44・シンデレラの靴
本当はアッテンボローはあの ミキ・マクレインに尋ねてみたかった。
新年のキスは、 明らかに男と女の 恋人のそれ。
本当に?
もしかしてドクターは、自分を一人の男としてみてくれているのであろうか。それとも唇のキスすら
友情の証なのだろうか。普通ならば頬に口づけするのは必ずしも恋愛のキスではない。
でも唇は・・・・・・。
仲のよい友人同士なら唇のキスもありうるのか・・・。いやでもおかしいような気もする。彼女は
そんなフランクなひとではない。気さくだけれど気軽に大晦日から新年に変わるときに・・・・・・
そんな大事なときに冗談や友誼で唇にキスなど・・・・・・。
けれど自分と女医の関係は全然変わらない。何の進歩もない。やはり男である自分が何か行動を
示すべきだろうか。
いやしかし。早合点はいけないし・・・・・・。
どと青年外交官は女性経験が乏しいため時間ができて彼女を思うとき懊悩するのである。
しかし、 新年明けてすぐに とんでもない事変が 起こった。
「フロイライン・フィッツジラルド を是非花嫁に迎えたいのであるがいかがであろうか」
コーネリア・フィッツジラルドはミキ・マクレインの養女であり20歳の愛らしい娘である。
この求婚を申し出たのが銀河帝国帝国元帥のフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトである。
ハイネセンに、使節団として会談に出席した際ビッテンフェルト元帥は女医の使いで
アッテンボローに面会を申し込んだコーネリア・フィッツジラルド嬢と出会ったらしい。
コーネリアは、プラチナブロンドの髪を持つ健康的な美しい少女であったし品があり賢明であった。
20歳という年齢よりも落ち着きも分別もある彼女は、ビッテンフェルト元帥の当人は思わずとも
心を一瞬のうちに捉えた。
初めはお茶に誘われたのであるがいったん彼女はそれを辞した。
ミキに相談したかったのである。
そういう品性も分別もビッテンフェルトは得がたいものに感じる。むやみについてくる女性とは違う。
その品格は帝国元帥夫人として相応であると元帥は一人考えた。元帥は突進のひとであり「後退」
「遠慮」「逡巡」などというややこしい言葉とは無縁である。吉事は早めに。ビッテンフェルトはそう思って
まず「フロイライン・コーネリア・フィッツジラルドとの交際」を申し込んできた。
聞いた女医は渋い顔をした。「少し時間を頂戴くださいませ。元帥閣下。」といったんその日は
女医は答えを出さないで丁重に帝国元帥を帰した。
そしてアッテンボローに相談した。
キャゼルヌに相談するよりアッテンボローのほうがよいと彼女は判断した。今の彼女はアッテンボローを
無意識のうち一人の成熟した男性として頼っていたのである。だが肝心のアッテンボローはそれを「友情」と
思い込んでいていささかここまで来るとコメディである。
過去をさかのぼりビッテンフェルトの人となりをアッテンボローはミキに話すしかないと思いしばし
考える。彼はミキを十分懸想していたし懸想した女性から相談事を持ちかけられれば何が何でも
その懸念を解消せねば男でないと思うわけであった。
ミキはいささか不安げな面持ちで彼を見つめていた。その視線に気がついてアッテンボローは
自分の見る「フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト」という人間のことを話す。
「率直に彼の人間像を申し上げればビッテンフェルトは猪突猛進の男です。でありますが・・・。
悪い男ではありません。卑劣漢でもありません。軍においては重鎮でしょうが一人の男としては
真正直でひとつの策略も練れないような無骨な男です。むしろコーネリアのほうが一人間として成熟
した面を持っていると思われますし食事くらいなら一度はさせても大丈夫でしょう。断るにしても
相手が帝国元帥であるからという理由だけではコーネリアも納得しないのではないでしょうか」
アッテンボローはそういった。他人の恋愛事情にはシャープな男で実際はニューイヤーを迎える
ときのあのときのキスの意味こそ彼は知りたかった。
しかし、ミキは渋面を崩さなかった。
心の中で彼女が思ったのはアッテンボローの言うことはもっともであるということ。
けれどミキは「帝国軍人にうらみはないが帝国軍人は好きじゃない」というのが本音であった。
彼女がただの軍医であったならそういう感情も芽生えなかったであろうが彼女は最前線の
兵士の怪我を見る軍医であって、前線で幾度も帝国軍の来襲にであっている。
実際にブラスターで戦い、実際に帝国軍の兵士を数十人ミキは殺戮している。無論数においては
アッテンボローが指揮した軍のほうが帝国軍人を寄り多く死なせているが骨の折れる音、脊髄が砕ける
音を彼女は体感している。
実際に多くの血にまみれた。比喩ではなくて。
だから帝国軍人は好きじゃない。彼女はある意味父親に似て潔癖なのである。
秩序というものを大事に思うし和平がかなった時世といえど、自分の養女を帝国の軍人、しかも元帥と
交際をさせるなど考えがたいことであった。
ビッテンフェルト個人にはなんの嫌うところはない。
アッテンボローが言うように正直者でその気質でよくまあ帝国元帥にまでなったものよと不思議に
