34・平行線





「ご馳走してもらえるのは、無条件にありがたいんだけれど。なんだか変な空気じゃない・・・?

いつものようにわいわいしましょうよ。せっかくこのメンツであったんだし・・・ね。なんだかみんな様子が

変だわ。」


ミキ・マクレインは、 親友のジェシカ・エドワーズに言った。



このときミキは 軍を退役し民間の医者として多忙な日々を送っていた。



診療所を格安でコバルビアスから譲り受けた。退役したアグネスとともに小さなクリニックを

シルバーブリッジのはずれに開いたばかりであった。



診療所とその棟につづく小さな家をジョンの遺族年金と二人の貯金で購入した。外観は古いが中は

かなりよい医療施設が整えられていた。おそらくはコバルビアスが作り変えてくれていたのであろう。


第6次イゼルローン要塞攻略戦以降、ミキの上官であったコバルビアスも退官した。

脳に大きな損壊を受けてミキが執刀し生命は取り留めたがかなり麻痺が残っている。



気難しい人間がさらに気難しくなったがミキのことはとても気にかけてジョンを失ったあとも何かと

バックアップをしてくれた。半年に一度ミキがコバルビアスの診察をしに彼の家に参じる。

難しい老人のコバルビアスは、言葉は少ないが令夫人と二人で快くミキを迎えてくれる。


民間の医師として働きたいと一番にコバルビアスに相談した。



彼は父親のようにミキが診療所を開院できるように手配をして手伝ってくれた恩師である。




ついみんなとあっていてもそんなことを考えてしまう。



今日は、昔の仲間と楽しく過ごす日だ。みんな忙しくそしていつ戦闘に出なければならないかわからない。

愉快に過ごせる時間は貴重なのだ。



「アッテンボローさんは 気のいい人だしミキの話し相手にはうってつけよ。2人がまだ出会っていなかった

なんて私びっくりしたわ。まったくミキも気の利かない 友人ばかりをもったのね。

ね、ジャン・ロベール。ヤン?」



金褐色の巻き毛をした美しいガールフレンドは容赦がない。そして容赦なく美しい。



瞳の色と同じエメラルドグリーンのドレス。ジェシカによく似合う。



ミキはこの年少の女性の友達を誇りに思っていた。こんな美しく品がある音楽の先生がこの世に

存在するなんて。

なんて文化的なことだろうと。



「だから今日アッテンボローをこのレストランに誘ったんだよ。ここはキャゼルヌ夫人のお勧めの

店でね。アッテンボローももうじき来るころだと思うんだけれどな。今日は休みだといっていたし」


ジェシカにつつかれてジャン・ロベール・ラップでさえ腕の時計をチラリとみながら落ち着かない。



『アッテンボローめ。いつもならただ飯、ただ酒には目がないくせに。こういう大事なときに限って姿を

見せない』




これが朴念仁のヤン・ウェンリーだとただ頭をかいて水を飲んでいる。



ミキはなんだか悲壮な心持になった。

みんな自分を気にしてくれるのはありがたいけれど・・・



ミキの夫ジョン・マクレインが亡くなって1年足らず。



今彼女は必要不可欠の民間の医者である。忙しい時間を割いて友人達がすすめてくれた会食に

参加している。

洋風のランチが美味しいとされる店。これはキャゼルヌがおしえてくれた。

同じように朴念仁に近いキャゼルヌは才覚の豊かな妻、オルタンスからこの店を紹介されていた。



ジェシカも勿論気の利かないといわれる友人達もミキの殺人的な仕事のしかたに漠たる不安を

覚えているのだ。




ジョン・マクレインは立派な医者であった。軍医であった。そして・・・・・・

ミキの最愛の男性であった。




その彼を失ってからの彼女は夜叉のように働き忙殺されることで夫を失った悲しみや寂寥感、喪失感を

紛らわせているのだと周囲は思っていた。


ミキはそういう気持ちもあるが、自分が今やっと医者として使い物になれるならと粉骨惜しまず

働きたい気持ちがより大きい。ジョンが医学を志した気持ちもやっと少しずつ彼女に近い感情として

わいてきた。



みなが紹介しようとしてくれる青年のことはまったく知らないでもない。



第6次イゼルローン要塞攻略戦でも同じ「エルムIII号」にのり、彼は艦長だった。難しい局面で新たな

犠牲者を出さないで撤退した技量はなかなかたいしたものだと思う。



自分があの撤退中に人生最大の手術をしていたことを思いだすと大きな揺れもなく無事手術はできる

ところまではできた。おそらくダスティ・アッテンボローは優秀かつ、運に恵まれた軍人なのだろう。



けれど今ここにいる仲間がミキは大事でとくにその前途有望な青年にさほど興味がない。

一度テルヌーゼンの士官学校の本館でビラ配りをしている頬を高揚させた下級生を見ている。

けれど、あのときは細胞学で赤点を補うことに必死だったからその青年の姿かたちもじっくりと

見ていない。



