお前さんアッテンボローのこと男としてどう思う?好きか?それとも
はしにも棒にも掛からないか?」
はっきりものをいうひとだなとミキはあきれる。これだけ言いたいことがいえればストレスなど
たまらないだろうなと医者らしいことを考える彼女である。
「単刀直入ですよね。相変わらず。先輩。健康にいいですよ。」
「おれは回りくどいことが嫌いでね」
誉められてもけなされてもアレックス・キャゼルヌは動じない。
「よくそれで、マダム・オルタンスを射止められましたね。見事です。どうやって求婚したんでしたっけ。」
「話をそらそうとするな。ムライ参謀長の娘とは思えぬ会話能力の乏しいやつだ。」
キャゼルヌは新年から口が悪い。
キャゼルヌは、釘を刺した。
「お前さん、アッテンボローの気持ちは知っているだろう。しっているが、応えるつもりはない
のか?それとも言葉は悪いが気ままな独身生活に慣れたのか。アッテンボローはお前を家庭に
縛る性質の男じゃないし仕事が忙しいのは理由にするなよ。」
ミキは、ため息をついて言った。本当なんでもはっきり言えて幸せなひとだ。
「閣下のお気持ちというのはなんですか?」
「とぼけるな」
「とぼけていません」
「奴はお前さんに惚れてるよ」
「それは知ってます」
「お、お前・・・」
呆れるキャゼルヌ。体勢を調え更に聞く。
ざまみろ。キャゼルヌ。ミキはほくそえむ。世話を焼いてくれるのはありがたいがものごと簡単には
いかないからミキ自身困っているのではないか。
「じゃぁ、お前も奴を男として、好きなのか?」
「そんなことどうして閣下本人の前に先輩に言わなくてはいけないのですか。言うなら閣下本人に
言います。閣下に告白もしないうちから昔馴染みの先輩に告白しません。時期をみて考えます。」
「・・・・・・呆れるな」女も35を超えるとふてぶてしいなとキャゼルヌは思った。
「だって、それが筋でしょう?」
ミキは言った。
「先輩、みんなが私のことを心配してくれているのはよくわかっているんですよ。Jを失って以来、
仕事に打ち込んでいる私を心配してくれている。それはよくわかっているのです」
「ヤンでさえ、気にしていたからな。シェーンコップも生きて帰ってきたらアッテンボローとお前さんを
引合わせようと思っていたんだ。あの色事師でさえ他人の恋愛に首を突っ込む野暮をしようと
思っていたらしい」
遠い日を思いだすキャゼルヌ。
「私、閣下とのことは真剣に考えています。考えていますから、見守っていてください。
まだ答えを出せないこともあります。1+1は2じゃないんですよ。人の心は。」
ミキも、多くの懐かしい人々を思いだした。
夫の生命維持装置を、この手で外したとき。
ジョンは生きていた。けれど、彼は生命維持はしないで欲しいと遺言を残していた。
ミキは自分があの時、よく正気でいれたと思う。
なき続けることもできただろうに涙が出なかった。なき始めると、もう二度と立ち上がる自信が
なかった。
ジョンは彼女の片翼だった。
間違いなく彼女の一部だった。
ジャン・ロベールの死を悼んだとき。 親友のジェシカが惨殺されたとき。 父親からヤンとフィッシャー、
ブルームハルトの死を聞かされたとき。 そして、ユリアンからシェーンコップの死を伝え聞いたとき。
自分は生きている。
生きていくという縁があったということであるし彼女は生き抜こうと思っている。ジョンのあとを
追うことは一度も考えなかった。それでももう二度と会えない人々にもう一度であいたいと願う
夜は何度もある。
これが、傷なのだろう・・・・・・。
ジョンを思うと、まだ胸は痛む。
生命維持装置を使ってでも、彼が二度と自分の力で息をすることができなくても彼のぬくもりが
あればミキはそれで十分だった。およそ人間として倫理を問われそうだがジョンのぬくもりがあれば
・・・・・・それで幸せだった。
ジョンはミキがそんな女性だと知っていた。
一生、目を覚まさない夫を愛し続け思い続け護り続けるだろう事を確信していた。
だからこそ生命維持装置をつけるような事態になってしまったならば延命を拒否しようと彼は
決めたのだとミキは思う。
ミキを開放したかった。
きっとそんな気持ちだったのだろうと彼女はわかる。妻だったから。
そして、彼と彼女は絆があった。誰も踏み込むことはできない絆。
それがたとえアッテンボローであっても、二人の間には入り込むことはできない。
どんなに時間がたったとしても。ミキがどんなにアッテンボローを愛したとしても。
見送るということは、それほど難しいことだとミキは思っている。
弔うということは、ひとを、悼むということは・・・。
アッテンボローは本当に素敵な男性だと思う。彼女は彼に惹かれているし彼が側にいてくれれば
いいなと思わないこともない。
でもそれは叶わない夢ではないかと彼女は考えている。好きなだけではどうにもならないことも
ある。
おそらくそれは彼女だけがしっているであろうこと。
愛しているというだけで、一緒に生きていけるのならこれほど嬉しいことはない。
女医はそう思うのである。
彼女だけが、そう思っているのである。 多分。
王手?
