67・夢見心地
その日はくしゃみとともに始まった。
11月23日。 ダスティ・アッテンボロー33歳。
見事に風邪を引いてしまった誕生日。
誕生日といっても華やかなイベントもない。・・・・・・彼の災厄の日。30を3年もやってしまった。
その日青年外交官はいつものように仕事についた。
熱がありせき、くしゃみ、鼻水。 見事な風邪。 否定しようのない風邪。
彼がいくら軍人上がりで艦隊運動で数日寝ないで指揮をとった過去を持っていてもこれまでのように
ほぼ半月寝る間もなかったような状態では風邪も引くであろう。
妻帯者のように家に帰れば食事があるというのでもなくただ、寝に帰るだけの生活では
疲労した体を癒すこともままならない。まともな食事も作っていない。家事ができないのではないが
億劫なのだ。
だからこそ結婚しろといいたいのがキャゼルヌであるがアッテンボローにそういう俗説は通用しない。
彼女だって仕事で疲れているのに甘えることはできないです。女が必ず男の身支度や世話をしなければ
ならないわけでもないでしょうにといわれるのが目に浮かぶ。ミキはかいがいしい女だから仕事をして
いようがおそらくアッテンボローの足のつめでも切ることも辞さないだろうと思うのに。まったく。
午後3時。 見かねた、優秀なる秘書 アレックス・キャゼルヌが
「かえって、寝ろ」という始末。
彼に秘書らしい言葉を求めるのもなんだがまったくもって秘書らしくない。
「こう仕事が山積みで、ぶしゅん、や、やすめるわけないでしょ。夕方から、くちゅん、会議あるし今度の会談で
必要な提案が・・・・・・へっくしょん」
軍人上がりの自分が風邪くらいで大事な会議に出席できないなどそんな軟弱なことはアッテンボローの
自尊心が許さない。
キャゼルヌは、マスクをかけて机に齧り(かじり)付く 哀れな青年外交官に呆れた。そしてこの青年の長年
部下を勤めてきたラオにいった。
「すまんがこの閣下を医者に見せてやってくれ。哀れだ」
「了解しました」
長いことアッテンボローの副官を務めたラオは今更、どこの病院ですかなど間抜けたことは言わない。
青年外交官の首根っこを捕まえて地上車(ランド・カー)に押し込み、ミキ・マクレインの診療所に
横付けする。ラオはとても優秀でまごうことなき秘書だったのでアッテンボローの扱いにはなれたもの
である。
「4時からの会議には出るからな、けほけほ。っくちん。ごほごほ」
「了解です」
一応何でも了解といっておくことが副官の務めであったので秘書になってもラオは了解することが
人並みはずれてうまい。年の功もある。
そして、診察。
幸い患者は少なかった。しかし季節柄、風邪は多いのだと看護婦のアグネスが言う。
「どうでしょうか?先生」
ラオがたずねている。これでは子供の診察である。
ミキはTシャツ姿のアッテンボローの胸や背中に聴診器を当てて診察をしている。
「心音から変な音は聞こえないので普通の風邪ですね。喉に熱をもっているようです。悪化させている
みたいですが。閣下、口を開けてください。のどを見ます。お口をあけて。そう。あーって言ってください・・・
扁桃腺まではれてますね。これじゃ、食事もとれないでしょう。で。最後に食事をとったのはいつですか」
女医は、青年外交官に尋ねた。
「・・・・・・プロテインドリンクは飲んでますよ」
「固形物を最後にとったのはいつですか?」
カルテと、青年外交官の顔を見比べて女医は淡々といった。
「・・・さきおとといの夜?かな・・・?」
そんな情けないことをアッテンボローが白状したので女医はアグネス婦長に点滴の準備を促す。
「ちょっと、待ってください。点滴って、時間かかりますか?あと40分で大事な会議なんです。
間に合いますか」
アッテンボローが言うとミキは点滴をするのに50分はかかると言った。
「困ります先生」
「お仕事も大事でしょうが、お体も大事です」
女医は努めて穏やかになだめたが、熱のせいか、ワーカホリックのせいか今日33歳になったばかりの
青年外交官は薬だけもらってかえると譲らない。女医はアグネス・ブライアン婦長と顔を見合わせて言った。
「じゃぁ、注射を打ちましょう。時間短縮できます。かなり効く薬液ですよ」
是非そうしてください、と青年外交官。のちに言ったことを後悔することになる。
「じゃぁ、そこの診察台にうつぶせになってください」
見ると緑の診察台。
「・・・・・・え?」
「え、じゃありません。臀部に筋肉注射をするんですよ。お尻、出してください。閣下」
お、お尻?
33歳の男が、お尻を妙齢の美人の前にさらす?
しかも彼女は彼の思い人なのに?
しかも、今日は彼の33回目の誕生日なのに?