有害図書撲滅に対する抗議のビラを配っていた青年だから多分それが今日のもう一人のゲスト、

ダスティ・アッテンボローそのひとというわけなのだろう。



「私、そのアッテンボローというひとはしっているわよ。話したことはないけれど」



ミキはかるい飲物を飲んで、みなにいった。どうも自分以上に周りが過敏になっている空気が

読める。



「で、どう思う?」



ジャン・ロベールが単刀直入に尋ねた。 ミキは、肩をそびやかしていった。

「キュートな男性らしいし、仕事もできる人だって聞いているわ」

「それじゃ、ミキの感想じゃないね。伝聞って言うんだよ」

ヤンがやっと、口を挟んだ。



「あなた達の後輩でいいやつ、というのならきっと愉快なひとだろうとは思うわ。会えばきっと気が

合うと思う。いい友達になれるかもね。ええ。多分。」

ミキはみんなの愛すべき優しさに微笑で返した。

せっかくのみなの行為を無碍にできないミキの優しさも垣間見える。



それにしても、アッテンボローのやつ約束の時間に15分もすでに遅れている。連絡ひとつ

ないのでさすがのヤンも、しびれを切らしていた。



ヤンは自分の恋愛事情は棚に置いておいてアッテンボローとミキが良い仲にならないか予感を

していた。いや、過分な期待だろう・・・・・・。



恋愛オンチのヤンにしては非常に珍しい直感。アッテンボローも恋愛オンチだけれどきっとミキのよい

活性剤になると思えた。そしてアッテンボローにとってもミキのような女性はきっと似合う。

ちょっとだけ彼女が年が上できっとあの後輩をかわいがってくれる。よき恋人になるかはまだ未明

だけれどミキとアッテンボローはきっと馬が合うはずである・・・・・・。



そうおもったんだがな。だから、がらにもなくこんな会席をもうけたのに。



アッテンボロー、何をしているんだ、そうヤンのいらだちが頂点に来たとき。

ウェイトレスが彼らのテーブルにやって来てメッセージを伝えて去っていった。




『急な仕事のため、折角のただ飯をふいにすることになって、残念です。他の皆さんにも謝って

おいてください。アッテンボロー』




ヤンはこのメッセージカードをしみじみとした寂寥感いっぱいで読みラップに回した。
ラップは渋い顔を

さらに渋くしてすみやかにジェシカにそのカードを回した。




ジェシカは、ため息をついた。けれど黙っているわけにもいかない。



「・・・・・・ミキ、実は会わせたいと思っていたアッテンボローさんがね申し訳ないことに仕事で今日は

来れないって今、連絡が入ったの。彼最近昇進しているし仕事が忙しいのね。・・・・・・その、残念だわ。

とても、残念。・・・・・・ごめんなさい」

あのジェシカ・エドワーズが手を合わせて謝ったものだから他の二人も頭を下げたり髪をかいたりした。



「ジェシカが謝ることないわよ。みんなも」

ミキは笑った。




「みんな、都合があるものだし。生きていればいつか会うだろうし縁がなければ会うこともないかも

知れないし。ね。さ、しょげないでみんな食事をしましょう。私お腹がぺこぺこ。食事は楽しく食べなくっちゃ」




ミキ以外の三人は、思った。

『この縁談って、もしかして、平行線?』



・・・・・・十分ありうるので、他の三人も、気を取り直し、マダム・キャゼルヌお奨めの料理を

いただくことにした。


似合いと思っていても、 タイミングとは、難しい。



しかし、この数年後にこの平行線はどこで狂ったのかシンクロすることになっていく。

これにはまだ時間がかかるわけであるが。



何も知らない血気盛んなワーカホリックのアッテンボロー青年だけは、この佳人とのデート?を

反古にしたという事実を長い間、知る由もなかった。そしてこのエピソードが出るたびに非常に自分が

大ばか者に思えるのである。



あんまりにも不愉快だったのでヤンはユリアンにこの一件をすっかりばらしてしまった。


ユリアンはさとい子供だったのでヤンにねぎらいの飛び切りおいしい紅茶をブランデーたっぷり入れて

差し出した。



『シャープそうに見えても案外アッテンボロー提督もヤン提督と、恋愛の面ではそう変わらないのかも

しれないな』ユリアン少年は口にすることなく家計簿をつけることに専念した。



なれないことに神経を使った彼の保護者はすっかりベッドで眠ってしまった。

賢明なるユリアン少年はその日だけは、紅茶にいれるブランデーの量に口出ししなかった。



この話を妻のカリンにすると小一時間ほど彼女の愉快そうなくすくす笑いがおさまらないので



「いいかい、カリン。ポプラン中佐にだけは内緒だよ」

と大人になっても分別のある賢明なユリアンはやさしく話すのであった。



今は昔の、 懐かしい時間。

懐かしい思い出。




by りょう

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