どうだろうか・・・・・・。
もうそろそろ彼女は手詰まりになってきている。答えを出さねばいけない時期が近づいているのか。
こちらは王手をかけられて動きにくい。
「好き、ということだけで一緒になれるほどお互い若くもなければ抱えているものも小さいものではないと
でも申しておきます」
やれやれ。二人とも同じようなことを言うじゃないか。それなのに身をかためることができないのか
キャゼルヌには理解しにくいところがある。
女医が帰ったあと、妻がナイトキャップを用意してくれた。こんなキャゼルヌでも最近あまり寝つきが
よくないのでオルタンスはからだが温まるブランデーなら寝酒にしてもよいですよと夫に用意している。
「あなたと私は何も持たないもの同士で若いうちに結婚しましたわ。なくなった兄の官舎であなたと
であって、私の父があなたの上官であったこともあって結婚話もすぐに決まりました。結婚しない
理由が私たちにはなかったでしょう。でも、ドクターには誰も代わることができないような仕事を持って
おられますし、アッテンボローさんも今のところ帝国との会談で交渉に入っていただく必要が
あるでしょう。そしてお二人とも一人でいる時間が長かったですからご自分のことはご自分で何でも
おできになります。結婚できない事情のほうが今は大きいのだと思いますよ。あなたはご自分一人だと
デスクワークしかできないじゃないですか。出会ったころに思いました。このひとの家のことは私が
全部文句のつけようがないほど整えてみせようって。あなたは仕事がとてもできるひとですから
うちでの悶着は持たせたくなかったんです。これでも。」
オルタンスが言うこともわかる。
しかし自分が無能だから結婚したわけではないぞと亭主は言ってみる。
「あなたが無能であれば私は結婚などしませんよ。自分の子供と私を護るくらいの才覚があるだろうと
思ったから結婚したんです」
「・・・嫌な物言いだな」
「あなたに愛想を尽かしていたら、寝酒の用意もしませんよ。新婚時代のようにすべてを話さないと
おきに召しませんの?あなた。うちのシャルロットはもう思春期を迎える娘ですよ。娘たちに笑われます」
オルタンスは鷹揚な笑みを浮かべた。
確かに新婚気分ではいられないな。
「くどくど言いますけれど結婚もひとつの契約ですからね。あなたは物言いや考え方が少し意地悪に見える
ところがおありですけれど私はおおむねあなたに嫁いでよかったと思っています。意地悪に見えるだけで
あなたは実際は情の濃い人で私は薄情な男を自分の夫になどできませんからね」
かのオルタンス・ミルベールは昔日、可憐でそして健康的な美しさが魅力であった。
現在二児の母となり家庭のことはすっかり令夫人となったオルタンスにすべて任せておける。
彼女は娘の気持ちもよくわかり教育もたしなみも二人の娘にしつけている。それは成功しているし
キャゼルヌも家に帰れば、まぁ何もしなくてよい。
甘い言葉はないが、考えてみればともに人生を送ってきたある意味仲間である。
「・・・おれはお前を愛しているよ。オルタンス」
「・・・」
顔色一つ変えないで亭主のたわごとを聞くとオルタンスは「おやすみなさい。あなた。よく眠れると
いいですわね。明日もいつもの時間に起こしますからね。あまり深く考えないで早めに寝室に
おいでなさい。」
と先に寝室に入っていった。
女性というものは男ほど、ロマンチストではないようだ。
アレックス・キャゼルヌは自分が口にした甘い言葉が見事に宙に浮いていることを否めない。
しかしながら自分はオルタンスのいない人生が考えられないし考えなくてもよい状態にいたので
果報者であるのだなと納得することにして
「面白くないから、寝るとしよう」と一言。彼も寝室にもぐりこむのであった。
by りょう
■小説目次■
キャゼルヌが愛をいうと気持ち悪いものがあります。愛してると言わせたら
気持ちが悪いというか違和感です。たまにはいいか。
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