61・ビタミンC




「ユリアンはともかくヤンには不向きな仕事よ。気持ちだけで十分うれしいわ。ありがとう。」

ミキはにっこり微笑んだ。

「あのね。私はこれでも君の引っ越しの手伝いに来たんだよ?それがどうして・・・君の官舎の

テーブルの上で紅茶を飲まなければいけないのだろう」


そこに、亜麻色の髪の色をした、利発な少年が言った。



「ヤン大佐には確かに向かないお仕事です。僕がお手伝いします。ミキ先生」

12歳のユリアン・ミンツ。ヤンの被保護者の少年である。

今日は退役したミキ・マクレインが官舎を引き払うために友人のヤン・ウェンリーがユリアン少年を

連れて彼女達の家だったところへ訪れた。



そう。

ここにはもう1人住人がいた。 ジョン・マクレイン。
彼はさきのイゼルローン要塞攻略戦で

亡くなっている。


ジョンを失って、ミキは軍をやめることにした。 そして民間で彼女は医者になることにした。

開業する場所ももう決めてなんとかその支払いを済ませた。前途遼遠であるが彼女は同時期に

退役した衛生兵の女性とその医院で仕事をすることに決めた。



その引っ越しの準備に日替わりでジェシカ・エドワーズやジャン・ロベール・ラップが手伝いに

来てくれていた。どうも家具などの大きな荷物はラップがしっかり荷造りをして小さな荷物は

ジェシカがこれまたきっちりと整理したのであろう。



あの二人は、しっかり者だから。



「だからって、テーブルの上でお茶を飲んでいていいことはないだろう。わたしにだってなにか

できることは・・・あると思うのだが。多分。」


黒髪の青年は抗議した。

「悪いけど紅茶を飲んでて頂戴。場所はそこしかないのが気の毒だけど」

ミキは言った。



そういう問題ではないと、ヤンは思う。

「せっかく引越しの手伝いをユリアンをつれてきたのにこれでは私がユリアンに連れてこられたかの

ようじゃないか」保護者としての沽券に関わるのでヤンはいってみた。



「違うの?」

明るい笑顔を見せる彼女にヤンは今度は何も言えず。おとなしくおそらくはジョンが大事にしていた

上等な茶葉の紅茶を頂戴して居間にあるローテーブルの上に鎮座していた。



ユリアンもそれでいいと思った。



せっかくきちんと整理されて梱包されている荷物をヤン大佐がいじったら整理どころでは

なくなりそうだとユリアンは意地悪ではなくて真剣にそう思った。ヤンをすばらしい人間だと

ユリアンは思うけれど整理整頓などにその豊かな才能をすり減らさなくていいのだとも同時に

思う。

しかも先日から風邪も引いているヤンを思えばミキに義理を欠かないように張り切って手伝いに

来たのであろうが。手出しせず座ってもらうほうが二人にはよかった。ほとんどはもう片付いていて

こまこましたことを女医に言われたユリアンがてきぱきとこなしている。

まだ少年のユリアンの脳は柔軟で年長者に素直に従うよい子であった。



ジョンは、戦地で脳に障害を負った。



そして脳死状態が続き彼の遺言のとおり延命措置をとらなかった。彼の生命維持装置を外したのが

妻で医者であるミキだった。 ヤンはそのときのミキの姿が忘れらない。 涙ひとつこぼさないで憔悴した

小さな横顔を忘れることはできない。



いっそのこと、大泣きしてくれればどれほどよかっただろうか。ミキはなかない。



今彼女は笑ってユリアン相手に荷造りのこつを伝授している。

こういうとき自分はあまり友人を慰める言葉を見つけられない。つくづく不器用だとヤンは自分を

そう思う。




「ビタミンC、ですか?」

少年も実際のところ未亡人の明るい対応に戸惑いながら引っ越しの手伝いをしていた。

ユリアンもジョン・マクレインの臨終の前に最後の別れをしにいった。なれないスーツを着て

けれど保護者であるヤンはひどく悲しい面持ちだったしキャゼルヌ准将は泣いていた。

好きなご主人をなくすという気持ちはとってもユリアンには言葉にできない。なにか慰める

べきなのかなと少年は思うけれど。

やはりその会話はできそうもなかった。



次々と食器を緩衝材に包んでいく。 少年は先日ヤンが熱を出して困った

ときのことをはなした。女医は答えた。
彼女は荷物の送り状を書いている。



「そう。ヤンはすぐ風邪を引くでしょう?好き嫌いはないけれど不摂生なのよね。ヤンは。

好きなときに寝るし。朝日を浴びるのも好きじゃないし。風邪を引きやすい人ね。食も細い。

ひき始めはホットレモネードとかフルーツジュースにワインを入れて温めて飲ませるといいわね。

薬は飲ませないに越したことはないから」




「風邪薬はやっぱりあまりよくありませんか?」



「くせになっちゃうからね。薬は。お酒も飲むでしょう?彼の場合。あまり効かないわね。アルコール