思う。彼はミキが見る限りでも人間として悪くない資質を持っていると思う。
ただ帝国軍元帥であるということははなはだ・・・・・・彼女にためらいを覚えさせた。
だがアッテンボローがいうように理由がそれだけでは自由の国の人間の考えることではないと
思い直しまず養女の意見を聞くことにした。コーネリアの気持ちを聞くと一度はビッテンフェルトと
話がしてみたいという。・・・・・・ので彼女は「一度の会談」は許した。
養女といえどもコーネリアはもう子供ではない。断じて会わせないわけにもいかず、
ビッテンフェルトがハイネセンに滞在中2人は仲良くザッハ・トルテを挟んで実に
『清い交際』をしていた。
そして意を決してのビッテンフェルトからの求婚である。
これにはミキだけでなくアッテンボローもキャゼルヌも慌てた。
正直アッテンボローは、
「あの馬鹿、勘弁してくれよ」
と辟易した。
思慮だの分別があれば20近くも年下の少女ともいえないことはないコーネリアを自分の令夫人に
迎えようとはまず思わないだろうにと。
だが。
あのカイザー・ラインハルトでさえ皇后を迎えるのにそれなりの悶着があった。ミッターマイヤーのように
早々に花嫁を迎えたものならともかくもナイトハルト・ミュラー軍務尚書にしてもよい男ぶりでありながら
独身。ケスラー元帥も現在の摂政皇后が間にはいらなければまとまらぬ縁談だったと慮れば、帝国軍の
元帥が令夫人を迎えるということは今のアッテンボローたちのような自由な風潮にある人種よりも
やや、いかめしさを感じる。難しいのだろうなと察する。
問題の2人は、もう心を決めているようである。
ミキは思っていた。
会わせれば、恋に落ちるに決まっている。と。ただ食事だけしてさようなら、そうは行かぬことをうっすら
考えていた。それでもアッテンボローに自分の心の重みを少しでもわかって欲しかったのかもしれない。
遅かれ早かれ。いな、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの人柄を聞けばあわせれば二人は恋を
したであろうし恋をすれば、元帥は妻にめとることを当然と思うであろうと思っていた。そういう気持ちの
よさは認めるけれど・・・・・・。これは果たして保護者としてどう考えればいいのであろうかとついつい
アッテンボローに相談してしまう。
彼もこうなればとことんミキの相談事に付き合うことにした。彼女は彼の思い人である。
思い人が悩むのならともに悩んで何とか解決に当たりたいと思うのも愛情。
周りばかりが身を固めてアッテンボローは新年のキスの意味さえいとしの女医に聞くこともできない。
いや、それどころではない。
ミキ・マクレインは2人の結婚についてなかなか承諾をしなかった。
軽々しくはいと言えぬ問題だと思う。ミキの躊躇は当然だとアッテンボローは考えていた。
キャゼルヌも気持ちがわかるゆえに考え込み、うかつにも引き合わせたアッテンボローは責任を
感じている。
ミキが許せるはずがない。
今でこそ、ビッテンフェルトや、他の銀河帝国の諸元帥とも談笑もできるまでになったがかつては
敵だった。間違いなく殺し合いをしてきたものどうしであった。
コーネリアの両親は戦争で死んでいる。 ミキの夫も友人達も。
今は帝国との和平が成立しているが一度この蜜月が崩れ去ればコーネリアは敵国の
元帥夫人として生きていかねばならない。
コーネリアもそのことはよく心得ているらしくミキに『姉上』といって説得を試みようとする
ビッテンフェルトを見事に御した。
「元帥閣下が仰せにならずともドクターにはわたくしがお話いたします。わたくしにこの縁談を
お預けくださいまし」
きれいな帝国語で20歳の明晰なるコーネリアに言われると帝国元帥閣下は口を噤むしかない。
銀河帝国といえば宇宙の大半を支配しその元帥の権限ははかり知れない長大なものである。
その夫人となるのだ。僅か20歳の少女が。
ケスラー元帥も若い女性を妻に迎えたがとうの女性は宮仕えの貴族の令嬢。
摂政皇后のヒルデガルドに仕えているといういわば『帝国流儀』をわきまえた女性である。
一方コーネリアは自由惑星同盟に生を受けて以来民主主義政治の元で生きてきている。
元帥夫人が勤まるのであろうか。
ミキがこの縁組を喜ばないのも、このような経緯からである。
おとぎ話では、貧家の娘が、美しさゆえに王子に見初められ妃となる。しかしこの場合
シンデレラの靴はあまりに脆くはないだろうか?いったん戦闘が開始されでもすれば、
ミキとコーネリアは、敵同士の立場になってしまう。
彼女にとって、コーネリアは、ヤンにとってのユリアンに近い。
ガラスの靴。
答えはまだ出せないでいる。
勿論女医と青年外交官の恋の事情もなかなか進むものではなかった。その代りミキはアッテンボローが
いてくれることの心強さを感じたしアッテンボローは女医から心中を聞けて、絆だけは深まっていく。
アッテンボローはまだそれが「ミキの甘え」「ミキの恋慕」とわからない。
自分は片思いをしていると思い込んでいる青年外交官閣下は帝国元帥の「猪突」の数%でももらい
たい気持ちであった・・・・・・。
by りょう
■小説目次■
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