「尻じゃなくてもいいでしょう。こほこほ腕でいいじゃないですか」
必死に抗議を試みるアッテンボロー。
「あとで、尻の方がよかったと思いますよ。大人しく横になってください。閣下。アルコールでふきます
さっさと横になってください」
「そこの道を右に曲がってください」「その新聞を取ってください」というような気軽な口調でアッテンボローには
尻を出せという。
こんなにかわいい顔をして。
かわいい顔して淡々と注射のアンプルをコーネリアに用意させていた。
アグネスがぐいと、うつ伏せになったアッテンボローのボトムを容赦なく引きおろしてアルコール消毒をする。
左の尻のほっぺがひんやりする青年外交官。
・・・秋のせいだけでもないようだ。
「いたいですが我慢なさってくださいね」
下半身をひんむかれて美人女医に注射をされている自分の上司のことを考えると気の毒であったり奇妙に
おかしかったりするカーテンの外のラオであった。
しかし顔には出さない。それは礼儀を失してしまうからだ。昔からラオは自分の上官に失礼なことはなさないと
決めている。アッテンボローは若いがよい上官であったしよい上司であるに変わりない。
ダスティ・アッテンボロー。
11月23日。
33歳の誕生日。
片思いの・・・・・・彼はそう思ってる・・・・・・佳人の女医に、尻に注射をされる。
やはり気の毒である。ラオは沈思黙考。
「点滴ができなかったんですから仕方がないですよ。閣下」
会計を済ませて、運転しているラオに慰められてもアッテンボローの気持ちは晴れない。
何故尻なんだろう?しかし確かにかなり痛い。
「即効性のある薬を使いましたから。おそらく腕では痛いどころか使い物にならないですよ」
アグネスがそういってくれた。
「しかも筋肉注射ですからね。腕じゃいたいですよ。個人差はありますけれど・・・ね。この薬液は
痛いんですよ。」
といわれても・・・・・・否、なんと言われようとミキ・マクレインに尻を見られてしまった。
しかも生の尻。
アッテンボローに、脱力感がどっと押し寄せる。
33歳になっただけでもいい加減にしてほしいと思うくらいなのに。俺の心が痛い。そう思うアッテンボロー。
容赦ない33歳。
しかし確かに注射の効果はてきめんで喉の痛みもはれも熱もずいぶん引き会議にも集中できた。
尻の注射のことはラオにはくれぐれも男の約束として他の仲間に知れないように口止めしておいた。
キャゼルヌなどに知られた日には・・・・・・ 考えるだに恐ろしい。
若き閣下の忙しく苦難の33歳のバースディも無事終わろうとしていた。 オフィスに彼一人今日の仕事をおえて
デスクの書類を慌ただしく片づけているときにノックの音。
夜9時。
「なんだ、なんだ?今夜はとっとと店じまいするぞと言っただろ。いまごろ誰だ・・・・・・」
てっきり、ラオかキャゼルヌだと思っていると。
ぶつくさいいながらドアを開けると、立っていたのは紺のダッフルコートを着たミキ・マクレイン。
小さなミキ・マクレインは小さな小箱を差し出した。
「これは?」
青年外交官は、マスクをしたまま、尋ねた。
「本当は受付で預かってもらえばいいと思ったんですがキャゼルヌ先輩と出くわして。当人に手渡して
こいって。お誕生日おめでとうございます。閣下」
あけると、小さなチョコレートケーキ。
いろいろプレゼントを考えたが、ネクタイだの、装飾品を贈るのは気が引けて食べ物なら問題ないだろうと
仕事が早く終わったので家で作ったとミキは言った。
「もっと食べやすいものをつくればよかったですね。閣下の扁桃腺かなりはれていたし。誕生日だからって
馬鹿みたいにケーキ作っちゃいました・・・・・・。ごめんなさい。」
「私の誕生日をご存知だったんですか?」
「今日のカルテを見て、はじめて知ったんです。閣下」
なるほど。風邪も悪くないと、不謹慎にもアッテンボローは思った。
彼女は今度風邪が治ったらお誕生日のお祝いをしましょうと言った。彼女の手料理で。
「今日は間に合わせでごめんなさい。誕生日おめでとうございます。閣下」
青年外交官の灰色な33歳の誕生日が、薔薇色の誕生日として彼の人生のアルバムに記録される日に
なったことは 疑いない。
「ドクターの誕生日もこうなったら私が祝いますからね?いつですか?」
アッテンボローは微笑んでいった。
「12月31日なんです」
「おや、これは・・・・・・」
新年をまたぐバースディとは。
これではまるで恋人同士ではないか。
というか新年を一緒に迎えるデートをうっかりアッテンボローはかの思い人に申し込んでいた。
それに、ごく自然な流れで。彼女のにこやかな微笑みにつられて。ごく、自然に・・・。
「本当に祝ってくださるなら、嬉しいですわ。閣下」
薔薇色の人生。
また熱を出してしまうような、 夢見心地・・・・・・
by りょう
■小説目次■
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