15・意識という深い海
ミキ・マクレインは日中、 街のオープン・カフェで、人を待っていた。 久しくあっていなかった人物と偶然
出会い、その時点ではお互い時間がなかったため、時間をつくって待ち合わせをすることにした。
彼女は相手を見つけると、席を立って、その人物の名前を呼んだ。
「こっちよ。フレデリカ」
呼ばれた女性は黒髪の女医を見つけると、頭を下げて、席に着いた。
「お久しぶりです。先生」
フレデリカ・グリーンヒル・ヤン。
女医の友人であり、今や民主主義の父とも言われる、ヤン・ウェンリーの未亡人である。
2人がはじめてであったのは、惑星エル・ファシルで、彼女は14歳、ミキ・マクレインは21歳の時で
あった。
あのころ、フレデリカはまだ幼さが残る利発な美少女。豊かな金褐色の髪が印象に残った。
そのヘイゼルの瞳も。
きらきらと輝き、まっすぐとっぽい黒髪の中尉さんを見つめていた・・・。
彼女の金褐色の髪は、今自然なウェーブがかかった肩くらいまでのロングになっている。
随分大人になったものだと、ミキなどは思う。
考えてみれば、この女性は、自分よりも7歳も年少であるのに、いまだに友好が続いているのは
フレデリカの成熟した品性、人格によるものであろうと女医は考える。
「元気そうね。優秀な事務員を紹介してくれたとあなたの上司から言われているわ。仕事は辛くない。
大丈夫なの。」
フレデリカは紅茶を頼んで、女医に言った。
「ありがとうございます。皆さん親切にしてくださいますし、なんとか仕事も使っていただいています。
先生の紹介で、私、助かりました」
ヤン未亡人ということで、戦後フレデリカは政治絡みの仕事の依頼や、いとまのないインタビューだので
過労で倒れてしまったことがあった。これでは心身ともによくない。
そこでキャゼルヌと相談してミキが取り引きしている医療品会社の事務という世間から注目されない「仕事」を
紹介したのだ。
そもそも事務はフレデリカにとっては十八番だからおそらく紹介した人事部長の賛辞の言葉はうそではなく
本当の声であろう。
回復したフレデリカは、今一市井の女性として静かに暮らしている。
よい香りの紅茶が運ばれて、フレデリカはそれを口にした。
「先生こそ、お元気そうですね。しばらく会わないうちにまたおきれいになっている感じです」
上品にヘイゼルの眸が微笑んだ。
「あらあら。われらが麗しのフレデリカがお世辞をうまく使いこなす大人になってしまったとは。おかげさまで
私は元気よ。至極タフ」
ミキは笑った。 考えれば、フレデリカと自分は立場としては似ている。
未亡人。
2人の結婚式に招待されたものの、あいにくと仕事で行けなかったミキは、そのかわりにヤン夫妻の
新婚時代に新居に幾度か訪れたことがある。
シェーンコップが緊急連絡先をヤン夫人に伝えるためにミキに「お使い」をさせたのである。
ミキはヤンと軍人時代一度だけ同じ勤務地に着いただけ。
また、彼女自身早い時期に退役している。政府も帝国もミキ・マクレインがムライの娘であることまで
掌握していない。彼女はマクレインという苗字を名乗っていたから。
ゆえに「メッセンジャー」にうってつけなのだとシェーンコップは言っていた。
はじめてミキがヤン夫妻の新居を訪れたときフレデリカと数年ぶりの再会をしエル・ファシルで
であった「E式の美しい大尉さん」と呼ばれた。
フレデリカは卵料理、肉料理、魚料理といろいろなレシピをそのきれいで有能な頭に詰め込んでいたものの
なかなか実践となるとうまくいかないと嘆いていた。
けれども一度としてヤンがフレデリカに失望したことはなくただ側にいてくれるだけで彼はゆっくりと
昼寝を楽しめたようだ。
ユリアンはその当時は留守にしていたが、ユリアン同様ヤンの妻は彼にとって
「生きていてくれれば、それでよい」という存在だった。
フレデリカがキッチンでディナーに格闘しているとき、ヤンが言った。