との相性もあるし。ヤンの場合は寝酒もやめれたらいいのだけれど。節度なしに飲んで寝る人

だから余計眠れなくなるの。お酒は睡眠薬の代わりにはなりませんからね。熱があまり高くないなら

そのビタミンCがたっぷりのホット・パンチでも飲ませればいいわ。38度まで熱を出せば医者に見せて

解熱剤を飲ませたり、抗生物質をとらせたりすればいいんじゃない?一応20代の若者だからすぐ

治るでしょう。寒がればカイロをいれてやればいいし少々の熱は額を冷やしたり、リンパがはれて

いないか見れば大丈夫。たちの悪い風邪がはやっているときならワクチンを早めに打たせてね。

軍で実施されると思うから通知が来ていたら早めにヤンを連れて行きなさい。昔から注射が嫌いだから

ごねるけれどうっておけば安心ですからね」



・・・なんだかずいぶんないわれような気もする。

ヤンはミキが用意してくれているブランデーを紅茶にたらした。




そうなんですか、とユリアン。



「僕、大佐のお役に立ちたいんです。できるだけ・・・・・・」

亜麻色の髪をした幼いユリアン。

ミキは言った。

「あなたはヤンにとって大切な存在よ。間違いなく。」

そうでしょうか、と、ユリアン。

「ええ。ユリアンがいるおかげで、ヤンは・・・・・・生きていて楽しいと思う。生きていてよかったと

思っていると思うわ。待っている人が家にいるということって、そのくらい、素敵なことだもの」




素敵なこと。



ミキ先生には、もうホット・パンチを作ってあげる人がいない。少年は思う。

ヤン大佐が風邪を引いたらユリアンは勿論ホットパンチを作る。

ヤン大佐が帰ってくるのをユリアンはじっと待つ。

ヤン大佐はそういう少年を、すこしでも好きでいてくれるだろうか?



必要としてくれるだろうか・・・。



それは少年にとっては喜ばしいことだが。

ヤン大佐が自宅でくつろげるなら自分が有益な存在に思える。




「ユリアンは、ヤンにとって必要な人間よ。たとえいまのようによい子じゃなくてもね。なにもいつも

いい子じゃなくてもヤンはあなたを嫌いにはならないわ。安心なさい。」



彼女はヤンからきいていてユリアンがあまり幸せな幼少期を過ごせなかったことを

知っている。それゆえに、自分の存在価値を常に確認したいのであろうと痛いほど感じる。



ユリアンがいてくれるからヤンは、自分を見つめられる。少年の瞳に移るヤンを見て、彼は生きる道を

進んでいく。総彼女は思っている。



ヤンはおそらくは、本人が望むと思わないが、昇進していくであろうと女医は感じる。

彼女の亡き夫もそういっていた。

ヤンの知恵というものは膨大な知識の素養から由来しておりそれは常人のものでは

ないと思う。そんなヤンに権力とのジレンマは生じる。彼が権力から弾劾されるか、

彼が権力者に祭り上げられるのか。



そんなヤンにはユリアンのようによいことをどんどん吸い込んでいく力ある少年が必要だと思う。

ユリアンのような少年はヤンを浄化させる力があるような気がした。



当事者のヤンや、ユリアンはわからないだろうが他人であるミキにはそう感じられる。

キャゼルヌ先輩はおせっかいで、口の悪い方だけれどひとついいことをなさったわ。

それはユリアンのような発想も想像力も感性も豊かな少年をヤンに引き合わせたこと・・・。



「一人の部屋に帰ることに慣れてしまうと寂しいものでしょ。ユリアンがいれば、ヤンは心が

落ち着くわ。そういうものよ。」

「・・・・・・。」少年はこたえれることができなかった。

「ユリアンだって明かりの着いていない家に一人で帰るとさみしい気持ちになるでしょ。」

こくんと少年は頷いた。いいこだなとミキは思う。生前、子供ができなかったマクレイン夫妻は

ユリアンのような利発な養子をもらおうと約束をしていた。

「ヤンのところのユリアン君みたいな子がいいね。お茶を入れる才能があるなんてとっても

すばらしいじゃないか。」

Jはそういっていた・・・・・・。



落ち着いたら一人養子をもらおうかとミキは考えた。軍人には絶対させない。

自分が育てるのだから女の子をもらうかもしれない・・・・・・そう彼女は考えていた。



少年は、器用に何枚もの皿を包んでいった。

「ユリアンがいればいつでもヤンは安心して留守を任せられるわね。荷造りが下手なヤンには

ありがたい存在だわ。ヤンはユリアン坊やを大事になさいよ。お嫁さんの予定がない限り

ユリアンなしでは生きていけないはずだもの。」



若き大佐は、大きなくしゃみをして未亡人は声を出して笑った。



by りょう

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