「彼女が料理ができようがそうでなかろうが私にはそれは大きな問題ではない。彼女がこんな私でも
いてくれればそれでいいといってくれるのと、多分同じ気持ちじゃないだろうか」
「あら。ヤン・ウェンリーがのろけた」
「彼女ほど美しくてやさしい妻と暮らしているんだからのろける権利はあるだろう」
ヤンはまじめに言った。
ミキは笑った。
「結婚とは悪いものでもないね。最も相手によるだろうけれど・・・・・・」
「はいはい。今が幸せなときね。ヤン・ウェンリー」
「結婚式のディスクをみるかい?フレデリカのウェディング姿は実にすばらしいよ。いままでみたどの花嫁より
きれいなんだから・・・・・・えっとこれだな。」
と結婚式の映像を散々見せられたミキ。
薔薇色の人生。
どうしてもなつかしい人々の思い出がよぎる。あまりに多くの大事な人たちを失ってきてしまった。
ふたりとも。
「2ヶ月の新婚生活だったのね。ヤン・ウェンリーもかわいそう。こんなにかわいい女性を奥さんにして
随分早くいってしまったものね・・・・・・。あなたが思っている以上にヤンはあなたを愛していたんだと
思うわ。・・・・・・ヤンがあんなにうれしそうにしていた時代はなかったもの」
ミキの言葉に、フレデリカは、柔らかな微笑みでかえした。
「私、料理がすこしできるようになった矢先でした。あのひとの好みの紅茶の入れ方を、もう少しで
習得できたんでしょうけれども。以前は、先生からもよく料理を教わりましたわね」
カフェには、軽やかなワルツが流れている。
意識という深い海。
フレデリカを見ていると、ミキは亡き親友のジェシカ・エドワーズを思いだす。どちらも、ヤンが愛した女性。
しかしヤンが選んだ女性がフレデリカでよかったのだとミキは思うのである。
ジェシカもジャン・ロベール・ラップを選んで正解であったのだと考えてしまう。
ジェシカとフレデリカは、外見の美しさは似ているところも多い。二人ともきれいな金褐色の髪をし
優しいまなざしを持つ。白い肌も穏やかな物言いも似ているといえば似ている。
けれど、ミキはわかる。
ジェシカは心に熾烈な炎を持っていた。
ヤンは、ジェシカに惹かれはしたもののその熾烈な魂を受け容れられる人間ではなかったとミキは思う。
その炎は己の身までも焦がし昇華してゆく類いのものでヤン・ウェンリーが伴侶に選ぶ女性ではない。
ラップならジェシカの激しさも包み込むことができたであろう。
いや、できた。
ジャン・ロベールはジェシカのその激しき正義感すら愛していた。
だからジェシカは迷いつつもジャン・ロベールの手をとった。
ヤンに惹かれていた彼女の気持ちを察すると迷わずにおれなかったに違いない。ヤンにしてもジェシカへの
抗いがたい憧れは長年払拭できなかったようだ。
それはわかる。
けれどヤンはフレデリカを選んだ。
ジェシカが死んだからではなく、ジェシカとともに生きることができないことをヤンは心の奥底でよくわかった
のだと思う。
「私のような大量殺戮者が、死者の屍のうえで普通の家庭生活を送っていいのか本当に迷っていたんだ。
フレデリカは・・・彼女とならなんとか生きてゆけるようなそんな気持ちがした」
ヤン、きっとその選択でよかったのよ。フレデリカはあなたと同じ道を歩んでくれる。
ジェシカは生きる道が違った。
フレデリカは温かな小さな灯を心にともしている。 それは穏やかでヤン・ウェンリーが心安らぐ優しさ
ではなかっただろうか。
ともに生きていくにはヤンが選んだ女性は彼の人生最大の正しい答えであったとジェシカ、フレデリカの
二人を見ているミキは思う。フレデリカは軍人の父親に育てられ優秀な軍人であったと聞いている。
女性でありながら文武両道の明晰なる軍人。
けれど赤い紅蓮の炎ではなく冬のペチカのあたたかさを思わせるやさしい光を持っている。
ヤンは幼いうちに母親をなくし男手で育っていたのでたとえフレデリカが年少であっても彼女の愛情と
包容力にどれだけ救われたであろう。
意識という深い海の中で、ヤンはジェシカを選ばずに この優しく聡明な・・・・・・素直なフレデリカを選んだ。
それは、彼にとって幸せだったと思える。
この穏やかさをヤンは愛したのだろう。ともに生きていくのにフレデリカのあたたかさがヤンには不可欠だった。
ミキにはそう感じられた。
仕事の話、日常の話を2人はして懐かしい思い出も語った。くすくす笑い若い少女のおしゃべりのように
あっという間に時が過ぎる。
「で、先生はアッテンボロー閣下と交際されているとお聞きましたがいかがです」
「そのニュースソースはキャゼルヌでしょう」
フレデリカはしーっと指を唇に手を当てて、おどけた。
ニュースソースは明かせませんわ。
彼女は微笑んだ。
「交際といえば交際だけれど、じつに清い交際よ。彼は紳士ですからね」
ミキは珈琲を飲み干して笑った。 そしてまた考えた。
目の前のこの佳人は自分のように 失った夫とは全く違う人物を好きになることがあるのであろうかと。
それはまだ先のことであろう。
自分とてJを亡くして7年の月日が 傷を癒してくれたではないか。
14歳の少女時代からの彼女をしっているミキは、フレデリカへ自然心が傾くのである。
夕方、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンの家路へ向かう細い後ろ姿を見つめてミキはヤン・ウェンリーとその
新妻の蜜月時代のむつまじさを思い出していた。
あのころフレデリカはまるで世界中の幸せを一身に浴びているかのように朗らかでそして現実に幸せだった。
ヤンが英雄でなかろうと、フレデリカは微笑み新居に花を飾り、ヤンに居心地のよい環境を整えようと心を
砕いていた。それはとても彼女を幸せにみせそして事実やはり彼女は幸せだった。
ヤンは寝たくなればミキが来ていようがかまわずソファで寝転んだ。
それすらフレデリカは愛していた。
そんな夫を彼女は、宇宙で一番、愛していた。
じつはそんなだらしないヤンを許してくれるフレデリカをヤンはかけがえのない存在として、女性として愛した。
ミキがかつてジョンを愛したように。ジョンがミキを愛したように。
ヤンを見送ることは到底難しいことであると思われる。
ミキは夫の遺言で嫌がうえでも自らの手で彼の生命を維持する装置をすべてはずした。
こうでもしなければ。
こうまでもしなければミキはジョンを見送ることはできなかったと思う。ジョンはミキを解放してくれたのだ。
遺言という形で。ジョンの最後の尊厳を護るために。
ヤン・ウェンリー。
残されたものが幸せになることこそ最大の手向け(たむけ)になるのだということを女医は痛感している。
あなたはきっと、さみしがりやだからまだまだフレデリカを必要とするわね。ヤン。
フレデリカがあなたを忘れることはなく、あなたは今でもフレデリカに側にいて欲しいと願っている
のでしょうね。あなたはフレデリカに甘えていた。安心して彼女にすべて任せていた。だからまだまだ
きっとあなたはフレデリカの側を離れない。そしてフレデリカもそれをしってて赦している。
そんな愛情もあるわよねとミキ・マクレインは思う。
青年外交官閣下への新しく膨らみつつある気持ちと、家族であり忘れることなどできぬJへの変わらぬ
愛情を抱えて・・・・・・。
夕日をみつめて彼女も家路に向かった。失ったものの大きさは計り知れなくて・・・・・・けれどもこれから
大事な何かを築き上げることも必要であると、7年のときを経て女医は考えるようになっていた。
たとえ一方通行の恋慕でも。
新しく誰かを大事に思えるなら私はきっと大丈夫よね。と亡き夫に心の中で尋ねる。彼はきっと
それでいいとおもうよといってくれる気がする・・・・・・。
by りょう
■小説目次■
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